第2話:不安な登校【9月24日②】
「ごちそうさま」
早々に食事を終え、洗面所で歯を磨く。鏡に映る美桜の顔が妙に他人事のように思える。
なんとなく、笑ったり怒ったりした顔で百面相をしてみる。
うん可愛い、こんな近くで様々な表情をする美桜を俺はまだ知らないのでとても新鮮だ。
しかし、この身体でこれからどう過ごせばいいんだ?
…考えても答えが出るでもない。
持ち主の美桜は何処に行ったんだろうか…
とにかく持ち主の美桜に迷惑を掛けないようにするしかないよな…
「美桜ちゃん? 本当に大丈夫? 学校、行けそう?」
母親が洗面所のドア越しに心配そうに尋ねてくる。
「……うん。行くよ」
なので、学校に行かない選択肢はないだろう。だって優等生の美桜なら学校に行くはずだし、今は俺が美桜なんだから。それに……
『「俺」は「美桜」を守らなければならない。』
ん、なんだこの思いは…
なぜか強くそう思った。それが「俺」の使命のような気がした。でも、何から守るのか? いつ? どうやって?
考えているうちに家を出る時間が迫ってきた。玄関でローファーを履く。これもまた普段履いているスニーカーとは感触が違う。足の甲が覆われていて、踵のヒールが若干高くなっている。
「行ってきます」
「はい、いってらっしゃい。気をつけてね」
母親の声に送られて外に出た。爽やかな秋の風が頬を撫でる。でも気分は全く爽やかじゃない。
通学方法は、一度だけ美桜を家の前まで送ったことがあったのが幸いして、迷うことはないが、バス停までの道のりはやけに遠く感じた。
慣れない身体のせいで歩幅も違うのか、いつもより歩きづらい。スカートの裾がひらひらと足に触れたり離れたりするのが気になる。
バスが来るまであと五分。ベンチに座りたい衝動に駆られたが、他の乗客もいる。立ちっぱなしで待つしかない。
「美桜ちゃん! おはよう!」
背後から聞き覚えのある声がした。振り返ると、
「あ……おはよう、真帆」
ぎこちなく挨拶を返すと、真帆は不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「あれ? なんか今日の美桜ちゃん、ちょっと違う? いつもよりボーっとしてるっていうか……なんか悩んでる?」
鋭い。流石美桜の親友だ。
「ううん、なんでもないよ。ちょっと寝不足なだけ」
とっさに誤魔化したが、真帆は納得していない様子だった。
「そう? 美桜ちゃんが寝不足なんて珍しいね。何か悩み事でもあるの? 私でよかったら聞くよ?」
心配してくれる真帆の優しさが身に染みる。だが真実は話せない。話しても信じてもらえないだろうし、混乱させるだけだ。
「大丈夫だよ。ありがとう」
そう言って笑ってみせた。美桜が普段どんな風に笑っていたのか思い出せない。それでも必死に表情を作る。すると真帆は少し安心したように頷いた。
バスが到着し、二人で乗り込む。車内は既に半分ほど席が埋まっていた。空いている席を見つけ並んで座る。座り方は真帆に習ってスカートのおしりを押さえて座るようにした、なんか女の子っぽい。意識して膝を付けて座るのはとてもキツイ…
「今日の体育は、マラソンだっけ? ヤダなー」
真帆が愚痴をこぼす。そうか、今日の体育はマラソンか……。それを聞いた俺の脳裏に、唐突に別の記憶がよぎった。
(確か体育でマラソンってなんかあった気がする……)
ぼんやりとした景色。校庭。辛そうな美桜。でもそれがいつのことだったのか、どうしても思い出せない。
「美桜ちゃん?」
真帆の声で我に返る。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してて」
「疲れてるんじゃない? 無理しないでね」
真帆は本当に良い子だ。彼女の前で平静を装いながらも、俺の頭の中は疑問符でいっぱいだった。
この状況は一体どうなってるんだ?
俺は本当に美桜になっているのか?
現実なのか、夢ではないのか?
そして何より……これからどうすればいいんだ?
バスの揺れに身を任せながら、窓の外の流れる景色を眺めた。見慣れたはずの街並みが、今日は全く違って見える。まるで異世界に迷い込んだような感覚だ。
(学校に着いたら……どうしよう……)
とりあえずは授業を受けて、周りに怪しまれないようにするしかない。幸い、俺も美桜も成績は上の方だから。ある程度は対応できるだろう。でも問題は交友関係だ、俺の知らない女の子付き合いもあるだろう…。
そう考えているうちにバスは学校近くの停留所に到着した。生徒たちがぞろぞろと降りていく。俺も真帆と一緒に降車する。
「美桜ちゃん、教室行こ」
真帆が俺の腕を軽く引っ張る。その自然な仕草に思わずドキッとする。女の子同士の接触に慣れていないせいだろうか。それとも相手が真帆だから?
「うん……行こう」
教室へ向かう廊下は賑やかだった。友達同士で談笑したり、朝練を終えた部活仲間が汗を拭いたりしている。その中を美桜として歩くのが妙に気まずい。
「おはよう! 美桜ちゃん!」
教室に入ると同時に明るい声が飛んできた。声の主はクラスの中心的な女子グループの一人だ。美桜はいつも彼女たちと行動しているらしい。
「おはよう」
小さく返事をすると、彼女たちは何やら意味ありげに顔を見合わせた。
「美桜ちゃん、なんか今日元気ないね?」
「もしかして宿題忘れたとか? そんなわけないか」
冗談交じりの問いかけに曖昧に微笑む。笑顔を作るだけでも一苦労だ。
真帆はそんな様子を横目に見ながら、自分の席に向かった。俺も真帆についていく。真帆の後ろの窓際の席。そこが美桜の席だったはず。
席に着くなり教科書とノートを広げる。奇麗にまとめられ、要点まで記載されたノートだった。ただただ書き写すだけの俺とはずいぶん違う。
頭の回転が違うのか。
「美桜ちゃん、数学の課題やった? 難しくなかった?」
後ろの席の女子が話しかけてきた。
「うん、まあ……やったよ」
当たり障りのない返答をする。課題の内容などさっぱり覚えていない。でもノートがあればなんとかなるだろう。最悪の場合、適当に言い繕えばいい。などと考えていると…
「寿さん、おはよう。」右から挨拶の声がかかる。
「おはよう…」と挨拶を返そうと振り向くとそこには…
俺がいた。
「俺、なにかついてる?」凍り付いた俺の表情を見て、俺じゃない俺である筈の昴が慌てている。
「…う、ううん、ごめん。なんでもない。」笑顔で返すが血の気が引いていくのが自分でもわかる。
(なんだ、どういうことだ?なんで俺がいる…)
「美桜。顔色が真っ青だよ……昴くん、美桜に何かしたの?」見咎めたらしい真帆が昴に詰め寄る。
「な、何もしてないよ。」
「大丈夫?美桜…」
俺の顔色が悪いらしく周りに人が集まりだす。
「うん、だ…大丈夫だよ…なんでも、なんでもないから。」
俺じゃない俺が狼狽えているのが見える。俺は皆に何もないと席に戻るように言って、俺も前を向いた。
俺じゃない俺の昴 (まどろっこしいな)は、俺の席、正確には、美桜の席の右隣が昴の席になる。その昴が俺をずっと見ている気配がする…
今朝起きて、俺が美桜になってて、混乱していて…俺である昴のことを考えていなかった。俺が美桜であるのなら、横にいる昴はいったい誰なんだ?まさか美桜が入っているとか?入れ替わりネタの映画状態とかか?
考えれば考えるほど、混乱してしまう…
確認してみるか?…右を向くと、俺を見ていたらしい昴がびっくりする。
「あの……桐生くんって、桐生くん?私だったりしない?」
聞いてみたら、昴は顔に『?』マークを浮かべていた…
どうにも聞き方が不味かったか?
チャイムが鳴って、担任教師が入って来た。起立、礼、着席。いつもの朝礼だ。でも俺にとっては全てが夢うつつに見える。
(このまま一日やり過ごせるだろうか……)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます