第37話 剥がれる虚飾と、阿鼻叫喚の測定会

講堂の空気は、張り詰めた弓の弦のようにピーンと緊張していた。


 年に一度の『全校一斉魔力測定試験』。

 それは、生徒たちにとっての審判の日であり、家格とプライドをかけた決戦の場だ。


 けれど、講堂の最後尾、清掃用具入れの陰に隠れている私、アリア・ミレットの心は、春のピクニックのように軽やかだった。


「ふふ……、ふふふふふ」


 私はポケットの中で、ジャラリと硬貨を鳴らした。

 重い。心地よい重みだ。

 ここ数日で売りさばいた『深淵の泥(アビス・マッド)』の売上は、私の老後資金計画を十年分ほど前倒しにする快挙を成し遂げていた。


「きゅ?(おかわり?)」


「しーっ、ぷるんちゃん。今は静かにしてて。これから最高に面白いショーが始まるんだから」


 私はポケットから顔を出そうとする相棒を指で押し戻し、ステージを見上げた。


 そこには、巨大な水晶玉が鎮座している。

 測定方法は単純。手をかざし、内包する魔力量を数値化するだけ。


 だが、この日のために貴族たちは、涙ぐましいほどの「ドーピング」を行ってくる。魔力増幅効果のある香水を浴び、下地に魔石粉末入りのファンデーションを塗りたくり、実力の二割増し、三割増しの数値を叩き出すのが通例だ。


 ――例年ならば、の話だけど。


***


「次! 魔法科二年、バロン・ド・ミッチェル!」


 試験官の声と共に、自信満々の男子生徒が壇上に上がった。

 彼もまた、私の泥パックの愛用者(カモ)の一人だ。


「見ていろ……! 俺の研鑽の成果を!」


 彼は水晶に手を叩きつけた。


 ブォン……。


 水晶が頼りなく明滅し、空中に数値が浮かび上がる。


 【魔力値:125 (平均以下)】


「……は?」


 静まり返る会場。

 バロン君の目が飛び出した。


「な、なんだこれは!? 故障か!? 去年の俺は180あったんだぞ!?」


「静粛に。数値は絶対だ。次」


「待ってくれ! 俺は朝まで魔力増幅ドリンクを飲んで……!」


 衛兵に引きずられていく彼を見送りながら、私は必死に笑いを堪えた。


 当たり前だ。

 君が使ったその泥は、『超・吸着』の権化、ぷるんちゃんの成分なのよ?

 体内の毒素と一緒に、その安っぽいドーピング剤も、無理やり底上げしていた不安定な魔力も、全部きれいに「デトックス」しちゃったんだから!


***


 その後も、阿鼻叫喚の地獄絵図は続いた。


「いやぁぁぁ! 私の数値が半分に!?」

「なぜだ! 昨日まであんなに魔力が漲っていたのに、体がスカスカだ!」

「泥だ……あの泥を使ってから、妙に体が軽くて……魔力まで軽くなってしまったのか!?」


 会場がざわめき始める。

 泥パックを購入した「選ばれし富裕層」の生徒たちが、軒並み自己最低記録を更新していくのだ。


 逆に、貧乏で泥を買えなかった特待生や下級貴族たちは、普段通りの数値を出して相対的に順位を上げている。


「ふふっ、これぞ真の平等(と書いて『ざまぁ』と読む)。実力社会へようこそ」


 私は心のなかで拍手を送った。

 大丈夫、契約書の特約条項第128条には『当商品は、使用者の本来の姿(すっぴん)を取り戻すものであり、魔法的効果の損失について一切の責任を負いません』って書いてあるし。虫眼鏡がないと読めないサイズだけど。


***


 そして。

 ついに、真打ちが登場した。


「次! 公爵令嬢、エルザ・フォン・ローゼンバーグ!」


 カツーン、カツーン。

 高らかなヒールの音と共に、エルザ様が現れた。


 会場の空気が一変する。

 彼女の肌は、遠目に見ても白く輝いていた。

 『深淵の泥』を誰よりも大量に購入し、毎晩のように塗りたくった成果だ。物理的な美しさだけなら、今の彼女は学園一と言っても過言ではない。


「皆様、ごきげんよう」


 エルザ様は優雅に扇子を開き、青ざめる他の生徒たちを見下した。


「あらあら、随分と低い数値ばかりですこと。日頃の行いが悪いのではありませんか? わたくしをご覧なさい。この『秘薬』によって磨かれた、真の美しさを!」


 彼女は自信満々に水晶の前へ進み出た。

 その表情に、微塵の疑いもない。自分が誰よりも高い数値を出すと信じ込んでいる。


 私は、こっそりと耳を塞いだ。


「――参りますわ!」


 バチィンッ!

 気合と共に、白魚のような手が水晶に触れる。


 シーン……。


 一瞬の静寂の後、水晶が淡く、本当に淡く光り、数値を表示した。


 【魔力値:210 (平均よりやや上・貴族としては平凡)】


「…………はい?」


 エルザ様の動きが止まった。

 扇子が手から滑り落ち、カランと乾いた音を立てる。


「に、にひゃく……じゅう? ゼロが一つ足りなくてよ? わたくしはローゼンバーグ家の娘ですのよ? 最低でも500は……」


「測定終了。次」


「お待ちなさい! 壊れていますわ! このガラクタ、わたくしの膨大な魔力を測りきれていないのです!」


 エルザ様が金切り声を上げて水晶をバンバンと叩く。

 往生際が悪いわね。それがあなたの「すっぴん」の実力よ。今までどれだけ化粧品で盛っていたか、バレバレじゃない。


 だが、悲劇はそこで終わらなかった。


 彼女が激昂し、体内の魔力を暴走させようとした、その時だ。


 ピキッ。


 乾いた音が、彼女の顔面から響いた。


「……え?」


 エルザ様が頬に手を当てる。


 ピキピキピキッ!

 バリィィィッ!


 次の瞬間、彼女の顔を覆っていた「何か」が、音を立てて砕け散った。


 それは、彼女が「泥で綺麗になった肌」の上に、さらに厚塗りしていた「超・強力魔力ファンデーション」の層だった。

 『深淵の泥』の成分が肌に浸透しすぎた結果、後から塗った不純物(化粧)を「汚れ」と認識し、強烈な拒絶反応(パージ)を起こしたのだ。


 パラパラと剥がれ落ちる、分厚い化粧の欠片。

 そして、その下から現れたのは――。


「……あ」


 誰かが呟いた。


 そこにいたのは、いつもの妖艶で大人びた「公爵令嬢」ではなかった。

 そばかすが少し残り、童顔で、あどけない瞳をした、年相応の……いや、実年齢より幼く見える少女の顔。


「――っ!?」


 エルザ様は、床に落ちた自分の「仮面」と、手鏡に映った「素顔」を交互に見た。

 彼女が必死に隠し、大人ぶるために塗り固めていたコンプレックスが、衆人環視の中で白日の下に晒された瞬間だった。


「か……」


 彼女の顔が、茹でたタコのように真っ赤に染まる。


「かわいい……」

「え、いつもの怖い顔より、あっちの方が良くない?」

「守ってあげたい感じだ……」


 男子生徒たちの意外な反応など、パニック状態の彼女の耳には届かない。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁッ!! 見ないでぇぇぇぇッ!!」


 エルザ様は顔を覆い、鼓膜が破れそうな悲鳴を上げると、脱兎のごとく講堂から走り去っていった。

 後に残されたのは、剥がれ落ちたファンデーションの残骸と、呆気にとられる全校生徒たちだけ。


***


「……ふぅ。強烈なオチがついたわね」


 私は物陰で、小さくガッツポーズをした。

 これで彼女はしばらく寮に引きこもるだろう。クレームに来る元気もなくなるはずだ。完全勝利である。


 さあ、混乱に乗じて私も撤収しよう。


 そう思って背を向けた、その時だった。


「……クン、クン」


 どこからか、鼻を鳴らす音が聞こえた。

 ゾワリと、背筋に冷たいものが走る。


 講堂の教職員席。

 そこに座っていた魔法薬学教諭、グレイブスが、立ち上がっていた。


 彼はエルザ様が走り去った跡、床に散らばったファンデーションの欠片――そこに付着した『黒い泥の成分』――を拾い上げ、鼻に近づけていた。


「……この臭い」


 彼の目が、爬虫類のように細められる。


「腐敗臭は消えているが……微かに残る、この独特の魔力配列の刺激臭。間違いない」


 グレイブスの視線が、ギラギラと会場を巡回し始める。


「私の『キマイラ』だ。……誰だ? 私の実験体を盗み出し、あろうことかこんな下劣な化粧品に加工したのは」


 殺気。

 純粋な殺意が、空気をビリビリと震わせている。


 まずい。潔癖症の彼が、自分の「汚物」が再利用されていることに気づいた。しかも、それが原因で公爵家とのトラブルになりかけている。犯人を見つけたら、社会的に抹殺する気だ。


 私は息を潜め、気配を消した。

 モップと同化しろ。私は壁だ。私はただの清掃用具だ。


 だが、厄介な視線はもう一つあった。


 反対側の柱の陰。

 学級委員長、ギデオン・アイアンサイドが、熱っぽい瞳で私を見つめていた。彼の手には、例の『聖女観察日記』が握られている。


「……やはり、アリアさんだ」


 ギデオンが、感動に打ち震えながら独りごちるのが聞こえた(地獄耳スキル発動)。


「偽りの虚飾に塗れた貴族たちに、真実の姿(すっぴん)を突きつける『鏡の審判』……! なんという慈悲深く、かつ厳しい断罪か! 彼女こそ、腐敗した学園を正す革命の乙女だ!」


 違う、ただの金儲けと事故だってば!


「あいつ(グレイブス)も気づいたようだな……。聖女の命を狙う悪の親玉め。だが、させない。僕が君の盾になる!」


 ギデオンが眼鏡を光らせ、勝手に戦闘態勢に入っている。

 やめて、こっち見ないで。君が動くと余計に目立つのよ!


 私は冷や汗をダラダラと流しながら、カニ歩きで出口へと向かった。

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