2話目 居場所

翠斗「部活動?」

紅音「そう、明日から仮入部始まるらしいんだ。もしかして決めてたりする?」


そんな他愛のない会話を、私たちは学食でしていた。

昼どきはいつもここが混む。値段は普通、味も普通。けど、日替わりメニューは何だかんだ当たりが多い。数年前から食券制になったおかげで、行列の進みがスムーズになったのもありがたい。


部活ごとのグループが集まっていることもよくあって、にぎやかだ。

私は日替わり定食、久我くんはいつものお弁当。色合いが妙に良くて、ちょっと羨ましい。


翠斗「部活……部活ね。俺は少なくとも運動部はあんま考えてないかな」


紅音「えー、でも運動神経よかったじゃん。この前の新体力測定、すごかったんでしょ? 一年全体でも上のほうって聞いたよ」


そう、実は結果を見せてもらった。

……あれは驚いた。どの項目も高得点で、こっちまで誇らしくなりそうなくらい。


私の結果? うん、それはいいとして。長座体前屈だけやたら良かったのは何なんだろうね。腑に落ちない。


翠斗「ちょっと前までは体動かしてたからね。それより、そっちは候補あるの?」


紅音「うーん……少なくとも運動部系はあんまり候補にはないかな。文化部系は…一応仮入部回ってから考えようって感じだね。うちの学校特別な事情がない限り入んないといけないらしいし。」


お互いに白紙、というわけだ。なんだかんだ、似た者同士なのかもしれない。


ふと気になって、つい聞いてしまった。


紅音「中学では何部だったの? やっぱ運動部?」


翠斗「……バスケットボールをちょっと……うん」


いやいやいや、その“ちょっと”は絶対に“ちょっと”じゃない。歯切れが悪い。百人中百人が気づくレベルで言い淀んでいた。


その瞬間、胸の奥で、小さな警鐘のようなものが鳴る。。

――あ、これ触れちゃだめなやつだ。


「高校でも続ければ?」なんて言葉が喉まで出かかったけど、慌てて飲み込む。

不用意な言葉が、人の過去に触れてしまうことがある。そういう感覚だけは、鋭く働く。無神経な一言で人の地雷を踏むのだけは絶対に嫌だった。


紅音「なんか……ごめん」


翠斗「いや、そっちが謝ることじゃないよ。……うん」


会話がすっと止まる。

ついさっきまで普通に笑っていたのに、空気が急に重くなった。ついさっきまで普通に笑ってたのに、こんなにも簡単に雰囲気って変わるんだ。


その静けさを破ったのは、思いがけない声だった。


「二人とも、ここにいたのか」


振り向くと、担任の先生である伊藤 晃(いとう あきら)が立っていた。

数学の先生で、数回の授業を受けただけなのに、分かりやすい教え方をする人だ。


翠斗「こんにちは」


紅音「先生、ちょっと聞きたいことあるんですけど……いいですか?」


晃「何か困りごとでもあったのかな、鷹森さん。いいよ。ただ授業前だから手短だと助かるかな」


紅音「あ、ありがとうございます。えっと……部活って、入部強制でしたっけ? そんな説明あった気がして」


晃「ん〜、一応そうは言ってるけど、そこまで気にしなくていいよ。調査が入るわけでもないし、家庭の事情は人それぞれだからね」


“部活=絶対入るもの”っていう雰囲気は、まだどこかに残ってる。でも、もうそんな時代じゃないのかもしれない。


晃「ただ、個人的には何か入っておいたほうがいいとは思うな。コミュニティは早めに作っておいたほうが楽だよ」


翠斗「俺たち、どうしようか迷ってて。二人とも方向性は違うんですけど、まだ固まってなくて」


久我くんがそう言う。

言葉にしないけど、“やったほうがいいのは分かってるけど、- 「『気持ちが追いつかない』という葛藤が滲み出ていて、胸がきゅっと締めつけられた。


晃「同好会もあるよ。部活より規則も活動内容も緩いから、入りやすいかもしれない」


同好会――完全に盲点だった。

そういえば学校案内に小さく書いてあった気がするけど、ちゃんと見てなかった。


翠斗「ありがとうございます。俺たち、もう少し考えてみます」


そう答える久我君の顔色が、さっきより少し明るかった。

選択肢が増えるって、それだけで息が楽になるんだなぁ。


晃「それならよかった。じゃあ僕はこれで。またHRで」


先生は軽く手を振って歩いていった。


本当に、高校の先生って大変だ。授業だけじゃなくて、こういう細かい相談まで全部受けるんだから。


紅音「そろそろ昼休み終わりだね。次、世界史Aだっけ?」


翠斗「そうだった。じゃあ片付けて戻ろう」


トレイを持って立ち上がる。

午後の授業はまだ続く。

部活のことを考えるのは、そのあとでいい。


* * *

10日後。


紅音「うーん、決まらない…」


昼休み、食堂にて悩める少女が一人。あの日の話から今日まで、私はいろんな部活を見て回った。軽音、吹奏楽、何を血迷ったのかダンス部まで、思いつく範囲の部活を一通り見て回った。得手不得手はさておき、足を運ぶだけは運んだつもりだ。

それでも、どうしても決断には踏み切れない。

自分の高校生活をどう過ごしたいのか。そのイメージがどうしても浮かばなくて、気持ちだけが宙ぶらりんのままなのだ。


紅音「うーん…もう少し回りたい。でも仮入部期間はあと三週間弱。どうしよう…」


そんなふうに頭を抱えていたとき、後ろから鈴みたいに軽い声が響いた。


「あ・か・ねちゃん♪」


紅音「うわ!!? なんだ、白石さんか……こんにちは」


美琴「美琴でいいよ。それよりどうしたの? 難しい顔して」


白石美琴(しらいし みこと)。隣のクラスの子で、ダンス部の仮入部のときにペアを組んだ相手だ。素人目でもはっきりわかるくらい上手くて、性格も明るくて人当たりがいい。

──天使ってこういう人のことを言うんだろう。


紅音「うん、実はまだ部活決まってなくて。しらいs……美琴さんは? やっぱりダンス部?」


美琴「かな。他も見るつもりだけど、大きくは変わらないと思う」


紅音「すごいね。私なんか優柔不断で…」


美琴「私は逆。何も考えずに決めて後から痛い目見たこと、何回もあるよ?」


紅音「……それはそれで大変そうだね」


笑ったつもりが、どこかぎこちなかった。

胸のどこかが、彼女の言葉に引っかかったのだ。私にも、別の形で似た後悔があるから。


紅音「そういえば決め手って何だったの? やっぱり得意だから?」


美琴「うーん、それもあるけど……一番はね、『好きになれそう』だからかな」


紅音「好きになれ…そう?」


思いもよらない答えだった。単に私の視野が狭くなっているだけかもしれないけれど、自分の口からはまず出てこない言葉だった。


美琴「そう。少し先の自分を想像してさ。そこで自分がちゃんと輝いてるかどうか、心が高鳴るかどうか。決め方としては結構アリだと思わない? なんか、部屋の片付けでも似たような方法あった気がするけど」


紅音「…なるほど」


眩しい人は本当にいるんだ、と実感した。比喩ではなく、まっすぐ自分で選ぼうとしている人は、自然と周りを惹きつける。

私にもそんなふうにできるんだろうか。少なくとも昔の私は──。


紅音「ありがとう。もう少し考えてみるよ。美琴さんも頑張ってね」


「うん。私、今日はこのあと用事あるから帰るね。じゃあね。部活選び!頑張ってね!」


紅音「うん。じゃあね!」


手を振って美琴さんが去っていく。

……よし、私も今日の続き。今度は同好会にも顔を出してみよう。


***


翠斗「……不味いな」


大貴「えっ、ちょっと食わせろよ。……なんだよ、いつも通り美味しいじゃん」


翠斗「いや、そういうことじゃなくて。悩みごとがあるってこと」


大貴「悩み……あぁ、部活か。なんか迷ってるって言ってたよな」


今日は教室で昼食。最近は大貴と一緒に食べることが増えた。

ただ今日は、彼がもう一人連れてきて、三人で食べる予定だった。そして――どうやら来たらしい。


「悪い、邪魔する立場で遅れちまった」


大貴「あ! 来た来た。ここ空いてるから座れよ」


翠斗「よ、よろしく……」


御影黒曜(みかげ こくよう)

見た目はというと、黒曜は“ちょっと怖い感じの人”だ。

背が高く、眼つきは鋭く、入学初日からマイナス方向で注目を集めていた。

しかし、大貴によると、一緒に参加したサッカー部の体験で足を捻った一年生を率先して救護するなど、意外と面倒見がいいらしい。


黒曜「いまいちテンション低いな。俺がいないほうがよかったか?」


翠斗「いや、全然そんなことないよ。ただ、ちょっと“不味い”なってことがあって」


黒曜「不味い? 弁当はよくできてると思うが。食べていいか?」


翠斗「食べ物の話じゃないんだ」


二回も同じツッコミをさせないでほしい。しかもツボってるのが一名。


大貴「ふふっ、いや、なんか悩みがあるらしいんだ」


ツボりながら説明しないでほしい。こっちはまあまあ深刻なんだ。


黒曜「悩み? そのパンフレットを見る限り、部活動を何にするか迷ってんのか?」


翠斗「いろいろ回ってるんだけど、なかなか結論が出なくて」


黒曜「奇遇だな。俺もまだ決めかねている。条件が合わないまま入るのも失礼だろ?」


やっぱり、大貴の言っていた通りかもしれない。見た目で誤解されがちだが、話してみればわかるタイプだ。



黒曜「ところで、何が原因で決めかねてんだ? 話せる範囲でいいぞ」


正直、あまり話したくはない。まあ、当たり障りのない範囲で話すことにした。


翠斗「ちょっと中学の時にあまり思い出したくないことがあって……。バスケ部だったんだけど、それ以来運動部には入りたくなくて。

文化部も見てみたけど、元々興味がなかった分、イメージも湧かなくて……って感じなんだ」


黒曜「……そうか。悪いな、嫌なことを思い出させて」


会話がふっと止まる。

前にも、こんな空気になった気がする。他人を困らせるなら、適当な理由でも付け足したほうがよかったのだろうか。


大貴「一つ、提案があるんだけどいいか?」


さっきまでツボってたのが戻ってきたみたいだ。これなら、少しは真面目な話もできそう。


黒曜「提案? 言ってみてくれ」


翠斗「何かいい考えでも浮かんだ?」


大貴「ふっふっふっ。まあ、現実的じゃないかもしれないけどな」


翠斗「もったいぶらずに言ってくれよ」


大貴「じゃあ言うぞ。ズバリ――」


***


紅音「うーん……といってもどうしよう。とりあえず同好会も見てみたけど。」


放課後、アドバイスを受けた私は同好会のほうにも顔を出してみた。思った以上にバラエティ豊富だった。“ゆるスポーツしよ!"みたいなところや、部活としては認められなさそうな自由度の高いもの、中にはパンフレットには載っているのに、実質廃部状態のところまである。


紅音「どーすればいいのー!?」


人気のない教室で思わず嘆いてしまう。仮入部期間の終了は刻一刻と迫っている。入らなかったからといって罰則はない――それは先生からも聞いている。

それでも、せめて“普通の高校生活”に近づきたくて、取り返したくて、どこかに入部しなくてはと思っていた。


紅音「でも、やっぱり……まだちょっと怖いな……」


部活で得た仲間は一生ものだと言われる。でも私は、それが必ずしもそうじゃないことも知っている。

……そして、それが長い間、自分の中で“呪縛”みたいに残ることも。うん、知ってるんだよ……痛いほど。


紅音「どうしよう……面白そうだと思えるものをって自分でも言ったけど……うーん……」


考え事をするには姿勢から。私は椅子を三つ横並びにして簡易ベッドを作った。背もたれを交互にすると安定するのは、経験から学んだ裏技だ。使用者には申し訳ないが、もうほとんどの生徒が帰ったし……たぶん大丈夫。


紅音「どうしたらいいんだろ……今度はどうしようか……」


翠斗「情報がある程度集まったら、あとは自分に合うものを吟味するしかないんじゃない?」


紅音「そうだよね……って、久我君!? いつの間にいたの!?」


どうやらまだ帰っていなかった生徒がいたらしい。人がいないと思い込んでいたため家のベットで寝転がるのと大差なかったため若干恥ずかしい。


翠斗「なんか話しかけづらくてさ。とりあえず様子見してた。全部は見てないと思うけど。」


紅音「ちなみにどこから?」


翠斗「『どーすればいいのー!?』ってあたりから。」


紅音「それ最初からじゃん!!」


翠斗「あと、多分その椅子、三つのうち一個は俺の。」


紅音「えっ!? ご、ごめん! すぐ片付けるね、ってわわっ!」


案の定、ベッドは崩壊した。やっぱり素人施工はだめだ。

久我くんに手を引っ張ってもらって起き上がり、これまでの話をざっくり説明した。


翠斗「……なるほど。要するに、まだ何も決まってないと。」


紅音「面目ないです……」


翠斗「別にいいよ。俺も同じだし。」


紅音「……どうする?」


翠斗「さっきも言ったけど、情報が集まったら、あとは自分の中の“譲れない条件”と照らしあわせるしかないんじゃないかな。」


紅音「……うん。そうだよね。」


頭ではわかっていた。ただ、決断を引き延ばしている自分がいることも同時にわかっていた。


翠斗「ひとつ聞いてもいい? 差し支えない範囲で。」


紅音「……なにかな?」


少しだけ心がざわつく。何か踏み込まれると、直感でわかった。


翠斗「そもそも、部活とか同好会に、あんまり前向きじゃない……とか?」


図星。

ほんと、なんでそんな当てに来るの。


紅音「うん……すごいね、よくわかったね。そうなんだよね。ちょっと中学の頃のことで、いいイメージなくて……」


翠斗「聞きづらいことだったかもしれないのに、ありがとう。でも、どうしてそれでも入ろうとしてるの?」


紅音「少しキザかもしれないけど……賭けてみたくなったの。きっかけはね、君だったりして。」


「俺?」


紅音「うん。実質、ほぼ初対面だった私にお弁当を分けてくれて、友達できるか不安だった私に、あっさり友達になってくれて……。もしかしたら、この流れに乗ってみてもいいのかなって思ったの。でも、ちょっと怖くて。」


情けない。でも、ずっと胸に溜めていたものがこぼれそうで、それでも何かを伝えなきゃと思った。


翠斗「いきなりごめん。正直、ここまで苦しんでるとは思わなかった。」


紅音「いや、こっちこそ面倒な話につき合わせちゃって。」


感謝と、気まずさと、それから安堵。いろんな気持ちが胸の中に渦巻く。

でも、迷っているのは久我君も同じだ。最後に決めるのは自分自身。


翠斗「たださ、ひとつだけ。友達から提案されたことがあるんだ。言った本人も、俺も、現実的じゃないと思ってるけど……聞く?」


紅音「うん、教えて?」


久我君が息を吸う。

――この状況で、どんな言葉が出てくるのか。私自身、気になって仕方がなかった。


そして彼の口から出たのは、意外で、それでいて大きな選択肢だった。


翠斗「同好会の新規設立、ってやつ。どうかな」

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