第4話 ボスを自滅させただけなのに、なぜかスパチャが止まらない

 目の前にある重厚な扉を見上げ、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。


 ボス部屋だ。この奥には、この階層の主が待ち構えている。


「……引き返したい。今すぐお布団に入りたい」


 俺はゴーグルの内側で涙目になりながら、震える手で扉に触れた。だが、俺の不運スキルは「逃走」を許さない。


 扉に少し体重をかけただけで、錆びついた蝶番(ちょうつがい)が悲鳴を上げ、ギギギギ……と勝手に開き始めたのだ。


「あっ、まだ心の準備が!」


 俺の声は虚しく響き、開いた扉の奥から、獣臭い熱風が吹き付けてきた。


「ブモォオオオオオオオッ!!!」


 腹の底に響く咆哮。

 広間の最奥に立っていたのは、身長三メートルを超える巨躯。

 牛の頭に人の体を持つ怪物――ミノタウロスだ。その手には、俺の胴体ほどもある巨大な戦斧(バトルアックス)が握られている。


「ひっ、で、デカすぎだろ……!」


 Fランクの俺が戦っていい相手じゃない。俺は即座に「死」を予感し、足がすくんだ。

 だが、ミノタウロスは待ってくれない。

 侵入者を見つけた興奮で、鼻から荒い息を吹き出しながら突進してくる。

 ドズン、ドズン、と地面が揺れる。


「来るなああああ!」


 俺は情けない悲鳴を上げ、回れ右をして逃げ出した。しかし、入ってきた扉はすでに閉まっている(不運ギミック発動)。


 俺は仕方なく、広間の壁沿いを全力疾走した。


 だが、俺は忘れていた。


 自分が今、ホームセンターで買った『防塵ゴーグル』と『マスク』をつけていることを。(やべっ、息が荒くなってゴーグルが曇った!?)


 視界が真っ白になる。


 俺はパニックになり、足元の段差に派手につまずいた。


「うわっ!?」


 ズサァアアッ!

 俺はヘッドスライディングするような形で、地面を滑った。

 

 ――ブンッ!!

 その頭上スレスレを、ミノタウロスの戦斧が薙ぎ払った。


 風圧でヘルメットがズレる。


 もし転んでいなければ、俺の首は胴体とさよならしていた。


「ブモッ!?」


 手応えがあったと思ったのか、空振りしたミノタウロスが体勢を崩す。

 その勢いのまま、戦斧が石造りの壁にガゴォォン! と深々と突き刺さった。


「ぬ、抜けないブモ!?」


 ミノタウロスが慌てて斧を抜こうと暴れる。

 チャンスだ。逃げるなら今しかない!

 俺は曇ったゴーグルをずらし、這いつくばったまま出口を探した。


「出口どこだ、出口!」


 俺は手探りで移動する。その時、俺の手が床の『緩んだ石タイル』を押してしまった。


 ガコン。


 嫌な音がした。

 俺の不運センサーが「あ、やっちまった」と告げている。


 ゴゴゴゴゴゴ……!


 壁に斧が刺さった衝撃と、今のスイッチが連動したのだろうか。


 天井の一部が軋(きし)み、巨大なシャンデリアのような鍾乳石が、グラリと揺れた。


 その真下にいるのは――斧を抜こうと踏ん張っているミノタウロスだ。


「ブモ?」


 ミノタウロスが上を見上げる。

 同時に、鍾乳石の根元が限界を迎えた。

 ズドドドオオオオオオオンッ!!!

 数トンはある岩の塊が、脳天から直撃した。

 断末魔を上げる暇もなかった。


 もうもうと立ち込める土煙の向こうで、ミノタウロスの巨体はペシャンコになり、やがて光の粒子となって霧散していった。


「……は?」


 俺は口をポカンと開けたまま、その光景を見ていた。

 あとに残ったのは、ボスドロップである『巨大な魔石』と『ミノタウロスの角』だけ。


「か、勝手に死んだ……」


 助かった。

 俺は全身の力が抜け、その場に大の字になって倒れ込んだ。


「もう嫌だ……帰る……絶対帰る……」


 俺が天井を見上げて涙を流している時、背後のドローンが俺の顔(ゴーグル越し)にズームインした。


 そして、コメント欄はかつてない速度で流れていた。


@剣聖レイナ :heavy_check_mark:

> 美しい……。

> 視界を封じられた状況下で、敵の風圧を利用してスライディング回避。

> さらに敵の武器を壁に誘導し、動きを封じた隙に、計算済みの位置で天井崩落ギミックを作動させるとは。


@FPS廃人

> これヤバすぎだろwww

> 全部計算尽くかよ! ミノタウロス相手に一歩も動かず(スライディング以外)、環境利用キルしやがった!


@古参ファン(歴30分)

> 最後の「は?」って顔、絶対「え、これで終わり? 弱すぎない?」って意味だろwww

> 煽り性能高すぎるwww


@名無しの探索者

> スパチャ投げさせろ!

> こんな神プレイ、タダで見れるとか申し訳ない!


 ピロン、ピロン、チャリン、チャリン!

 俺のポケットの中で、スマホが聞いたことのない通知音を連打し始めた。


「ん? なんだ? 壊れたか?」


 俺はのっそりと起き上がり、ポケットからDフォンを取り出した。

 画面を見た瞬間、俺の思考は停止した。


《 D-Live 配信中 》

視聴者数:58,921人

同時接続ランキング:国内3位


「……は?」


 配信中?

 え、いつから?

 俺の顔から血の気が引いていく。


「う、嘘だろ……? 最初からずっと……?」


 俺は慌てて画面をタップし、配信停止ボタンを探した。だが、指が震えてうまくいかない。


 その間にも、画面上には虹色の帯(スーパーチャット)が嵐のように降り注いでいた。


¥10,000

¥50,000

¥100,000

《 総獲得金額:¥5,820,000 》


「ご、五百……万……?」


 俺は呼吸を忘れた。

 Fランクの俺が、命を削って数年働いても届かない金額。それが、たった一時間の「散歩(不運まみれ)」で手に入ってしまった。


 脳裏に、妹の華の顔が浮かぶ。


 『お兄ちゃん、ごめんね。私にお金がかかるから……』


 そう言って泣いていた妹の顔が。


「これなら……華の手術が、受けられる……」


 俺の目から、さっきとは違う種類の涙が溢れてきた。

 ゴーグルの中で涙が溜まり、金魚鉢みたいになっていることにも気づかずに。


「うわあああああん! 良かったぁあああ!」


 俺は配信が繋がっていることも忘れ、地面に突っ伏して号泣した。

 視聴者たちはそれを見て、またしても盛大な勘違いをする。


@コメント欄

> 泣いてる……?

> 命がけの戦いが終わって、感情が爆発したんだな。

> これだけの強さを持っていながら、なんて純粋な涙なんだ。

> もらい泣きした。

> 応援するぞ、ヘルメットニキ!


 こうして、俺――雨宮蓮は、本人の知らぬ間に『全米が泣いた伝説の探索者』として、華々しいデビューを飾ってしまったのだった。


 そして、慌てて配信を切った俺の元に、ギルドからの『緊急呼び出しメール』が届くのは、それから十分後のことである。

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