Side:文々悠里

5日目〜6日目・庭園

***


 あの少女が事切れてから半日。僕は一度も眠ることなく、迷宮の最深部へと足を踏み入れた。


 道中、敵との接触は皆無だった。

 ​――なぜだ?

「ふぁ……。まあ、どうでもいいか」

 少なく見積もっても、このゲームが終了するまでには、まだ二日半の猶予がある。

 この【蝗】の本体を仕留めるだけなら、数分もあれば事足りる。

 一方で、例の『ヤバいヤツ』とやり合うことになれば、それこそ数秒――最善を尽くして相打ちに持ち込めるかどうか、といったところだろう。

 何せ、僕は相手の真の【能力】すら、未だに掴めていないのだから。

 要するに、時間は有り余っているということだ。

 ならば、結論は一つ。

「寝るか」

 敵の軍勢が押し寄せようが、『ヤバいヤツ』が背後に迫ろうが、殺される時は殺される。その時はその時だ。

 今はただ、至高の睡眠を享受することにしよう。

***

「うーん……よく寝た……」

 少々、時間を贅沢に使いすぎたかもしれない。体感では丸一日ほど眠りこけていた。

 「三年寝太郎」は僕の尊敬する偉人の一人だが、僕の最高記録は一ヶ月だ。彼に並ぶには、まだまだ精進が足りない。

「さて、殺しに行きますか」

 目覚めが爽快だと、必然的に機嫌も良くなる。コンディションは最高だ。


 気分が乗っていたので、【髪】に頼らず自らの足で歩いてみた。だが、久しぶりの歩行は数分で足に痛みをもたらした。結局、僕は再び【髪】を足代わりにして、空を滑るように進み始めた。

「ここかぁ……」

 数時間ほど進むと、地面がねっとりと湿り気を帯びてきた。

 その先に広がっていたのは、これまでの空洞とは比較にならないほど巨大な闇の空間だった。僕は躊躇することなく、その深淵へと踏み入った。

「キュルルルルルルルール、ギィィィォィッ!」

「……耳障りですよ」

 そこに鎮座していたのは、これまでに見た個体とは一線を画す巨躯を誇る、【蝗の大群】・本体。


 だが、その威容とは裏腹に、怪物はなぜか酷く怯えているようだった。僕が一歩近づくたびに、巨体を震わせ、後退りしていく。


 ​――不思議だ。


 確かに、僕にとってこいつは「簡単に倒せる」相手ではあるが、これほど絶望的な実力差があるわけではない。

 僕の出力は、せいぜい他の参加者全員分を合わせた程度。

 対してこの【災い】の本体は、そこから一人分引いた程度のスペックだ。

 戦力比としては、もっと均衡するはずなのだが……。


​「まあ、別に困ることじゃないし。いいか」

 最近、思考がこの結論に行き着くことが多い気がするが、些細な問題だ。


 ​僕は【髪】を蠢かせ、その内部から数本の「石のナイフ」を吐き出した。あの少女の牽引があまりに雑で眠れなかったとき、暇つぶしに削り出した力作だ。

 それを【髪】の剛力をもって投擲する。


​「キイイイイイイイイイイ!」

 狙い違わず、石刃が怪物の肉に深く突き刺さる。

 【蝗の大群】・本体が苦悶に身をよじらせる。


 ​――だが。

「それは、ただのブラフですよ」

 背後から、鋼鉄の硬度に変質させた【髪】を、鞭のように、あるいは大鎌のように振り下ろす。巨躯は一瞬で両断された。

「くぁ、あ、あ、あ、あ……っ」

「これは内臓。これは……腸ですか。核はどこにあるんですかね……」


 ​解剖するように、淡々と肉を裂いていく。自慢の髪が汚れるのは本意ではないが、背に腹は代えられない。


​「ん、これですか」

 本体の深奥から、虹色の光彩を放つ巨大な球体を取り出した、その時。

「よお」

 洞窟の入り口から、場違いなほど軽い声が響いた。

 そこに立っていたのは、ポニーテールの女。

「お前、私と協力しないかい?」

「……このタイミングで来ますか。『ヤバいヤツ』――ムダミラさん」

 思わず溜息が出た。あんなに警戒して時間を置いたのに、これでは意味がない。

「嫌ですよ。身の回りのお世話を全部してくれるって言うなら、考えてあげないこともないですが」

「そうか。なら、交渉決裂だな」

 女の瞳から温度が消え、空間の密度が歪んだ。

 仕方ない、三年寝太郎の記録を超えるまでは、まだ死ねないし。

 戦うしか、ないかぁ……。

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