5日目・森林④
***
奴を屠ってから、すでに数分が経過した。
負けるはずがない。負けてはならないのだ。私は、【悪魔様】の期待に応え、その瞳に私の価値を刻みつけなければならないのだから。
その時、閉ざされた結界の外から、パチパチと乾いた熱が爆ぜる音が響き始めた。
――何事だ?
龍王坂健はまだ生きていたのか?
まさか、心中覚悟で森に火を放ったのか。
だとしたら、一刻も早くこの結界を解いて脱出しなければ……!
いや、違う。
これは罠だ。狡猾な奴が仕掛けた、私を結界から引きずり出すための誘い出しに決まっている。
だから、大丈夫。
私は守られている。この鋼の繭は無敵だ。
自分にそう言い聞かせても、脳裏をよぎるのは奴が【進化】を遂げた可能性。
どうする? どう動くのが正解だ――。
「ハア、ハア、ハアッ……」
不意に、呼吸が荒くなる。
心臓の鼓動が耳元でうるさいほどに鳴り響く。
【悪魔様】の前で失態を演じるわけにはいかない。無様な敗北など、万死に値する。
待機。
今は静観を選択すべきだ。私はまだ、何一つ失っていないのだから。
「ハア、ハア……ッ」
汗が止まらない。極度の緊張と閉塞感が生むストレスのせいか、それとも外気の影響か。
言いようのない焦燥が全身を駆け巡る。
龍王坂健は死んでいる。死んでいるはずだ。
「ハアッ、ハア……」
脳裏に、冷徹な眼差しを向ける【悪魔様】の幻影が浮かぶ。
違う、私は負けていない。負けていない、負けていない……!
「ハア、ハア、ハア――」
突如として、肺が燃えるような苦しさに襲われた。
喉を掻きむしりたくなるほどの閉塞感。そして、逃げ場のない異常な熱気。
一体、何が起きている――?
「まさ、か……」
――酸欠。
最悪の推論が頭をよぎる。だとすれば、今すぐ結界を解放し、大気を取り込まなければ死ぬ。
だが、外には奴が待ち構えているかもしれない。
開けるべきか、死守すべきか。生存の本能と、敗北への恐怖が火花を散らす。
「くそがぁぁぁぁッ!!」
酸欠の苦しみに耐えかね、私は結界を力任せに解放した。
「……やはり、出てきましたね」
鋼の壁が崩れ落ちた先。そこには、煤に汚れながらも冷徹な瞳をした龍王坂健が立っていた。
「なん……だと……?」
外の光景に、私は言葉を失い絶句する。
龍王坂は、私の【髪】の結界に向けて、延々と【火炎放射】を浴びせ続けていたのだ。
「……一応、解説しておきましょうか」
龍王坂は淡々と語り始めた。
その口調は、もはや手の内をすべて明かしても勝敗は揺るがないという、私に対する最大級の侮辱に満ちていた。
「ステンレス鋼で構築された密閉結界。それは逃げ場のない『窯』と同じです。さらにこの森林は風通しが悪く、重い二酸化炭素が滞留しやすい」
奴は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「俺の火炎は、周囲の酸素を燃料として燃焼する。結界を外側から焼き続けることで、周囲の酸素を食いつぶし、上昇気流によって結界内への酸素供給を物理的に遮断した。さらにステンレスの伝導熱が内部をじわじわと炙り立てたはずだ。熱かったでしょう?」
龍王坂の冷徹な分析は止まらない。
「準備が整ったところで、仕上げだ。爆ぜる音で火災の恐怖を煽り、わざと攻撃を受けて腕を刺させることで、あなたに必勝の確信と同時に強烈なプレッシャーを与えた。ストレスによる過呼吸。それが結界内の限られた酸素を決定的に枯渇させた。あなたは悩めば悩むほど、自らの手で死の淵へと追い込まれる。……読み通りでしたよ」
奴の唇が、憎たらしいほど静かな弧を描く。
すべては、こいつの手のひらの上で転がされていたというのか。
だが、まだだ。私はまだ、終わっていない。
「……勘違いするな! 確かに不覚を取った。酸欠という事象すらも【概念上書き】と同時に戦術に組み込むお前の異常さは認めてやる。だが、私はまだ動ける! お前の炎のせいで、周囲は近づくことすら不可能な灼熱地獄だ! お前こそ、私に触れることさえできないんだよ!!」
「そこから先が、俺の第二の能力です」
龍王坂が、感情の消えた声で低く呟いた。
「【蒼炎】」
その言葉と同時に、奴はこちらの常識を嘲笑うような速度で、炎の渦中へと突進してきた。
「なぜ、熱くないの!? 死ぬ気なの!?」
「【蒼炎】による熱ダメージの無効化は、自身の炎だけに留まらない。あらゆる外部からの熱の概念から、俺を切り離す――」
刹那、龍王坂の掌が、私の肩に優しく、そして絶望的な重みを持って触れた。
「【譲渡】」
その瞬間、私の視界は一切の音を失い、美しいまでの蒼い焔に包み込まれた。
「なん……で……?」
「中途半端な冷静さと、歪んだ執着。それがあなたの敗因だ。……こんな結末、中学生でも習う物理現象の延長線上でしかない」
龍王坂は、蒼い火柱の中で絶望に染まる私を冷たく見下ろし、告げた。
「さて。いくつか、聞かせてもらいたいことがある」
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