最強だった魔王さま、ただいま無職パパ。娘たちと就活しながら旅します
宮島愛生乃
001-第01話:最強魔王と世の果ての龍姫①
千年、魔界を統べてきた。
“絶対の支配者”――オレはそう呼ばれているらしい。
だが、王座でふんぞり返って威張るだけがオレの仕事じゃない。
今、オレが立っているのは魔王城の玉座の間だ。
……とはいえ、肝心の座にはついていない。
天井近くに仕込んだ隠し回廊から、下の広間を見下ろしている。
広間では、今日も大勢がわめき散らしていた。
文官も武官も、どこから紛れこんだのか民草まで入り交じって、好き放題に怒鳴り合う。
常人には誰の声が誰のものか、まず聞き分けられないはずだ。
天井を覆う巨大な大時計が刻む音まで、完全にかき消えている。
絶叫の渦で、時の音すら沈む。
……まあ、あの喧騒も、オレが選んだやり方だ。
魔界の政治は“力を持つ者だけが発言権を有する”――
そんな時代を終わらせたのは、オレ自身。
“文句があるなら誰でも来い”
怒鳴ろうが泣こうが構わん。
その声を聞き、必要とあらばオレが裁く。
隠し回廊の陰から、オレはその混沌を眺めていた。
絶対の支配者と呼ばれようと、魔界はひとりでは動かない。
……だからこそ、“
あの渦の中にある“本当に拾うべき声”を逃さないために。
***
そして――玉座の側席。
オレが隠し回廊から見下ろす先、その王の席のすぐ脇には、ひときわ大きな影があった。
地脈の大将“震界”ジオファルク。
オレが最も信頼を置く腹心にして、義弟。
魔界四天王の頂点に立つ男だ。
討論が荒れに荒れている最中でも、あいつだけは微動だにしない。
目を閉じ、像のように揺るがぬ姿勢のまま、全員の言葉を一つ残らず聞いている。
怒号が飛び交う場で、あれほど落ち着いて座っていられるヤツは他にいない。
だが、その静けさは鈍さとは違う。
あいつは、すべての主張を正確に把握している。
オレが右手に据えたのも、その
あいつの耳は、誰よりも公平だ。
あいつの心は、誰よりも揺れない。
混沌の渦にひとり立ち、流されず、沈まず、ただそこに在る巨躯。
その存在があるからこそ、魔界の議場は保たれている。
オレの支配に必要だったのは、威圧でも恐怖でもない。
ああいう男の忠義だった。
ジオファルクがそこにいるだけで、この魔界の会議は崩れない。
その事実を、いちばん理解しているのは――オレだ。
***
論戦が煮詰まり、怒鳴り声すら疲れを帯びはじめる頃――
オレは隠し回廊を抜け、気配を消したままジオファルクの背後へ降りた。
あいつは、相変わらず巨岩みたいに動かない。
……なら、こういう時ぐらい遊んでやってもいいだろう。
オレはそっと、その広い両肩に手を置いた。
肩の節を押し込み、ゆっくりと指でほぐしていく。
その瞬間、あいつはわずかに眉を寄せた。
驚きはしない。動じもしない。
だが――呆れた声だけは漏れる。
「……兄者よ」
その調子に、オレは笑いをこらえた。
「おい、どうしてすぐオレだとわかる?」
問いかけると、あいつは目を閉じたまま答える。
「儂の背後に立てるのは、兄者だけだ」
あまりにも当然のように言う。
その絶対の信頼が、かえってくすぐったい。
……全く揺るがない男だ。
***
そのときだ。
ジオファルクがカッと目を開いた。
次の瞬間――
玉座の間が揺れるほどの大声が、あいつの喉から放たれた。
議場の誰よりも大きく、重く響く声だ。
「静まれッ!!」
怒号のぶつかり合いは、氷を砕かれたように一瞬で止まる。
視線が一斉にジオファルクへ、そしてその背後に立つオレへと集まった。
「ま、魔王陛下……!」
誰かが叫び、どよめきが広がった。
「おお、魔王さま!」
「ヴァルゼリュード殿、お待ちしておりましたぞ!」
「どうか、我らの訴えをお聞きくださいませ!」
「陛下が来られたのなら、もう安心だ!」
怒号とは別の熱が一気に広がり、魔王城の壁を震わせるほどの声が沸き起こる。
頭を垂れる者、拳を挙げる者、感極まって泣き出す者までいた。
(やれやれ……相変わらず騒がしい連中だ)
そう思った刹那――
ジオファルクが再び声を放つ。
「陛下が立たれた。黙せ」
巨体がわずかに震えるほどの低声。
それだけで場は一瞬にして静寂へ沈んだ。
さっきまでの喧騒が、まるで嘘のようだ。
ジオファルクは立ち上がり、重々しく宣言する。
「本日の討議、これにて閉会とする」
その声に逆らう者はいない。
あいつの一言は、魔界の地脈が動くのと同じ重みを持つ。
……本当に。
どんな混沌も、最後に締めるのはあの男だ。
オレが支配者として立ちつづけられるのは、こうした者がそばにいるからに他ならない。
*** つづく。
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