003-第01話:最強魔王と世の果ての龍姫③

兄弟たちのおかげで、久しぶりに肩の力を抜けた気がした。

だが――そのときだった。


足元の石床に細い裂け目が走り、生き物のように広がっていく。

下から鈍い衝撃が押し上がり、城そのものが重い音を立ててゆっくり歪むように鳴った。


空気がねじれ、胸の奥をつかまれるような圧が走る。


次いで――

魔界全土を引き裂く咆哮が、夜空の底を震わせた。


耳をふさぐ余裕もない。

赤い月がぐらりと揺れ、欄干が“びり”と、わめき声を上げた。


ただの魔獣の声ではなかった。

山を呑むどころか、理の根をえぐるような響きだった。


「……っ、な、なんじゃ、こりゃああ……!」


ギルヴァドスの声が裏返る。

普段なら真っ先に笑ってごまかす三弟の顔から、血の気が引いていた。


隣では、巨躯の男が重くうなる。


「兄者よ……これは、ただならぬ気配です」


ジオファルクの声音は落ち着きを保っていたが、その視線だけは鋭い。

大地の脈動を読むように、赤い月の揺らぎを測るように、全身で異変を聴いていた。


オレは欄干を押さえ、夜空を仰ぐ。

胸の奥で何かがざわりと動いた。


あの衝撃。

この響き。


……魔界の理そのものが、悲鳴をあげていた。


「……伝承に語られる、神龍の咆哮か?」


言葉にした瞬間、長く沈めていた問いが浮上してくる。


それは――世界の果てからの声。

理の根にいる存在が、命を削って放つ叫び。


ジオファルクがオレに目を向ける。


「兄者……あの伝承の“世界の果て”が、

 実在の兆しを見せているやもしれませぬ……」


「……ああ。そうかもしれん」


自分でも驚くほど自然に、答えが口に落ちた。


「……あの“理の神”――神龍が、本当に在る……そう思えてきた」


ジオファルクの瞳がわずかに揺れる。

すると、横でギルヴァドスが笑い声をあげた。


「ははっ! 理の神ねぇ! こりゃあ面白くなってきやがった!」


勢いよく、オレとジオファルクの肩を叩いてくる。


「ならよ! 長兄が悩む必要なんてねぇだろ。神サマに聞きゃ早ぇって話よ!」


そのまま背を向け、叫ぶ。


「よーし! 神龍だろうが何だろうが、この手でひっ捕まえてきてやるぜ!」


ギルヴァドスは背を向けるなり、外套を大きくはためかせて歩き出した。

振り返る気配はない。


足取りは荒々しいほどに迷いがなく、欄干へ向かうたびに距離がみるみる開いていく。

本気で飛び出すつもりなのが、あの背中だけでよくわかった。


「待て。ギルヴァドス」


オレが抑えた声で言うと、あいつの足がぴたりと止まった。


「……ようやくわかった。神龍は、オレを呼んでいた」


空気が変わった。

二人とも、息をのむ。


赤い月の光が揺れ、三人の影が長く伸びる。


「兄者を……呼んだと?」


ジオファルクの声は重く、強い響きだった。


「感じたんだ。あの咆哮は、魔界に変事を告げるためのものじゃない。

 オレひとりを呼ぶための……声だった」


風が吹かないはずの夜、赤い光が鼓動のように明滅する。

胸の奥で、ずっと押し込めていた問いが形を取る。


「……行かれるおつもりなのですね、兄者」


「ああ。答えを得るには……世界の果てへ赴くしかあるまい」


ギルヴァドスが息を吸い込み、口を開く。


「なら、いいじゃねぇか! 俺たち兄弟の出番ってわけだ――!」


「いや……違う。これは……別の話だ」


オレは首をふった。


「これは……オレひとりが向き合うべき呼び声だ」


ふたりは言葉を失う。

沈黙の中、赤い月が冷たく光った。


さっき三人で笑ったばかりの夜が、音もなく遠ざかっていく。

それでも迷いはなかった。



*** つづく。

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