第1話
重力異常が発生したらしい。今日起きたらそんなニュースが世界を駆け巡っていた。
スマホを触って調べると、SNSも掲示板も何もかもが反応し、世界は驚きに包まれている実感がわいてくる。さっきからピコピコなっているのは上司からのメールだろう。ちらっと見てみるともう数十件もたまっていた……まずいな。
「ライフ、部屋をあったかくしてくれない?」
「分かりました。服もお渡ししましょうか?」
「ありがと」
ロボットアームと全自動掃除機が組み合わさったようなライフがモーター音を鳴らしながらやってきた。
もうライフとの生活も二年になる。初めは人型じゃないのかとかっがりしたもんだが、こうやって生活しているとそれなりに愛着もわいてきた。こうやってブランケットを持ってくるしな。
よっし、それじゃ体をッ。
……寒いさむい。エアコンをつけてくれたといってもまだまだ温まるのは遅そうだ。ライフにコーヒーを入れるように指示を出し、俺は食パンをトースターに入れる。
「なあライフ、重力異常の最新情報を教えてくれ」
「分かりました――重力異常は冥王星近郊で発生し、現在のところ死傷者などは報告されていないそうです。しかしながら現状不明点が多く、これからの動向は未知数です」
「そうか」
彼はコーヒーと自分のバッテリーを持ってきた。一応充電ステーションは置いてあるのだが、自分も食事がしたいらしい。
「ライフはどう思う? 俺的には宇宙人の犯行だと思うんだよな。冥王星付近だっけ? そこで重力異常が起こるなんてありえないしなぁ」
「そうでかね? 宇宙人である確率は極限まで低いと思いますよ。ドレイクの方程式にわかっている点だけを入力してもほぼゼロに近い。これは太陽系全体を旅した人類がわかったことです」
だよなあ。火星にいるかもなんて話もあったけどなく。土星の衛星のイオ。エウロパ。ガニメデ――あったのは水だけ。
チンと音を鳴らして焼かれたトースターを口に運ぶ。
ちょうどよくライフが入れてくれた水を飲み、これまたちょうどよく持ってきてくれた服に袖を通した。
部屋の電気をかちりと消し、太陽が差し込む部屋にライフをまた一人残して部屋をでる。俺を見送ってライフは言った。
「今日は帰れそうにないですね」
「そうか?」
「私の回路上ではあなたはとてもいい運命にある。少し遅れてしまいましたが、世界の波の先端に行けそうですよ。頑張って、
俺は彼に手を振って扉を閉めた。後ろからガチャリと扉が閉まる。
マンションの二十五階から見る景色はとても美しい。まあ最上階は二百か三百かあるらしいが、ここでも十分中心のビル群は見えてくる。
ぴょこぴょこと頭を出すようにそびえたつ町。
隙間を縫うようにモノレールが走り、中心の駅には真空チューブ列車のレールが横断するように直線状に通っている。階下に見える道路には自動運転車とライフのような補佐機械と人々が動いていた。
街並みに見入っている間、スマホのバイブレーションがポケットを揺らす。やばいやばい。これ絶対怒られるやつだよ。
カツカツと音を鳴らしながら階段を下った。
ふっ~。あまり運動をしない体にこれはキッツイ。駐輪場からお気に入りの自転車を取り漕ぎ出した。
さっさと休めと足は言ってくるが、いま止まったらもう動けなくなる。上司からのメールをまた確認したくなったが、運転中のHUD使用は禁止だ。俺が子供んときはよかったんだが……やっぱり事故がな。はあ、参った参った。これじゃ調べられないよ。
シャーっと坂を下っていくと、俺の職場が見えてきた。
バカでかい天文台が山全体を覆っているせいで縮尺がバグってくる。けれども職場には千人以上の人間が日夜空を見上げてはニヤニヤしている――ニヤニヤは言い過ぎだったな。にちゃあくらいにしとこうか。
ガチャリと音を鳴らしながらダイナミック駐車を済ませ、首からかけたカードキーを改札に通す。
少しくすんだ壁紙にはもう慣れてしまった。初めは汚いと思ったんだが。
そんな俺は上司のもとに向かおうと足を前に出した瞬間――「待ってたぞ」
顔を上げると、にちゃりと獲物を捕らえたような上司が待っていた。
窮鼠猫を嚙むなんてことはまるでなく、俺はただ上司の後ろについていくだけだった。
彼は研究者に似合わずフィールドワーク派だ。
背中は大きく、筋肉が凹っと盛り上がっている。もちろんインプラントでやっているわけではなく自然な筋肉だそう。
きっちりと整えられた襟髪がその性格を端的に表していた。
上司に連れられて入った部屋には一人の女性が待っていた。いや、俺よりも若い。
俺は彼女から反対側のパイプ椅子に座った。
「それじゃあ、何度もメールを送ったあげく遅れてきた浅木研究員がやっと、やっと来てくれたので会議を始める」
背丈の小さい彼女はちらっと俺を見ると、すぐにホワイトボードに顔を戻した。
「今回の会議は単純明白。冥王星近傍で起きた重力異常について調査し、これらの現象を解明することだ。不本意ながら俺が隊長として選ばれ、部下を選ぶ権利を獲得した」
……「なぜ私が選ばれたのですか?」
彼女は透き通った声で聞く。
「安芸 しのめ研究員はこの研究所で一番の頭脳を持っている。もちろん嫌ならやめてもらえばいいのだが、行きたいだろ?」
彼女は小さな顔をうつむけ、少しだけ色の抜けた長髪で顔を隠した。
あ、そういやいたなこんな奴。
稀代の天才。世界を推進させる者。神の申し子。一体どれだけ異名があるのか知らないが、俺が知っている中でも百個はある。基本的にメディア露出を嫌うから忘れていたが、しのめはそこにいた。
ん? じゃあ俺はなんで……
「それとお前は雑用係だ。しのめ研究員の邪魔をしないようくれぐれも気を付けろよ」
「え、それはその。そのままの意味ですか?」
「そのままの意味だ。ただの雑用ならお前以上に気の回るやつもいるんだが、なぜだかお前とはよくかち合うからな。知っている人間の方がこの中ではいいってもんだ」
悲しい。悲しいぞ。だが重力異常には興味が尽きそうにない、今日の朝ライフが言ってくれたのはこのことだったのか。
「分かりました! 俺、雑用係として頑張るんで、よろしくお願いします」
しのめに向かって手を伸ばす。
「しのめ……あ、いや安芸さん」
「そのしのめって呼び方で呼ばないでくれる? ゴミみたいな人間が呼び合う私の名前なんて聞きたくないのよ。私はアイドルじゃないの」
ガタンとパイプ椅子を鳴らし彼女は部屋から出ていった。カタカタとなるパイプ椅子が俺を責め立ててくる。確かに俺も悪いんだが、ちょっとくらいいいじゃないか――子供みたいな言い訳が頭から出てくるが、そこに向かってガツンと鉄拳が入れられた。
「浅木、お前もうちょっと配慮しろ。知ってんだろ彼女は自分がどう見られているのか気にしてるって」
「すみません」
「はあぁ。今から自己紹介してもらうつもりだったんだが、お前だけでもこの書類に目を通しといてくれ。しのめ研究員には俺が渡す」
上司は彼女を追いかけに行ってしまった。部屋にはまっさらなホワイトボードと傾いたパイプ椅子。そして俺の手元に書類が残された。表紙には――『冥王星近傍の重力異常と発生した球型物体に関する初回研究』と書かれていた。
立ち上がったままの体を適当におろしてページをめくる。さっきまでの沈黙は嘘のように吹き飛び、着実に積みあがっていく興奮が覆い隠していった。まだまだ未定の部分は多いし俺は単なる雑用係。だけどもここに入れることを誇りに思う。
最後まで一気に読み終えた俺は、そのまま椅子にもたれかかるしかなかった。
これから起こるであろう世界。見るであろう光景がまじまじと視界をよぎっては消え、近づいては遠ざかる。
最後にはこう書かれていた。
――『本計画ではこれら諸現象の出自について調べてもらう。私的には宇宙人であることを願うばかりだね』
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