第24話 旗本の涙
客間に通された私達が待っていると、用人と覚しき老人が現れて、「亀井家で用人を務めております。佐々木です」と自己紹介をしてくれた。
佐々木は警戒心を露わにしながら、「して、本日はどのようなご用向きで?」と聞いてきたが、北町奉行の曲淵景漸から連絡が入っているので、大方の事情は察しているはずだ。
ただ、町奉行所には旗本をお調べする権限がないので、そこは安心しているはずなのに、外聞を気にしてか慎重な態度を崩さない。
先ほども、客間に通される前に、案内の若党がおなつに対して、「下女の方はこちらに…」と言われたが、私が、「この者は私の助手なのです」と説明して、何とか客間に通してもらったのだ。
屋敷内の空気がピンと張り詰めている。
頭を下げた三好が自己紹介を始めた。
「私は、養生所見廻り与力の三好と申します。
こちらは、鍼医師の白川殿と助手のおなつです」
ここで、首を捻った佐々木が「はて、養生所とは、小石川養生所のことですか?今回の件と、小石川養生所がどのように関わっているのでしょう?」と聞いてきた。
もっともな疑念なので、頷いた三好が詳しい説明を加える。
「今回の大火をお調べするに当たって、火付盗賊改方頭の長谷川様から、小石川養生所の医師である白川殿に探索の協力要請がありました」
「加役の長谷川様からの要請ですか…」
意味が分からないという顔の佐々木に、「はい」と頷いてから三好が説明を続ける。
「こちらの白川殿は、朝廷で天子様の治療を担う白川王家のご嫡男です。
また、ご本人も白川流霊枢治療の治療師で特殊な能力を持っておられます。
今回は、その特殊な能力を長谷川様が頼みにされたということです」
この説明に、「はあ…」と言ったっきり、二の句が継げないでいる佐々木は、天子様やら白川王家やらと、ご大層な名が次々と出てきたので、どうして良いのか分からない様子だ。
「そこで、以前は亀井家のご嫡男であった真秀(さねひで)様についてお聞きしたいのです」
すると、この名には敏感に反応して、「その者は、当家と何の関わりもありません」と言い切ってしまう。
「佐々木殿、お気持ちは分かりますが、養生所見廻り与力とはいえ、町奉行所の支配で、今回の探索にも関わっておりましたので、詮議に関する事情は全て承知しております。
また、探索で得た情報につきましては絶対に口外しませんので、そこはご安心頂ければと…」
こう言うと、少し安心したのか、頷いた佐々木が少し畏まった態度になったので、三好が話を続ける。
「私どもは、真秀様が付け火の下手人だとは考えておりません。
誰かを庇っておられるのです。
しかし、大円寺の方々を調べても、それらしき人物は見当たりません。
そうなると、真秀様が庇うべき人物は亀井家の他に思い浮かばないのですよ。
佐々木殿に、何か心当たりは有りませんか?」
三好の言葉に眉を顰めた佐々木が、「すると、町奉行所は亀井家の中に、付け火の下手人がいるとお考えですか?」と聞いてきたので、慌てた三好が、両手を振りながら、「いえいえ。そんな事は微塵も考えておりません。私どもはただ、真秀様の交友関係に、それらしき人物がいないかとお訊ねしているのです」と苦しい言い訳をする。
こう言われて、少し考える風を装った佐々木だったが、「有りませんな」とにべもない返事を返してきた。
それでも、三好は気を悪くした素振りを見せずに、「では、ご主人の亀井様にお話を聞くことは可能でしょうか?」と尋ねると、これに対しても佐々木は、「色々と心労が祟って、今は臥せっております」と無下に断って来たのだ。
しかし、ここで簡単に引き下がる三好ではない。
「佐々木殿、まだ状況が分かっておられぬようですな。
我々は、お願いしているのではありません。
確かに、町奉行所は旗本を詮議する権限を持ち合わせておりませんが、もし亀井家が、協力に応じてくれなければ、町奉行所の持っている情報を、市井にばら撒いてもよいのですよ。
その場合、真秀様は無宿者ではなく、旗本の嫡男ということになってしまいますが…」
この言葉に、怒気を露わにした佐々木が、「そ、それは、我らを脅しておられるのか?」と聞いてきたので、三好は澄ました顔で、「おっしゃる通りです」と素直に認める。
すると、溢れる怒りを無理やり押さえ込んだ佐々木が、しばらく考え込んでから、「かしこまりました。殿に話を通してまいりますので、しばらくお待ちくだされ」と部屋を出て行った。
しばらくすると、小太りで血色の良い佐々木とは対照的に、痩せて顔色の悪い男が着流し姿で現れる。
顔色の悪い男に付き従っていた佐々木が、客間の入口である腰高障子に背を向けて腰を下ろす。
両者を比べると、その貫禄と年齢から、どちらが主人か分からない。
顔色の悪い男は、慇懃に頭を下げた後に、「亀井と申します」と五百石の旗本とは思えない、丁寧な自己紹介を披露した。
しかも、亀井隼人はこちらが問い掛ける前に、自ら真秀のことを喋り始めたのだ。
「真秀のことをお聞きになりたいとか…
何をお聞きになりたいのでしょう?
真秀に、付け火の嫌疑が掛けられてから、世話になっておる蔵宿や、知行地の名主などにも大変な迷惑を掛けております。
和泉屋などは、店を畳むことになるやもしれぬと嘆いておりました。
当家も同様に、今は、お上の慈悲にお縋りして、何とかお家の存続を許されている身なのです。
今更、お上に隠し立てをすることはありません。
何でも、お聞きくだされ」
こう言って、軽く頭を下げる亀井隼人からは、全く精気が感じられず、病に臥せっているという佐々木の言葉も、あながち嘘ではないと思われた。
私は、その亀井隼人から大量の雨を感じながらも、大事な質問を投げ掛けてみる。
「真秀様は何故、家を出されたのでしょう?
差し支えなければ、その理由が知りたいのです」
すると、私の問い掛けを遮るように佐々木が、「それは、今回の大火のお調べとは関係がないのでは?」と横槍を入れてきたが、亀井が左手を軽く挙げて、「良いのだ」と佐々木の口を封じてくれる。
「お恥ずかしい話ですが、当家もご多聞に漏れず、借金で首が回らぬ状態だったのです。
身体が弱く争い事の苦手な私に、旗本の良い役職が持ち込まれるわけもなく、二代に渡っての小普請組入りで借金は膨らむ一方でした。
そこに降って湧いたように、私の再婚話が持ち上がったのです。
先方の長塩家も再婚でしたし、内証が豊かで、高額の持参金が提示された良縁でした。
しかし、その良縁には息子を出家させろという、厳しい条件が付けられていたのです」
「それで、真秀様を出家させたのですか?」
私が咎めるように確認すると、「それだけでは有りません…」と私の非難をかわすように前置きしてから、「真秀は、侍には向いていませんでした」と言い切った。
「私も、侍に向いているとは言い難いが、真秀は、更に向いていませんでした。
あの子は優し過ぎるのです。
まるで赤子のように、人を疑うことを知りません。
そればかりか、人が持っていて当たり前の欲望さえ、持ち合わせていなかったのです。
ある日、剣道場で年長者に銭をせびられたのですが、真秀は、その者が銭に困っているのだと思い込み、小遣いだけでなく、道場の束脩(そくしゅう)まで渡していました。
それ以外にも、剣道場で試合(しお)うても、決して相手を打とうとはせず、相手に打たれてばかりいたのです。
これには、さすがの師範代も、勝とうという意欲が全く感じられないと、呆れておりました」
私は、真秀の人となりを聞いて妙に納得してしまう。
あれだけ雨の少ない人間だと、そうなっても致し方ないのだ。
「だから、私は坊主になった方が幸せだろうと考えたのです。
子を捨てた言い訳をしているのではありません。
あの子は、決して侍の世では生きられなかったのです」
亀井の言葉に嘘はないのだろう。
私は、大きく頷きながら次の疑問をぶつけてみた。
「私は、真秀様が付け火の大罪を犯したとは考えておりません。
火付の自白は、誰かを庇っていると思うのですが、どうやら大円寺の関係者ではないようです。
何か、心当たりはありませんか?」
こう聞かれた亀井は目を瞑り、しばらく真剣に考えていたが、目を開けると喋り始めた。
「亀井家の者は、真秀が出家してから誰一人として会っておりません。
それに、いくら優しい真秀であっても、己を捨てた家族を庇い立てするでしょうか?」
亀井の言葉は妙に説得力が有った。
確かにそうなのだ。
真秀が、誰かを庇っているというのも不確かなことだし、大円寺に容疑者が居ないからといって、亀井家ではないかというのも安直だった気がする。
私達の微妙な空気を察知してか、亀井が「他に、何かお有りでしょうか?」と訊ねてくれたので、「一応、他の方にも心当たりが無いか、お訊ねください」と言い置いた。
そして、私がおなつに一瞥を向けると、おなつが軽く頷いたので話題を変える。
「真秀様は、お立場やご年齢のことも有って、御仕置きの日まで、長谷川様の役宅に留め置かれておりますが、ここに居るおなつが、何かと世話を焼いてくれているのです」
こう言うと、亀井は、おなつにまで丁寧に頭を下げてくれた。
やはり、この人も思いやりの有る優しい人柄なのだろう。
それを見たおなつも、慌てて頭を下げながら喋り始める。
「真秀様から、亀井様に言伝が有るのです」
この言葉に、驚いた様子の亀井が目を見張っていると、おなつが喋り始めた。
「父上、このように不甲斐ない息子をお許しください。
父上が望んだ侍にもなれず、僧侶にもなれなかった私は、火付という大罪を犯して、とうとう科人に成り果ててしまいました。
どうか、愚かな息子のことは早くお忘れになって、末永くお幸せにお過ごしください…」
おなつが語り終えると、肩を震わせた亀井は涙を流しながら、ゆっくりと頭を下げる。
それを見たおなつも頭を下げながら、再び静かに口を開いた。
「長谷川様のお屋敷で、真秀様のお世話をさせて頂いておりますが、お手紙をお預かりすることは固く禁じられておりましたので、口上にてお伝えさせて頂きました」
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