第四章
第29話 無機質になった理由
蒼侍のいちばん古い記憶は、白い天井だった。
まぶしくない。だけど、どこまでも白。
天井の角に取りつけられた蛍光灯が、じんわりと目を刺激する。
目を開けているのか、閉じているのか――その感覚さえ曖昧だった。
気づいたとき、頭には包帯が巻かれていて、額を締めつける鈍い痛みがじわじわと広がっていた。
右腕には透明な管が刺さっていて、冷たい点滴の滴る音が静かな部屋にやさしく落ちていた。
身体は重く、痛む場所はひとつではなかった。それがどこなのか、どうしてなのか、幼い蒼侍には分からない。ただ、全身が痛いという事実だけがぼんやりと塊になって胸に沈んでいた。
やがて、扉の向こうから足音がした。
白衣の看護師と一緒に、年配の男女がゆっくりと入ってくる。
見覚えのない顔。
けれど、どこか泣きそうな、懐かしさに似た表情でこちらを見つめていた。
「蒼侍……」
年配の男女は、震える声で名前を呼んだ。
まるで、何度も何度も心の中で呼んできた声のように、優しくにじんで聞こえた。
年配の男が続ける。
「……わしらが、お前のじいちゃんとばあちゃんだ。迎えに来たよ」
幼い蒼侍には、その言葉の意味がすべては理解できなかった。
ただ、自分の周りの空気が急に変わったような、胸が縮むような感覚だけを覚えている。
看護師がそっと告げた。
「……ご両親は、事故で——」
その先の言葉は、幼い耳には聞こえているのに、その意味は霧の向こうに消えていった。
白い天井。
身体の痛み。
初めて出会う祖父母と名乗る人たちの顔。
それらが、蒼侍の記憶の始まりとして、今も胸の奥に薄く貼りついている。
辛いリハビリ生活を終え、人並みの生活ができるほどに回復するまで、一年かかった。
小学校はとっくに卒業し、中学校は祖父母の家がある宮崎で進学することになった。
蒼侍は他人と大きく違っていた。
周りには幼少期の記憶があるのに、自分にだけない。子どもの頃好きだったものも、過ごした場所も、両親の顔すらも思い出せない。
空白。全てが真っ白。
その空白を埋めるように蒼侍は他人を観察することにした。小さな癖、息遣い、歩き方、話し方、声の高さ、低さ、それらを模倣して、自分の心を埋めようとした。
だが、それは紛い物に過ぎない。
どこまでも無機質な自分を嫌った。無駄なものを全部取り除けば、自分の核となるものが剥き出しさえすれば、人間らしさを取り戻せると本気で考えた。
使い古される服も、伸び続ける髪も、お金がかかるだけの食事も最低限のものにとどめた。
その結果が今の黒無蒼侍だ。
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