第21話 寄合評定

 朝四つ(十時)から始まった二回目の寄合評定(よりあいひょうじょう)は紛糾していた。


 ひと月に六回しか行われない寄合評定を、二回も費やす詮議物(せんぎもの、刑事事件)など、そうそう有るものではない。


 江戸城和田倉門外の辰ノ口にある評定所には、南北二人の町奉行に加えて、寺社奉行が四人、勘定奉行が二人、留役頭(とめやくがしら)と留役(書記官)二人に、大目付と目付が参加するという物々しさで、この事件が如何に重要かを示している。


 火付盗賊改方頭である己れに、異例の評定所臨席要請(ひょうじょうしょりんせきようせい)が有ったのも、一回目の寄合評定で田沼様からの諮問(しもん)に対する、「御仕置き伺い」の内容が纏まらなかったからだ。


 当然、評定所一座でもない己れに、評議権は与えられていないものの、探索の頭としての意見が聞きたいということであった。


 火付盗賊改方という組織は、御先手頭が兼務で受け持つ加役だが、与えられている探索権限は限りなく広く、限定されている制約は限りなく狭い。


 しかし、敲き(たたき)などの軽い御仕置き権限は持たされてはいるものの、それ以上の御仕置き裁定となれば町奉行所に委ねるしかないのだ。


 そこで、目黒行人坂大火の火付御仕置きについては北町奉行の曲淵景漸と話し合って、下手人である大円寺の僧侶、真秀を「御預け後の遠島」という極めて軽い「御仕置き伺い」にしたのだが、老中の田沼様から御裁許は得られず、評定所での詮議を命じられてしまった。


 こうなると寄合評定が紛糾するのは容易に想像がつく。


 特に寺社奉行が煩く嘴(くちばし)を入れてくるので、中々意見が纏まらないのだ。


 本来であれば、寺からの失火(過失による出火)は「お構い無し」で罪科に問われないのが普通だが、出火原因が付け火であれば、たとえ、それが僧侶であっても極刑は免れない。


 しかも、江戸城を焼き、武家屋敷、寺社仏閣をも多数巻き込んだ大規模な火災となれば尚更だ。


 寺社奉行が煩く嘴を入れてくるのもやむ得ないのだが、今回、寄合評定で揉めている重要な案件は三つだった。


 一つ目は、僧侶である真秀の年齢だ。


 数え年では十五歳となっているが、生まれ月(満年齢)で数えれば十四歳だった。


 これは、公事方御定書の定めによって十五歳未満、即ち元服前の子供には死罪を言い渡せないという不文律が有るからだ。


 ここで極刑を望む寺社奉行と、現場を知る町奉行とで、真っ向から意見が分かれてしまう。


 二つ目は、真秀から「己れが付け火の下手人です」という自白は得ているものの、それ以外の付け火の理由や、どこに、どういうやり方で火を放ったのか等、証言が曖昧で信憑性に欠けるというものだ。


 しかも、添付されている天仁和尚の意見書を読めば、「真秀は、手習師匠として筆子(生徒)や親である檀家からの信頼も厚く、日頃から温厚篤実な人柄を考えれば、これは付け火などではなく、自らが犯した失火(過失)に強い責任を感じてしまい、重い罪科を自らに課そうと、自白に及んだのではないか」というものや、証拠集めに協力してくれた公家の白川涼雨などは、「誰かを庇っているか、真秀が下手人だというのであれば、真秀自身に別の人格が宿っているとしか思えない」という特殊な意見書まで付けられている。


 三つ目は、真秀の出自だった。


 寺から提出された資料によれば、武州熊谷の板井村名主、為一郎の四男となっているが、どうやら外から養子を受け入れたようだ。


 それはそうだろう。


 水呑み百姓の口減しというのならまだしも、銭に困っていない名主の息子が、何が悲しくて出家させられるのか、そんな馬鹿な話は聞いたことがない。


 しかも、大円寺に対して仲介の労を取ったのが、浅草蔵前に店を構える中堅の札差、和泉屋というから驚くではないか。


 どうやら、表には出せない複雑な事情が絡み合っているのだ。


 そんな中、寺社奉行の一人が扇子の尻をこちらに向けながら捲し立ててきた。


「確かに、真秀とやらが微妙な年齢であることは間違いないが、御仕置例類集に照らし合わせて見ると、数え年で計算するのが一般的だと記されておるではないか。

どうして、この坊主だけを特別扱いせねばならんのだ」


溜息をついた曲淵がうんざりした顔で答える。


「それは、先程から何度も申し上げている通り、過去の御仕置き例に囚われてばかりでは、正しいお裁きが下せませぬ。

時は流れておるのです。

民草も、惨い御仕置きばかりを望んでいる訳ではありませぬ。

改心の余地が有る幼子なれば、そこに温情を掛けるのが、至極真っ当な判断だと思うのですが…」


 これを聞いた別の寺社奉行が素早く切り返してくる。


「改心の余地とは、どこを見て判断されておられるのか?」


 曲淵に向けられた疑問を、己れが勝手に引き受けて、年嵩の寺社奉行に様々な意見書を突き付けてやった。


「これだけ大量の意見書が付けられて、中身を読めば真秀の実直な人柄がうかがえます。

逆に、これを見て改心の余地が無いと考える人間の方がどうかしていると思うのですが…

貴殿も意見書には目を通されておられるのでは?」


 すると、寺社奉行の目に「旗本とはいえ、たかが四百石ていどの軽輩が…」という侮蔑の色がありありと浮かんでいた。


 己れは己れで、実力もないのに血筋だけで寺社奉行に成り上がった空者(うつけもの)を最初から軽く見ている。


 こうして、様々な感情が入り混じる寄合評定では、政治的な思惑や、武士の自尊心が事実の追求よりも優先されることがしばしばであった。


 しかし、二回目の寄合評定なので、何とか意見を纏めなければならない。


 これは、評定所一座の強い願いだった。


それから一刻(二時間)以上も紛糾した話し合いは、最後に寺社奉行が折れる形で、町奉行と加役に華を持たせてくれたのだ。


 結局、最初に町奉行と加役で出した「御預け後の遠島」という極めて軽い「御仕置き伺い」を持って、再び田沼様の用部屋を訪うことになった。

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