第19話
駅ビルの改札を抜けると、午前の光がガラス越しに差し込んでいた。
ばあちゃんの秘書になっていた、りんねぇと再会した翌日。
俺たちは浜松駅前で合流し、そこから並んで歩き出した。
先頭を歩くのは、濃紺のビジネススーツをきっちり着こなしたりんねぇ。
そのすぐ横に俺。
少し後ろを、小さく並んでついてくるトーコとシズちゃん。
今日のトーコは、白のブラウスに淡いベージュのフレアスカート。
足元はシンプルなパンプスで、いつものラフな格好よりもずっと“きちんと”して見える。
シズちゃんは、黒のタイトスカートにグレージュのブラウス、細いリボンタイ。
黒髪ロングと相まって、落ち着いたお嬢様風の雰囲気だ。
「今日はね、桜さんがオーナーのオフィスビルを案内するわ」
りんねぇは歩きながら、淡々と説明を続ける。
「8階と9階で、パーソナルボイストレーニングとパーソナルジム。
10階と11階で、タレント事務所を経営している会社が入っているの。
社長は遠藤みやびさん。桜さんが『浜松の女性起業家支援』で発掘した社長ね」
「桜おばあちゃんが発掘したっていうだけですごそう」
トーコが小声でつぶやく。
「ボイトレとタレント事務所って、私たちとも相性良さそうです……」
シズちゃんも目を輝かせていた。
俺たちが到着したのは、駅から徒歩数分の場所にそびえるガラス張りの中規模オフィスビルだった。
「ここが、桜さんがオーナーのビルね」
洗練されたエントランスはホテルみたいに明るい。
りんねぇは受付に一声かけると、俺たちに小さなカードキーを三枚配った。
「これはゲスト用のカードキー。10階と11階は、このカードがないとゲートもエレベーターも動かない仕様よ」
自動ゲートの前で、順番にカードをかざす。
ピッ、と控えめな音がして、ガラスのゲートが音もなく開いた。
専用エレベーターホールは、さっきまでの雑踏から切り離されたように静かだ。
乗り込んだエレベーターで10階のボタンを押すと、すぐに上昇が始まった。
◆
「わぁ……」
10階に着いて扉が開いた瞬間、トーコの小さな感嘆が漏れた。
目の前に広がるのは、おしゃれな受付スペース。
壁には、柔らかい間接照明に照らされたロゴ。
『EchoLights』
シンプルで洗練されたロゴが、ここが魅せる仕事をしている場所だと教えてくる。
「こっちよ」
りんねぇに案内されて、俺たちは奥の会議室へ通された。
長方形の大きな会議テーブル、革張りのチェア、壁には大画面のモニター。
大きなガラス窓の向こうには、駅前の街並みが一望できる。
場違いと思える環境にトーコもシズちゃんも、緊張しているようだ。
「社長を呼んでくるわね。飲み物は何がいい?」
「じゃ、温かいお茶を」
「わ、私も同じものでお願いします」
「俺もそれで」
りんねぇは会議室から出て、社長を呼びに向かった。
窓の外は、少し高いところから見下ろす浜松駅前。
車が小さく見えて、人の流れが線のように動いている。
「……すごいとこですね」
「うん。なんか、ドラマみたいな世界ですね……」
二人とそんなことを話していると、ドアがノックされる音がした。
りんねぇの後ろには、ジャケットをスマートに着こなし、落ち着いたメイクに柔らかな笑みを浮かべた女性が現れた。
「待たせちゃったわね」
彼女はすっと入ってきて、立ったまま軽く会釈をする。
「ここで社長をしている、遠藤みやびよ。はじめまして」
「あっ、はじめまして。藤原晴人です」
「東湖麻美です」
「篠原 雫です。はじめまして」
三人で揃って立ち上がり、頭を下げる。
みやび社長は俺たちを一人ずつ、優しく観察するように見てから、ふっと口元を緩めた。
「桜さんから話は聞いているわ。あなたが“お孫さん”の晴人くんね。
そしてそちらの二人が――Vtuberのトーコちゃんとシズちゃん」
「は、はい……」
「お世話になります……」
「そんなに緊張しないで。今日は30分くらいしか時間ないけど、その間はゆっくり話しましょう。飲み物も来るから、リラックスしてね」
◆
ホットティーが運ばれてきたあと、会議室のモニターに、EchoLightsの会社紹介動画が流れ始めた。
映像には、ステージでMCを務めるフリーアナウンサー、ピアノの前で演奏する女性、モデルとしてランウェイを歩く姿、そしてボイトレスタジオで歌う生徒たちのシーン。
「EchoLightsは、タレント事業とパーソナルトレーニング事業が二本柱の起業よ」
みやび社長が、画面を見つめながら説明してくれる。
「タレント事業では、フリーアナウンサー、モデル、ピアノやバイオリンのソロ奏者が所属してる。浜松はテレビの仕事は少ないけど、その分、地域のイベントや結婚式、企業の式典なんかの司会や演奏の仕事が多いの。タレント事業の売上の8割が、そういう“地域密着”の案件ね」
モニターには、子ども向けイベントのステージで笑顔を見せる女性タレントや、商業施設のキャンペーンでマイクを持つアナウンサーの姿が映る。
「パーソナルトレーニングは、歌や楽器の個別レッスンと、体型維持・ダイエット向けのジム。ボイストレーニングの先生も、ジムのトレーナーも人気で、予約枠はすぐ埋まっちゃうのよ」
「すごい……」
シズちゃんが小さく呟く。
「所属アナウンサーが講師になった企業研修も結構評判がいいのよ」
映像が一段落したところで、りんねぇは俺たちの方に向き直った。
「Vtuber事務所の話なんだけど――桜さんの資金援助でハルちゃんが会社を作って、EchoLightsとパートナー契約を結ぶ形がいいと思ってるの。スタジオやトレーニング設備は既にあるし、お互いにとってメリットが大きいはずよ」
みやび社長は俺を見て話す
「EchoLights側としても、人気Vtuberがパートナーにいると今までと違った企業からの新しい依頼が増えると考えているの。東京の会社からの仕事の相談とか、歌やナレーションの仕事も来やすくなるから、Win-Winね」
社長はトーコとシズちゃんを見て続ける。
「トーコちゃんとシズちゃんの配信、見せてもらったけど――二人とも、歌がすごく上手。うちの生徒さんたちにも、ファンがいるかもね。」
「え、えへへ……」
「恐れ多いです……」
トーコとシズちゃんは、同時に照れて下を向いた。
「次に会うときまでに――」
みやび社長は軽く腕を組み、俺に視線を向ける。
「Vtuber事務所のブランド名を考えておいて。名前は、けっこう大事よ」
ブランド名――。
「わかりました。みんなで話し合って決めてきます」
「ロゴデザインは、私が絶対可愛くします!」
トーコが張り切って手を挙げる。
「何か、質問はある?」
そう聞かれて、俺は前から気になっていたことを口にした。
「社長は……ここまで会社を大きくして、利益が“2億円”になるまで、どれくらいかかりましたか?」
「利益2億かぁ。そうね……」
みやび社長は少し目線を上に向けて、記憶をたどるように考え込む。
「本格的に黒字が安定したのが3年目。“利益2億”っていう数字だけなら……5年目ぐらいだったかしら」
「5年……」
思わず、言葉が洩れた。
昨日、ばあちゃんに言われた“1億を3億に”という条件。
それが、どれだけ重いものなのか、あらためて実感する。
「……じゃあ、私はそろそろ次の打ち合わせに行かないと」
みやび社長は立ち上がり、俺たちに笑いかける。
「りんちゃん、11階のスタジオとオーナー室、案内しておいてくれる?」
「承知しました、みやび社長」
「晴人くん、トーコちゃん、シズちゃん。次に会うときを楽しみにしてるわ」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございます……!」
深く頭を下げる俺たちに微笑みを残して、みやび社長は会議室を後にした。
◆
みやび社長が出て行くと、会議室に静けさが戻る。
「……すごい人でしたね。先輩」
「そうだな。オーラも説得力もすごかった。」
「……かっこよかったです……」
トーコもシズちゃんも、まだ少し頬を紅くしている。
「じゃ、11階を見に行きましょうか」
りんねぇの声で、俺たちは席を立った。
エレベーターに乗り込みながら、俺はさっきの数字を頭の中で何度も
“利益2億まで5年”。
EchoLightsのような会社ですら、そのスピードだ。
1億を3億にする、利益を2億円にするということは、簡単なことではないということだ。
それでも、俺には頼もしい仲間、トーコ、シズちゃん、りんねぇがいる。
(……やるしかないよな)
11のランプが光り、扉が開く。
ここから先が、俺たちの“次のステージ”につながる場所なのかもしれない――
そんな予感を抱きながら、一歩を踏み出した。
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