第8話 ある商人一家の死 前編
どこまでも続く砂漠地帯。草木が何一つ生えておらず、ただただ砂に覆われた不毛の大地。そこに、一人の男が彷徨っていた。
「くそっ!! 何も見えねぇ!!」
大きな砂嵐が吹き荒れている。細かい砂の粒が容赦なく男に襲いかかる。身体中の穴という穴に砂が入り込み、男は咳き込んだ。
「くそっ!! くそっ!!」
男は、再び悪態をついた。砂嵐は、止む気配がない。むしろ、どんどん強まっていく。まるで、男の旅路を全力で妨害しているようだ。
世界は何て理不尽なんだと、男は思った。男は、商人の世界ではまだまだ若造である。普通は、商隊に同行などさせてもらえない。店番をさせられるのが、世の常であった。しかし男は、商隊の隊長が与えた数々の試練に合格し、晴れて見習いとして、商いの旅路へ動向を許された。そして今まさに、その旅路の最中だった。
商人の世界は実力主義だ。強者が勝ち、弱者は淘汰される。商隊は、はぐれた見習いなど、置いて行くだろう。そうなれば、実質クビである。男は、なんとしてでも商隊に追いつかねばならなかった。
「ぐぁ!!」
男は強い衝撃を受け、吹き飛ばされた。激しく地面に打ち付けられる。砂嵐で、枯れ木か何かが飛んできたのだろう。
男は、頭から血を流しながら、空を見つめる。晴れか曇りかもわからない。ただ、黄色い砂が激しく舞っているだけである。
視界がぼやける。涙が流れていた。男は、砂が目に入って痛いだけだと思っていたが、実際のところ、悔し涙も混ざっていた。夢への旅路が閉ざされることが、心底悔しかった。男はなすすべなく、力無く砂漠にへたり込んだ。
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「……ねぇ。……きて。」
遠くから声がする。何を言っているのかわからない。
「……ねぇ。……てばっ。」
少女のような可愛らしい声だ。顔を叩かれている。頬にペチペチと力のない平手打ちがされているようだ。
「起きてっ!!」
「うわ!!」
耳元で叫ばれ、男は飛び起きた。耳鳴りがキーンと響く。叫んだのはどこのどいつだと、辺りを見回すと、すぐ傍に麦わら帽子を被った少女がいた。
「やっと起きた。」
その少女が呆れたように言う。周りを見ると、少女の後方には馬車が停められてあった。木製の古びた馬車。馬車を牽引する二頭の馬は、桶に貯められた水を美味しそうに飲んでいる。その馬達を、髭を蓄えたふくよかな男と、少女とお揃いの麦わら帽子を被った女が優しく撫でている。
「あなた、砂漠のど真ん中で血を流して倒れていたんだからね。私たちが通り掛からなかったら、大変だったわよ。」
気絶していたのか。男は頭に手をやる。痛みはあまりなく、包帯が巻かれている。この少女が巻いてくれたようだ。少女の自慢げな表情から、それが
「ありがとう。助かった。」
「どういたしまして♩」
素直に礼を言うと、少女は満足げに頷いた。
「ところで、どうしたんだい? こんな砂漠で一人だなんて。」
馬に餌をやっていた少女の父らしき人物が、男に近寄りながら問う。
「いや……、商隊とはぐれてしまって……。」
「何やってるのよ。」
「砂嵐だったんだよ。」
少女が
「こら、イザベラ。失礼だぞ。」
「ごめんなさい、お父様。」
父親が優しく、だが鋭い口調で注意すると、少女(イザベラというらしい)は、案外素直に謝った。
「砂嵐か……。ここら一体は、時折大きな砂嵐が起きるからな。仕方のないことだよ。」
父親がにこりと笑いながら言う。高圧的な娘と違い、父親には穏やかな印象を男は抱いた。見た目がふくよかなことも相舞って、いかにも優しい人という感じだった。
「もうすぐ日も落ちる。この分だと、君の商隊に追いつく前に夜になってしまうだろう。よかったら一緒に食事でもどうかね。」
男の持ち物は、水筒に入ったわずかな水のみ。このまま商隊を追いかけても、野垂れ死ぬだけだ。第一、町の方角もわからない。優しき父親の提案に、飛びつくほか無かった。
「お願いします!!」
男が食い気味に返事をすると、父親はにこりと笑う。少女も満足げに笑っている。奥では、母親らしき女性も馬を撫でながら穏やかに微笑んでいた。
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日が落ち、夜になった。どこまでも続いていた広大な砂漠は、辺り一面の闇の世界に変わった。夜空を見上げると、数多の星が輝いている。砂漠の夜空は、今までに見た何よりも綺麗だった。
「ちょっと! 聞いてるの!」
隣に引っ付いていたイザベラが、食い気味に話しかけてくる。目の前には、静かに燃える焚き火。それをイザベラ家族と男で囲んでいる。焚き火のそばには、串に刺さった肉が四本。その肉が焼き上がるのを待つ間、イザベラはこれまでの旅路の冒険譚を永遠に話していた。口を挟むと、「ちゃんと聞いて!」、反応しないと、「聞いてるの!」。全く、面倒くさい娘である。なまじ、見た目が可愛らしいから憎めないなと、男は思った。その様子を、両親は温かい目で見つめていた。
「うちの娘が悪いねぇ。」
「いえいえ。お気になさらず。」
父親がにこやかに言う。この娘、鬱陶しいですと言ってやりたかったが、助けられた手前、そんなことは決して口にできない。精一杯の作り笑顔で、男は父親に答えた。
「イザベラも、話し相手ができて嬉しいのですよ。ほんと、ありがとう。」
母親が言う。母親は、父と違いほっそりとしていて、肌も透き通るように白かった。イザベラの顔を見る。こいつは、父親にだなと、男は思った。母親は目鼻立ちがくっきりとした、ほっそりとした顔。娘は、まん丸な顔だ。食に気をつけないと、いつか父親みたいに太るぞと、男は言ってやりたかった。
「さぁ、肉が焼けたぞ。」
「わ〜い!!」
肉の焼け具合を確認していた父親の言葉に、イザベラは大歓喜。満面に笑みだ。自己中心的なことを除けば、この娘も可愛らしい子供だ。
「はい、どうぞ。」
「あっ、ありがとうございます。」
父から串に刺された肉を受け取る。馬車に蓄えてあった干し肉らしい。旅路には欠かせない必需品のようだ。実際、男の商隊もラクダの干し肉と乾パンを持参していた。
「いっただっきまーす!!」
「いただきます。」
熱々のうちに肉にかぶりつく。しかし、
「うっ!?」
びっくりするほど硬くて、肉を噛み切ることができなかった。一般的に干し肉は硬いが、にしても硬すぎる。石かと思うぐらいだ。
「やっぱり美味しい!!」
隣では、イザベラが美味しそうに、石のように硬い肉を頬張っている。信じられない。この肉を簡単に噛み切っては、わずかな咀嚼で飲み込んでいる。馬鹿力にも程がある。
「どうしたの? 手が止まっているわよ。」
イザベラが不思議そうに見つめてくる。焚き火を挟んだ向かいでは、夫婦が何か期待したような目で見つめてくる。肉の感想が聞きたいのだろうか。命を助けてもらい、さらに分けてくれた貴重な食糧だ。不味いなど言えるわけがない。そもそも、硬すぎて、まだ串から肉を剥がせていないが。
男は、今度はこれでもかと顎の筋肉に力を入れ、肉にかぶりついた。首を力強く横に振り、遠心力も使って肉を噛みちぎる。そして、口全体の筋肉で噛み砕く。
「うっ!!」
香辛料で味付けがなされているが、それ以上に肉本体が不味すぎる。パサパサしていて、おまけに言葉にならない臭みがある。干し肉にしても、あまりにも不味すぎる。
「どうだね?」
父親が、期待のこもった眼差しで男を見つめる。男は必死に作り笑いを浮かべ、
「おっ…、美味しいです。」
なんとか、肉を褒めることができた。父親はそれを聞くと満足そうに頷いた。
「そうだろう、そうだろう。この肉はな、臭みは多少あるが、味が素晴らしいんだ。今日みたいに串焼きにしても美味いが、タレにつけて焼くともっと美味いんだぞ!!」
穏やかだった父親が、珍しく鼻息荒く言う。その隣では、母親が綺麗な顔をまん丸にして、肉を頬張っている。その時の顔は、娘そっくりだった。
「私はね。この肉を振る舞うのが大好きなんだ。美味しそうに食べる人の表情が、とてもいいんだよ。」
「そうなんですか……。」
男は、苦笑いしながら答える。世界は広い。加えて、男は旅に出たばかりだ。知らないことなど山ほどある。色々な人がいるのだろう。好みも色々だ。自分の好きな魚の刺身をこの家族に食べさせたら、不味いと言うかもしれない。自分では美味いと思っても、他人がどう思うかはわからない。そういうことにしておこうと、男は思った。
この肉は何の肉なのかと、男は聞きたかったが、やめた。もしかしたら、蛇とかカエルかもしれない。男は、爬虫類が苦手であった。世の中、知らない方がいいこともある。深く考えるのはやめにしよう。男はそう思い、何も考えないように石のように硬い肉を頬張った。
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