兄は剣神に、弟は天才魔導師に── 異世界で最強になった双子は、再会した時すでに敵同士だった

@nijiboy

第1話 雨夜、断裂の刻

雨が屋根を打ちつける音で目が覚めた。

冷え切った空気が喉の奥まで刺さるように染み込んでくる。


まだ夜明け前。

薄暗い部屋の隅で、弟の湊が小さく丸まっていた。

肩が震えている。


「……れんにぃ」


名前を呼ぶ声は、眠気よりも怯えが勝っていた。


「今日で……僕たち、十二歳だね……」

「だな。」


そのとき――


ドン、と壁が揺れた。

地を這うような怒号が続く。


「うるせぇんだよ……朝っぱらから……!」


冷たいものが背中を滑り落ちるような感覚。

俺は反射的に湊の頭を抱き寄せた。


昨日も今日も、その前も。

この家には“父親”の形をした化け物が棲んでいる。


床には転がる空き缶。焦げ臭い灰皿。

雨よりも冷たい空気。


――ここは家じゃない。


「……湊、今日こそ逃げるぞ」


小さな手が、俺の服をぎゅっと掴んだ。


「れんにぃ……」

「平気だ。俺がいる」


その一言で、ほんの少しだけ呼吸が楽になる。

湊はただの弟じゃない。

俺が生きてる理由だ。


俺は小さなリュックを掴んだ。

入っているものは、水・パン・そして母の遺影の切れ端だけ。

湊も自分のリュックを背負って立ち上がる。


「れんにぃ……怖くない?」


「バカ。お前がいるだろ」


「僕もれんにぃがいるから怖くない!」


湊が少し笑う。

その笑顔が、俺を強くしてくれる。

そんな気がした。


――絶対に守る。


玄関の扉を開いた瞬間、冷たい雨が一気に吹き込んだ。


「絶対に手を離すな」

「うん、離さない」


俺たちは、雨の夜の街へと走り出した。


街灯が滲み、アスファルトには雨が川のように流れる。


「れんにぃ……寒いね。」

「少しだけ我慢だ。明日には雨もやむ。」

「自由って……寒いんだね」

「自由の寒さか。寒いのも悪くないな。」


湊が息を切らしながら、俺を見上げる。

「れんにぃ……明日晴れたらさ、どこ行く?」

「どこでもいい。俺たちは自由なんだから。」


その言葉を聞いて、湊が微笑む。

「世界で一番、遠くまで行こうよ」


ほんの刹那。

雨よりも温かい何かが胸に灯った。


――だから気づけなかった。


「危ねぇ!!」


眩いライト。

タイヤがスリップする甲高い音。

巨大なトレーラーが、制御を失ってこちらへ迫っていた。


「湊ッ!!」


俺は湊を突き飛ばす。

自分も足を滑らせ、世界が横転した。


衝撃。

金属の悲鳴。

雨音が途切れる。


「れんにぃ――ッ!!」


湊の叫びが遠ざかり、俺の視界は――真っ白に。


何もない白い世界。

音も、痛みも、身体の感覚さえない。

だけど――記憶だけが鮮明に浮かび上がる。


俺が八歳。湊も八歳。

まだ幼くて、何にでも笑えた頃。


酒の匂いが染みついたリビングに、父が倒れ込んでいた。

湊は泣きながら、母の写真を強く抱きしめている。


酒で濁った父の目が湊を捉えた。


「もういねぇんだよ! そんなもん持って何になる!」


怒号とともに、写真が床に叩きつけられた。

湊が小さく震え、その上から拳が振り上がる――


その瞬間、俺は湊を抱き寄せていた。


腕に走る痛み。

耳鳴りで、世界が遠ざかる。


「泣くな……俺が守る……」


震える声。

本当は怖くてたまらなかったのに。


その夜、押し入れの中で、二人丸まりながら雨音を聞いた。


「れんにぃ……痛くない?」

「バカ、平気だ」

「ほんと……?」

「ああ。泣くな」

「……うん」


小さな手の温かさが、暗闇で唯一の光だった。

――湊を一人にはしない。

その覚悟は、あの日からずっと消えていない。


光が強くなる。

記憶が薄れていく。


俺は、湊の手を掴もうと腕を伸ばした――

しかし指先は届かない。


闇の底へと引きずり込まれながら、最後に浮かんだのは――

濡れた夜道で、笑っていた湊の顔だった。

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