第4話 静止した日常、動き出す運命

 記念館の出口へ向かうとき、湊の耳には、まだガイドAI〈セレネ〉の説明がどこか遠くで鳴り続けているような気がしていた。


 魔力線。

 魔法喪失。

 データ欠損。


 そして、世界が一瞬「ズレた」あの違和感。


 (気のせい……だよな)


 そう思いたいのに、胸のざらつきは消えてくれなかった。



 記念館を出るころには、午後の陽射しが容赦なく照りつけ、舗装路面の向こうから、むわっとした熱が湧き上がってきた。

 建物の白壁に映された「灰光の夜100年記念」のホログラムも、昼の光に負け、どこか淡く色を失って見える。


 外に出た途端、現実へ引きずられるような倦怠感。

 湊は伸びをしながら息をついた。


 「……疲れた」


 「展示ホール全部歩くと足痛くなるよね」


 栞が隣で自然に歩幅を合わせてくれる。

 暑さのせいか、ほんの少し笑みが柔らかく見えた。


 「魔法兵器のとこ、めっちゃテンション上がってただろ」


 「当たり前じゃん。だって本物のクリスタルよ?魔法文明の心臓だよ? 白米三杯はいけちゃうよ」


 いつになくテンションが高い栞。


 「その例えは理解できないよ……」


 くだらない会話なのに、さっきの大怪鳥や魔導砲の迫力が蘇って、湊は思わず口角を上げた。


 前方では、亮の声がひときわ響く。


 「帰りのバス、絶対寝る!即寝!!」

 「いやみんなでアプリの大富豪やる!!」

 「先生にバレたらログ残るって!AIに怒られるって!」


 「AIマジでうっぜーよな〜!」

 と誰かの笑い声が続く。


 浮かれた音が、夏の空に弾けていく。

 だけどその奥底には、社会全体に蔓延した“疲れ”が見え隠れしていた。


 (……少しでも明るい話しときてぇんだろうな)


 湊は無意識に空を仰いだ。

 真っ白で無機質な空は、AIが管理する日常そのもの。



 横断歩道まであと数メートル。

 信号が点滅し始め、教師が声を張り上げる。


 「急げー! 青のうちに渡るぞー!」


 一斉に生徒たちが走り出した。

 だが道幅は狭く、列はすぐ乱れる。

 班の位置も距離感もぐちゃぐちゃに。


 湊のすぐ近くでは、別班の亮が縦横無尽に動き回っている。


 「湊ー!俺寝落ちしたら起こせよ!」

 「お前が起きてろよ」

 「無理!今日は寝る日!!」


 (ほんと、どこにでもいるな……)


 そんな亮の“いつもの声”に、湊は救われていた。


 「気をつけて渡れよー!」

 教師の声よりも、照り返しの眩しさが勝っていた。


 生暖かい風が頬を撫で――


 その瞬間、


 ◆


 ――耳を裂くブレーキ音。


 キィイイイイイイイイイッ!!!


 湊は条件反射で顔を上げた。


 バスの陰。

 視界の奥から、巨大なトラックが横滑りしながら飛び出していた。


 (……っ!!)


心臓が一瞬止まった気がした。


 まだ渡り切れていないクラスメイトの背中。

 伸ばされた教師の腕。

 悲鳴にならない声。


 助けなきゃ。

 でも体が動かない――

 いや、動いても間に合わない。


 恐怖と焦燥が、湊の全神経を一気に叩きつけた。


 その《感情の衝突点》。


 そして、


 ────バチッ。


◆ 《1度目のゆらぎ》


 時間が死んだ。


 アスファルトが光の粒に崩れ、風が止み、

すべての音が真空に吸い込まれた。


 世界が、写真になった。


 湊だけが、呼吸している。


 (な……に……?)


 栞の髪が宙に浮いたまま、ピタリ。

 一房一房が空中に束ねられ、まるで糸で固定されているみたいだ。


 街も、車も、雲も――

 全部が《静止》していた。


 視界が揺らぎ、別の世界が上書きされるように現れる。


 ◆


 街並みは似ているのに、空気が違う。

 排気ガスの匂いが強く、どことなく古ぼけた雑多な風景。


 魔導具も怪鳥もいない。


 代わりに、空をジェット機が轟音を立てながら横切った。


(……どこだ……ここ?)


 歩道の看板には、

「次世代エネルギーEXPO」

「AIで変わる未来」

 そんな文句が並んでいる。


 (これ……100年前……?)


 授業で見た《魔法が失われる前夜》の都市には似ても似つかない。


 クラスメイトはどこにもいない。

 代わりに、知らない制服の学生たちが、横断歩道の上で固まっている。


 湊以外、誰も動かない。


 喉が焼けるように乾いた。


 視界の端に、数字が浮かぶ。


 —— 00:06

 —— 00:05

 —— 00:04


 (カウントダウン……?)


 —— 00:03

 —— 00:02

 —— 00:01

 —— 00:00


 世界が弾けた。


◆ 《現実世界へ》


 「危ないッ!!!」


 轟音が戻る。

 風が喉に流れ込み、世界が動き出す。


 トラックは、横断歩道手前で停止していた。

 近くの運転手が必死に合図を送っていたらしい。


 周囲にはスマホを構えた大人たち。

 交通規制AIの機械的な謝罪アナウンス。


 (……なんだったんだよ今の……)


 「湊!!おい!大丈夫か!?」


 亮が真っ先に駆け寄る。

 別班のくせに。


 「顔色やべぇって!倒れんなよ!」


 「……大丈夫……なんでもない……」


 息がまだ上手くできない。

 膝が笑う。

 手のひらにびっしり汗。


 栞も駆けてくる。


 「湊くん……!平気……?」


 覗き込む瞳が震えていて、

 湊は思わず目を逸らした。


 「……ただ、びびっただけだよ」


 唇が僅かに震える。


 亮は心底ホッとした顔で笑い、

 無駄に湊の背中を叩いた。


 「マジで生きてて良かった!!

 帰りのバスで寝落ちしたらいたずらすっからな!!」


 「……バカかよ」


 だけど、そのバカさがありがたかった。


 (幻じゃ……ないよな)


 あの風の、匂い。

 別世界の空気。

 カウントダウン。


 全部、身体が覚えている。


 何もわからない。

 けれど確かに起きた。



 ——その頃。


 統合型観測Al〈オラクル〉の端末監視ログに、赤文字が灯った。


 〈生徒:朝倉湊〉

 〈感情値急上昇検知〉

 〈バックアップ同期失敗〉

 〈観測フラグ付与〉


 湊はまだ知らない。

 自分が触れたものが、世界にとってどれほど危険な《例外》なのか。


 そしてAI〈オラクル〉は、着実に湊という《揺らぎ》を認識し始めていた。

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