第12話 ある殺人鬼の死 中編
「見張りをつけろ!! 一人につき一人だ!!」
「承知しました!」
対策本部が置かれた一室には、本部長の怒号が響いていた。警察の警備がありながら、再び殺人事件が発生した。本部長の面目は丸潰れである。警察の出世レースには、一つのしくじりが命取りとなる。ライバルは大勢いる。今回の失態を攻めてくる
「七丁目の住人は何と言っている?」
「はい。皆同様に、『そんな奴らは七丁目に住んでいない。』と申しております。」
「何ぃ!?」
そんなバカなことあるかと、男は思った。昨日の取調べのとき、住人たちは確かに言っていた。『七丁目の住人は五世帯。海鮮屋一家、パン屋一家、漁師の男、年配の婆さん、そして警官のサーヒル。』だと。にもかかわらず、知らないだと。おかしすぎる。
こうなると、生存している七丁目の住人が圧倒的に怪しい。生存しているうちの誰かが犯人。もしくは、全員が結託して殺した可能性だってある。取調べをすれば、何かしらボロを出すんじゃないかと、男は思っていたが。
「成果はなさそうだな……。」
住人たちの証言は、知らないの一点張り。嘘発見器も使用したが、誰一人嘘をついている様子がない。
「どういうことだ。」
男は頭を抱えた。早く解決しないと、将来の出世に関わる。いつまでも一事件の本部長というポジションになどいられない。出世して出世して出世して、警察組織のトップになることが男の夢だった。
こんな奇妙な事件の本部長など、引き受けなければ良かったと、男は後悔していた。
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「……というわけだ。お前の護衛は俺になったってわけ。」
取調べが終わり、サーヒルと漁師の男は帰宅を許された。本部長からの命令で、七丁目の住人一人につき、一人の護衛が二十四時間つくことになった。婆さんの護衛は同僚に任せ、サーヒルは漁師の男に付く。
「ふーん。まぁ、俺なら殺人鬼が来ても逆にぶっ殺してやるけどな。」
威勢良く漁師の男が言う。
「確かに、兄ちゃんならやりかねないな。」
「おうよっ! 見なよ俺の筋肉!!」
漁師の男が真っ白な歯を覗かせて、上腕二頭筋を見せつけてくる。毎日の漁で鍛え抜かれた強靭な肉体。大概の果物は片手で握り潰すことができる馬鹿力。この漁師相手なら、返り討ちに遭いかねないと、男は本気で心配していた。
「もし返り討ちにしたら、俺がうまく
「頼むぜっ!!」
お互いに笑い飛ばす。冗談を言い合えるほど、彼らは事態を重く見ていなかった。何せ、見知らぬ人が殺されているだけなのだ。殺人自体は恐ろしいが、何も自分たちが狙われているわけじゃない。七丁目の住人が標的になっていると周りは言うが、現に七丁目の住人は生きている。目の前で笑ってる兄ちゃんがその一人だ。婆さんだって生きている。もちろんサーヒルもだ。護衛もついているのだから心配ない。サーヒルはそう思っていた。
七丁目って、こんなに人が少ないんだな。
サーヒルは、ふとそんなことを考えていた。
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「なんの音だい?」
七丁目に住む老婦人は、けたたましい音で目を覚ました。ベットの脇に置いてある時計に目をやる。時刻は午前三時過ぎ。窓の外に目をやるとまだ真っ暗だ。寝ぼけ眼を擦っている間にも、やかましい音は続いている。何かを拳で何度も叩きつけているようだ。その音は、玄関口から響いてくる。老婦人はまだ眠い中、重い足取りで玄関口へと向かった。
玄関口に着く。ドアが激しく叩かれ、小刻みに震えている。何やら声も聞こえる。男の声だ。「おいっ! おいっ!」と、叫んでいる。ここ最近、不審な事件が相次いでいるため、老婦人には護衛の警官が一人付いていた。夜の間は家の前で警備をしてもらう
すると、不思議なことに、男の叫び声がピタリと
耳を澄ます。何も聞こえない。誰もいないのだろうか。では、さっきの男の声はなんだったのか。警官が呼んでいたのではないか。
外の様子が気になった老婦人は、恐る恐る戸口をゆっくり開けた。
「……………!?」
老婦人は、言葉を失った。目の前には、理解し難い光景が広がっている。
玄関前に、一人の男が横たわっている。厳格な制服に身を包み、制帽には警官の証である記章が刻まれている。老婦人を護衛していた若い警官だった。元気で誠実。独り身だった老婦人には息子がいないため、息子がいたらこんな感じだったのかと、束の間の幸せを感じていた。
そんな警官が、玄関前で横になっている。しかも、こんな深夜に。昼間は暑いとはいえ、まだ夜は冷える。寒いだろうに。家の中に入れておくべきだった。
「……………!?」
そんな警官が、仰向けになって真っ赤な海の上に浮かんでいる。制服は引き裂かれ、皮膚がところどころ見える。刺し傷切り傷が無数にあり、そこから血がダラダラ流れている。その表情は、苦痛に満ちている。目は白目を剥き、口はあんぐり開いている。叫んだまま、力尽きたのだろうか。糸の切れた操り人形のように、手足がふにゃふにゃ曲がっている。
「……………!?」
顔を上げて、前を見た。そこには、一人の男。見慣れた、男の顔。十年来の知り合いの、ご近所の顔。厳格な制服に身を包み、制帽には警官の証である記章が刻まれている。その服には真っ赤な血が飛び散り、ジャケットの下のワイシャツに染み込んでいる。右手には一本のナイフ。どこの家庭にもある、ありふれた料理包丁だ。顔を見る。顔にも血が飛び散っていて、顔の下半分が赤く染まっている。無表情である。目が合った。まっすぐに老婦人を見つめる。
「……………!?」
老婦人が絶句していると、馴染みの男が一歩近づいた。ゆっくりとゆっくりと、その表情が変化していく。口角がじわじわ上がり、それに合わせて、目尻も徐々に上がってくる。口元からできた
男は、ナイフを振り上げた。
老婦人は、声を出せなかった。
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海辺の街サーラッサ、七丁目旧市街。全二十ある区画の内、最も人口が少ないこの地区の一角に佇む、石レンガの一軒家。
この地域に長く住む、老婦人の家だ。外見は古びているが、中に入ると真新しい絨毯が敷かれている。最近取り寄せたらしいコバルトブルーの絨毯には、貴族を思わせる高級感があり、シトラスの香りのお香が雰囲気を一層高価なものにしている。リビングにはロッキングチェアが置かれ、暖炉の火を見ながら優雅な時間を過ごすことができる。老婦人は、ロッキングチェアで読書をするのが日課だった。生涯独り身で家族のいない老婦人にとって、読書は数少ない娯楽の一つだった。
そんな老婦人の憩いの場が、汚されている。
絨毯には、コバルトブルーとは対照的な赤黒い染みがつき、ロッキングチェアは片脚が折れ、転がっている。暖炉の火は相変わらず穏やかに燃えているが、部屋には嗅いだこともないような悪臭が立ち込めている。
その匂いの源には……、
「はははっ。たまんねぇぜ!!」
老婦人にまたがり、手にしたナイフで死体を何度も何度も切りつけるサーヒルの姿があった。顔、首、腕、手、胸、腹、太もも、足首。順番にナイフを突き刺していく。楽しみ始めてから結構な時間がたった。最初は滝のように溢れていた血が出なくなり、傷口からは得体の知れない膿が出ている。
それでも、サーヒルは満面の笑みを浮かべながら、ナイフを振り続けた。初めて人を殺める感覚を噛み締めながら。
「こんな気分は初めてだっ!!!」
サーヒルは興奮していた。こんなにも楽しいものだとは思ってもみなかった。
ずっと気になっていた。職業柄、殺人を犯したものはたくさん見てきた。復讐心から手にかけた者、襲われて仕方なく殺した者。殺すなら誰でもよかった者。様々だった。その中に、愉快犯が何人かいた。『殺してみたかった』、『気になった』。ただそれだけの理由で、人を殺めるというとんでもない罪を犯した者がいた。
彼らの中の一人が言っていた。彼は至って普通の人間だった。ヤクザやギャングでもない普通の男。だが、十人以上を殺した殺人鬼。
『お前も思っているだろう。なんでそんなことをしたかのかって……。』
俯いていた顔をゆっくり上げる。
『これは……、何にも……、何にも変え難いよ……。それにな…………』
そのときの笑顔が、サーヒルは忘れられなかった。子供のような無邪気な目。一生のお願いが叶ったかのようなキラキラ輝いた瞳。
それ以上に忘れられなかったのは……。
気になった。最初は、それだけだった。
気づいたら、体が勝手に動いていた。護衛をしていた漁師の兄ちゃんを背後から襲い、滅多刺しにしたとき……、楽しかった。こんなに楽しいものがあるのかと思った。我慢できず、婆さんの家に行った。護衛の同僚を殺し、婆さんを手にかけた。じっくり楽しみたい気持ち反面、早くやりたい気持ちもあり、無我夢中で刺してしまった。
楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。
サーヒルは、何も考えられなかった。ただただ、幸せを噛み締めていた。
「楽しそうだな。刑事さん。」
背筋が凍った。婆さんは一人暮らしだ。誰もいないはず。なのに、身の毛がよだつような冷たい声がした。慌てて後ろを振り向く。そこには黒いフードに身を包んだ、怪しげな男がいた。
フードをゆっくりと上げる。そいつの左目には白目がなく、眼球すべてが闇に飲み込まれたかのように真っ黒だった。右目は、まるで血が溢れ出したかのような真紅の瞳をしていた。
こいつはやばい。
サーヒルの直感がそう告げていた。早く逃げなければ。頭ではそう思っていても、体が金縛りにあったかのように固まっている。得体の知れない化け物の瞳から、目が離せなかった。
「お前。ポケットに入っているものはなんだ?」
厳格な制服に身を包んだサーヒルは、目を見開いた。
『ポケットの中のもの』
それは、とある薬だった。サーヒルが七丁目の住人を殺害するにあたり、どうしても必要だったもの。罪を逃れるためではなく、楽しむために必要だったもの。
なんでお前が知っているんだ。その言葉を口にすることはできなかった。ただ、目の前にいる得体の知れない化け物に、目が釘付けになっていた。
化け物がゆっくりとサーヒルに近づいてくる。サーヒルの背後には、窓がある。この家は平屋だ。窓の外には裏通り。走って逃げれる可能性はある。それでも、サーヒルは動かない。動けなかった。
化け物が、右手人差し指をサーヒルの胸元に突き立て、顔を寄せる。
「お前はただの、臆病者だ。」
耳元で囁く。
「殺した者の命を背負う覚悟もない…………愚か者だ…………。」
脳に直接語りかけているかのように、言葉が響く。
「俺は覚えているぞ。殺した奴らの表情をね。」
サーヒルは背筋が凍った。殺される。自分が婆さんにしたのと同じように。そう思った。化け物の声色には、そんなメッセージがこもっているように感じた。
化け物は、左手を天に掲げ、指を鳴らした。
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