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さっと後ろを振り返る。


誰もいない。もう一度前を確認する。桐谷さんしか歩いていない。つまり、この長い廊下には私と桐谷さんだけだ。


それに、すぐそこには、スタッフが休憩するためのカフェテリアがある。ガラス張りのその部屋に瞬時に目をやる。比較的遅い時間のせいか無人だ。


舞台は整った。あとは、私の決意次第だ。


でも、心の準備もできていなければ、プランも何もない――。


つい及び腰になるいつもの弱い自分に喝を入れる。言い訳ばかりを探してこのチャンスを逃したら、私はきっと変われない。


昨日までの自分とは決別すると決めたではないか――!


行くんだ。殻を脱ぎ捨てろ。別人になれ。



私のような人間には、勢いが必要だ。策士にもなれないし、経験もスキルもない。あるのは、妄想力と決意のみ。これまでの人生で感じたことのない激しい鼓動が私の身体を覆い尽す。


一歩、また一歩と、縮まる距離。


どうする? どうする? どうするの、華――!


胸に抱き締めたバッグを、すがるようにぎゅっと抱きしめる。


あと数歩で、すれ違う。


華――!


鼓動の間隔が短くなって、身体が打楽器になったのかと錯覚するほどに乱打される。


相変わらずの麗しいスーツ姿が等身大になる。


……どうして。どうしてあなたは、そんなにも魅惑的なの?


間近にある姿を視界に入れれば、脳みそが溶けそうになる。


180センチは優にある身長。

そのスタイリッシュなスーツに隠していると容易に想像できる厚い胸板、適度でしなやかな筋肉。

知的クールを漂わせる黒縁眼鏡は最高に似合っているし、そのレンズの奥にある涼しげで切れ長の目は、一瞬でも目が合えば吐息が漏れるほどの色香が滲み出る。


セクシーさを知的なもので隠して、それでいてチラ見させるとか、計算ですか?

それとも奇跡の自然現象ですか?


あーもう、最高にイイ男――。


バッグを抱き締めて身悶えそうになって、ハッとする。


あ――っ!


焦って後ろを振り向く。


既に通り過ぎている――っ!


また、勝手に違う世界に頭が飛んで行っていた。


どうしよう、今日は諦めて日を改めようか……。


でも、こんな風に他に誰もいないところで桐谷さんと二人きりになれるチャンスなんていつ来るか分からない。今日を逃せば、桐谷耕一は永遠に私のものにはならない。


可愛いだけのあざとい女の餌食になって、ただ指をくわえて見ているだけになる――。


「き、桐谷さ……んっ!」


自分を極限まで追い込み追い詰めた結果、その背中に上擦った声を放っていた。


「……はい」


振り向いた!


私を見ている。

生桐谷がその目に私を映している!


その現実が今頃になって私に返って来る。




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