クソスキルFラン娘の真の実力を引き出せるのは俺だけ 〜勇者パーティ追放されたけど、俺と最弱の女の子たちは勇者パーティより世界を救ってます〜

@pepolon

第1話 勇者の物語から降ろされた俺と、バッドエンドを書き換えるFラン娘

 勇者の紋章が、木の机の上で乾いた音を立てた。


 あれは、ほんの数時間前のことだ。


「討伐完了。砦奪還も完了。それと……周辺三つの村が、巻き添えで半壊だ」


 ギルドの貸し個室。窓の外は夕焼けで赤い。俺は机の上に広げた報告書と、王命の写しを見比べながら淡々と告げた。


「契約条項のここ。“周辺被害は最小限とすること”。思い切り違反だな」


 紙に視線を落としたまま言うと、向かいの勇者アインが椅子の背にもたれ、あからさまに顔をしかめた。


「でも砦は落とした。魔王軍も蹴散らした。結果オーライだろ」

「王命には、守るべきものも書いてある。砦と王都だけじゃない。村も、畑も、人も」


 俺は写しの文字列を指で叩いた。頭の中では、赤い線と小さな注釈が、勝手に条文の周りを走り回っている。


 ――補償対象。――予算上限。――超過分、勇者特別枠から支払い。


「ちなみに、村の補償は“勇者特別枠”からってなってる。王家の予算だって無限じゃない」

「……またそれかよ」


 魔法使いゼクスが、長いマントをバサッと払ってため息をつく。


「俺の大魔法がドカンと決まった直後に、それを言うのやめない? 三ヘクタールどうこうとか、せっかくの“伝説の一撃”が台無しなんだけど」


「三ヘクタールじゃ足りない。実際は五ヘクタールだ。そこを誤魔化すと、次の補償がさらに地獄になる」

「数字の話なんか、配下の文官にやらせればいいでしょ」


 聖女リリアナが、白いローブの裾を整えながら口を挟む。


「救われる人がいるなら、多少の犠牲は仕方ないって、何度も話してきたじゃない。レオン、あなた優しすぎて、かえって勇者様の物語が鈍っているのよ」


 重騎士ガルドは腕を組んだまま、短く言った。


「俺たちの役目は、勇者と王都を守ることだ。村まで全部守りたいなら、それは別の誰かの仕事だろう」


 ……ああ、そうだな。誰かの仕事だ。だから俺は、その“誰か”をやろうとしていたんだが。


 アインが椅子から身を乗り出し、机に両肘をついた。赤毛が夕日に燃える。


「なあ、レオン」

「なんだ」

「俺たちは英雄譚をやってる。分かるよな」


 アインの口元だけが笑っていた。


「お前の“その無駄なおせっかい”が、毎回毎回うるさいんだよ。村がどうとか、条文がどうとか。“あとで請求が来ますよ”も。そういうのは、裏方が勝手にやってりゃいい」

「裏方をやるのが俺の役割だったはずだ」

「そうじゃねえ」


 アインは、俺の方を指さした。


「お前は、勇者様の物語を鈍らせる。危ない橋を渡る場面で、“ここは危険です”って、いちいち看板を立てる。そのせいで、俺たちの物語の足が止まる」


 ゼクスが笑った。


「そうそう。“この一撃は周辺被害が出ます”とか言われたら、撃ちづらいんだよな」


 リリアナも苦笑いを浮かべる。


「いいことをして、綺麗に終わる物語なんて、そう多くはないわ。あなたはそこを、知らなさすぎる」


 俺は紙から視線を外し、アインを見た。


「……それで?」

「だから、お前はここで降りろ」


 アインは、あっさりと言った。


「勇者の物語から、降りろ。レオン」


 室内の空気が一瞬だけ静止した気がした。


 俺はしばらく何も言えなかった。


 何度も何度も見た、王命の文字列が頭の中でちらつく。条文。但し書き。小さな抜け穴と、大きな抜け穴。俺のスキルは、そればかり見せてきた。


 英雄譚の、見栄えのいいページには、俺の居場所はなかったらしい。


「……了解した」


 声は思った以上に静かだった。


「じゃあ、あんたらの物語の後始末は、俺が別の場所でやる」


 胸元から、勇者の紋章を外す。金属の裏に、熱が少し残っていた。


 それを机の上に置くと、カチンと小さな音がした。


 アインたちは何も言わなかった。俺もそれ以上何も言わず、部屋を出た。


 扉が閉まる刹那、リリアナのため息だけが耳に残った。


 英雄譚のページが、一枚破り捨てられた音がしたような気がした。



♢ ♢ ♢



 ――そして今、俺は王都ルーメンの下町、灯街を歩いている。


 オレンジ色の灯りが、頭上のランタンから揺れている。屋台から漂う肉と香辛料の匂い。露店の呼び込み。路地の隙間から漏れる、安酒場の笑い声。


 勇者パーティのマントは捨てた。代わりに、普通の旅人用のコートを羽織っている。肩が軽い。代わりに、心のどこかが妙に重い。


 ――俺のスキル、《仕様の穴読み》。


 契約書。法律。スキル鑑定書。人間達の取り決め。そういう“決まりごと”を見たときにだけ、頭の中に赤い線と小さな注釈が浮かぶ。


 この条文はここに抜け道がある。この条件はここで悪用できる。この決まり方は、誰かが損をするようにできている。


 俺には、そういうのばかりが見えていた。


 魔物の爪も、剣の軌跡も、魔法陣の構造も、アインたちみたいに鮮やかには見えないくせに。


「英雄譚には向いてないスキルってことか」


 自嘲気味に呟きながら、灯街の通りを歩く。


 石畳を雨が少し濡らしている。頭上のランタンがそれを照らして、歪んだ光の模様をつくっていた。


 ふと、木製の看板が目に入った。


 くたびれた板に、かろうじて読める文字が彫ってある。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 古本と書物 フクロウ堂

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



「……本屋か」


 英雄譚は、もうしばらく見たくない。そう思ったはずなのに、足がそっちを向いていた。多分、何か文字を見たかったんだろう。意味の書き連ねられた紙の束。俺のスキルが、一番落ち着ける場所。


 扉を開けると、乾いた木と紙の匂いが鼻をくすぐった。


 中は狭いが、天井近くまで本棚が積まれている。旅人向けの地図や指南書、子ども向けの物語、英雄譚、宗教書……カテゴリごとに、手書きの札がぶら下がっていた。


 英雄譚の棚から、意識的に目をそらす。


「いらっしゃい」


 カウンターの奥から、丸眼鏡の店主が顔を出した。俺が軽く会釈を返したその時、小さなすすり泣きが耳に届いた。


 店の奥、子ども向け物語の棚の方だ。


 俺はなんとなくそちらに足を向けた。


 本棚の影。低い机が一つ置かれ、小さな椅子が二脚。その片方に、小さな男の子が座っていた。膝の上には一冊の本。ページを開いたまま、目の端に涙を溜めている。


 彼の隣には、黒髪ロングの少女が膝立ちで座っていた。


 年は……十五、くらいだろうか。腰まで届く黒髪をリボンでまとめていて、簡素だがしっかりした布の上着と、動きやすそうなズボン。腰には、細身の剣が一本ささっていた。


 ただの本屋の奥にしては、剣が浮いている。でも本人はそのことに構う様子もなく、子どもの顔を覗き込んでいた。


「そんなに悲しいお話だった?」


 少女が、やさしい声で尋ねる。


 男の子は、本をぎゅっと抱きしめたまま、鼻をすすった。


「だって……最後、薬が間に合わないんだ。お兄ちゃん、こんなに頑張って旅して、やっと薬を手に入れたのに、家に帰ったら、お母さん死んでるんだ」


 少女は本のタイトルをちらっと見た。


『灯街の少年と夜の薬屋』


 俺も知っている有名な童話だ。努力と喪失。涙を誘う定番の一冊。


「途中までは楽しいのに。ここだけ、やだ」


 男の子が、最後のページを指さす。文字が、滲んだ涙で波打っていた。


 少女は少しだけ黙った。


 黒い髪の先を、指先でくるくるといじりながら、ページを見つめる。


 俺の位置からでも、彼女の喉が小さく上下するのが分かった。何度も何度も、ここを読んできたんだろうという目だった。


「……そうだね」


 少女はゆっくりと息を吐いた。


「悲しい終わり方だね。でも」


 視線を男の子から本へ戻す。


「物語の中くらい、助けたっていいと思わない?」

「え?」


 男の子が顔を上げる。少女は胸元のポーチから細いペンを一本取り出した。


「ここ、本の持ち主はフクロウ堂だから、本当は良くないんだけどね。内緒の、ちょっとしたおまじない」


 そう言って、ラストの数行に視線を落とした。


 俺の頭の中に、赤い線が走る。


 ――対象:物語として記述された事件。

 ――操作可能範囲:結末部の記述。

 ――制限:幸福度の増加方向のみ。過剰改変不可。


 注釈が勝手に浮かび上がっては消える。


 少女は、迷いのない様子で、最後の一文を書き換えた。


 元の文章は、たしかこうだったはずだ。


『少年の薬は間に合わず、母は静かに目を閉じた』


 少女が書き足した後の文は、少しだけ違っていた。


『少年は間に合わないと思った。その瞬間、隣町から来た薬師が偶然通りかかり、最後の手助けをしてくれた』


 インクが紙に染み込んだ瞬間、俺の目には、一瞬だけ文字の輪郭がふわりと揺れたように見えた。


 印刷されていた文字が、書き換えた文字にすり替わる。そんな、妙な感覚。


 男の子が、涙目のままページを覗き込む。


「……あれ」

「どう?」


 少女が笑う。男の子は、目をぱちぱちさせながら読み進めた。


「助かってる……。お母さん、生きてる」

「あの子が、頑張ったからね」


 少女は本の挿絵を指さす。夜道を駆ける少年の絵だ。


「ちゃんと、誰かが見ててくれたってこと」


 男の子の顔が、少しずつほころぶ。


「ほんとだ……よかった……」


 その時、店の外で鈴の音がした。


「お、珍しいな。今日は薬の行商が来てるぞ」


 店主の声が、カウンターの向こうから聞こえる。


 ガラガラと荷車の音。窓の外を、ガラス瓶をたくさん積んだ荷台が通り過ぎていく。荷車を引いている男が、店の中にちらりと目を向ける。腰にぶら下がった薬袋が揺れた。


 偶然、と言えばそれまでだ。けれど、さっき文字を変えたばかりの本と、その外の光景が、妙に重なって見えた。


 俺の頭の中で、また赤い注釈が浮かぶ。


 ――現実事象とのリンク。

 ――影響範囲:小規模。

 ――遠隔予言書にも応用可能、の可能性あり。


 男の子は本をぎゅっと抱きしめて立ち上がった。


「お姉ちゃん、ありがとう!」

「ううん。本の中だけの話だから」


 少女はそう言って、軽く手を振った。


 男の子は、会計を済ませて本屋を飛び出していく。店主が苦笑しながら、少年の背中を目で追った。


 少女は、残された椅子に腰を下ろし、本をそっと撫でた。黒髪が肩の辺りでふわりと揺れる。


 俺は、気づけば足を動かしていた。


「今の」


 声をかけると、少女の肩がぴくっと跳ねた。


「今の、“おまじない”は、あんたのスキルだよな」


 少女が振り向く。大きな黒い瞳が、驚きで丸くなった。


「……見て、たんですか」

「見ていた。文字が変わるところも、その後の行商も」

「ただの偶然です」


 少女は視線をそらす。膝の上で、本の角をきゅっと掴んだ。指先が少しだけ白くなる。


 俺は机の端に手を置いた。


「スキル鑑定所の紙、持ってるだろ」


 少女の指先が止まった。


「どうして」

「スキルで悩みを持つ子は、大体そういう顔をしてる」


 俺は自分の胸を指さした。


「少し前まで、勇者パーティで契約を読んでた人間の勘だ」


 少女はしばらく黙っていたが、やがて観念したように、上着の内ポケットから折りたたまれた紙を出した。


 丁寧に開かれた紙には、きれいな文字が並んでいる。



⭐︎ ⭐︎ ⭐︎


 スキル名 物語改稿


 補足 結末のみ改稿。幸福度を下げる方向への改稿不可。


 戦闘適正 F

 生活適正 F

 総合評価 F


 備考 物語の娯楽的価値は上がるが、冒険職との相性は極めて低い。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎



 最後の一文だけ、やけに雑な字で書かれていた。


「クソみたいなスキルです、って言われました」


 少女が、小さな声で言った。


「剣士志望で、ずっと鍛えてきたのに。やっと発現したスキルがこれで。鑑定所のおじさんに、笑われました。“本の終わり変えてどうするの。冒険者は無理だね”って」


 黒髪の毛先を、指先でいじる。視線は紙の上を泳いでいた。


「……だから、せめて本屋で、子どもが悲しそうにしてたら、ちょっとだけ変えてあげるくらいしか……」


 そこまで言って、少女は慌てて付け足した。


「本当は、良くないんですけど。ごめんなさい」


 謝る相手が誰かも分からないまま、とりあえず謝る癖がついているんだろう。声が少し震えていた。


 俺は紙を覗き込むふりをしながら、頭の中に浮かぶ赤い注釈を読む。


 ――対象:物語形式で記述された事象。

 ――含む:童話、英雄譚、歴史書、預言書。

 ――制限:バッドエンドから中庸〜ハッピーエンドへの改稿のみ。

 ――現実への影響:弱いが存在。特に預言書への改稿は要注意。


 ……クソ、ね。


 俺は鼻で笑った。


「クソなのは、鑑定所のセンスだな」

「え」


「本の終わりってのは、物語の顔だ。人はそこで泣いたり笑ったりして、“こういう終わり方が好きだ”“こういう終わり方は嫌だ”って、自分の中のものさしを作る」


 俺は指で紙の“物語改稿”の文字を軽く叩いた。


「預言書も、英雄譚も、歴史書も、全部“物語”だ。人を動かすための枠組み。あんたのスキルは、その枠組みの終わりを少しだけいじる権利だ」


「権利、なんて……」


 少女は小さく首を振った。


「私はただ、悲しい物語ばっかり読むのが嫌で。子どもの頃から、最後のページを勝手に書き換えてました。誰にも見せずに、ノートの端とかに……だから、たぶんこのスキルになっちゃったんだと思います」


 黒髪の間から、横顔が少し見える。まつげが震えていた。


「だって、どうしても納得できなかったんです。頑張った人が、意味もなく死ぬの。何も悪いことしてないのに、巻き込まれて終わるの。物語の中くらい、誰も死ななくてもいいじゃないですか」


 その言葉に、少しだけ胸が刺さった。


 砦と村と畑。数字と条文でしか見てこなかった被害の一つ一つに、名前があったことを思い出させるような言い方だった。


「じゃあ、そのスキルは間違いなく物語改稿だ」


 俺は、できるだけ穏やかな声で言った。


「ただし、クソスキルじゃない」

「でも、戦闘にも役に立たないし……剣の腕だって、Fランクのままで……」

「そこは、まあ、クソだな」

「やっぱりクソなんじゃないですか!」


 少女が食い気味にツッコんできた。泣きそうな目のまま、少しだけ怒っている。可愛い。


「名前は?」

「……ユノ・ページ。灯街の端っこに住んでます。十五歳。剣士志望です」

「ページってのは、偶然か?」

「本名です」


 ユノはむっとした表情になった。頬がほんのり赤い。


「笑わないでください。物語のページをめくるたびに前に進めって意味があるって、お父さんが言ってました」

「いい名前だ」


 俺は素直にそう言った。


「レオン・クレイス。前まで勇者パーティの契約読み。今は無職だ」

「……勇者パーティ?」

「ちょっと前までな。俺のスキルは“ここが危ない”“ここで破綻する”っていう看板を立てるばかりだったから、物語から降ろされた」


 ユノの目がまた丸くなった。


「そんな理由で、ですか」

「勇者の物語ってのは、多少危ない橋を渡って、盛り上がって、どかんと勝って終わるのが基本形だ。そこに“ここは危険です”“ここで請求が来ます”って札を立てて回ったら、そりゃ嫌われる」

「……それ、間違ってませんよね」

「間違ってないが、物語的には邪魔なんだとさ」


 俺は肩をすくめた。


「だから、英雄譚の端っこから蹴り落とされた俺と、バッドエンドを書き換えるのが好きなFランスキル持ちのあんた。相性は悪くないと思う」

「相性? 」

「クソスキルを集めて、その仕様を読み直して、本来の使い道をつぎはぎしていく店。そういうのをやりたいと思っていたところだ」


 ユノがきょとんとする。


「……具体的にはどんな店ですか」

「鑑定所でFだのクソだの言われた連中だけを相手にする、クソスキル専用の相談所」


 自分で言っておきながら、少し笑えてきた。


「クソスキルの、クソスキルによる、クソスキルのための相談所だ。名前は――そうだな」


 頭の中で、いくつかの案が浮かんでは消えた。


 世界修正事務所。仕様穴埋め工房。クソスキル改善室。


 どれも、ちっとも可愛くない。


「クソスキル活用相談所つぎはぎ亭


 口をついて出た言葉に、自分で少し苦笑いする。


「色々足りない連中のスキルを、つぎはぎして使い道を作る店ってことで」

「ひどい名前です」


 ユノが吹き出した。


「でも……ちょっと、好きです」


 黒髪の毛先を指先でいじりながら、視線を落とす。


「そんな相談所に来る人、いるんですか」

「少なくとも一人、ここにいる」


 俺は鑑定書をユノの胸元に戻してやった。


「剣士志望、ユノ・ページ。クソスキルF評価」

「言い方」

「本人がそう言ったんだろ」

「……言いましたけど」

「剣士見習い兼、クソスキル活用相談所つぎはぎ亭の見習い。やってみる気は?」


 ユノはしばらく黙っていた。


 店の外では、薬の行商の声が遠くなっていく。フクロウ堂の中は、紙の匂いとインクの匂いだけが静かに満ちていた。


「……もし」


 ユノが、小さな声で言った。


「もし、私のFスキルで、誰かひとりでも、バッドエンドから抜け出せるなら。物語の中だけじゃなくて、現実でも」


 黒い瞳が、まっすぐこちらを見る。


「その、剣士見習い兼、見習い店員、やってみたいです」


 俺は、少しだけ笑った。


「決まりだな」


 フクロウ堂を出ると、灯街の夜が始まりかけていた。ランタンに火が灯され、露店の呼び込みが一段と賑やかになる。


「相談所は、どこに作るんですか」

「まだ決めてない。ただ、あてはある」



♢ ♢ ♢



 灯街の中でも、少し奥まった細い路地。つぎはぎ小路と呼ばれている路地がある。築年数の分からない家々が寄りかかるように並んでいて、その突き当たりに、看板の落ちた元食堂が一軒、ぽつんと残っていた。


 扉は壊れかけているが、屋根はまだ持っている。二階建て。表の窓には、古いメニュー表が色あせて貼られたままだ。


「ここ」

「……ボロボロです」

「勇者の物語から蹴り出された連中が集まるには、ちょうどいいだろ」


 俺は地面に落ちていた木の板を拾い上げた。裏を払うと、まだ使えそうだった。


「字はきれいですか」


 ユノが、横に立って覗き込んでくる。黒髪が肩越しに垂れた。近い。


「契約書を読みながら、余白に注意書きを書く仕事だったからな。一応、読める程度には」

「じゃあ、任せます」


 俺は板の表面に、ゆっくりと文字を書いた。


⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 クソスキル活用相談所

《つぎはぎ亭》

⭐︎⭐︎ ⭐︎


 書き終えて板を掲げると、ユノがじっとそれを見つめた。


「本当に、これでやるんですね」

「やる。勇者の物語から降ろされた俺の物語は、こっから始める」


 板を、扉の上の釘に引っ掛ける。ギシギシと心許ない音がしたが、なんとか持った。


 灯街の夜風が、看板を揺らした。


 英雄譚の真ん中から追い出された俺と、バッドエンドをハッピーエンドに変えたがるFラン娘。


 クソスキルだらけの世界の、別の物語が、ひっそりと開店準備を始めていた。

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