卒業― 七日前

 今日は父さんと母さん、それから姉貴あねきと一緒にホームセンターやら家電量販店やらをめぐっていた。目的は俺の一人暮らしの準備だ。


 今は冷蔵庫売場の前で父さんと母さんが軽くめている。姉貴は一人離れてスマホ売場にいる。


 俺としては冷蔵庫の性能に関心はなかった。別に冷えればいい。俺は自分の大学生活に対してあまり前向きじゃない。


 親の言い合いをぼうっとながめていると、後方からつんつんと背中を突かれた。びくっとして振り向く。


「よっ」


 後ろにいたのは一人の女性。栗色くりいろの髪を後ろで束ねて、黒いコートを羽織はおっている。同じクラスの山田さんだった。


「お、おう」


 ちょっぴりドキドキしながら、平静をたもって返事を返す。


 山田さんはお母さんと二人で買い物に来ているようだった。軽く挨拶だけして親についていく。


 俺が通う学校はあまり頭がいい方ではない。


 生徒たちの進路は進学組と就職組で半々くらいに分かれる。


 山田さんの進路は就職だった。


 地元の小さな工場の事務員として内定が決まっているそうだ。





 山田さんは頭がいい。勉強ができる。


 定期テストの順位はクラスでいつも一番だった。


 学年で見ると一位の時もあれば、そうでない時もある。


 けれどもクラス内では常にトップだった。


 俺は二年生の後期あたりから勉強に力を入れ始めた。


 その過程で、テストで山田さんの順位を追い抜くということをひとつの目標としていた。


 結果はクラスで常に二番手。学年で見ても辛うじて一桁順位に入るという程度だった。


 本気を出しても敵わなかった相手。そんな彼女が進学しないと知った時、俺はとても奇妙な心持になった。


 もったいないと感じたり。くやしさが増したり。なにより、『じゃあなんで山田さんは勉強を頑張っているの?』と疑問をいだいた。


 だけどそのことに関して俺は、山田さんにたずねたことはない。


 山田さんとは別に仲が悪いってわけじゃないけど、特別に仲良しってわけでもないし。


 山田さんが勉強を頑張る理由。それは俺の山田さんとの関係では踏み込めない領域の物事のように感じていた。



 基本的に俺は山田さんに勉強で勝てなかった。しかし一度だけ例外があった。


 それは三年生最後の定期テスト。クラス順位は俺が一位で山田さんが三位。二位は他の進学組の奴だった。


 山田さんは「湯川に後れを取るなんて、私としたことが……」なんておどけていた。


 俺はこの時、正直言って充足感じゅうそくかんやら優越感ゆうえつかんやらは微塵みじんかなかった。


 この心持こころもちを例えるならそう、病気の一角獣いっかくじゅう屠殺とさつするときのあっけなさだ。



 病気の一角獣。おそらく小説か何かで目にしたのであろう、弱弱しいもののイメージ。


 一角獣とはいうが、そいつは病気で角が抜け落ちている。精気のない白金はっきんの体毛に活力を感じない肉体。


 弱り切ったそいつの首を容易たやすく切り落とし、後ろあしを持ってぶら下げる。


 頸部けいぶの切断面から粘りのある赤い液体が流れて、鉄の臭いが辺りに満ちる。血抜きの作業だ。


 達成感はちっともなくて、けものを持ち上げる右手にだるい疲れだけが残る感覚。


 最後の定期テストに俺は、そのような印象を持った。



 何日か経てば、山田さんよりも勉強のできなかった俺は大学生になる。


 学校で一、二を争う才女だった山田さんは、田舎町の企業で事務員の一人になる。


 なんだか、やりきれないものを感じる。彼女にとってもっとふさわしい、があるんじゃないかと。


 しかしこれは俺が勝手に考えているだけかもしれない。


 山田さんは本心から勉強や大学に興味がなくて、数日後に始まる社会人生活に胸をおどらせているのかもしれない。


 わからない。俺は彼女の心の内を知るための言葉を持たなかった。

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