第2話 クソスキル相談所《つぎはぎ亭》、準備中

 朝の灯街は、夜と同じくらい騒がしい。


 露店の準備をする店主の声、パンを焼く香り、どこからか聞こえる鍋の音。その全部を少し外した路地裏、つぎはぎ小路の突き当たりだけは、別の世界みたいに静かだった。


「……ほこり、すごいです」


 ユノがほうきを振り回しながら、天井近くまで積まれた棚を見上げていた。


 元食堂の名残りで、壁には油じみ。床には砂。カウンターの裏からは、正体不明の壺と、使い物にならない鍋がいくつか発掘された。


「ここ、本当に人が来るんでしょうか」

「来なきゃ困るが、現実はだいたい困る方に転ぶものだ」


 俺は簡易の机代わりにした木箱の上で、一本だけまともそうなペンをいじりながら答えた。


 机の上には、ギルドからもらってきた登録用紙が広がっている。


 業種欄。活動内容欄。代表者名欄。



「レオンさん、書きもの得意ですよね」

「読む方が得意だな。書くのは、読む地獄を見てきた分、マシなものを書けるってだけだ」

「よく分からないですけど、頼もしいです」


 ユノはそう言い、またほうきを振った。黒髪がふわっと揺れて、細い肩に埃が落ちる。


「ほこりまみれだな」

「クソスキル相談所ですから、見た目だけでとピカピカにしないと落ち着かないです」

「言い方がひどいがその通りだ」


 思わず笑いそうになって、やめた。ギルドの登録用紙には、簡単な事業計画の欄がある。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 クソスキルF評価のスキル所有者を対象に、スキル活用の相談・実地検証を行う。

 スキル仕様の確認・利用規約の読み合わせを行い、生存率の向上と案件成功率の増加を目指す。

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎




 そう丁寧に書いてギルドに持っていくと、窓口の職員には首を傾げられた。


「Fラン限定、ですか」

「そうだ。スキル評価F。冒険者としても生活スキルとしても役に立たないって鑑定された連中だけを相手にする」

「……物好きですね」

「物好き相手の仕事の方が、穴が多くて稼ぎになる」


 そう答えると、職員は半分納得したような顔で、半分面白がりながら書類を受理してくれた。



 クソスキル活用相談所つぎはぎ亭



 名前を書いた瞬間、受付の隣の席からくすっと笑い声が聞こえたのは気のせいではない。



♢ ♢ ♢



「看板、目立ちますかね」


 ユノが、入口の上にかけた板を見上げる。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 クソスキル活用相談所

《つぎはぎ亭》

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 書いたばかりの文字は、まだ新しい。だが板自体は古いので、風が吹くたびにぎしぎし鳴る。


「目立ちたくて仕方ない勇者様と違って、こっちは目立ちすぎると嫌な人種が多いからな。これくらいでいい」

「そういうものなんですか」

「鑑定所でFをもらうと、人前で紙を広げるのも嫌になる。自分のスキルを口にするのも嫌になる。そういう連中だ」


 だからこそ、ここみたいに誰もわざわざ入り込んでこない路地の突き当たりがちょうどいい。


 ユノは看板を見上げたまま、腕を組んだ。


「でも、誰も通らないと、誰も来ないのでは」

「そこは、俺たちの足で補う」


 俺は机代わりの木箱から別の板を取り出した。


「それ何ですか」

「宣伝用。ギルドの掲示板に出す」


 板の表に、簡単な文を書き始める。


⭐︎ ⭐︎

 クソスキルF評価の方へ。

 スキルの使い道、一緒に探します。

 料金は成果と相談。

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「分かりやすいです」

「“クソスキル改造します”とか書くと、色々な意味で怒られるからな。俺のスキルは改造しなきゃダメなくらい酷いのか、という感じだ」

「でも、クソスキルって、自分たちで呼んでるのに」

「自分で言うのと、人から言われるのは違う。世界はだいたいそういう面倒な仕様だ」


 ユノがくすっと笑う。


「レオンさんのそういうところ、好きですよ」

「俺の面倒なところを好きになるのは、たぶん損だ」

「損でも、好きなものは好きです」


 さらっと言われて、ペン先が一瞬止まった。


 俺はその手の直球の賞賛には慣れていない。勇者パーティにいた頃は、称賛も非難も、全部勇者の方に飛んでいったのだから。咳払いをして気持ちを落ち着かせる。


「……とりあえず、掃除を終わらせよう」

「はい」


 ユノはほうきを持ち直し、床の隅にたまった埃を集め始めた。その動きはぎこちないが、真剣だ。


 剣の手入れのときと同じ顔をしている。


 ユノのスキルはF評価。物語を書き換えるだけの、戦闘には役に立たない力。


 鑑定書の紙には、そう書かれている。


 だが紙に書かれた評価と、目の前の丁寧さは、あまり関係ない。


 俺のスキルが見せてくるのは、いつも“決まりごと”の方ばかりだ。人そのものを見る癖が、少しずつ薄れていく。


 だからこそ、こうして誰かが目の前で動いてくれるのは助かる。


「レオンさん」

「なんだ」

「わたしのスキル評価、Fでしたけど」

「知ってる」

「レオンさんのスキル評価も、Fですか」

「……戦闘適性と人気適性なら、確実にFだろうな」

「人気適性なんて項目、ありましたっけ」

「俺の脳内にだけある」

「じゃあ、わたしたち、ダブルFですね」


 ユノが楽しそうに言う。


「最弱コンビです」

「最弱コンビが世界を直す物語って、まだあまり出てないだろ」

「その物語の終わりは、ちゃんとハッピーにします」


 ユノは胸を張った。


 バッドエンドが嫌いだと言った少女は、自分の物語だけはまだ途中だという顔をしていた。


 その顔を見ると、俺も少しくらい、未来を見てみようという気になる。


 仕様と条文ばかり見てきた目にも、たまには違うものを映させてやらないとな。


 掃除と看板準備を一通り終えた頃には、日もだいぶ高くなっていた。


「ギルドに行くか」

「掲示板ですね」

「ついでに、雑用クエストを一つ二つ受けて、今日の食糧も確保だ」

「経営、大変そうです」

「開店初日はだいたい赤字になる。これは世界共通仕様だ」

「世界の仕様、あんまり好きじゃないです」

「だから直すんだろ」


 つぎはぎ小路を出て、灯街の通りを抜け、ギルドへ向かう。


 ギルドの建物は、王都の中心通りから少し外れた場所にある。石造りの大きな建物で、出入りする冒険者の数だけ、怒鳴り声と笑い声が混ざっている。


 掲示板の前では、人だかりができていた。


 魔物討伐。護衛依頼。荷物運び。調査依頼。文字が並んだ紙が、びっしりと貼られている。


「うわあ」


 ユノが小さく声を上げた。


「Fランクお断りって、書いてあります」


 掲示板の隅の方、いくつかの紙に小さな追記がある。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 Fランクの冒険者は参加不可。

 一定以上の攻撃スキル必須。

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「事故を減らすための条件だから、ある意味正しい。だが、Fにとっては地獄の札だ」


 俺は持ってきた板を掲示板の端にかける。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 クソスキルF評価の方へ。

 スキルの使い道、一緒に探します。

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


「たぶん、しばらく誰にも読まれない」

「そんなことを、さらっと言わないでください」

「読まれなくても、ここにあるという事実が大事だ。紙や板に書いて壁に貼る。それが約束の第一歩になる」


 俺のスキルがよく反応するのは、そういう“約束の痕跡”ばかりだ。


 ギルドの受付で、簡単な雑用クエストを受ける。灯街の老人宅への配達や、記録棚の整理。勇者に付き添っていた頃にはまず回ってこなかったような仕事だ。


 ユノは、受付嬢にもぺこぺこと頭を下げていた。


「クソスキル活用相談所の方ですね。噂は聞きました」


 受付嬢が、少しだけ興味ありげな目で言った。


「もう噂になってるんですか」


 ユノが驚く。俺は肩をすくめた。


「“クソスキル”って単語は、どこに貼ってもすぐ広まる。人間はそういう言葉に弱い」

「よくない弱さですね」

「よくないけど、利用もできる弱さだ」


 受付嬢が、少しだけ身を乗り出した。


「……本当に、Fランクでも相談に行っていいんですか」

「もちろん」

「じゃあ、弟をあとで行かせます」


 受付嬢は苦笑いした。


「スキル鑑定でF判定をもらってから、ずっと落ち込んでて。最近は、ギルドにもまともに顔を出さないんです」

「分かりました。場所は灯街のつぎはぎ小路の突き当たりです」

「ありがとうございました」


 受け取った雑用依頼を片手に、ギルドを出る。


 灯街に戻るまでの間、ユノは受付嬢の弟の顔を想像していたらしい。


「どんなスキルなんでしょう」

「さあな。ただ、最初から全部を救えるとは思うなよ」

「……はい」

「鑑定でF判定を出されるということは、そのスキルで死にかけたか、誰かが本当に酷い目にあったか、あるいは単純に役に立たなかったかだ。そのどれかだ」

「どれも、嫌ですね」

「だからこそ、相談所が必要なんだろ」


 灯街に戻り、雑用を片付け、簡単な昼食を取る。


 陽が傾き始めても、《つぎはぎ亭》の扉は一度も開かなかった。


「誰も、来ませんね」


 ユノがカウンターの椅子に座り、ほおづえをつく。


「そう簡単に来られる場所でもない」


 俺は、古い帳面に今日の収支を書き込んでいた。


 収入。雑用クエスト報酬。

 支出。食費。掃除道具。看板用の板代。


 見事に赤字。


「世界の仕様、やっぱり好きじゃないです」

「初日黒字になる物語の方が、珍しい」


 ユノは足をぶらぶらさせながら、入口の方をちらちら見ている。


「来てほしいような、来てほしくないような」

「来てほしくないのか」

「だって、来る人はみんな、何か困ってる人ですよね。クソスキルで」


 ユノは、自分の胸元を押さえた。


「自分がF判定をもらった時のこと、思い出すので」


 鑑定所の冷たい照明。白い机。書類と印章。

 あの空気は、俺も嫌いだ。


「でも、来てくれないと、一生そのままだ」

「それも、嫌です」

「だから、来てほしいし、来てほしくない。世界はだいたいそういう矛盾でできてる」

「また面倒な仕様ですね」

「仕様の穴を見つけるのが、俺のスキルだからな」


 ユノが少しだけ笑った。

 その時、入口の扉がきしりと音を立てた。


 ユノの背筋がびくっと伸びる。俺も顔を上げる。


 扉が、ゆっくりと開いた。


「ここ……クソスキル活用相談所で、合ってるかい」


 入ってきたのは、灯街で見かけたことのある中年男だった。八百屋の店主だ。エプロンのまま、帽子もかぶらずに立っている。


 顔は青ざめて、手には一枚の紙を握りしめていた。


「いらっしゃいませ」


 ユノが慌てて椅子から飛び降り、カウンターの前に立つ。声が少し裏返っている。


「どうぞ、おかけください」

「あ、ああ」


 男は椅子に腰を下ろし、紙を机の上に置いた。くしゃくしゃになっているが、ギリギリ文字が読める。


 簡易預言札。


 教会や占い屋が、日替わりで出している安価な予言だ。

 天気や商売の調子、運勢。外れても誰も本気で怒らないくらいの、軽い言葉が書かれているはずの札。


 だが、男の札に書かれている文字は、軽くなかった。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 今日、灯街で火が出る。

 お前の店かもしれない。

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 ユノが小さく息を呑んだ。


「さっき、教会の前でこれを引いてな……冗談だと思って笑い飛ばそうとしたんだが、どうしても笑えなくて」


 男の手が震えていた。


「俺のスキル、知ってるだろ。灯街の連中はみんな知ってる」


 八百屋の店主は、自嘲気味に笑った。


「《よく転ぶ》ってクソスキルだ。鑑定所でFをもらった。荷車を押してても、店の前を歩いてても、人よりよく転ぶ。それだけだ」

「それだけって、結構危ないと思うんですが」


 ユノが思わず口を挟む。男は肩をすくめた。


「今までは、笑い話で済んでた。俺が転ぶたびに、周りの連中が手を貸してくれてよ。灯街はそういう街だ」


 男は札を指で叩いた。


「でも、これを見たら、急に怖くなった。火事が出る。お前の店かもしれない。俺は転ぶ。荷物は多い。野菜は乾いてる。……嫌な予感しかしない」


 俺の頭の中に、赤い注釈が浮かぶ。


 ――簡易預言札。

 ――的中率は低いがゼロではない。

――内容の書き換えは対象ユノのスキルで可能。

 ――ただし、改稿による現実事象の変化は限定的。

 ――火事発生そのものを完全に消すことは困難。


 ユノも札を見つめていた。


 文字の最後の一行に、視線が吸い寄せられている。


 お前の店かもしれない。


 バッドエンドの匂いが、紙切れ一枚から立ちのぼっていた。


「だから、ここに来た」


 男は顔を上げた。


「クソスキルの使い道を探すって看板を見て、半分は賭けだった。半分は、何でもいいから何かしたかった」


 震える指先が、札を押さえる。


「どうにか、ならねえか」


 ユノが、俺を見た。


 黒い瞳の奥には、恐怖と、決意と、混ざったものが揺れている。


 本の中だけじゃなくて、現実のバッドエンドも変えたいと、言ったばかりの少女だ。


「……やってみよう」


 俺は札を手に取った。紙は薄いのに、やけに重く感じた。


「簡易預言は、軽い物語だ。だったら、終わりを少しだけ曲げる余地がある」


 ユノの前に札を置く。


「ユノ。物語の書き換え、やってみるか」

「火事を、なくせますか」

「完全には無理だろうな」


 俺は正直に答えた。


「世界が持ってるバッドエンドの種を、全部燃えないように書き換えてしまうのは、改稿の範囲を超えている」

「じゃあ」

「火事が出る場所を変えるとか、規模を小さくするとか。誰も死なない形にするとか。そういう方向なら、きっとできる」


 ユノは、札の文字をじっと見つめた。



 今日、灯街で火が出る。

 お前の店かもしれない。



 ペンを握る手が、少し震えている。


「……バッドエンドは、嫌いです」


 ユノが、静かに言った。


「でも、現実は、全部ハッピーにできないってことも分かってます」


 黒髪が揺れる。


「だからせめて、誰も死なない物語にします」


 彼女は、ペンを札に近づけた。


 俺は、その様子を見ながら、頭の中で別の紙の束をめくっていた。


 火事の原因になりそうなもの。灯街の構造。八百屋の店の位置。男のスキル《よく転ぶ》の詳細。


 仕様の穴を探す目が、じわじわと研ぎ澄まされていく。


 英雄譚の外れに追いやられたクソスキル持ちと、その相談に乗ることにした元契約読み。


 最初の依頼は、紙切れ一枚に書かれた、安っぽくて、笑えない予言だ。


 火の気の多い灯街で、その予言をどこまで曲げられるか。


 ――世界の仕様とバッドエンドに、俺たちがどう抗うか。


 第1話が店を作る話だとしたら、第2話は、世界との最初の交渉だ。


 ペン先が、札の上でインクをにじませた。


 ユノの書く一行が、預言の“終わり”を少しだけ変えていく。

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