第2話 夜回り隊

 村の中心で焚火がぱちぱちと弾け、火の粉が夜空へ舞い上がっていた。

 大人たちは松明を手に取り、一本ずつ火を移していく。


「おっ!今日からマリ坊も参加かい」


 焚火の赤に照らされて、松明を握る鍛冶師の太い腕が浮かぶ。マリウスがその先を見ると、兄貴分のオラルがわざとらしく目を見開いていた。


「坊ちゃん呼びはもう止めてよ」

「なら一人前にしてやらねーとな! あっはっは」


 豪快な笑いにつられ、周囲の男たちもどっと笑う。


「オラル何言ってるんだ。彼は初参加なんだから同行するだけだろ」


 その言葉に、場の笑いが少しだけ落ち着いた。火が低く唸るように燃え、夜気の中で小さく爆ぜる音がした。


「マリウスくん、よく来たな」

「ミゲルおじさ……隊長、よろしくお願いします」

「ああ。ここではそう呼んでくれ。皆の前だしな」


 男たちがゆっくり頷き、場がひとつにまとまる。そんな空気を払うように、オラルがぼそりと言った。


「わかってらぁ。ただ、そんなナイフじゃ身も守れんだろ? 俺の短剣を一本くれてやるよ」

「わっ?!」


 突然手渡された鞘を両手で受け取ると、ずっしりとした重さに身体がよろけた。思わず息が漏れる。

(綺麗だ……)

 引き抜いた刀身は松明の明かりを眩いほど反射し、自分の顔が鮮明に映るほど磨きこまれていた。


 どこからともなく「『マリ坊のために打ってやらないと』って張り切ってたじゃないか」と野次が飛ぶ。

 オラルは鼻の下を指でこすりながら、「おいおい、それは言わない約束だったろ」と呟いた。


「オラル、ありがとう!」

「チッ、大事にしろよ」


 遠巻きに見ていた父がオラルに頭を下げ、それに応じてオラルが肩を軽く叩いて離れていく。その背をマリウスは目で追った。

(いつもああなんだよな)

 十歳のとき、革の腰袋ベルトポーチをくれたのもオラルだった。「手ぶらで山登りするのか?」と言われたことを思い出す。


 マリウスは新しい短剣の重みを確かめ、慎重に鞘へと戻した。


「さて」


 ミゲルおじさんが見計らったように手を叩いた。


「今日も二手に分かれて夜回りを行う。北から右回り組は俺、左回り組はリオニスさんについていってくれ。夕番担当は夜回りの後に夜番と交代だ」


 大人たちは「よしっ」と気合を入れ、慣れた足取りで動き出す。


「マリウス、行くぞ」


 父の声に呼ばれ、マリウスは短剣をベルトに通して後を追った。空いていた・・・・・背中側の差し口にぴたりと収まった。



 松明の光は足元と手元だけを照らし、闇の奥はなお深かった。視覚に頼れない状況では、自分が踏んだ小枝の音でさえ警戒心が跳ね上がる。

 小さい頃から言い聞かされてきた魔物への恐怖は、そう簡単に拭えるものではない。昼間とは違い、マリウスの足取りは重く、前を行く父の背が次第に遠のいていった。


「遅い!」


 普段の優しい父からは想像できない厳しい声に、マリウスは慌てて覚束ない足を前へ動かす。始まったばかりだというのに、一歩ごとに時間が引き延ばされるようだった。額を伝った汗がじわりと流れ落ちる。


(止まれ)


 父が手のひらを後方に向けた瞬間、夜回り隊の歩みは一斉に止まった。続けて出される合図の意味は分からず、マリウスはただ息を潜めて状況が動くのを待つ。

 軋むような音のあと――ドン、と鈍い衝撃が響いた。


「"GYAAAAAA!!"」


 湿った低い声が混ざる、耳をつんざく悲鳴。獣と似て非なる叫び声が夜に響き渡った。


「松明持ちは分かれて視界を広げろ! マリウスはついてこい!」


 頭が追いつかないまま、マリウスは転ばないよう必死で父を追う。やがて松明の明かりが、呻きながらのたうち回る〝それ〟を映し出した。


 弓矢が左胸に突き刺さり、赤い血が溢れている。小柄でやせ細った緑の体、大きな鼻、尖った耳。子どもの頃から聞かされてきた魔物――小鬼ゴブリンだ。


「見ていろ」


 さきほどまで地を転げ回っていた小鬼は、父を視界に捉えた途端、動きを変えた。

 口を大きく開け、涎を垂らし、痛みを忘れたように飛びかかっていく。獲物を見つけた猛獣とは似て非なる――人間だけを狙う、あの執着。

 その異様さに、マリウスの背筋が冷たくなった。


「人と魔物が相容れない理由が、これだ」


 父は小鬼の突撃を当然のように受け止め、力任せに仰向けへ倒し込む。さらに片足で体を押さえつけ、喉元へ剣を突き立てた。小鬼は一瞬だけ硬直し、そのまま糸が切れたように力を失った。


「リオニスさん、周囲に魔物の気配はありません」

「了解です、カミラさん。弓の腕がまた上がりましたね」

「ええ? ……そんな、ありがとうございます。ところで、マリウス君は大丈夫?」


 カミラの心配そうな声に、マリウスは自分の呼吸が乱れていることに気づく。


「だ、大丈夫れす」

「ならよし! マリ坊、こっち来て見てな」


 オラルが嬉しそうにマリウスを手招きした。


 絶命した小鬼の瞳はすでに光を失っていた。魔物であっても、死そのものは獣と変わらない。そう思うと、マリウスの胸に少しだけ冷静さが戻る。

 オラルが慣れた手つきで小鬼の胸を割ると、黒い血の奥に小さな紫色の石が沈んでいるのが見えた。


「ほれ、魔石だ。小鬼のは大したもんじゃねぇがな」

「これが……魔石……」


 手に取ると、淡い紫が透きとおり、装飾品のように美しく見えた。


「記念にやりてぇけどよ、初物は自分で仕留めたやつの方がいい。だろ?」


 そう言って、オラルが魔石をひょいと摘み上げる。

(別に欲しいって言ってないのに……)

 そう思いながらも、マリウスの答えはすでに決まっていた。

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