第4話 静止した日常、動き出す運命
記念館の出口へ向かうとき、湊の耳には、まだガイドAI〈セレネ〉の説明がどこか遠くで鳴り続けているような気がしていた。
魔力線。
魔法喪失。
データ欠損。
そして、世界が一瞬「ズレた」あの違和感。
(気のせい……だよな)
そう思いたいのに、胸のざらつきは消えてくれなかった。
◆
記念館を出るころには、午後の陽射しが容赦なく照りつけ、舗装路面の向こうから、むわっとした熱が湧き上がってきた。
建物の白壁に映された「灰光の夜100年記念」のホログラムも、昼の光に負け、どこか淡く色を失って見える。
外に出た途端、現実へ引きずられるような倦怠感。
湊は伸びをしながら息をついた。
「……疲れた」
「展示ホール全部歩くと足痛くなるよね」
栞が隣で自然に歩幅を合わせてくれる。
暑さのせいか、ほんの少し笑みが柔らかく見えた。
「魔法兵器のとこ、めっちゃテンション上がってただろ」
「当たり前じゃん。だって本物のクリスタルよ?魔法文明の心臓だよ? 白米三杯はいけちゃうよ」
いつになくテンションが高い栞。
「その例えは理解できないよ……」
くだらない会話なのに、さっきの大怪鳥や魔導砲の迫力が蘇って、湊は思わず口角を上げた。
前方では、亮の声がひときわ響く。
「帰りのバス、絶対寝る!即寝!!」
「いやみんなでアプリの大富豪やる!!」
「先生にバレたらログ残るって!AIに怒られるって!」
「AIマジでうっぜーよな〜!」
と誰かの笑い声が続く。
浮かれた音が、夏の空に弾けていく。
だけどその奥底には、社会全体に蔓延した“疲れ”が見え隠れしていた。
(……少しでも明るい話しときてぇんだろうな)
湊は無意識に空を仰いだ。
真っ白で無機質な空は、AIが管理する日常そのもの。
◆
横断歩道まであと数メートル。
信号が点滅し始め、教師が声を張り上げる。
「急げー! 青のうちに渡るぞー!」
一斉に生徒たちが走り出した。
だが道幅は狭く、列はすぐ乱れる。
班の位置も距離感もぐちゃぐちゃに。
湊のすぐ近くでは、別班の亮が縦横無尽に動き回っている。
「湊ー!俺寝落ちしたら起こせよ!」
「お前が起きてろよ」
「無理!今日は寝る日!!」
(ほんと、どこにでもいるな……)
そんな亮の“いつもの声”に、湊は救われていた。
「気をつけて渡れよー!」
教師の声よりも、照り返しの眩しさが勝っていた。
生暖かい風が頬を撫で――
その瞬間、
◆
――耳を裂くブレーキ音。
キィイイイイイイイイイッ!!!
湊は条件反射で顔を上げた。
バスの陰。
視界の奥から、巨大なトラックが横滑りしながら飛び出していた。
(……っ!!)
心臓が一瞬止まった気がした。
まだ渡り切れていないクラスメイトの背中。
伸ばされた教師の腕。
悲鳴にならない声。
助けなきゃ。
でも体が動かない――
いや、動いても間に合わない。
恐怖と焦燥が、湊の全神経を一気に叩きつけた。
その《感情の衝突点》。
そして、
────バチッ。
◆ 《1度目のゆらぎ》
時間が死んだ。
アスファルトが光の粒に崩れ、風が止み、
すべての音が真空に吸い込まれた。
世界が、写真になった。
湊だけが、呼吸している。
(な……に……?)
栞の髪が宙に浮いたまま、ピタリ。
一房一房が空中に束ねられ、まるで糸で固定されているみたいだ。
街も、車も、雲も――
全部が《静止》していた。
視界が揺らぎ、別の世界が上書きされるように現れる。
◆
街並みは似ているのに、空気が違う。
排気ガスの匂いが強く、どことなく古ぼけた雑多な風景。
魔導具も怪鳥もいない。
代わりに、空をジェット機が轟音を立てながら横切った。
(……どこだ……ここ?)
歩道の看板には、
「次世代エネルギーEXPO」
「AIで変わる未来」
そんな文句が並んでいる。
(これ……100年前……?)
授業で見た《魔法が失われる前夜》の都市には似ても似つかない。
クラスメイトはどこにもいない。
代わりに、知らない制服の学生たちが、横断歩道の上で固まっている。
湊以外、誰も動かない。
喉が焼けるように乾いた。
視界の端に、数字が浮かぶ。
—— 00:06
—— 00:05
—— 00:04
(カウントダウン……?)
—— 00:03
—— 00:02
—— 00:01
—— 00:00
世界が弾けた。
◆ 《現実世界へ》
「危ないッ!!!」
轟音が戻る。
風が喉に流れ込み、世界が動き出す。
トラックは、横断歩道手前で停止していた。
近くの運転手が必死に合図を送っていたらしい。
周囲にはスマホを構えた大人たち。
交通規制AIの機械的な謝罪アナウンス。
(……なんだったんだよ今の……)
「湊!!おい!大丈夫か!?」
亮が真っ先に駆け寄る。
別班のくせに。
「顔色やべぇって!倒れんなよ!」
「……大丈夫……なんでもない……」
息がまだ上手くできない。
膝が笑う。
手のひらにびっしり汗。
栞も駆けてくる。
「湊くん……!平気……?」
覗き込む瞳が震えていて、
湊は思わず目を逸らした。
「……ただ、びびっただけだよ」
唇が僅かに震える。
亮は心底ホッとした顔で笑い、
無駄に湊の背中を叩いた。
「マジで生きてて良かった!!
帰りのバスで寝落ちしたらいたずらすっからな!!」
「……バカかよ」
だけど、そのバカさがありがたかった。
(幻じゃ……ないよな)
あの風の、匂い。
別世界の空気。
カウントダウン。
全部、身体が覚えている。
何もわからない。
けれど確かに起きた。
◆
——その頃。
統合型観測Al〈オラクル〉の端末監視ログに、赤文字が灯った。
〈生徒:朝倉湊〉
〈感情値急上昇検知〉
〈バックアップ同期失敗〉
〈観測フラグ付与〉
湊はまだ知らない。
自分が触れたものが、世界にとってどれほど危険な《例外》なのか。
そしてAI〈オラクル〉は、着実に湊という《揺らぎ》を認識し始めていた。
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