第15話 嫌な過去

 皐月はいつもより少し早めに目が覚めた。体を起こして目を擦ると、既に美月はベッドの横に座っていた。


 皐月が起きた事に気が付いた美月はベッドの上を四つん這いで動き、皐月の口にキスをする。


「おはよう。眠れた?」


「ぐっすりな。お陰で夢も見れた」


「……敢えて聞かないでおく」


「そうしてくれ」


 そう言っていつも通り、とは少し違い、今日はジャージに袖を通す。黒の動きやすいジャージだ。昔から愛用している。


「珍しい。いつもは制服なのに」


「今日はちょっとな。……そんで?何かあるんだろ?奏さんの気配でバレバレだぞ」


 皐月が扉の方を見ながらそう言えば、扉が開いて奏が入って来る。いつも通り白衣に包まれている。


「……悪いね。少し付き合ってくれたまえ」



 そうして、3人はいつしかの美月が海を見張っていた時の丘まで登って来た。



「……皐月。君は親を知らない。そうだね?」


 丘に着いた時の第一声は、奏のその言葉だった。皐月は訳が分からず、ただ頷くしかなかった。


「……私達は、君の親を知っている。そして、それこそが美月を放置した理由、君が美月を拾った理由、引いては君の親を君が知らない理由に繋がる。……聞く覚悟はあるかい?」


 その問いに、皐月は訳が分からなさそうに焦っている。


「……はは、……な……何を、言ってるんだよ」


 焦りは次第に大きくなり、足元がふらついているのか1歩後ろに後退りする程だ。


「……奏さんと美月が、私の親を、知ってる?私と美月が一緒に居た理由になる?……私が、知らない、理由になる……?」


 混乱、困惑、その他様々な感情が入り交じっている。こればかりは美月も手が出せず、奏の横で立っている事しかできない。


 少し経って、深呼吸をした皐月は覚悟が決まった目で奏を見る。


「……いや。聞かせてくれ。私の親は……違うな。私は、何なのかを」


「いいだろう。……長話になる。座れ」


 そう言って座った奏は、過去を語り始めた。





「おい。この薬の仮投与の被験者はどこだ」


「その人らは……25-1番の部屋で待機してる」


 奏は部下にその情報を聞き、25-1番室に入る。そこには、2人の男女ペアが居た。


「お待たせしました。本日は仮投与にご協力頂けると言う事でしたので、ご説明しますね」


 奏は出来る限りで丁寧に分かりやすく説明をする。その男女ペアは最初こそ不満そうにしていたが、報酬の為だと割り切ったらしい。


 因みに、今回の仮投与1回だけで報酬は500万。ただ、死ぬ確率は半々だ。なのでこれだけ報酬は高いし志望者数も少ない。



 説明を終えて2人を実験用の部屋に入れさせ、扉を密閉する。その薬品が外に漏れないように。


 そうして、投薬が始まる。中に準備してあった機械で、精密に注射針を射し込む。薬品が体内に入り、機械は部屋の隅に待機。


 これで30分程待つ。中のペアは手を繋ぎながら死なないだろうとお互いを安心させ合っている。


 部屋にももう一括り密閉空間があり、そこに中の機械を操作する機械と奏、そして部下が1人入っている。その空間では、部下がメモを打ち込む音だけが響く。



 30分が経ち、更に30分経ってもペアは死ななかった。途中経過も状態は良好だ。



 投薬は成功した。これで身体の状態の回復効果に関する研究がまた進む。奏は部下とハイタッチし、再びパソコンの前に戻った。


色々と後処理を終えて被験者を返し、先程の部屋に戻って来て奏は再びパソコンを操作し始めた。すると、不意に部下の男が奏の肩を叩く。


「……なぁ奏」


「なんだ」


「この依頼された研究なんだが……出産前の子供が必要なんだ。どこかツテは無いか?」


 奏は少し考えた後、首を横に振る。


「記憶の限りでは無い。……が、随分と外道な研究だな。これは」



 その研究とは孕ませた女の子宮から遺伝子情報を抜き取り、その人物の成長の可能性をこちら側で限界まで引き上げるという、通常では考えられない様な要求がされていた。


 要するに生まれていない人物のコピーを創り、その人物の成長度数をこちらで予め決めておく。そうすれば、理論上は単純な人間の性能においては最強の人類が出来上がる。


 そこに今奏自身が研究している人体補強を組み込めば、人工的にサイボーグが出来上がる。



 何とも下衆で外道な考えだ。現総司令らしい、人間を駒として見ている根本的な外道がする要求だ。だが、科学者はこれに応えなければならない。それが仕事なのだ。


「……お前、彼女居たな。そいつを使え」


「馬鹿かお前。大事な彼女を研究材料にできる訳無いだろ」


「自分の親は捨てられるのにか?」


「……やんのか?テメェ」


「ふっ。男が女に手を出してはならない。いつ何時もな」


 奏がそう煽れば、部下の男は椅子に座る奏の白衣を脱がせる。


「……何をしている」


「お前で作ってやるよ。研究材料」


「何を馬鹿げた事を言っている。今の研究に戻れ馬鹿野郎」


「……少しは本気だぞ?彼女なんて見栄張る為の嘘だしな」


「…………お前、正気か?」


 奏が男を睨んでも、男は奏から離れようとしない。膠着状態が30分程続き、先に折れたのは奏だった。


「……もういい。好きにしろ。だが、失敗は許さんぞ?勿論、責任も取れよ?」


「取るさ。そんじゃ、手早く終わらせるか」


「貴様のは標準サイズだからな。精力には期待出来ない故に早く終わらせなければな」


「……後悔させてやるよ」


「されられる物ならさせて見せろ。……何故そんなに準備万端なのだ」


「20代後半もギリ性欲真っ盛りだろ」


「……はぁ、どうだか」


 そうして、一度限りの一夜が過ぎた。数週間後には、孕んだと分かり、研究にも身が入った。だが、事はそう上手く転がらなかった。




「……はぁ!?研究資材は回収……つまり子供も回収する!?巫山戯ているのかあの司令は!?」


 お腹も大きくなった頃、部下の男からそう告げられた。


「つまりあれか!?私達はコピーを創って育て、この施設で本物の子供を育てるってのか!?」


「……あぁ。……クソッ!俺の責任だ…!あのゴミ野郎を甘く見てた!」


 お互いに押さえ込んでいた気持ちを吐き出し、息を荒くさせた後に少し落ち着いて状況を整理する。


「……現状、遺伝子情報は取れた。もう赤子のクローンまで構想は出来ている。この子の成長限界も知れたし、その能力を高められてる。が、この子が産まれた瞬間にその子は回収、状態を見て施設で育てる事になった……だな?」


「……奏」


「なんだ。今はお前の意見を聞いている時間は……」


「俺がこの子を抱えて逃げる。幸い、隠れ家もある。あそこならジャミングしてあるから目視じゃねぇと見つから無い。それに入り組んでて中々辿り着かねぇ。そこに逃げて、どうにかする。お前はコピーの子を育てろ」


男は覚悟を決めた目で奏を見つめる。が、それは自身も子供も殺されかねない、ある種で賭けに近い考えだ。


「……お前、正気か?」


「その言葉、久しぶりに聞いたな……俺は一応医師免許持ってる。赤子の出産くらい訳ない。多角的に見て、それがこの子を救える確率が高いだろ」


 そう言って男は奏のお腹に手を当てる。少しだけ動いている気がしなくもない。つまり、時間はもう少ない。


「決めろ。それが、この子の親の責任……そして、小さな命を授けちまった俺達の責任だ。俺は責任を持ってその子を家に送り届ける。いざとなれば、最終手段だって用意した。後は、お前の意見だけだ」


 奏は考えた。本当にそれでいいのか。こいつは生きて帰ってくるのか。この子は、無事に育つのだろうか。様々な思考が横切る。思考が加速する。だが、男の覚悟が決まった目を見るとその思考が消し飛んでしまう。任せてもいいのでは、と考えてしまう。


 そして、奏は決断した。


「…………生きて、帰って来い」


「心得た」


 そうして、出産の日までに覚悟を更に固めておく2人であった。




「…………よし!産まれた!」


 奏に痛覚を和らげる薬品を投与しておいたのでそこまで苦労はしなかった。赤子への適切な処理を済ませた男は、赤子に人体には害の無い睡眠薬を投与してバッグに入れる。


「……死ぬなよ」


「自称稀代の天才が本物に向かって何言ってんだ。その子、頼んだぞ」


 そう言って男は出て行った。パソコンには、信号が点滅しているのが分かる。あいつの生存確認をする為の点だ。この点滅が消えれば、それは死を意味する。



「……大丈夫だ。大丈夫。私の事は誰も気にしてない。気付かない。大丈夫だ」


 そう言って、コピーで創られた……創られてしまった子の状態を見る。極めて良好。


 グズグズしていられない。体は動く。そういう事をできる限りやった。なら、本番はここからだ。


 その子を保管する専用の機械から出し、頭が柔らかい内に注射針を刺す。少し太めなので、後に縫い合わせる必要がある。


 慎重に、針を数ミリもずらさずに射し込み、固定を完了させる。そして、頭を開く。何度も見て来た光景だが、赤子は初めてだ。



 慎重に脳に機材を埋め込む。脳の活動範囲に支障をきたさない程度に、かつできる事はやって。


 極限まで集中し、手術を終えた。機械に戻すと、状態に異常は検出されない。再び機械に入った子を眺めながら、独り言が出てしまう。


「……我が子を初めて触ったのが、脳の能力拡張手術、か。私も大概だな」


 そう言ってパソコンの前に座る。もうこの部屋から出ずに約1年。この椅子ももう重労働で壊れそうだ。信号は未だに点滅しており、目的地まで丁度半分くらい。



「……ふぅ」


 ひとまず一安心だ。科学者や研究者が自身の研究室に1年籠るのは不思議な事では無い。私は怪しまれる事は無い……が、部屋を見られるのはマズイ。戸締りでもしておかなくては。



「………あ?」


 信号が急に逆戻りを始めた。行きよりも早いスピードで帰って来る。……冷や汗が止まらない。嫌な予感所では無い。最悪の事態に陥った。


 信号からは文を送れるようになっている。無事に辿り着いた時、そして問題が起きた時の為だ。その文が、パソコンに浮かび上がる。


『部屋の扉のロックを解除しておきたまえ。どちらも殺されたく無ければ、な』


「…………クソが」


 奏は信号が総司令部に入って来たタイミングで扉のロックを開ける。少し経って、扉から入って来たのは部下の男、バッグ、そしてクソ野郎の3人だった。


「やあ。研究は捗っているかい?」


「……お陰様で進んでませんよ。総司令」


 警戒しながら男を見る。見なくても分かる。凄く悔しそうにしている。……やはり、この男から逃げる事はできなかった。


「さて……軍の規定では研究材料が外に出た場合、即処分が鉄則だ。それが薬品であっても、人であっても、幼き生命であってもな」


「……だから2人を殺す、と?」


「まさか。君には選択肢を与えよう」


 少し安心してしまった。2人を殺す事を否定されたから。だが、その安堵は瞬時に絶望へと叩き落とされる。



「裏切り者か研究資材、どちらかを殺したまえ。そうすれば、生き残った方は助けてあげよう。どうだい?君達裏切り者には丁度いい罰だ。仲間か、それとも裏切り者の子の未来か選ぶといい」


 そう言って総司令は奏の前に拳銃を投げる。拾う事はできない。だってそれは、大切な物を自分で壊すのだから。


「出来ないのかい?それなら仕方が無い。どちらもこちらで適切に処分するとしよう」


「待て!」


「……ふむ。気迫だけは前と変わらないな。では選ぶといい。それが君の罰だ」


 奏は拳銃を拾い、3人に近付く。そして、拳銃を総司令の額に向ける。


「……辞めろ奏。んな事しても何も変わらねぇ」


「変わるも変わらないもあるか!お前かそこのガキが死ぬんだぞ!だったら……」


 奏はより一層強く拳銃を握り、引き金に指をかける。


「……私が死んでもお前らを助ける」


「……武力が通じないなんて、君が1番知っているだろうに」


 総司令は奏から銃を奪い、奏の首を掴む。そして、片手では拳銃をくるくる回している。


「……かはッ」


「奏!おいテメェ!その手離せ!俺を殺すなら殺せよ!だから奏には手を出すな!第一、お前が俺に依頼した研究だろうが!」


「ふむ。一理ある」


 そう言うと総司令は奏の首から手を離し、奏に拳銃を握らせる。そして総司令は奏の後ろに回り、後ろから拳銃のトリガーに奏の指をかけさせる。


「では、選んでもらおうか。さあ、どちらだ?」


 総司令はバッグに銃口を向けたり、部下の男の額に銃口を突き付けたりする。次第に奏の手の震えは増えて行き、自力で立ち上がる事すらできなくなった。


その顔は、恐怖で色が抜けている。丁度、機械に入っている子の様に。


 総司令は髪を掴んで無理やり立たせ、さっきまでの貼り付けられた顔が剥がれ落ちる。目の底には、底知れない恐怖が渦巻いている。


「さっさと選びたまえ。私は待たされるのが嫌いでね」


 その言葉の重圧で更に体が恐怖を感じてしまう。こんな事になるならこいつの身体を弄らなければ良かったと心の底から思う。


 が、やはり安心させてくれるのはいつも聞き慣れたその声だった。


「奏。俺を撃て。ガキは関係ねぇからな」


「……だったら、私も、共に」


「そうしたら誰が面倒見んだよ。お前しか居ねぇから言ってんだ。稀代の天才様はこんなんで折れちまう程弱ぇのか?」


 その言葉に、奏の体の震えは止まった。いつも煽られる言葉だが、今だけは勇気付けられる。そうだ。客観視すれば、これが最善手だ。犠牲は一人で、小さな命が2つも救われる。


 後は私が頑張ればいい。ならせめて、最後くらいは私が安心させてやらなければ、地獄で合わせる顔が無い。


「…………はっ。死に際故に口が回るな。馬鹿にしては悪くない煽りだ」


「それで良い」


 部下の男はにっこりと笑い、自ら銃口に額を擦り付ける。


「よーく狙えよ?殺し損ねたらまたお前から逃げねぇとならねぇからな!」


「……ふむ。それもまた一興……だが、私情1つで規律を乱す訳にはいかない。全ての人に平等に分け与えるのが私の仕事だ。さあ奏君。罰の時間だ」


 そう言うと総司令は奏から離れ、その瞬間を見守る。少しの話くらいなら、許してくれそうな雰囲気だ。


「……悪いな。こんな事になっちまって」


「謝るな。……私の責任でもある。そのせいで、お前が死ぬ事になってしまった。謝っていては、キリが無い」


「それもそうだな。……最後にこんな事を言うと今後抱えそうだが……言わせてくれ」


 嗚呼。聞きたくない。それを聞いてしまえば、今後必ず心の枷になる。未来永劫抱えてしまう。この子達に、どんな顔をして育てればいいのか。



「愛してた。少なくとも、研究よりかは、な」


「私もだ。この子達は責任を持って必ず立派に育ててやる。また会おう」



 そうして、この世界で唯一研究よりも愛した物がこの世界から消えた。頭から血を流して倒れる死体から、目が離せなかった。


 死体が回収されて行く所から、目が離せなかった。あのいつも自分を弄って励ましていた声はもう聞こえない。


 総司令は、本当に赤子を見逃した。死体処理班がバッグを持って行こうとした時も、私の所有物だからと言ってバッグを手渡してきた。




「……なあ、蓮叶。私は最後まで親身に育てて行けるだろうか」


 全てが終わった後、奏は部下の男……蓮叶がいつも座っていた場所でそう呟く。それに反応するかの様に、事前に電源を入れていた蓮叶のパソコンがつく。


 パスワードは、『kanade0925』


 誰でも開けられそうで、この世界で2人しか開けられないパスワード。……いや、今は1人だったか。そう思いながらも、奏は蓮叶のパソコンを操作する。



 やはり蓮叶らしいと言うべきか、私向けのメッセージとか、育児の仕方とかが丁寧に纏められている。


 メッセージには、研究の事とか私の事とかが書かれていた。ある程度成長した子供達をどうするかとかも書かれているし、子供を安全に育てられる場所まで指定されていた。


 そして最後に、子供を頼む、と。


「……今は善処する、とだけ言っておこう。生きている内に任せろなんて言えば、お前は必ず怒るからな」


 そう言って、蓮叶が愛用していたマグカップに自身のコーヒーが入ったコップを軽くぶつけてその中身を飲み干す。


「……さぁ、これからは忙しい。せめて、何不自由無い生活をさせてやろうではないか」


 そうして、奏は子供に乳を与えて寝かしつけ、とある場所へと向かった。蓮叶の、後輩の元へ。

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