第3話「3月:サクラネコと別れ」
プロローグ
3月1日。
春の訪れを告げる、桜の蕾が膨らみ始める季節。
でも、私の心は、どこか重かった。
3月は、別れの季節。
卒業式が近づいている。
私の憧れの先輩、水野楓が、この学校を去る。
朝、いつもの通学路。桜並木を歩いていると、桜の木の根元に、それはいた。
淡いピンクの猫のぬいぐるみ。
体には、桜の花びら模様。緑のリボン。尻尾が、桜の枝のように優雅にカーブしている。
スリムな体型で、どこか儚げな雰囲気。
「また...」
私は、恐る恐るぬいぐるみを拾い上げた。
その瞬間。
「別れ、怖い?」
悲しげな声が聞こえた。
私は、もう驚かなかった。
「あなたも、3月のぬい?」
「そう。私はサクラネコ」
猫は、静かに答えた。
「私は...もう慣れちゃった」
「慣れた?」
「別れに」
サクラネコの声は、とても寂しげだった。
「桜はね、毎年咲いて、散る。別れを繰り返すの。でもね、それが桜の運命」
私は、サクラネコをバッグに入れた。
そして、学校へ向かった。
1
学校に着くと、廊下で楓先輩とすれ違った。
「おはよう、ひまり」
「おはようございます、先輩」
楓先輩は、いつも通りの笑顔だった。
でも、どこか、疲れているように見えた。
楓先輩は、私の憧れの人。
軽音部の部長で、ギターが上手で、優しくて、誰からも慕われている。
私が軽音部に入ったのも、楓先輩がいたから。
でも、もうすぐ卒業。
楓先輩は、この学校を去る。
「ひまり、卒業式、来てくれる?」
「もちろんです!」
「ありがとう」
楓先輩は微笑んだが、その笑顔は、どこか無理をしているように見えた。
2
昼休み、屋上。
私は一人で、サクラネコに話しかけていた。
「楓先輩、もうすぐ卒業なんだ」
「寂しいの?」
「...うん」
私は、正直に答えた。
「先輩がいなくなったら、私、どうすればいいんだろう」
「それが、別れよ」
サクラネコは、静かに言った。
「でもね、別れは終わりじゃない。新しい始まりでもあるの」
「新しい始まり...?」
「そう。楓先輩は、新しい道を歩む。あなたも、新しい自分になる」
私は、少し考えた。
「でも、やっぱり寂しいよ」
「それでいいのよ。寂しさを感じることが、大切なの」
サクラネコは、優しく言った。
「寂しさを感じないなら、それは本当の別れじゃないわ」
3
放課後、軽音部の練習。
楓先輩が、ギターを弾いていた。
最後の練習。
来週の卒業式が終わったら、もう先輩はこの部室に来ない。
「ひまり、ちょっといい?」
練習後、楓先輩が私を呼び止めた。
「はい」
「屋上、来てくれる?」
「...はい」
私は、先輩について屋上へ向かった。
4
屋上は、夕焼けに染まっていた。
楓先輩は、フェンスにもたれながら、遠くを見ていた。
「ひまり、実はね...」
楓先輩は、ゆっくりと口を開いた。
「私、大学に行かないことにしたの」
「え...?」
私は、驚いて先輩を見た。
「先輩、音大に合格したって聞きましたけど...」
「うん。合格したんだけどね」
楓先輩は、苦しそうに笑った。
「家庭の事情で、行けなくなったの」
「家庭の事情...?」
「父が、病気でね。働けなくなって。母も、弟の面倒を見なきゃいけなくて」
楓先輩は、涙を堪えているように見えた。
「だから、私が働いて、家族を支えることにしたの」
「先輩...」
「誰にも言わないで。卒業式でも、みんなには『音大に行く』って嘘をつくつもりだから」
楓先輩は、私の目を見た。
「でも、ひまりには知っていてほしかった」
私は、言葉を失った。
楓先輩の夢は、プロのミュージシャンになること。
音大に行って、音楽を学んで、いつかステージに立つこと。
それが、先輩の夢だった。
でも、それを諦めなきゃいけない。
「先輩...私、何も力になれなくて...」
「ひまりのせいじゃないよ」
楓先輩は、優しく笑った。
「これは、私が選んだことだから」
「でも...」
「いいの。家族のために働くのも、悪くないって思ってる」
楓先輩は、空を見上げた。
「いつか、また音楽ができる日が来るかもしれない。それまで、待つわ」
私は、涙が溢れそうになった。
5
その夜、部屋で、私はサクラネコに話しかけていた。
「楓先輩...夢を諦めなきゃいけないんだって」
「そうね」
サクラネコは、静かに答えた。
「辛いわね」
「私、何もできない。先輩の痛みを消すことなんて、できない」
「そうね。あなたには、できないわ」
サクラネコは、容赦なく言った。
「でも、あなたにできることがある」
「何?」
「寄り添うこと」
サクラネコは、私を見上げた。
「痛みは消せない。でも、一緒にいてあげることはできる」
「一緒にいる...」
「そう。楓先輩の決断を、尊敬してあげなさい。そして、応援してあげなさい」
私は、涙を拭いた。
「...わかった」
6
3月15日。卒業式。
桜が、満開だった。
体育館で、卒業式が行われた。
楓先輩は、卒業証書を受け取った。
みんなが拍手をした。
先輩は、笑顔で手を振った。
でも、私には、その笑顔が無理をしているように見えた。
式が終わった後、私は楓先輩を探した。
校庭の桜の木の下。
楓先輩が、一人で立っていた。
「先輩」
「ひまり」
楓先輩は、私を見て微笑んだ。
「来てくれたんだ」
「はい」
私は、手紙を差し出した。
「これ、読んでください」
「手紙?」
楓先輩は、手紙を開いた。
楓先輩へ
先輩、卒業おめでとうございます。
先輩のこと、ずっと憧れていました。
先輩がいたから、私は軽音部に入れたし、音楽を続けられました。
先輩の決断、聞きました。
辛いと思います。夢を諦めるのは、本当に辛いことだと思います。
でも、私は先輩の決断を尊敬します。
家族のために、自分の夢を後回しにすること。それは、誰にでもできることじゃない。
先輩は、強い人です。
だから、いつか必ず、先輩の音楽が聴ける日が来ると信じています。
それまで、ずっと応援しています。
ありがとうございました。
先輩と出会えて、本当に良かったです。
桜井ひまり
楓先輩は、手紙を読み終えると、涙を流していた。
「ひまり...」
「先輩、泣かないでください...」
「ごめんね」
楓先輩は、涙を拭いた。
「ずっと、誰にも言えなかったの。辛いって。悔しいって」
「先輩...」
「でも、ひまりの手紙を読んで、救われた」
楓先輩は、私を抱きしめた。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
私も、楓先輩を抱きしめた。
二人で、泣いた。
桜の花びらが、舞い散っていた。
7
卒業式の後、楓先輩とは、連絡先を交換した。
「また、会おうね」
「はい」
私は笑顔で答えた。
「先輩が音楽を再開する日、絶対にライブに行きます」
「約束ね」
楓先輩は、優しく笑った。
そして、先輩は去っていった。
私は、桜の木の下で、一人立っていた。
サクラネコの声が聞こえた。
「よくやったわ」
「...うん」
「別れは、辛いわね」
「うん」
「でもね、別れは終わりじゃない」
サクラネコは、優しく言った。
「楓先輩は、新しい道を歩む。あなたも、新しい自分になる」
「...そうだね」
「痛みは消えない。でも、それでいいの」
サクラネコは、私を見上げた。
「それが、生きるってことだから」
私は、桜を見上げた。
満開の桜。
美しいけど、儚い。
散ってしまうからこそ、美しい。
別れも、きっと同じなんだ。
8
その夜、部屋で、私はサクラネコに話しかけていた。
「サクラネコ、ありがとう」
「どういたしまして」
サクラネコは、優しく答えた。
「あなた、成長したわね」
「そうかな?」
「ええ。あなたは、別れを受け入れた」
サクラネコは、微笑んだ。
「次は4月1日。ツバメちゃんが待ってるわ」
「ツバメちゃん?」
「そう。新しい季節。新しい挑戦」
サクラネコの声が、少し弱くなった。
「でもね、痛みは残る。それでいいの」
「...うん」
「覚悟はできた?」
「...できた」
私は、窓の外を見た。
桜が、風に揺れていた。
花びらが、舞い散っていた。
別れは、辛い。
でも、それでいい。
それが、生きるってこと。
私は、サクラネコをバッグに入れた。
そして、深呼吸をした。
次は、新しい季節。
春。
新しい挑戦が、待っている。
エピローグ
3月31日。
春休み最後の日。
私は、桜の木の下で、美月と話していた。
「楓先輩、元気かな」
「きっと、頑張ってるよ」
美月は笑顔で言った。
「ひまりの手紙、すごくよかったね」
「ありがとう」
私は、桜を見上げた。
桜は、もう散り始めていた。
花びらが、風に舞っていた。
「ねえ、美月」
「何?」
「別れって、辛いけど、必要なのかもね」
「どうして?」
「別れがあるから、新しい出会いがある。終わりがあるから、始まりがある」
美月は、私を見た。
「ひまり、なんか大人っぽくなったね」
「そうかな?」
私は笑った。
「私、まだまだ子供だよ」
「でも、成長してる」
美月は、私の肩を叩いた。
「これからも、一緒に成長しようね」
「うん」
私たちは、桜の花びらを見上げた。
散っていく花びら。
でも、来年また咲く。
それが、桜の運命。
そして、私たちの人生も、きっと同じ。
終わりがあるから、始まりがある。
別れがあるから、出会いがある。
私は、バッグの中のサクラネコを撫でた。
ありがとう。
あなたのおかげで、別れを受け入れられた。
そして、次は。
新しい挑戦。
私は、空を見上げた。
明日から、4月。
新学期。
新しい季節が、始まる。
私は、笑顔で歩き出した。
桜の花びらと共に。
第3話 了
次回:第4話「4月:ツバメちゃんと挑戦」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます