第7話 新たな人間関係

 サッカー部のテストを終えた良樹は、そのまま通常の練習にまで参加した。

 初めて会った人たちばかりなのに、良樹はもう以前からの知り合いのように、すっかり打ち解けあっていた。

「川島ぁ、オマエもう、このままサッカー部に入っちゃえよ!」

「はは。俺はそうしてもいいんだけど、おっかない先輩に首根っこ掴まれちゃってて」

「そっかぁ。俺たちは、もっとオマエとプレーしてみたいんだけどなぁ」

「あはは、一年経って正式に入部することになったら、そん時はよろしくお願いしますよ」

「おう! 一年といわず、いつでも入部してこいよ。待ってるからな!」

 

 良樹は、もうすっかりサッカー部の一員となっていた。



「あー、疲れた疲れた」


 練習を終えた良樹が教室に戻ると、志保と美咲がいた。


「よーしーくん!」


 まるで小さな子供がするような呼び方だ。


「なんだ、オマエら。ここで何してんの?」

「よしくんのテストを、ここから見てたんだよ」

「なんだ。見るんだったらグラウンドに来て見りゃいいのに」

「遠慮したのよ。アンタが志保を意識してヘマしないようにね」

「バーカ、んなことあるかよ。俺がそんなヘマするわけねーじゃん」

「よっく言うねぇ。中学の球技大会で無様な姿を晒してたのは、どこのどなたでしたっけねぇ?」

「うぐっ、あ、あれは……ナシってことで」

「なるわけないでしょ!」

「美咲ちゃん、あんまりよしくんをイジメないであげて」

「志保。これはね、イジメてるんじゃないの。からかってるのよ」

「どっちにしたって、俺は全然嬉しくねぇし!」


 悲痛な声を上げる良樹だが、その声ほど内心は嘆いているわけではない。

 彼はいつの間にか、志保と美咲と自分の三人で交し合う、こんな些細だけれど愉快な会話を楽しむようになっていた。


「で? 結局昨日はあの後、あの月島センパイには何をされたわけ?」

「ああ……なんか図書室に連れていかれてさ。『今後一年間の活動計画』とかいうファイルを渡されたよ。俺は全運動部の『共通部員』だから、スケジュール管理は徹底するんだとさ」

「うわぁ……。やっぱり、とんでもない女に捕まったわね」

「全くだよ。……よし、帰ろうぜ。今日はもうクタクタだ」

「だね。お疲れさま、よしくん」

「それにしてもアンタ、ホントにただの体力バカじゃなかったんだね」

「だから、オマエは俺を褒めてんのか貶してんのか、どっちなんだっての!」

「褒めてるんだってば! 素直に信じなさいよ」

「オマエが言うことを、素直に信じられるわけねーだろ」

「よしくん、カッコよかったよ。私の知ってるよしくんじゃないみたいだったもん」

「そ、そうか?」

「なに志保に褒められて照れてんのよ。バッカみたい」

「うるせー!」


 三人は並んで教室を出て、昇降口へと向かった。

 夕暮れの校舎に、三人の笑い声が溶けていく。

 それは、中学時代に一度は失いかけた、あまりにも穏やかで、そして当たり前の放課後の光景だった。



 だがその平穏は、翌日の朝にはアッサリと崩れ去ることになる。


「おい、川島! 聞いたぞ! 昨日のサッカー部の練習で、レギュラーのチーム相手にゴール決めたってマジかよ!?」


 翌朝、教室に入った良樹を待ち受けていたのは、興奮した男子生徒たちの包囲網だった。


「え、あ、まあそうだけど……あんなのまぐれだよ、まぐれ」

「まぐれでレギュラー組から点取れるわけねーだろ! すげえなオマエ!」

「中学じゃ無名だったって聞いたけど、どこのクラブチームにいたんだ?」

「いや、普通に中学の部活だけど……」

「マジかよ! もしかして、隠れた逸材ってやつか!」

 

 昨日の今日だというのに、噂が回るのが早すぎる。

 良樹は苦笑いで適当に相槌を打ちながら、自分の席にカバンを置いた。

 しかし、男子高校生の興味の対象は、スポーツだけでは終わらない。

 いや、むしろここからが本題だった。

 

「でさ、川島。もうひとつ聞きたいことがあるんだけどよ」

 

 一人の男子が、ニヤニヤしながら良樹の顔を覗き込んでくる。

 

「いつもお前と一緒に帰ってる女子二人。槇原さんと江藤さんだっけ? 特に、あの清楚な感じの槇原さん。あのコと川島って、どういう関係なんだ?」

 

 クラスメイトたちの視線が、一気に鋭くなった。

 良樹の視線の先には、少し離れた席で美咲と楽しそうに話している志保の姿がある。

 入学当初から、可愛いと男子の間で密かに話題になっていた志保だが、いつも良樹と一緒に帰っているということが彼らにはサッカーの話以上に刺激的なようだ。

 どうやら彼らは、良樹に志保のことを尋ねる機会をずっと窺っていたらしい。

 

「ああ、志保のことか?」

「名前呼び!? やっぱり付き合ってんのか!?」

「いや、違うって。付き合ってないよ」

「なんだ、違うのかよ! ビビらせんなよなぁ」

 

 男子たちが安堵の息を漏らす。

 そして次の瞬間、彼らの目は狩人の色に変わった。

 

「じゃあ、フリーってことだな? 紹介してくれよ! 俺、入学式で見た時から可愛いなって思ってたんだよ!」

「抜け駆けすんなよ! 俺にも紹介しろって!」

「俺も俺も! 紹介してくれよ!」

「いや、悪いけど、それは無理だ」

 

 盛り上がる男子たちを、良樹はバッサリと切り捨てた。

 

「はぁ? なんでだよ。付き合ってないんだろ? ケチケチすんなよ」

「ケチとかじゃなくて……あいつは、その、俺の家族だから」

「……は? 家族?」

 

 クラスメイトたちが、ポカンと口を開けた。

 その反応を見て、良樹は「あちゃー」と心の中で頭を抱えた。

 

(……そうだった)

 

 中学の時は小学校から同じという人も多かったから、周りが自分と志保の複雑な家庭環境を知っていて、説明する必要なんてなかった。

 でも、ここは高校だ。同じ中学から来ているのは自分と志保と江藤美咲くらい。

 つまり今は、自分たちの事情なんて誰も知らない、人間関係が一度リセットされた、ほぼ真っ白な状態なのだ。彼はそのことをすっかり忘れていた。


(……ってことは、俺はまたイチからみんなに説明しなきゃいけないのか?)

 

「家族ってなんだよ。双子の妹とか? でも名字違うじゃん。あのコは槇原だろ? 顔も全然似てないし」

「いや、血は繋がってないんだけど、同じ家に住んでて……」

「はああああ!? 血の繋がってない同い年の女子と、同居してるぅ!?」

「なんだよそのラノベみたいな設定! 詳しく教えろ!」

 

 火に油を注いでしまった。

 

 さらにヒートアップする男子たちに囲まれながら、良樹は遠い目をした。

 

(……高校生活、前途多難だな)


 くだらないことで騒ぐクラスメイトの声が、頭にガンガン響く。 

(……うるせえなぁ)

 でも……あの、誰も笑わなくなった、凍えるように冷たかった中学の教室に比べれば……。

 この、バカみたいで、どうしようもなくて、くだらない騒がしさが、今はどうしようもなく……良樹にとって心地よかった。

 そう。彼はこの場所に帰ってきたのだ。

 

 教室の隅では、そんな良樹の様子を見て美咲が「あーあ」と言いながら可笑しそうに肩をすくめ、志保が不思議そうに首を傾げていた。

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