第42話 上司の告白
タクシーが、流れるように、走り始めた。
スマートフォンを操作し、まだ誰にもバレていない、自分のSNSのアカウントを見た。「#英雄の逆襲」とハッシュ・タグを打ち、検索した。予想通り、実名を明かさぬ人々は、昨日の出来事について、語り合っていた。
『《英雄の逆襲》は、消えたの? アプリを起動しようとしても、何も起きない』
『何で、昨日のイベントの最後に今月末のエピロード動画が流れたの? しかも、英雄の味方が連勝していたのに、白起が自害していたよね?』
『《英雄の逆襲》のサービスは終了したの? 毎日の楽しみがなくなった』
『運営元の《桜空ラボ》が潰れたとか?』
『《英雄の逆襲》を潰した奴がいたら、ぶっ殺す』
スマートフォンの画面をスクロールしながら、責任を伴わない叫びを眺め続けた。増殖していく呟きは、見始めると、切りがなかった。
一つの投稿に目が留まった。責任を伴わなければならない、《英雄の逆襲》の公式アカウントの投稿だった。
『《英雄の逆襲》のサービスを終了させて頂きました。突然のご報告となり申し訳ございませんが、ご理解頂けますと、幸甚です。これまで、ご愛顧頂き、ありがとうございました』
本当に、《英雄の逆襲》のサービスが、終了した。
周囲に理解を求めつつも、理由も何も明かさない、無責任な投稿に、呆れ返った。
だが、《英雄の逆襲》を懐かしむ想いが上回った。
《英雄の逆襲》を運営する《桜空ラボ》には、手を焼かされた。だが、《英雄の逆襲》自体は、私の疲弊した精神を癒してくれていた。昨日の状況から、予想は付いていたが、胸に穴が空き、生気が零れ落ちていくように感じた。
批難の声で溢れ返っているだろうコメント欄を閲覧しようとすると、タクシーの運転手に声を掛けられた。
「お客様、武蔵総合医療病院に着きましたよ」
五十代に見える恰幅の良い運転手が、優しく笑った。笑った時にできた、運転手のえくぼを見て、胸に空いた穴が、
タクシー代を払うと、先日、訪問した時と同様に、裏口を目指した。裏口に近付くと、今日も、清水さんが警備をしていた。清水さんと目が合った。
「先日は、お世話になりました。警察手帳を出すまでも、ないでしょうか」
「念のため、出して頂きたいですが。本日は、杉浦和樹の事情聴取を行うために、二名の刑事が訪れる、と事前に聞いていますが」
「もう一名に急用ができまして、私だけ、先に入らせて頂きます。残り一名が到着して、合流後、杉浦の事情聴取を行います」
警察手帳を取り出して見せた。清水さんは、不信感を隠そうとせず、警察手帳を隅から隅まで眺めた。
内線で電話を始めても、清水さんの目は、私の警察手帳を注視していた。警察手帳を仕舞おうとすると、清水さんは、一挙手一投足を見逃すまいと、私を凝視した。
「病室は、以前と変わりません」
「ありがとうございます」と伝えると、清水さんは、犯罪関係者を探るような目付きで、私を見詰めていた。
前回、訪れた時と違い、昼間の病院は、慌ただしかった。エレベーターに乗ると、喧騒が小さく聞こえるようになった。十一階に到着すると、静けさが漂っていた。
一〇六八号室に到着すると、前回、出会った巡査が、直立挙手敬礼した。光の差す廊下で出会うと、巡査のスタイルの良さが、より際立っていた。巡査は、若々しさと共に、輝いて見えた。
推しの顔と比較した。推しの勝ちだな。
頬を両手で叩いた。イケメン男性を見ると、推しと比べる癖を改めなければいけない。このままだと、一生結婚できそうにない。一応、二十代で結婚したいんだ。
スマートフォンを操作し、録音を始めた。スマートフォンをポケットに仕舞うと、病室のドアを開いた。
杉浦がベッドから半身を起こしていた。杉浦は、ベッドの向こう側にある窓の外を見詰めていた。ベッドに近付いて行くと、杉浦が振り返った。杉浦が、微笑んだ。
「お一人で来られたんですか。樽谷さんが来る、と思っていたんですが」
「職権を乱用して面会に来た、といった感じでしょうか」
記憶を手繰り寄せ、一語一句たりとも違わぬように気を付けて、発音した。
「不正でもなんでも良いから、売上高を上げる方法は、ないかな。正義を貫いたって、報われないんだよ」
杉浦の笑みが、凍り付いた。杉浦の目が、光を失っていった。
「前回、お伺いした時に、貴方は、自身が主犯だ、と発言しましたね。今の言葉を聞いて、訂正されますか」
「……訂正しません」
「回答を聞いて思いましたが、貴方は、中途半端に優しいですね。あくまで、私個人の主観ですが」
「僕は優しくないですよ」
「知っていますよ。本当に優しければ、本当に風野のためを思えば、訂正すべきですから」
杉浦は、何も言葉を返さなかった。
手近に、一つ椅子が置かれていた。椅子をベッドに近付けると、座った。
「今から私は、独り言を話します」
病室の窓の外を見た。雲一つない空に、太陽が輝いていた。光に目が慣れた私は、久しぶりに、まじまじと空を見て、美しいと思った。
「杉浦さんが、《コアラ》のアカウントを開設してから、代金の振込先を、小桜動物園の口座にした理由は、復讐したかったからだと思うんです。小桜動物園を巻き込みたかったんでしょう。でも、フィッシング・メールを使って、《ビルド・アップ・マネー》に資金を移す気は、なかった、とも思うんです」
杉浦を見た。杉浦は、唇を固く閉じていた。
「堂々と、社用パソコンを会社の机に置いて行けば、警察が見つける。警察が、社用パソコンを見つければ、小桜動物園にフィッシング・メールを送り、資金の不正送金をしようとしたが失敗した、と思われる。自分が主犯だと疑われる。風野の存在は、自分の陰に隠れて、見つからない。ある意味、部下想いの上司です」
杉浦は、唇を噛み締めていた。強く噛み締めた唇の端から、鮮血が流れた。
「贖罪のつもりだったのかもしれません。自身の妄言で育った部下の誤った行いを、自身の悪行と捉えたのかもしれませんね」
「軽く愚痴を言ったつもりだったんです。冗談のつもりで、言ったんです」
杉浦の開いた唇の端は、鮮血で赤く染まっていた。
「本気で言葉を受け止めるとは、思っていなかった。前職では、二人で経理を回していて、僕が部下だった。《桜空ラボ》でも、二人で経理を回したけれど、僕が上司になった。上司になったからには、しっかりと、経理業務を教え込みたかった。指導の言葉と同列にされるとは、思っていなかった」
「杉浦さんは、《ビルド・アップ・マネー》から資金を受け取られていませんでしたね。良心の
「例え、自分が犯罪者になったとしても、投資詐欺で得た金など、欲しくありません」
杉浦は、唇に滲んでいた血を舌で舐めた。
杉浦の赤く染まった唇を見ながら、私は言葉を続けた。
「私の独り言は、続きます。部下が罪を犯していた、と気付いた。けれど、売上高が増加した、と部下は嬉しそうに報告した。自分の言葉の重みを知った。全ての罪を自分が負うと決めた。自分の契約情報で作成したSNSのアカウントを使用して、部下に悪事を継続させた。部下は、想像以上に、暴走した。手が付けられなくなった」
「スマートフォンの画面が見えたんです。部下が犯罪行為をしている、と分かる画面が、見えたんです。杉浦さんの悩みを解決しました、と喜色満面の笑みを浮かべた部下がいました」
「動機・機会、プレッシャー、正当化」
樽谷さんの言葉を思い返しながら、言葉を繰り出した。
「動機・機会。脅迫された風野は、《ビルド・アップ・マネー》との交渉材料を欲した。自身の勤めている会社のスマホゲームのゲーム代行やチート行為を行うに当たって、詳細な知識を持っていた」
杉浦が、より強く、唇を噛み締めた。唇の端の血が、盛り上がった。
「プレッシャー。脅迫されている現実、社長の怒鳴り声、上司の愚痴。最後に、正当化」
杉浦の唇から滲み出た血が、
「自分は、会社の売上高を向上させた。自分は、上司の悩みを解決した。自分を功労者だと思った。風野は、罪の感覚を失った」
杉浦は、沈痛な面持ちで、一つ一つの言葉を絞り出した。
「部下が犯罪行為をした結果、売上高が増加したと知っても、止める気力は残っていませんでした。白と黒が入り混じった、灰色の世界の中を、
「杉浦さんは、樽谷さんの顔を真正面から見られる、と言っていましたね。でも、偽証をしました」
「偽証はしていません。僕が、風野を育てたんですから」
杉浦が、窓の外を見た。杉浦の顔が見えなくなった。
「絶対安静を言い渡されて、考える時間だけは、沢山ありました。誰が、真犯人だろう、って考え続けたんです」
窓の外では、雲が流れて来ていた。雲が、太陽を覆い隠した。降り注ぐ光が、途絶えた。
「最初は、風野を脅迫した《ビルド・アップ・マネー》だと思いました。次に、風野を育てた僕だと思いました。僕を今のような現状に追い込んだ、小桜動物園だとも思いました。毎日、
風が強いのだろうか。先ほどまで雲一つなかった空に、雲が広がり始めていた。光が失われていく。
「最後に、総合して、《桜空ラボ》そのものではないか、と思いました。でも、結論は出ていません。物理的な犯人が誰であったとしても、本当の犯人は、分かりません。罪を償わなければならない。それだけは、分かりました」
「贖罪されたいと想われているならば、樽谷さんが病室を訪れた時に、物理的な話をして下さい」
杉浦が、私を振り返った。目の奥底に、恐怖が見え隠れしていた。
「樽谷と言う刑事は、貴方の名前を聞くと、過剰反応をするんです。周囲の刑事にとっては、迷惑です。味方であっても、空恐ろしいので」
「……前職でも、樽谷さんは、怖かったです」
「今、どうやら、症状が悪化しているようなんです。最も手身近な贖罪として、私に話したように、樽谷さんと話して下さい。樽谷さんの症状が改善される可能性が、あるので。贖罪の効果としては、事件の追及に加えて、周囲の刑事が樽谷さんに怯えなくて済む環境が、整います」
杉浦が、目を伏せた。杉浦に、畳み懸けた。
「杉浦さんは、中途半端に優しい人のように思える、と私は言いました。でも、貴方は、既に、相当な被害者を出した事件の犯罪関係者です。私は、昔の杉浦さんを存じ上げません。ですが、樽谷さんの思い描く昔の貴方に戻るためには、白か黒か迷っていないで、物理的な真実を話す必要がありそうですよ」
椅子から立ち上がった。ポケットからスマートフォンを取り出した。録音機能を停止した。スマートフォンの画面を、杉浦に見せ付けた。
迷いの最中にいる、杉野の目を、
「もし、貴方が駄々を捏ねて、抽象論に逃げ続けるならば、私から樽谷さんに、今日の会話をお伝えしておきます。逃げ場は、ないですよ」
杉浦の目が、私のスマートフォンの画面に吸い付いた。
杉浦が、笑った。杉浦の顔には、初めて会った時のような、快活な笑みが浮かんでいた。
「本当に、逃げ道がないですね。樽谷さんの言動の恐ろしさは、私も身を持って知っているんですよ」
「お互い様ですね。では、私は野暮用がありますので」
病室を出た。ドアを閉める時、杉浦を振り返ろうかと思ったが、振り返らなかった。
杉浦が再び偽証をすれば、私が
杉浦の快活な笑みを思い浮かべ、樽谷さんの心の傷が、少しでも癒えると良い、と思った。
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