第4話 夜の宮
嵐が去ったあと――
夜姫は、しばらくぼんやりと立ち尽くしていた。
先ほどまで、
太陽神に手を握られ、
膝をついて話しかけられ、
見つめられて、笑われて、
そして……暴風神に全部持っていかれた。
(高貴な神々の街って……
こんなに混沌としてるの?)
街へ来る途中、人から
「動物園」というものの話を聞いた。
生き物たちが、互いの干渉を抑えて暮らす場所らしい。
でもここは――干渉しすぎ。
野生の王国。
天照が百獣の王なら、
須佐男は……騒音付きの狼?
私は……小さなウサギ?
混乱が極まると、
どうでもいい例えが浮かぶ。
(……で、私はどこへ行けば?)
途方に暮れる夜姫の横へ、
小さな足音がパタタタと近づく。
「夜の姫様。こちらへどうぞ!」
振り返ると――
白い装束に、耳のような帽子を被った
小さな遣い神たちが五人、深々と頭を下げていた。
「僕はコックル。
この子はトックル、ファッタル、テックル、サットル。
夜姫様だけの遣い神です♪」
「天照様に託されておりますので、ご安心ください!」
滑らかに自己紹介されるが――
似すぎていて、見分けがつかない。
「ありがとう」
夜姫は小さく頭を下げ、
彼らに付いて歩き出した。
黄昏都の中心には、
列柱が連なる神殿街が広がっている。
神殿街を抜け、
神々の住まう界降地区を抜ける。
どれほど歩いただろう。
街の喧騒は遠のき、
緑は濃くなり、
神気は静かに、しかし確かに深さを増していく。
暗い森の中を、ひたすら歩く。
呼吸が、心地よい。
夜姫の力に、
世界がそっと応えているようだった。
小さな歩幅で、丸一日。
新しい出会いも、いくつもあった。
夜姫は、満身創痍だ。
「あの……
まだ、かな?」
「あと少し! 頑張って♪」
やがて――
月光が降り注ぐ草原の奥に、
ひっそりと、凛と佇む神殿が姿を現した。
「こちらが、夜姫様の宮です♪」
夜の宮。
その言葉だけで、胸が震える。
扉が開かれる。
深い藍の柱。
星々が瞬く天井。
足元では、夜の神気がやわらかく揺らめいていた。
夜姫は、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
――ここが、私の住む場所。
まだ実感は追いつかない。
けれど、足元の世界は、
確かに夜姫を歓迎していた。
さらに奥へ進むと、
コックルが一枚の扉を開いた。
中にあるのは、
大きな石造りの窓と、天蓋付きの寝台だけ。
夜姫は、ほっと全身の力が抜けた。
とにかく休みたい。
心も、身体も、限界だった。
泥のように眠りたい。
――足を踏み出しかけた、その時。
コックル達が、
パタパタと寝台へ駆け出した。
「うわぁぁいっ!!」
「ひゃっひゃ! きゃっきゃー!」
「あっひゃっひゃっひゃ!」
跳ねて、転がって、大はしゃぎ。
夜姫が呆れて見ていると、
全員が、はっと気づいたように固まる。
「ご、ごめんなさい!」
ぺたり、と正座して赤くなる。
夜姫は、くすっと微笑んだ。
コックルが仕切り直すように咳払いし、
「ここは、夜姫様の力が一番落ち着くよう、
天照様が――」
その名が出た瞬間、
夜姫の顔は真紅に染まった。
五人は、その変化を見逃さない。
「夜姫様と天照様は、唯一の“対の神”。
ずっと一緒なのです♪
仲良くなれます!」
慈愛に満ちた顔で、
五人がこくこくと頷く。
“天照”。
その響きだけで、胸がきゅっとなる。
春の風。
驚いた瞳。
無邪気な笑顔。
忘れられるはずがない。
それに――
「百年経ったら考えてやる」
……百年経ったら?
夜姫は自分の小さな手を見つめ、
ぶんぶんと首を振る。
顔が熱い。
胸が苦しい。
そんな夜姫の心を察し、
コックル達は静かに言葉を紡ぐ。
「……大丈夫。天照様は、
優しい。大きい。
夜姫様、可愛い。綺麗。強い。
とっても大事にされる♪」
夜姫は、もう顔を上げられなかった。
違う。
そんな簡単なものじゃない……
彼は世界の柱。
大きくて、強くて、偉大で――
自分が隣に立てるなんて、
思えない。
膝が崩れそうになった夜姫の背を、
コックル達がそっと支える。
「夜姫様……夜の神。
また明日、お会いしましょう。
ゆっくり休んで、
いい夢を見てください♪」
ぺこぺこ。
五つの小さな影が、順番に頭を下げる。
「ようこそ、黄昏都へ」
扉が、静かに閉ざされた。
残された夜姫は、
寝台に倒れ込むように身を預けた。
生まれ落ちたときから、
自分の使命は“夜を守ること”だと思っていた。
なのに――
胸が高鳴る。
息が苦しい。
集中しなきゃいけないのに。
人の心みたいに、
ぐちゃぐちゃになっていく。
混乱。
感動。
不安。
恥ずかしさ。
胸がざわめき、
涙が、少し滲んだ。
「……人間みたい」
“太陽”と“嵐”が去ったあと、
初めて訪れた静寂。
夜姫は胸に手を当て、
そっと呟く。
「明日から……
頑張らないと……」
読んでくださってありがとうございます!
次回、夜姫の「最初の夜」。
少しずつ、物語が動き始めます。
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