第2話「2月:チョコベアと告白」


プロローグ

 2月1日。

 下駄箱を開けた瞬間、私は息を呑んだ。

 そこに、茶色のクマのぬいぐるみが入っていた。

 濃い茶色の毛並み。艶があって、まるで本物のチョコレートみたい。ハート型の耳。ピンクのリボン。小さなチョコレート型のチャーム。

 手のひらより少し大きい、可愛らしいクマ。

「これ、誰が...?」

 周りを見渡すが、誰も私を見ていない。

 恐る恐るクマを手に取った瞬間。

「告白、したい?」

 甘い声が聞こえた。

 私は思わず周りを見渡したが、やはり誰もいない。

「でもね...」

 声は続けた。

「振られる覚悟は?」

 その瞬間、私の心臓が跳ねた。

 この声、ユキウサと同じだ。

 私は急いでクマをバッグに入れ、その場を離れた。


1

 昼休み、屋上。

 私は一人で、チョコベアを取り出した。

「あなたも、ユキウサと同じ...?」

「そうよ。私はチョコベア。2月のぬい」

 クマは、甘い声で答えた。

「ユキウサから聞いてるわ。あなた、美月さんと仲直りできたんだって。よかったわね」

「うん...」

「でも、次はもっと難しいわよ」

 チョコベアの声が、少し冷たくなった。

「あなた、好きな人がいるでしょ?」

 私は息を呑んだ。

「どうして...」

「わかるのよ。あなたの心が、揺れてるもの」

 チョコベアは、私を見上げた。

「佐々木蓮。同じクラスの男子。ギターが上手で、いつも一人で音楽を聴いている」

「やめて...」

「彼のこと、好きなんでしょ?」

 私は、何も言えなかった。

 認めたくなかった。でも、嘘もつけなかった。

「...うん」

「じゃあ、告白しなさい」

「え?」

「バレンタインデー。あと13日後。チョコと一緒に、気持ちを伝えなさい」

 私は首を振った。

「無理だよ。だって、蓮くんには...」

「他に好きな人がいるって噂? 知ってるわ」

 チョコベアは、容赦なく言った。

「でもね、噂は噂。本当かどうかは、本人に聞かないとわからないわ」

「でも...」

「伝えないと後悔する。ユキウサの時みたいに」

 私は、言葉を失った。


2

 その日の放課後、私は美月に相談していた。

「蓮くん?」

 美月は、驚いた顔をした。

「ひまり、蓮くんのこと好きだったの?」

「...うん」

 私は恥ずかしそうに答えた。

「でも、蓮くんって、他に好きな人がいるって噂だよね」

「そうなんだよね...」

 私はため息をついた。

「軽音部の先輩らしいって。だから、私なんか相手にされないと思う」

「でも」美月は、私の手を握った。「伝えないと、後悔するよ」

「美月...」

「私、ひまりに言われて思ったんだ。後悔するくらいなら、やった方がいいって」

 美月は笑顔で言った。

「だから、ひまりも頑張って」

 私は、美月の手を握り返した。

「...ありがとう」


3

 2月14日。バレンタインデー。

 私は、手作りチョコと手紙を持って学校に来た。

 朝から心臓がバクバクしている。

 チョコベアは、バッグの中で囁いた。

「緊張してる?」

「当たり前だよ...」

「大丈夫。あなたなら、できる」

「でも、振られたらどうしよう...」

「その時は、その時よ」

 チョコベアの声は、優しかった。

「でもね、伝えないで後悔するより、伝えて前に進む方がずっといいわ」

 私は、深呼吸をした。

 放課後。

 私は、蓮を屋上に呼び出した。


4

「呼び出して、ごめん」

 私は、震える声で言った。

 蓮は、いつも通りの無表情で立っていた。

「いいよ。何?」

「あの...これ」

 私は、手作りチョコと手紙を差し出した。

「バレンタインのチョコ。受け取ってもらえると、嬉しいんだけど」

 蓮は、少し驚いた顔をした。

「...ありがとう」

 蓮は、チョコを受け取った。

 私は、勇気を振り絞って続けた。

「手紙も、読んでくれるかな」

「今?」

「後でいいよ。でも...」

 私は、蓮の目を見た。

「私、蓮くんのことが好き」

 言った。

 言ってしまった。

 蓮は、目を見開いた。

「桜井...」

「ごめん。急に言って。でも、伝えたかったんだ」

 私は、涙が溢れそうになるのを堪えた。

 蓮は、しばらく黙っていた。

 そして、ゆっくりと口を開いた。

「俺も...」

「え?」

「俺も、桜井のこと、いいなって思ってた」

 私の心臓が、止まりそうになった。

「本当...?」

「うん」

 蓮は、困ったような顔をした。

「でも、今は音楽に集中したいんだ」

「...え?」

「俺、軽音部で、今年の夏に大きなライブに出ることになってて。だから、今は恋愛とか、考えられないんだ」

 私は、言葉を失った。

 これは、振られたということ?

 それとも、違う?

「ごめん。中途半端な答えで」

 蓮は、申し訳なさそうに言った。

「でも、桜井の気持ちは嬉しい。本当に」

「...うん」

 私は、無理に笑顔を作った。

「頑張ってね、ライブ」

「ありがとう」

 蓮は、チョコと手紙を大切そうに持って、屋上を去った。

 私は、一人残された。


5

 屋上で、私は泣いていた。

 振られたわけじゃない。

 でも、受け入れられたわけでもない。

 中途半端な答え。

「どうすればいいの...」

「混乱してる?」

 チョコベアの声が聞こえた。

「当たり前だよ...」

 私は、バッグからチョコベアを取り出した。

「蓮くん、私のこと好きだって言ったのに、付き合えないって...」

「そうね。でもね」

 チョコベアは、優しく言った。

「答えが出ないことも、答えなんだよ」

「どういうこと?」

「彼は今、音楽に集中したい。それは、彼にとって大切なことなの。あなたの気持ちを受け入れられないのは、あなたが嫌いだからじゃない」

「...」

「彼は、自分の夢を優先したの。それは、悪いことじゃないわ」

 私は、涙を拭いた。

「じゃあ、私は...」

「待つのも、諦めるのも、あなたの自由よ。でもね」

 チョコベアは、私を見上げた。

「伝えられたことは、後悔しないでしょ?」

 私は、少し考えた。

 確かに、伝えられた。

 蓮くんも、私のことを「いいな」って思ってくれてた。

 それだけで、十分じゃないか。

「...うん」

「そう。それでいいの」

 チョコベアは、微笑んだ。


6

 翌日、2月15日。

 私は、学校に行くのが怖かった。

 蓮くんと、どう接すればいいのかわからない。

 でも、朝、スマホにメッセージが届いた。

 蓮くんからだった。

『桜井。昨日はありがとう。手紙、読んだ。すごく嬉しかった。でも、今の俺には、桜井の気持ちに応えられない。ごめん。でも、友達としてずっと大切にしたい。これからもよろしく』

 私は、涙が溢れた。

 これが、答えなんだ。

 蓮くんは、私を拒絶したわけじゃない。

 ただ、今は違うだけ。

 私は、返信した。

『蓮くん、ありがとう。私も、友達としてこれからもよろしくね。ライブ、応援してるよ』

 送信。

 私は、深呼吸をした。

 これでいい。

 伝えられて、良かった。


7

 放課後、美月に報告した。

「そっか...」

 美月は、複雑な顔をした。

「中途半端な答えだね」

「うん。でもね」

 私は笑顔で言った。

「後悔はしてない。伝えられたから」

「ひまり...」

「蓮くんも、私のこと嫌いじゃないって言ってくれたし。それだけで、十分だよ」

 美月は、私を抱きしめた。

「ひまり、強くなったね」

「美月のおかげだよ」

 私たちは、笑い合った。


8

 その夜、部屋で、私はチョコベアに話しかけた。

「チョコベア、ありがとう」

「どういたしまして」

 チョコベアは、優しく答えた。

「あなた、ちゃんと前に進めたわね」

「うん」

 私は、チョコベアを抱きしめた。

「でもね、ちょっと寂しいかも」

「それでいいのよ。寂しさも、恋の一部だもの」

 チョコベアは、私の頬に触れた。

「次は3月1日。サクラネコが待ってるわ」

「サクラネコ?」

「そう。でもね」

 チョコベアの声が、少し悲しげになった。

「次は、もっと辛いかもしれないわ」

「どうして?」

「別れ、だから」

 私は、息を呑んだ。

「別れ...?」

「そう。でもね、別れも成長の一部よ」

 チョコベアは、ゆっくりと動かなくなった。

「覚悟、できた?」

 私は、窓の外を見た。

 まだ寒い2月の夜。

 でも、もうすぐ春が来る。

 桜の季節。

 そして、別れの季節。

「...大丈夫」

 私は、小さく答えた。

「次も、頑張る」

 チョコベアは、もう答えなかった。

 ただ、優しく微笑んでいるように見えた。


エピローグ

 2月28日。

 私は、蓮くんのライブを見に行った。

 軽音部の定期ライブ。

 蓮くんは、ギターを弾きながら歌っていた。

 とても、輝いていた。

 私は、客席から拍手を送った。

 ライブ後、蓮くんが話しかけてきた。

「桜井、来てくれたんだ」

「うん。すごくよかったよ」

「ありがとう」

 蓮くんは、笑顔で言った。

「夏のライブも、来てくれる?」

「もちろん」

 私は笑顔で答えた。

 そして、心の中で思った。

 これでいいんだ。

 蓮くんを応援する。それだけで、私は幸せだ。

 恋が叶わなくても、伝えられた。

 それだけで、十分。

 私は、バッグの中のチョコベアを撫でた。

 ありがとう。

 あなたのおかげで、前に進めた。

 そして、次は。

 別れ。

 私は、空を見上げた。

 もうすぐ、3月。

 桜の季節。

 春はもうすぐだが、私の心はまだ冬だった。

 でも、きっと。

 春が来れば、温かくなる。

 そう信じて、私は歩き出した。


第2話 了

次回:第3話「3月:サクラネコと別れ」

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