第11話 ある殺人鬼の死 前編
海辺の街サーラッサ。漁業で栄え、水揚げ量は世界でも五本の指に入る港湾都市である。港付近の魚市場では、朝早くから競りが行われ、男たちの野太い声が響き渡る。昼になると、海鮮料理屋が軒並み開店し、地元民はもちろん、世界中からの観光客で溢れかえる。店からは、昼間から酒を飲んだくれる老人たちの声や、若い店員の客引きの元気な声が聞こえる。
時刻は正午。死神は、サーラッサ随一の海浜浴場にやってきていた。砂浜に座って、優雅に海を眺める。片手にはブレンドコーヒー。日差しが眩しく、気温も高い。海では、若いカップルが水着姿で楽しそうに
死神の服装は、相変わらず黒一色のフードに包まれている。側から見れば、不審者にしか見えない。道ゆく人は、死神を奇異な目で見ていた。
死神がこの街にやってきたのは、名産の海鮮料理を食べるためだけではない。ここの市場では、鮮度の良さを生かして、踊り食いができるらしい。それを一番の楽しみにしているが、それだけではない。
死神は立ち上がると、市場に行く前に、とある場所へと向かった。街のメインストリートから一本外れた旧街道。そこに、古びた一軒の新聞屋がある。
店の外観と比べると真新しい両扉を開け、中に入る。ドアにつけられたベルが軽快に鳴り、客が来たのを知らせる。死神以外に客の気配はないが、カウンターの奥でロッキングチェアに揺られながら、うたた寝をしている少年がいた。
「新聞を一部ほしい。」
少年は死神の声に気づいて、目をこする。寝ぼけ
「あっ、いらっしゃいませ!!」
よだれを拭きながら元気よく言う。
「外で売った方が売れるんじゃないか。」
「朝は市場で売り歩いたよ。昼は暑いもん。」
ここの方が涼しいしねと、少年は言う。どうやら、店長である父は市場で飲んだくれているらしい。元々酒癖が悪いのだが、なんでも、今日は飲まずにはいられないと言って、朝から店を飛び出してしまったと言う。
「見ない顔だね。旅人さん?」
「そんなところだ。」
確かに、格好がいかにも風来坊だねと、少年は笑う。
「新聞を一部ほしい。」
死神はそう言って、金の硬貨を数枚、机の上に置く。
「多すぎだよ。旅人さん。」
店番の少年が言う。
「いいんだ。余りは君の小遣いにでもするといい。」
「いいの!? やった!!」
少年は、無邪気に喜びながら、棚から新聞を取り出す。
「ありがと!! 旅人さん。どうぞ。」
死神は、渡された新聞の一面を見て、動きを止めた。一面には大々的に、ある出来事が報じられている。
『時効成立 あの奇妙な事件 七丁目連続殺人事件 迷宮入り』
「怖いよね。こんな事件、僕知らなかった。」
少年が話しかける。
「『当時の七丁目には全五世帯、計十一人が暮らしていた。その全員が何者かによって惨殺された。』なんて、とんでもないね。」
少年は、新聞を死神に読み聞かせているが、死神は全く聞いておらず、物思いに
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三十年ほど前、ある晴れた朝だった。
現場は、七丁目旧市街の一軒家。とある男が、残業で帰りが遅くなり深夜に帰宅すると、家の玄関で成年女性と少女の遺体を発見した。刃物で切り付けられた跡が無数にあり、殺人事件として警察は捜査を開始した。
重要参考人として、警察は第一発見者の男を取り調べた。男の名はエイドリアン。サーラッサの漁業組合で事務員として働いていた。話を聞くと、非常に妙な供述をした。
「書類仕事が溜まっていたので、少し帰りが遅くなったんです。家に帰ってゆっくり紅茶でも飲もうと思っていたのですが、玄関に入ると、知らない女性と少女の死体がありました。」
エイドリアンはそう言って、身震いした。あんな
『知らない』
彼は確かにそう言った。
亡くなった二人は、彼の妻と娘であったにも関わらず。
捜査官が聞き返しても、彼は「知りません。」の一点張りだった。
警察は、付近の七丁目の住人たちに聞き込みをした。しかし、帰ってきた答えは次のようなものだった。
「エイドリアンに娘? 彼、結婚なんてしてたかしら?」
パン屋の女主人の言葉。
「エイドリアンの奥さんと娘さんが死んだ? あんた、バカ言ってんじゃないよ。あいつは独り身だよ。」
近所の漁師の言葉。
「お兄さん、詐欺師? 嘘つくならもっとマシな嘘つきな。」
海鮮屋の店主の言葉。
誰も、エイドリアンの妻と娘の存在を知らなかった。警察は、エイドリアンの職場や彼の妻、娘関係者に聞き取りを行った。すると、
「エイドリアンの奥さん亡くなったの? 娘さんも? そんな……。」
彼の職場の同僚の言葉。
「姉さんが殺された……? どうゆうこと……?」
動揺を隠せなかった妻の妹の言葉。
「嘘……。昨日はあんなに元気で学校に来ていたのに……。」
娘の通う学校の担任の言葉。
皆、エイドリアンは結婚していて、妻と一人娘がいることを知っていた。七丁目の住人だけ、何も知らなかった。というより、忘れていた。エイドリアン本人でさえも。
警察は、何が何だか分からなかった。とにかく、人が殺されている。状況的にエイドリアンが一番怪しかったが、証拠も何もないので、警察はその日は彼を自宅に帰した。殺人鬼が近くにいるかもしれない。不要な外出は避けるようにとの注意を添えて。
その次の日、七丁目の一軒家で遺体が発見された。エイドリアンだった。妻と娘と同じように体には無数の傷跡があった。
さらに同じように、七丁目の住人たちは、エイドリアンの存在を忘れていた。つい昨日までは、覚えていたのに。
警察官である、彼もその一人だった。
「サーヒル、本当に何も覚えていないのか? ご近所さんなんだろ?」
「何度も言うけど、そんな人近所に住んでないって。七丁目の人たちも言ってたろう。」
サーヒルは、同僚の捜査官に詰められていた。最近起きている七丁目の連続殺人事件。エイドリアンという人の家族が、彼含め全員殺されたと聞いたが、七丁目の住人であるサーヒルは、エイドリアン一家などに覚えがなかった。立地的には、サーヒルの家は被害者一家の隣に当たるが、隣の家はずっと空き家だったはずだ。周りから色々言われるが、知らないものは知らない。それがサーヒルの言い分だった。
「まぁいい。とにかく、七丁目で殺人事件があったことは事実だ。サーヒル、七丁目の住人に伝えておいてくれ。不要不急の外出は避けるようにと。今日から、警官の巡回を強化するらしい。何か、不審な人物を見かけたら伝えるようにとも言っておいてくれ。」
「分かった。じゃあ、俺は退勤だから。宿直頑張れよ。」
サーヒルは同僚の話を右から左に受け流しつつ、励ましの言葉を述べると、捜査本部を後にした。行きつけの海鮮屋にでも寄って、夜飯でも買おうと思っていた。
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「よっ。」
「おぉ。サーヒル。持ち帰りか?」
「あぁ。特製海鮮丼ご飯大盛りで頼む。」
あいよっ、と店主は威勢よく返事をすると、厨房へと姿を消した。ここは七丁目の海鮮屋。朝早くから夜遅くまで開いていて、数少ない七丁目の住人だけでなく、観光客でも賑わっている。今日はもう夜も遅く、客はサーヒルと近所の婆さんだけだった。サーヒルは海鮮丼が出来上がるのを待つ間、カウンターに座っていた。
「この頃物騒だねぇ。」
サーヒルと同じように弁当待ちをしていた婆さんが話しかける。
「そうだな。しかも、みんな知らん奴が死んでるんだ。なのに、外の奴らは俺らがおかしいって言う。よくわからん。」
「そうねぇ。あんた、警察でしょ。なんか、こう、手がかりとかないの?」
「今のところ全くだね。最初は、エイドリアンっていう奴が怪しいってなったけど、そいつも死んじまった。」
しかも、そいつは七丁目の住人らしい。サーヒルは婆さんにそいつを知っているかと尋ねたが、案の定、婆さんもそんな奴は七丁目にはいないと言った。
サーヒルの街は、全部で二十の区画に分けられている。一から順に番号が振られていて、七丁目は、二十の区画の中でも最も狭い地区になっている。旧市街の一部の通りに位置する七丁目には、全五世帯が暮らしていた。サーヒル、婆さん、パン屋一家(父、母、娘)、海鮮屋一家(父、母、息子)、そして漁師の兄ちゃん。それで全員のはずだ。外の奴らが言うには、エイドリアン一家もいるというが。
「婆さんも気をつけろよ。」
「老人にどうしろというのよ。警察がなんとかしてちょうだいな。」
婆さんがサーヒルを小突きながら言う。彼自身も、どうすればいいかなど分からなかった。死人は本来いないはずの七丁目の住人、エイドリアン一家。外部の人間はエイドリアンらのことを知っていて、七丁目の人間は彼らの存在すら知らない。外の奴らによれば、俺とエイドリアンは仲が良かったらしいが、そんな記憶は全くない。記憶が抜け落ちているとでもいうのだろうか。
「不気味だよな。」
「寒気がするわ。」
二人揃って体を震わす。こんな奇妙な事件、早く解決してくれと誰もが思っていた。
「できたよ。ほいっ、海鮮丼一丁。」
ちょうど、店主が厨房から弁当を引っ提げて戻ってきた。店主の顔にも不安の色が
「怖ぇよな。とっとと捕まえておくれよ、サーヒル。」
店主も無茶振りをしてきた。サーヒルは弁当を受け取りながら、「頑張るよ。」と適当にあしらう。しばらくは、警察が七丁目周辺の警備にあたる。とりあえずは大丈夫だろうと思っていた。
「じゃあな。」
店主と婆さんに別れの挨拶をして、サーヒルは店を後にする。夜空を見上げた。冬の澄み切った夜空には、赤白の星々が輝いているはずだ。しかし、今日は曇って何も見えない。絵の具で塗ったような黒が、空を包んでいた。
「やけに寒いな。」
サーヒルはそう呟くと、寒さに震えながら家路へとついた。
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次の日、七丁目で遺体が発見された。パン屋一家は惨殺、海鮮屋一家も死んでいた。
残るは三人。警官、婆さん、漁師の兄ちゃんである。
七丁目の人間で、パン屋と海鮮屋一家を知っているものは、誰一人いなかった。
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