第9話 ユリウスの行動と、公爵の静かなる手


毒茶葉の冤罪事件は、シルヴィアの「冷徹な令嬢」という評判をさらに強固なものにした一方で、真実の目を持つ者たちに、深い疑念を抱かせることとなった。


茶会を終えた後、第二王子ユリウスは自室に戻るなり、公務に関する書類を整理していた書記官を下がらせた。そして、執務室の窓から、王宮の庭園を見下ろす。


(リーゼ嬢は、なぜあの場で、あそこまで完璧な自虐と庇護の演技を施したのか。そして、なぜシルヴィア嬢は、一切の反論をしなかったのか)


ユリウスが抱く疑念は、二つの矛盾に集約されていた。


一つは、「シルヴィア・フォン・レオンハルト」という人物が、茶葉の品質チェックでミスを犯すなど、絶対にあり得ないということ。彼女の完璧主義は、もはや義務ではなく、彼女自身の呼吸のようなものであった。


もう一つは、自称聖女リーゼの周辺にいる侍女たちの、異常なまでの沈黙である。


(リーゼ嬢が、本当に茶葉についてシルヴィア嬢に相談したのなら、必ず侍女が同席している。そして、その侍女は、リーゼ嬢が非難された瞬間に、主を擁護する証言をするはずだ。だが、彼女たちは目を合わせることもせず、ただ震えているだけだった……)


ユリウスは、自分の直感が、王太子ルドヴィクが寵愛する自称聖女の背後に、極度の恐怖と不正が隠されていることを示唆しているのを感じていた。彼は、静かに、「極秘裏にリーゼ嬢の侍女たちと接触する」という、極めて危険な調査の計画を立て始めた。


一方、シルヴィアの父であるカール公爵の動きは、水面下で、しかし確実に行われていた。


カール公爵は、王妃イゾルデ派の基盤である貿易経済ルートを揺るがすための最初の静かな一撃を放っていた。


「私の娘を、王宮の茶会で辱めたか。その程度の卑劣な行為で、レオンハルト公爵家が築き上げてきた王国の威信が傷つくと思うな」


公爵は、王宮内の自分の私室で、腹心の執事に対し、冷徹な指示を与えていた。


「王妃イゾルデが頼る東方貿易における、主要な船団の保険料を一斉に引き上げろ。そして、レオンハルト家の影響下にある全ての主要銀行に対し、イゾルデ派の商会への融資枠を静かに、しかし確実に圧縮させよ」


これは、国庫を揺るがすことなく、王妃イゾルデの経済的な足場だけをピンポイントで崩壊させる、王をも凌ぐ資質を持つ公爵ならではの、静かで恐ろしい財政戦争の始まりであった。


(愚かなルドヴィク。自称聖女。そして浅はかな王妃。お前たちが、私の娘に与えた屈辱は、国が崩壊するほどの代償をもって償われることになる)


カール公爵は、自分の娘が公爵令嬢としての誇りを胸に、王宮で理不尽に耐え忍んでいることを知っていた。その娘を守るため、公爵は、「国を救うための最善」という、王としての倫理すらも一瞬脇に置き、「娘のための復讐」という、一人の父親としての純粋な怒りを、静かに燃え上がらせていた。

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