25 櫛を祀る神社


 心配になって思わず鷹晴の長身を見上げた朱鷺は、思いがけず近い顔の距離に、まだ自分が鷹晴の腕の中にいることに気づく。


「す、すみません……っ!」


 あわてて身を離し、鷹晴の後ろへ控えた朱鷺の耳に、村長が詫びる声が届いた。


「いえ、兼益が失礼なことを申し上げたのでしょう。誠に申し訳ございません。一人息子ゆえ、どうも甘やかして育ててしまったようでして……。息子には重々言って聞かせますので、何とぞ貫之様には……」


「ああ、もちろん、話すつもりはない」


 穏やかな鷹晴の声に、村長が安心したように大きく息を吐く。


「ありがとうございます。そう言っていただけると助かります」


 村長が一礼したところで、立ち上がった奈江が待ち構えていたように口を挟んだ。


「鷹晴様っ! お助けいただき、誠にありがとうございますっ!」


 奈江のつぶらな目は、感極まったように潤んでいる。だが、鷹晴の声はあくまで冷淡だった。


「別におぬしを助けるつもりだったわけではない。朱鷺を助けるためだ。むしろ、お前のせいで朱鷺が巻き込まれたのだろう? 礼を言うより先に、朱鷺に詫びるべきではないか?」


 鷹晴の言葉に、奈江が刺すような視線を朱鷺に向ける。朱鷺はあわてて説明した。


「ち、違うんですっ! 私が勝手に割って入ったせいなので、決して奈江さんのせいでは……っ!」


「そうなんです。そんなことより、あたし、鷹晴様にお伝えしたいことがあって……」


 奈江がずいっと鷹晴に身を乗り出す。


「旅の僧侶は見つけられませんでしたけど、近くに神社があるのを思い出したんです! くしを祀っている神社で、八品やしな神社っていうんですけれど! 奥方様のお心をお慰めするのに、そこにお詣りするのはどうでしょうかっ⁉」


「櫛の……っ⁉」


 思わず声を上げた朱鷺を鷹晴が振り返る。三人の視線が集中し、朱鷺は身を縮めて詫びた。


「す、すみません。櫛を祀っている神社なんて、初めて聞いたものですから……」


 なぜだろう。神社のことを奈江が口にしてからというもの、ばくばくと鼓動が速くなっている。


 鷹晴もまた、わずかに眉根を寄せて口を開いた。


「確かに、俺も聞いたのは初めてだな。櫛を祀っている神社は、京にもないのではないか?」


 鷹晴の言葉に、村長が自慢げに大きく頷く。


「わたしも遠い国の神社まで広く知っているわけではございませんが、わたしが知る限り、櫛の神社は八品神社だけでございます。何百年もの昔に建てられた神社でございまして……。つげの木で作られる和泉櫛いずみぐしは、この辺りの名産品なのです」


 村長が意気揚々と教えてくれた話によると、まだ奈良に京が置かれていた頃に、帝の御殿の柱に不思議な八品の虫食いが現れ、博士が占ったところ、『これは櫛を作る道具であり、絵図にしたためて御殿の破風にかければ、三日の間に不思議なことが起こるため、絵図が向かったところを八品明神と崇めたまえ』という結果になったのだという。


 博士の言葉どおりに破風に絵図をかけておいたところ、不思議な鳥が絵図をくわえて飛び立ち、いま神社が立っている辺りに落としたそうだ。


 落とされた場所に光が差し、人々が集まって絵図を見たところ、絵図には櫛の作り方がくわしく書かれており、この地で櫛作りが始まったのだという。


 くだんの絵図は、祭神である天櫛玉命あめのくしたまのみことの像とともに、八品神社に奉納されているとのことだ。


「それゆえ、この辺りは古くから櫛作りが盛んでして、造御櫛手ぞうみくしでとして、宮中の内蔵寮くらのりょうにも櫛を献上しているのでございます。村の中だけでなく、神社のそばにも櫛職人が多く住んでおるのですよ」


「なるほど、職人達に深く信心されている神社というわけか」


「さようでございます。本日もあいにくの天気ですが、貫之様の名代としてお詣りされるのでしたらご案内させましょう。和泉櫛は、梳けば梳くほど髪が美しくなると言われておりまして、宮中だけに限らず、京にも多くの櫛をお納めしているのです。美しい髪は女人の憧れでございますゆえ、京からも奉納品をお納めくださる御方がいらっしゃるほどなのですよ。きっと、奥方様やお付きの方々も喜ばれましょう」


「あのっ! あたしご案内いたしますっ! 村長様、よろしいですよねっ⁉」


 鷹晴が答えるより早く、勢いよく申し出たのは奈江だ。だが、鷹晴はきっぱりとかぶりを振った。


「いや、昨日も手間を取らせたのに、今日も雨の中を案内させては申し訳ない。道さえ教えてもらえれば大丈夫だ」


「ですが、もし迷ったりしたら大変です! あたしのことでしたら、お気になさらないでくださいっ!」


 鷹晴のすげない返事にめげる様子もなく、奈江が熱心に言い募る。


 その様子は先ほど兼益に怒鳴られて青い顔をしていた者と同じとはとても思えない。


 鷹晴が奈江を同行させたくないのは、もしまた怨霊に襲われたらと危惧しているせいだろう。 


「奈江さん、ありがとうございます。ですが、鷹晴様がおっしゃるとおり大丈夫です。供でしたら、わたしが務めますので」


 朱鷺からも奈江に断りを入れると、きっ! と憎々しげに睨まれた。


 奈江の刺すような視線の鋭さに驚く。


 男童の朱鷺に制されたのがそれほど癇に障ったのだろうか。だが、これ以上、誰も巻き込みたくないという鷹晴の思いを無にしたくない。


 朱鷺の言葉に鷹晴もきつく眉を寄せるが、あえて無視する。


 ここで鷹晴と誰が供を務めるかやりあい始めたら、収拾がつかなくなる。


 鷹晴もそれがわかっているのか、口に出しては何も言わない。


「村長様、どう行けばいいのかだけ教えていただけますか?」


 朱鷺が尋ねると、村長が道を教えてくれた。


 神社は家々が集まっているここからは、少し離れたところに立っているらしい。


「橋を渡り、街道沿いに進んでいけばすぐにわかります。街道からさほど離れていないところに建っておりますし、こじんまりとした神社とはいえ、周りに背の高い木が繁っておりますから、雨でも迷うことはないでしょう」


「わかりました。ありがとうございます」


 村長に丁寧に礼を言い、去って行く背を見送る。奈江はまだまだ鷹晴に食い下がりたそうだったが、村長にいさめられ、しぶしぶといった様子で後についていった。


 去り際に睨みつけられた険しい視線に、つきんと心が痛む。


 先ほどは、何も考えずにとっさに兼益との間に割って入ったが、奈江からすれば余計なお世話だったのかもしれない。


 どうやら、ひどく機嫌を損ねてしまったらしいと、哀しく思いながら村長のあとについて下がる奈江の背を見ていると、奈江達がいなくなったところで、鷹晴に硬い声で名を呼ばれた。


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