第8話 ふたりのガールズトーク

「へぇ、川島くん、ホントにそんなことになってるんだ」


 カラン、とアイスコーヒーのグラスの中で、氷が涼やかな音を立てた。

 美咲の目の前で渡辺一美が、少しだけ呆れたように、でもどこか、懐かしむようにそう呟く。

 

 高校に入学して半月ほど経ったある日の週末。江藤美咲は、かつてなら決してあり得なかった相手と、駅前の喫茶店で向かい合っていた。

 

「そうなのよ。一美の元カレ、高校じゃモテモテよ? 今のところ男にだけだけど」

「噂は耳にしたけど、まさかそんなことになってるなんてね。さすがにビックリよ」

「えっ!? そっちの高校でも川島って噂になってるの?」

「ちょっと耳にしただけだよ。今年の千歳高にスゴい一年が入ったらしいって話してるのを聞いただけ。それにしても全部の部に入るとか、川島くんもスゴいこと考えたね」

「まあ、考えたのは月島とかいう女の先輩だけどね」


 美咲が、やれやれと肩をすくめると、一美は興味深そうに目を細めた。

 

「で、その月島って人が、めんどくさそうなの?」

「そうなの。川島のお兄さんがタジタジになってたからね。あれはなかなかのタマだよ、きっと」

「美咲も、相変わらずだね。よく人を見てる」


 相変わらずよく人を見ているというその言葉を、美咲は否定しない。それはいつの頃からか身についていた、彼女のクセのようなものだ。

 

「それにしても、あの運動部の先輩たちの川島良樹争奪戦はスゴかったなぁ。一美にも見せたかったよ。志保なんかもう、どうしたらいいかわかんなくってオロオロしちゃってさぁ」

「そりゃあそんな場面に出くわしたら、槇原さんじゃなくってもそうなるでしょ。にしても、全部の部に入るって。実際にそんなことできるのかな?」

「いやぁ、川島ならできるし、やっちゃうんじゃない? ことスポーツに関しては、アイツ異常だからね」


 美咲の言葉に、一美は少しだけ遠い目をした。

 

「でもさ。だったら何かひとつに絞った方が良さそうじゃない? 野球ならプロ野球選手とか、陸上や柔道とかならオリンピックとかさ。川島くんなら本気で目指せそうだけど」

「一年後に入る部を決める。それまでは全部の部で川島を鍛えて育てる。あの月島って女がそう言ってたから、案外先のことを見据えているのかもね」

「一年間で川島くんが一番輝ける競技を見つけて、二年生からはそれに専念させるんでしょ? もしかして、その先を目指してるのかな?」

「そんな気がするんだよね。もっとも1年経っても絞れないかもよ? さっきも言ったけど、ことスポーツに関してはアイツ異常だもん」

「そうだね。私もそう思う」


 そう言って、一美は静かにストローを口に運ぶ。その横顔は、中学の頃よりも少しだけ大人びたように美咲には見えた。

 


「そんでさ、そっちの高校はどうなの? 楽しい?」

「うん、楽しくやってるよ。友達もできたしね」

「そっか、ならよかった。高校でひとりぼっちとか、心配になっちゃうからね」

「心配ご無用です。私は高校でも楽しくやってますよーだ」


 二人は顔を見合わせ、噴き出して笑った。

 

「そういえばさ、市原と同じ高校でしょ? アイツ、高校ではどんな感じ?」

「どんな感じも何も、高校でももう女子人気を集めてるよ。彼、中学の頃からモテてたからね」

「医者の息子だしねぇ。しかもなかなかイケメンだし、勉強もできるし、性格もいいし、そりゃモテるよね。川島と親友だってのが、アタシには信じられないよ」

「ちょっと! 川島くんだってカッコイイんだからね! バカにしないでよ」


 不意に声を少しだけ尖らせる一美。そのあまりにも自然な庇い方に、美咲は思わず、ニヤリと口の端を吊り上げた。

 

「なによ一美。アンタずいぶん川島の肩を持つじゃない? 元カレにまだ未練でもあるわけ?」

「そんなんじゃないよ。でもアタシは今でも川島くんのことが好きだよ? ただ槇原さんには敵わないって悟ったから諦めただけだもん」


 そんなことをさらりと言ってのける、その潔さと強がりと、そしてその裏に隠されたほんの少しの本音。

(そうだった。一美は、そういうコだった)

 

「そうだったね。ごめんごめん。ちょっと意地悪言っちゃった」

「それで? 槇原さんは川島くんと上手くいってるの? 少しは進展した?」

「それがさぁ、あの二人も相変わらずなんだよねぇ……」

「そうなんだ。まぁ、そうだろうなって思ってはいたけど」


 一美は、本当に心の底から呆れたように、ため息をついた。

 

「でも、志保は以前より強くなってるよ。上手く言えないけど、アタシはそう思う」

「そりゃそうでしょ。そうじゃなきゃ私だって困っちゃうよ」

「困っちゃうって、どう困るってのよ。困ったらどうするわけ?」

「えーっ? そりゃあ……私が川島くんを奪っちゃう、とか?」


 そう言って、彼女は悪戯っぽく片目をつぶって見せた。

 その小悪魔のような、しかし全く棘のない笑顔に、美咲の方が焦ってしまう。

 

「はぁ? アンタ、まさかそんなこと本気で考えてるんじゃないでしょうね?」

「冗談よ。そんなことするわけないじゃない。そんなことしたって、私のモノには絶対ならないってわかりきってるんだから」

「それにしたって、あんまり不穏当なこと言わないでよ。高校に誰か良い人いないの?」

「うーん……いるかもしれないけど、今はあんまり恋愛したいと思わないかなぁ」

「あれ? 意外と今でも川島のことを引きずってる感じ?」

「かもね」


 一美はそう言って、ほんの少しだけ寂しそうに笑った。

 

「そういう美咲の方はどうなのよ。そういえば美咲って、中学の頃から恋愛話を聞いたことがないよね?」

「アタシ? アタシはほら、そういうキャラじゃないからさぁ。男も寄ってこないでしょ」

「そうかなぁ。美咲みたいな女の子、好きだって男の子は絶対いると思うよ?」

「まさかぁ。そんなわけないじゃん」


 美咲は照れ隠しにそう言って、残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干した。

 ガラスの向こうの午後の日差しが、やけに眩しく感じる。

 

(まあ、今は自分のことより、あの手のかかる二人をどうにかする方が先かなぁ)

 

 美咲は心の中で、一人ため息をついた。


「あ、それとさ」

「ん? なに?」

「アンタさっき、今でも川島のことが好きだって言ったよね?」

「うん、そうだけど?」

「別にそれをとやかく言わないけどさ、自分で自分に呪いをかけちゃ、ダメだよ?」

 

 美咲が何を言っているのか、一美はすぐに理解した。


「ありがと。川島くんのことを忘れさせてくれるぐらいの、そんなステキな男の子に出会えることを美咲も祈っててよ」


 二人はもう。これ以上この話題を広げようとはしなかった。

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