第6話:美桜の違和感【10月8日】

美桜になって二週間が経った。俺は普通の女子高生として学校生活を続けていた。

「美桜ちゃん!」

昼休み、お茶を片手に購買から戻ると真帆が弁当を持って待っていた。

「今日も一緒に食べよ」

「あぁ……いや……うん」

女子同士の会話は依然としてぎこちない。

「ねえ美桜ちゃん、さっきの数学の授業のノート見せてもらっていい?」

「いいぞ……あっ、いいよ」

未だ「俺」言葉がでかけしまう。危ない危ない。


弁当箱を開けながら、ふと思い出す。体育祭後のこの時期、体育祭でスカート姿で走り回り、創作ダンスのセンターで注目を集めた反響が尾を引いており、全学年の男どもの視線の的で、評判がさらに上がっていた。

(俺としては思い出したくない記憶なのだが……)

その影響からか、ここ2日ほどで3回も告白を受けていた。やんわり断っているが、この行動が正しいのか?この頃の美桜がどうだったのかは知る由もない。

そんな美桜に対して昴だった頃の俺は焦りを覚えていた…

そして――

「寿さん!」

決意した俺(昴)は…


俺の横に昴が立ち、クラス中の視線が集まる。


美桜へのアタックを始めた…


「ちょっといいかな」

昴は緊張した面持ちでこちらを見つめている。その目には体育祭で俺に向けられた憧れの色が混じっているのがわかる。

「えっと……今?」

「できれば」

(ここで断っても意味ないか……)

「わかった。真帆ごめん、ちょっと行ってくる」弁当箱に蓋をもどしつつ真帆に謝る。

「うん!いってらっしゃい!」

真帆は笑顔で手を振る。だがその目には何か探るような光があった。

(なにか含むところがある…のかな……?)


廊下に出ると昴が待っていた。少し歩いて周りに人が少ないのを確認してから話し始める。

「あの……体育祭のダンス、凄かったよ」

「えぇ……ありがとう」

「それでさ……」昴がポケットから何かを取り出す。「これ……良かったら」

手渡されたのは小さな箱だった。開けるとそこにはシンプルなブレスレットが入っている。

「俺が選んだんだけど……どうかな?」

(んなっ……!?)

「本当は誕生日に渡したかったんだけど…なんかタイミングが無くて…」

俺は言葉を失った。俺(昴)なら絶対にこんな気の利いたプレゼントを選ばなかっただろう。いやそもそも渡していない。

(俺と昴に齟齬がある……?)


「ぁ……ありが……とう」

震える手で受け取る。顔が熱くなるのを感じる。

「よかったらこれから……もっと俺のこと知ってほしいと思ってさ」

昴は照れくさそうに笑った。その笑顔に胸が締め付けられる思いがする。

(ダメだ……このままじゃ俺までキュンとしてしまう……美桜は昴に惚れているからか……俺が美桜に引っ張られてる?)


「それだけ言いたかった。じゃあ!」

昴はそう言って去って行った。残された俺は手の中のブレスレットを見つめる。

(これ……過去の俺の行動だったか…?)

甘酸っぱい気持ちと同時に、強烈な矛盾を感じた。

美桜になって何か忘れている、とても大事なことを。それはあの夢に係る事だろうと思っている。

昴とは一緒にいてはいけないような。…何かを変えなければいけないような。最近そういう気持ちを持ち始めていた。毎日見る夢が、何故かそう思わせるのだ。


***


放課後、俺は一人で学校近くの停留所からバスに乗らず、最寄り駅まで続く商店街を歩いていた。

(大事な何かや、夢が何なのか…それを突き止めないといけない……あまり時間がない気がする…)

思案しながら歩いていると、前方からスーツ姿の男が近づいてきた。

「こんにちは」

「……こんにちは?」

「私こういう者なんだけど」

男が差し出した名刺には「東京ドラマティックエンタテインメント スカウト担当 田中誠」と書かれていた。

(またか……)

最近よく声をかけられる。原因はもちろん美桜の容姿だ。

「君、すごく綺麗だね」

「あ……ありがとうございます……」

「動画で君の踊っている姿を見たんだ、もし芸能界に興味があったら連絡してくれないかな?」

スマホで、体育祭の創作ダンスを見せてくる。

(誰だ動画サイトにアップした奴、ルール違反だろ!)

「え……遠慮します!」

慌てて逃げ出す。追いかけてくる足音が聞こえたが構わず走り続けた。


***


家に戻ると桜さんが晩御飯を作っていた。

「ただいま」

「おかえり~」

「今日……スカウトに声かけられました」

「まあ!やっぱり美桜ちゃん可愛いものね~」

桜さんは嬉しそうに笑う。俺は苦笑いするしかない。


部屋に戻って勉強机に向かう。ふと机の上に置いた、今日もらった名刺が目にとまる。

(こんなの渡されても迷惑なだけだろ……)

ゴミ箱に捨てようとしたが手が止まった。なぜか捨てるのが惜しい気がしたのだ。

(まさかな……)

胸がざわつく。俺はそっと名刺を机の引き出しにしまった。


(なんでだろう……何かが歪んでる気がするんだ……)

天井を見上げながら考える。

体育祭のリレーで美桜(俺)が活躍したこと。昴の行動。そして今日のスカウト……これらすべてが偶然ではないような気がしてならない。

(うすうす感じていたが、俺が……俺が美桜になっていることで過去が大きく変わってしまったのか?俺の記憶と異なることが多くなってる気がする…)

胸の中に不安が広がっていく。


そして翌日から昴のアプローチはさらにエスカレートしていくのだった……


(おいおい……いくらなんでも積極的すぎるだろ!)

教室で昴と目が合った瞬間、彼がニッコリ笑った。その笑顔があまりにも眩しくて思わず目を逸らしてしまう。

(くそっ……なんだその笑顔は…恥ずかしすぎて死にそうだ……)

心臓がバクバク鳴る。顔が熱くなってきた。周りの女子たちがヒソヒソ話しているのが聞こえる。

「あれ絶対好きだよね」

「寿さんモテモテ~」

(違う!違わないけど。違うんだって……!)

叫びたい衝動を堪える。


放課後になると昴が待っていた。

「今日は一緒に帰らない?」

「え…あ……うん」

断わる理由が咄嗟に思い浮かばないため了承する。俺たちは並んで駅まで歩き出した。

(なんでこんなことになってんだ……)

隣を歩く昴がちらちらこちらを見てくる。その度にドキドキしてしまう自分が情けなかった。

(落ち着け……相手は過去の俺だぞ……)

(そ、それに上背の有る昴を、見上てる今の状況は、「カテドラル効果」のような(高い天井が抽象的な思考や開放感を促す効果)に通じる、「大きな存在」「守ってくれる存在」として認識しやすいって聞いたことがあるぞ…)

必死に自分に言い聞かせるが効果はない、目が泳いでしまう。


駅までの道すがら昴は色々話しかけてきた。

「寿さんは将来何になりたいの?」

「え?」

突然の質問に戸惑う。未来の俺(昴)なら答えられていただろう。しかしこの身体の持ち主である美桜については何も知らない。

(やばい……どう答えればいいんだ……)

焦っていると昴が笑った。

「急に変なこと聞いてごめんね」

「あ……いや……大丈夫だよ」

どうにか平静を装ったが内心冷や汗ものだった。


駅に着くと別れ際になり、昴が言った。

「今度の土曜日空いてる?」

(おいおいデートの誘いか!?)

「あ……ちょっと予定あるかも」

咄嗟に嘘をついてしまう。本当は何もない。

「そっか……残念…また今度誘うよ」

昴は残念そうな顔をした後、すぐに笑顔に戻った。

「じゃあまた明日!」

「うん……バイバイ」

手を振って別れる。


(危なかった……)

停留所のベンチに座って大きく息を吐いた。バスが来るまでの間、昴の笑顔を思い出して顔が熱くなる。

(ダメだ……まるで恋してるみたいじゃないか……)

頭を抱えた。このままでは本当に取り返しのつかないことになりそうだ。


バスが到着して乗り込む。座席に座ると隣に座ったおばさんが声をかけてきた。

「あら?あなた芸能人の子?」


(また……)

最近こういうことが多い。制服姿なのに芸能人と間違われたりするのだ。

「違いますよ……」

「そうなの?でもとても美人さんだから」

(ありがとうございます……)

笑顔で会釈する。


家に帰りついた頃にはすっかり疲れていた。着替えてベッドに倒れ込むとスマホが鳴った。

(真帆からLineeか……)

メッセージを開く。

『昴くんから聞いたんだけどデートのお誘い断ったんだって?』

『なんで断ったの?』

「……」

…昴よ、お前真帆に何言ってくれとるんじゃ!お前そんなに真帆と仲良かったか?俺にはそんな記憶ないぞ…

返信に困っていると追い打ちをかけるように電話がかかってきた。

「もしもし……」

『もしもし~美桜ちゃん?』

「あ……うん」

『聞いたよ~昴くんから』

「あぁ……そのこと……」

『なんで断ったの?』

「いや……その……」

言葉に詰まる。

(未来の俺が告白した日付を早めることを避けるため……なんて言えないよな……)

『まさか嫌いになっちゃったの!?』

「そ……そんなことはないけど……」

『じゃあなによ?理由教えてよ』

「実はさ……」

正直に話すべきか迷う。だが結局俺は嘘をつくことにした。

「来週用事があるんだ」

『そうなんだ~』

電話越しの真帆の声が少し不満げだった。

『もしかして誰かと約束してる?』

「うん……まあ……」

嘘をついている罪悪感で胸が痛んだ。

『そっか……』

しばらく沈黙が続いた後、真帆が言った。

『まあいいけどさ~』

「ごめん……」

『ううん気にしないで。でも今度一緒に遊びに行こうね』

(お前…天使かよ……)

「わかった」

そこで会話が終わり電話を切った。

(疲れた……)

ベッドに横になるとそのまま眠り込んでしまった。

いつもの夢を見た。今回は今までよりもはっきり見える。倒れている”俺”が手を伸ばし泣いてるような気がした……

『美桜……』

誰かの声が聞こえたような気がして目が覚めた。


***


翌朝目覚めると妙な胸騒ぎがあった。学校に行く支度をして玄関を出ると桜さんが見送りに出てきた。

「いってらっしゃい」

「行ってきます」


バス停に向かいながら考える。

(最近変だな……)

美桜になってからというもの奇妙なことが次々と起こる。過去の筈なのに記憶が曖昧だったり、記憶と異なったりしている気がする。俺が美桜になったことによる過去改変?のようなことが起こっているのだろうか?何か世界が歪んでいる気がしないでもない。まるで誰かの意思によって動いているような……

(考えすぎか?)

停留所に着くとちょうどバスが来たところだった。今日は真帆の姿が見える、挨拶を交わすと一緒にバスに乗り込む。

今朝の車内は肩と肩が触れ合うほど混んでいた。げんなりしつつ吊り革に掴まる。窓の外を見るとそこには見慣れた景色が広がっていた。

(いつもと同じはずなのに……)

どこか違和感を覚える。空の色や建物の形が微妙に違うような気がしたのだ。

(気のせいだよな……)

自分に言い聞かせるように首を振った。その時だった。違和感が尖った。最初は混雑のぶつかり合いだと思ったが、胸元に不自然な圧を感じた瞬間、体が硬直した。顔が熱くなり、怒りと恐怖が同時に噴き上がり、口元で言葉が震える。声にならない叫びが胸の奥で渦巻いた。

「何してるの!」

真帆が振り返り、声を張った。彼女はすっと前に出て私の前に立ち、車内の空気が変わる。周囲の乗客が立ち上がり、数人で男を取り押さえる。運転手が即座に次の停留所で停車し、無線で警察へと通報する。現場は瞬時に制圧されたが、胸の内の震えは収まらない。

警察が来るまでの間、真帆は私の手を握って「大丈夫?」と何度も聞いてくれた。真帆のその一言で少しだけ顔を上げられる。とても情けない気持ちと共に、男だった時には考えられない恐怖が存在することを知った。 …今朝の胸騒ぎ…美桜もこんな目に遭ってたのか?

…それはとても腹立たしい。


***


放課後になり帰ろうとしていると昴が近づいてきた。

「今日も一緒に帰らない?」

「あ……うん」

朝のこともあり早々に帰りたかったのだが、反射的に答えてしまった自分に驚く。

二人で歩き始めると昴が言った。

「そういえば昨日言ってた用事って何だったの?」

(まずい……)

冷や汗が出る。咄嗟に嘘をついた手前どうすればいいかわからない。

「あ……それはね……」

言葉につまったところに真帆が割り込んできた。

「ちょっと昴くん!美桜ちゃん困ってるじゃない」

「え?そうだった?」

「うん…」

俺は首を縦に振る。

「そうなんだ、ごめん。配慮足りなかったよ…」

昴が残念そうな顔をする。それを見て申し訳なくなった俺は言った。

「また今度空いてるときにね」

「ほんと!?嬉しいよ」

昴が喜ぶ顔を見てホッとした。

その後三人で駅まで歩いて別れた。

(何なんだ一体……)


***


自宅に帰りついてからも謎の違和感が残っている。部屋で制服を脱いで着替える時に鏡を見るとそこには美しい少女が映っていた。

(美桜……)

何度見てもやはり信じられない。

(美桜の身体に慣れたせいか……なんか変な感じだ。俺なのか美桜なのか曖昧になり始めている…)

鏡の中の少女は悲しげな表情をしているように見えた。まるで俺に対して何か伝えたいことがあるかのような……

(気のせいか?)

深呼吸してベッドに入る。すぐに睡魔が襲ってきて眠りについた。


***


次の日になっても違和感は消えなかった。むしろ強くなっているような気がする。

学校に行ってもどこか上の空だった。授業中先生に指名されて慌てて立ち上がる。

「はい……えっと……」

言葉が出てこない。

「桐生くん?」

「はい?」


(あれ?今呼ばれたのは俺じゃ……)

そこでハッと気づく。クラスメイト達の視線が自分に集中していることに。

「えっと……その……」

言い淀んでいると隣の席の真帆が小声で言った。

「呼ばれたの昴くんだよ美桜ちゃん」

「え?」

そこでようやく理解した。今の俺は“寿美桜”なのだということを……

「すみません……ボーっとしてて」

謝るとクラス中から笑い声が上がった。

(最悪だ……)

恥ずかしさで顔から火が出そうになる。授業が終わって休み時間になった時だった。真帆が声をかけてきた。

「大丈夫?なんか変だったけど」

「うん……ちょっと疲れてるのかな…」

嘘をついたが真帆は納得していないようだった。

「本当に?」

「うん」

「そっか……昨日のこともあるものね、もし何かあったらいつでも言ってね」

「ありがとう」

感謝の言葉を口にすると同時に胸が痛んだ。

(ごめんな真帆……でも言えるわけないよな……)

自分の正体について悩んでいるなんて言えるはずもなかった。

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