第5話 朝光の中の天照
夜の宮が朝を迎えた。
静寂を破ったのは、
ひと筋の柔らかな光。
本来、夜の神気は朝光を嫌う。
光が満ちれば夜は退き、
夜が広がれば光は静まる。
だが――
夜姫の寝台へ差し込んだ天照の光だけは、不思議と優しかった。
月のように柔らかく、
しかし確かな熱を帯びて。
強すぎず、弱すぎず、
包み込むような初めての温もり。
夜姫は布にくるまり、
小さく身じろぎして瞳を開いた。
(……陽は好きじゃないはずなのに
……あったかい……)
胸の奥がくすぐったくなる。
夜の神である自分が、陽だまりを心地よいと感じるなんて。
――それが彼の光だからだと、
夜姫はまだ知らない。
⸻
その頃――
常世全土を見渡す高き岩山。
神気が満ち、並の神では踏み入れない静寂の丘。
古の大樹の根元に、
天照は背を預けて佇んでいた。
普段は神々に囲まれ、
常に視線を浴びる存在。
だが今はただ一人、
朝風に髪を揺らしながら、
じっと動かずにいる。
視線はただ一つ。
薄霧に霞む夜の宮。
生まれて六百年――
途方もない孤独と共に在った。
祈りから零れ落ちた絶対神格。
世界に一柱しかいない出自。
ゆえに、理解されることなどなかった。
だからこそ――信じていた。
いつか、自分と対を成す存在が現れると。
夜を司る者。
唯一、自分と同じ高さに立つ神。
長く、長く、待ち続けていた。
――なのに。
「……小さすぎたな。」
初めて目にした夜姫は、
想像を遥かに超えるほど幼かった。
だが、その目は。
底知れぬ夜を宿した灰青の瞳。
星の欠片を編んだような銀の髪。
小さな体躯の奥底に潜む莫大な神格。
自分を射抜いた視線。
頬を赤らめた仕草。
その小さな手が触れただけで、
なぜか心が熱を帯びる。
(中身はどうなんだ?
やはり見た目どおり幼いのか?)
(……いや、そうとも限らないな)
初対面で羞恥を押し殺し、
己を保とうとした強さ。
須佐男の無遠慮な絡みにも、
泣かず、逃げず、目を逸らさなかった。
(普通の子供なら泣く。
だが、あいつは耐えた)
外見の幼さと、
内側にある誇りと理性。
噛み合わぬはずのものが、
奇妙に、心地よく共存している。
(…準備不足で生まれたわけじゃない
まだ器が育ちきっていないだけだ)
神格は揃っている。
精神は折れていない。
気質は悪くない。
つまり――
(時間さえ与えれば
俺と肩を並べる場所に辿りつく)
六百年待った理解者。
自分と対を成す唯一。
そして現れた対は――
(予想より……少しだけ小さかった。それだけだ)
期待と落胆と安堵。
名付ける言葉をまだ持たない感情が胸に沈む。
「昼」と「夜」。
理屈ではただの対。
――だが。
胸の奥に奇妙なざわめきが広がる。
「百年経ったら――か」
天照は目を伏せた。
普段なら決して使わない、
からかうような言葉。
女心を弄ぶ趣味などない。
そんな自分が、あの時だけは――
気付けば言葉にしていた。
「……何を言ってるんだ、俺は」
風が葉を揺らし、
光は神殿へ神々の影を導く。
天照は静かに息を吐いた。
そしてまた、夜の宮を見つめる。
「……夜姫。」
漏れた名を、風がさらう。
まだ昇りきらぬ陽の下で、
太陽神はひとり、
――見えない少女の姿を追い続けていた。
⸻
夜姫は窓の外の光を見つめていた。
(こんな光……はじめて。
なんでだろ……優しい……)
指先で胸に触れる。
昨夜の熱がまだほんのり残っていた。
「……今日も、頑張らないと……」
夜姫の小さな決意を、
春の日差しがそっと照らす。
気づかれないように——
その光は優しく、優しく包む。
これが、
二人の朝のはじまりだった。
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