第39話 海風
潮の匂いが近くなった、と街を遠目に見て気がついた。この国に来て海を見るのは初めてだ。日本は人が多い地域はどこも海が近かった。私は漁師の村の育ちだった。父が、珍しい魚の肉をもらったと酔って刺し身を我が家に持ってきたのがすべての始まりだった。
海を見ると何年経ってもあの肉の味を思い出す。今までに食べた魚の中で一番美味しかった。あれ以上の味を知らない。
街の中に入ると、王都とまでは行かないが賑やかで活気のある港町だ。石造りの家が段々に並び海風を受けている。写真で見たイタリアとかの島みたい。海の色もきれいだ。
「私最近猫になったからかお刺身好きなんだよね。どっかでお魚食べたいな〜」
ホークの肩の上が定位置になってきた黒猫のミクが耳をぴこぴこと動かしながら言う。
「その前に乗船券を買いましょう。定員が決まっているので早い者勝ちなんですよ」
ホークが港に泊まっている大きな船の方を指して言う。その目の前にある建物が乗船券を買うところらしい。
「毎日は船は出てないので早めに乗れるようにしないと。日時を確かめてきます。バンリさんはここらへんでお待ちを」
ホークはミクを肩に乗せたまま、身軽に走っていく。あのひと、見た目がいい自覚があるのかないのか、男女問わずホークの姿に見とれてしまうことがあるのでなるべく目立たずに動いてほしいんだけど……あまり後先を考えずに走り出してしまうので心配だ。肩にかわいい黒猫も乗せているんだし。
「あっ」
急に強い風が吹いて、ホークの近くにいた男が転ぶ。私も少しよろめいたけど、海風が強いのだろうか。そんな強風も気にせずにホークの姿はあっという間に見えなくなっていった。
髪がバサバサと風に煽られて邪魔なのでうなじの上でひとまとめにお団子にすると首の周りを通る風が気持ちいい。無精せずにこうしてたらよかったな。切ってもいいんだけど。近くにあったベンチに座り、人の流れを見ていると王都以上にいろんなタイプの人を見かける。南の国、ソアはドワーフの人も多いらしいけど、ここは王都や道中の街よりも多く見かける。ソアのとこのツーラ国を行き来する人が多いのだろう。
程なくしてホークは猛スピードで戻ってきた。ホーク……なんか足が速くなってる?
一応、人目を避けて路地に入るとホークは二人分のチケットを見せてきた。猫は荷物扱いで無料らしい。日本でも船旅に猫を連れていくことはあったし、よかった。皮袋に入れるわけには行かないし……。
「乗船券、買えました!!でも一番狭い部屋です……乗れないよりマシかなと思いまして……」
ながければ半月以上かかることもある船旅なので、なるべく広い部屋が良かったが仕方がない。この国を離れればとりあえずはしばらくは追手が来ないはず。隠密で船に乗られたら逃げ場はなくなるけど……。
「明日の朝出港です。船内でも食事は買えますが、できるだけここで買い揃えてバンリさんの闇の皮袋に入れていきましょう!」
「ええ、そうしましょう。じゃあ今日は各自、皮袋に入りそうなものを買ってきて宿屋に集合しましょう」
「はい!」
ミクはホークの肩に乗ったまま、そちらについていく。ホークは女の子になって細くはなったけれど、私よりは体格がいい。道中も狼や魔獣と戦うときのために女性用の防具をつけていて肩当てなども揃えた。そこが居心地がいいらしい。私の肩は撫で肩だもんね。
ジュドーに金貨を何枚か押し付けたが、自分たちの手持ちもあったしサクラに持たされた金貨は3人分だった。ミクが猫になった分、お金は浮いているのでそこそこ余裕がある。魔獣の素材も高く売れるし。
「とりあえず、酔い止めの薬も買おう……あと、長持ちしそうな乾パン、クッキーとか……。それと……」
港の前の市場は船乗りや旅人に需要のあるものが揃えてある。買い忘れがないようにセットまである。いい商売をしている。そんなに大きくなければ闇の皮袋にいくらでも入るので遠慮なく買い集めながら、ふと、誰かの視線を感じた。振り返ると誰とも目が合わない。
(気のせいかな)
そう思いつつも、やっぱり気になる。もりもりと買い物をしたあとに私は足早に外に出ると、路地で気配遮断の闇魔法で使い姿を消す。
「……あれ?」
赤毛の女は不思議そうにあたりを見渡す。誰だろう。少し遠くて顔は見えないが。
あれも追手だったらどうしよう。買い物はだいたい終わったし、皮袋に今までの街で買ったものもたくさん入れてある。もうここで切り上げて宿に戻ろう。この港町には宿屋はたくさんある。ホークたちと待ち合わせしている宿へ私は駈け始めた。
◇◇◇
待ち遠しい朝を迎えて私達は船の乗り場を少し離れたところから様子を見ていた。
「バンリが見たっていう赤い髪の人は、いなさそうだよ」
「……だったらいいのですが」
「そろそろ乗っておかないとまずいですよ、行きましょう」
三人で気配を消してヒソヒソと話していると、そろそろ出港が近くなる
念のために別々に、離れて並び乗り込むと少し後ろにいた男の人が「荷物がない!」と叫ぶ。あの人、昨日強い海風で転んでたひとだ。
「荷物に乗船券が入っていたんだが……!」
「すいません、乗船券を確認しないと乗せるわけには……」
「いや、確実にあったんだ!領収書だって……ああ、あれも荷物の中だ……」
中年の男性はがしがし頭をかく。乗船券を確認する男性は断固として通そうとしない。
大変ね、泥棒がいるなら私達も気をつけないと……。闇の皮袋を取られたらしばらく極貧生活を送らなきゃいけない。皮袋は取られないように常に私の服の中に隠してるし、紐で腰にも結んでいる。
船の甲板に上がり、もう離れる港町を見る。あの男の人、結局乗れなかったのね。もしかして、乗船券を盗んだ人がこの船に乗っていたりして……。それは普通に怖い。
ホークとミクの姿を船内に見つけて合流すると、のろのろと遠ざかるその波止場にさっきの男の人が焦りを顔に浮かべてこちらを見ていた。私に何か用事……だったらどうしよう。あの人はもしかして、お城からの追手だったら。でも、もう船に乗ってるんだし間に合わないはず。
この船に他に乗っていなければ、あちらの港につけば安心できる。
「……あの人、王都の兵士ですね。見たことがあります乗船券なくしたんですね」
ホークが波止場のその人を見下ろして言う。
「やっぱり、そうなんですね」
「まあ、もう海の上ですし。部屋に入りましょう。ほかに知った顔はないですし、俺はこの姿だと知り合いはいませんし、多分、だいじょう、ぶ……」
ホークの言葉が止まる。どうしたんだろう、と思えばそこには赤毛の女の子がいる。いや、これは……。
「ジュドー!?」
私が名前を呼ぶと、ジュドーはゆるい垂れ目とおどおどした顔でこちらを見て苦く笑う。
「はい、髪は……目立たないようにウィッグです」
「な、なんで、ついてきたんですか!?まだスパイをしているんですか、王都の」
強風で甲板の上からは次々と船内に人が入っていくのでこの会話は人には聞かれないはず。でも、ほんとうに昨日から、風が強い。……おかしなくらいに。
「お城の人から、あなたたちがこれからどうするか様子を見ろって、あの人に司令が出ていたみたいなんです。船の上じゃ逃げ場がなくてあなたたちが困るだろうって思って、その……」
ジュドーは気まずそうに切り目を入れられた乗船券を見せてくる。
「も、もしかしてそれって」
「あ、はい……あの、褒められた話ではないんですが、このくらいなら、簡単に風を操って奪えるから……」
ホークの問に、顔色を悪くしつつジュドーは答える。風魔法が使えるんだ!?両親が日本の人ならお子さんも魔力が高いのだろうか。
「あの、私もソアに一緒に行きたいです。両親を探せるんですよね?嘘はつきません、この魔法の痣もまだありますし、嘘はつけません、信用してください!」
ジュドーは必死に私達ににじり寄る。
「確実に探せるとは言えませんよ」
私が冷静に返すと、ジュドーは途端に泣きそうな顔で首を振る。
「もう帰ってこなくなって何年も経ってるから、覚悟しています。でも、何があったか、知りたい……!!」
服の裾をぎゅっと握ってジュドーは言う。船の帆を押すように強風がドン、と吹いた。もしかして昨日からの風もこの子の仕業?あの追手の邪魔を昨日からしていた?
「とりあえず、部屋に行きましょう」
私が促すとホークたちも頷いて足早に船室へと入っていった。
◇◇◇
私達が取った部屋は本当に狭かった。硬いシングルベッドがふたつ、隙間なく並んでいる。まあテントに比べたら広いし私は問題ない。とりあえず、とベッドに腰を下ろし、ミクはホークの肩からジュドーの顔をじろじろと見ている。
「改めて自己紹介をします。私は……実は聖女ミクではなく、その友人のバンリです。闇魔法と治癒魔法が使えます。こちらは友人のホークです。偽名をお伝えしていて申し訳ありません」
嘘がつけない(と思っている)ジュドーは驚いて私たちの顔を見比べる。
「え、え、え……!?では、聖女ミクさんは……!?」
「ここ。私だよ。猫になっちゃったの」
「ね、ねこが、しゃべっ……!!」
大きな声を上げそうになってジュドーは自分の口を両手で抑える。
「ま、そんなわけで、多分あんたの親も私みたいに何かの動物になってる可能性がある。その呪いを解く魔導具を探しにソアに向かってんの。私のお姉ちゃんも何かに変わってるみたいだし」
ミクはとん、と身軽にベットに降りてジュドーに歩み寄る。ジュドーは驚きを隠せないまま汗だくになってきたけど、息を整えて頭の中を整理し始める。私達も簡単に、お城の中であったこと、ホークも元は男性だということなどを説明すると徐々にジュドーは落ち着きを取り戻してきた。
「な、なるほど……。王都で聖女様たちが魔力切れで引退、ていうのは逃げ出して何かの呪いで姿を変えられていたってこと、なんですね……お母さんたちも……そっか……だからか……。だから、私が魔力が高いこと、隠して生きろって言ってたんだ……」
ジュドーのお母さんはお城が何やらおかしいのを察していたのだろう。長く細く息を吐いて、ジュドーはうつむいて無言になる。色々と合点が行ったのか、今度は目に光がある。
「きっとこれは私達だけの悲劇ではないんですね。なんとかしなきゃ……。私は親には隠せと言われていましたが、風と水の魔法が使えます。本に載っていたものはほぼ使いこなせます、まあその……属性的にはほとんど補助魔法ですけど、そういうのでも、お役に立てれば……」
「おっ!いいじゃん!私は火と光魔法が使えるんよ!攻撃系なら任せて!猫でも結構強いんだから、任せて。私も頼りにさせてもらうし。一緒に頑張ろう!」
ミクは興奮してジュドーの膝に乗りかかる。風と水、助かる……!もっと早く欲しかったけど……きっと夏を快適に過ごせるでしょうそれ……!
「すいません、俺は……魔法はなにも……というか魔力がほぼないので、剣でしかお役に立てませんけど……」
ホークが申し訳なさそうに言う。でももし魔力が封じられるようなことがあれば腕力のある人は大事だから、心強い。
「これってゲームのパーティだったらバランスいいんじゃない!?無敵じゃん!」
ミクがそう言い、私達もみんな頷いたが、船酔いの薬が効き始めるまで全員ベッドに横になってしばらく何も会話ができなくなった。船酔いに効く魔法は……ない……みたい……。
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