第7話 夜の幻視

 夜。

 ベッドに入っても、今日一日のざわざわが抜けなかった。


(梓さん……なんだったんだろう……

 夢の話も……久我さん……

 黒コートさんといい、今日は変なことばっかり……)


 思考が渦を巻くうちに、

 ふと、スマホを手に取った。


(久我さんの怪談……ちょっとだけ読んでみようかな……)


 にくゑさまアプリを起動する。

 久我さんの投稿を開く。


【境界のない村の怪談 第一話:掟】


 本郡西南、山間に小邑あり。往古は「仁食(にくい)」の里と称す。

 大旱魃の年、田畑裂け、川は涸れ、民ことごとく飢えに苦しむ。里人相議し、若き女を生きて井戸に沈め、雨を祈りたると云ふ。


 女の肉、膨れ崩れ、井戸の水に融けしとき、黒雲忽ちに湧き、甘雨三日三夜降りて村を救ふ。その後、里人は女を「肉ゑ神」と称へ、年ごとに供物を絶やさず。


 村人は皆、彼の娘を送りゆく折、三度笑みを作るを掟とす。泣きてはならず、声を荒らげてもならぬ。

 曰く、涙すれば肉ゑの怒りを招き、声を荒らげれば蓋が破れ、神と人と混じり合ふ、と。


 ――そんな古文書を読んで興味を持った「私」は○○県の山間部にある某村に足を運んだ。


 村は最寄りの駅から二時間ほど。

 細い山道を走り抜けたその先にあった。



 う……文字多い!! 言い回し難い!!!

 久我さんって博学だけど、時々それが鼻につくところあるよね、などと偉そうに思いながら、その話を読んでいく。


 「私」が村に取材に赴き、この村に医師として引っ越して暮している「私」の親友を訪ねる。

 だが彼には、この村に来る前にはなかった影が――秘密があるようだった、その秘密とは、みたいな話が第一話。


 三度の笑み、か。

 確かに虚木の村にも引っ越した当初は、そんなしきたりがあった気がする。

 まぁこの話に出てくるのは仁食村だそうだから、関係ないよね。


 スクロールする。

 文章が流れていく。


 ――でも、途中で手が止まった。


(なに……これ……)


 文章が、変だ。

 読んでるだけなのに、頭の奥がじわじわ痛む。

 文字が、揺れてる。

 いや、揺れてない。

 でも、何かがおかしい。


【村には古い掟がある】

【巫女は境界を守る】

【にくゑは眠り続ける】


 ――にくゑ。


 その言葉を見た瞬間、

 胸の奥がずきんと脈打った。


(なに……? なんで……?)


 怖い。

 ただの怪談なのに、怖い。


 私はアプリを閉じた。

 でも、胸のざわつきは消えなかった。


 瞼が重くなっていく。



 ――視界が溶けた。


 覚えている道。

 通学に時々使う道。夕方通ると綺麗に夕日が見えるので遠回りしてここを歩くことがある。某アニメのオープニングでも有名な六ツ又陸橋。


 夜の陸橋。

 見慣れた風景。

 なのに、世界の輪郭がぬるっと崩れている。


 陸橋の上を、異様な何かが這いずっいてる。

 それは、人のようにも影のようにも見えた。


 よろよろとその影は、西口のホテル街の方へ降りてく。

 いかがわしいネオンの光に照らされ、その姿が浮かび上がった。


 ――世界が歪む。

 街灯が溶けて金属の涙のように垂れ、

 遠いはずの車の音が耳のすぐ近くで響く。


(夢……? これ……夢だよね……?)


 そう思った瞬間。

 前方に、影の姿が露わになる。


 千晶ちゃん……だ。

 でも、その姿は異様だった。


 千晶ちゃんの体を、黒いものが包んでいる。

 墨汁を生き物にしたみたいな、得体の知れない塊。

 それが千晶ちゃんにまとわりついて、どこかに引きずり込もうとしている。


「千晶ちゃん……!」


 千晶ちゃんは必死に抗っているように見える。

 しかし、影はどんどん彼女の小柄な身体を覆い尽くしていって……


 声が出ない。

 喉が小刻みに震えるだけ。


(なにこれ……千晶ちゃん……助けなきゃ……!)


 足が動かない。

 助けなきゃいけないのに、体が言うことを聞かない。


(これ夢だよね……? 夢なら……夢なら……)


 でも、痛い。

 視界が歪むたびに、頭の奥がぎりぎり痛む。

 夢なのに、痛い。


(やだ……怖い……誰か……!)


 叫ぼうとした。

 でも声が出ない。

 喉が締め付けられたみたいに、息が吸えない。


 感覚が壊れる。

 空間の歪みが脳に直接触れるみたいで、

 視界が痛い。


 その時。

 ホテル街の路地に、誰かが立った。


 セミロングの髪が風に揺れる。

 静かな、でも圧倒的な存在感。


 梓さんだ。


(梓さん……! 何を……!?)


 梓さんは、何も言わなかった。

 ただ、弓を構える。

 黒い影……千晶ちゃんに向かって。


 その動きが、美しかった。

 一切の迷いがない。

 一切の無駄がない。


 矢はない。

 弦を引く。

 何度も何度も。渺々と弦が鳴く。

 

 梓さんは、弓を引き絞り、まるで見えない矢を番えているように狙いを定める。


 全てが一つの流れ。

 舞うような、祈るような動き。


(……え……?)


 梓さんの目が、細められた。


 その視線は――

 千晶ちゃんに向けられている。


(……え……? どうして……?)


 ――放たれた。


 光が走った。


 白い、まっすぐな光。

 矢じゃない。光そのもの。

 空間を裂くように、一直線に飛ぶ。


「やめ――!」


 声にならない悲鳴。


 光が千晶ちゃんを、黒い影を射貫く。


 黒い塊が、ぐずりと崩れる。

 千晶ちゃんの姿が、歪んで、

 霧のように消えていった。


(……嘘……)


 千晶ちゃんが、消えた。

 黒い影と一緒に、消えた。


(……なんで……?)


 梓さんは、ゆっくりと弓を下ろした。

 息一つ乱さず、表情一つ変えず。

 まるで、何でもないことをしたみたいに。


 そして――私の方を見た。


(……見てる……私を……)


 その目に、何の感情も読み取れなかった。

 ただ、静かに見ている。


 怖い。

 怖すぎる。


(千晶ちゃんを……殺した……?)


 梓さんは無表情に地面を見つめている。


(……なんで? 何も感じてないの……?)


 梓さんは、小さく口を動かした。

 声は聞こえない。

 でも、唇の動きで分かる。


 ――きよ……ね。


 その言葉が、確かに聞こえた。


 その瞬間、景色がぱりんと割れたみたいに白くなり――

 私は現実へ引き戻された。

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