「旅役者の慕情と、裏切りの舞台」1
旅芸人の一座がアヴァロンにやってきたのは、初夏の風が吹き始めた頃だった。
『黒猫座』。
派手な衣装と軽妙な芝居、そしてアクロバットで民衆を沸かせる人気の一座だ。
だが、それは表の顔。
その実体は、各地を渡り歩き、悪徳商人の蔵を狙う義賊崩れの強盗団だった。
彼らの手口は巧妙だ。
本隊が街に入る数ヶ月前、一人の間者を「奉公人」として標的の店に潜り込ませる。
間者は信用を勝ち取り、屋敷の構造、警備の隙、金庫の場所を調べ上げ、手引きをするのだ。
今回の間者は、レンという名の青年だった。
二十歳そこそこだが、愛嬌のある笑顔と、人の懐に入る天性の才能を持っていた。
***
王都の大通りに店を構える織物問屋『金羊毛(ゴールデン・フリース)』。
レンはそこで『レオ』という偽名を使い、丁稚として働いていた。
「レオ、重いだろう。手伝おうか」
「とんでもないです、旦那様! これが僕の仕事ですから!」
主人のガレオンは、恰幅の良い初老の男だった。
使用人にも気さくに声をかけ、失敗をしても頭ごなしに怒鳴ることはない。商売には厳しいが、その分、情に厚い人物として知られていた。
レン――レオは、このガレオンに気に入られていた。
身寄りのない(という設定の)レオを、ガレオンはまるで息子のように可愛がった。
「レオや。今日は早くあがって、一緒に飯を食わんか」
「え、でも……」
「いいからいいから。お前に食わせたい肉が入ったんだ」
夕食の席で、ガレオンは自身の過去を語った。
かつて息子がいたこと。流行り病で若くして亡くしたこと。レオがその息子に似ていること。
「だからかな。お前を見ていると、他人とは思えんのだよ」
ガレオンは目を細め、レオの皿に肉を取り分けた。
その温かい眼差しに、レオの胸が痛んだ。
自分は、この人を裏切るためにここにいる。この人の財産を奪うために、笑顔を振りまいている。
(……仕事だ。これは仕事なんだ)
レオは心の中でそう繰り返し、笑顔の仮面を貼り付けた。
だが、月日が経つにつれ、その仮面は皮膚に食い込むように重くなっていった。
***
半年が過ぎた。
『黒猫座』が王都に入ったという合図が、レオの元に届いた。
決行は今夜。
新月の闇に紛れ、一座が『金羊毛』に押し入る。レオの役目は、裏口の鍵を開け、警備兵に睡眠薬入りの酒を飲ませることだ。
その夜。
ガレオンは帳簿の整理をしていた。レオはお茶を運ぶ。
震える手でカップを置く。
「……どうした、レオ。顔色が悪いぞ」 ガレオンが心配そうに立ち上がる。 「あ、いえ……なんでも……」
「無理はいかん。今日はもう休み……」
ガレオンの手が、優しくレオの肩に置かれた。
その温もりが、レオの決断の後押しをした。
「……旦那様」
「ん?」
「……逃げてください」
言ってしまった。
掟破りだ。仲間への裏切りだ。それでも、この恩人を不幸にすることだけは耐えられなかった。
「レオ、何を言って……」
「僕は……レオじゃありません。強盗団の手引き役なんです」
レオは床に土下座し、全てを洗いざらい吐き出した。
『黒猫座』の正体。今夜の襲撃計画。仲間の人数、装備、侵入ルート。
全てを話せば、ガレオンは逃げられる。金は奪われるかもしれないが、命は助かる。
「……申し訳ありません。申し訳ありません……!」
レオは床に額を擦り付け、涙を流した。
罵倒される覚悟だった。殴られる覚悟だった。
しかし、降ってきたのは静かな声だった。
「……そうか。辛かったろう」
ガレオンの手が、レオの頭を優しく撫でた。
レオは顔を上げた。ガレオンは、慈父のような微笑みを浮かべていた。
「正直に話してくれてありがとう。お前の気持ち、しかと受け取ったよ」
「だ、旦那様……!」
よかった。この人は、僕を信じてくれた。
レオの心に、安堵の光が差した――その時だった。
「――おかげで、手間が省けた」
ガレオンの声色が、変わった。
温度が消えた。慈愛も、優しさも、一瞬にして消え失せ、そこには冷徹な爬虫類のような目が残っていた。
「え……?」
ガレオンが手を鳴らす。
バアン! と扉が開き、武装した男たちが雪崩れ込んできた。
彼らが着ているのは、衛兵の鎧ではない。王都の治安維持組織『憲兵隊』の軍装だ。
「ご苦労だったな、ネズミ」
ガレオンは、レオの髪を掴んで引き上げた。
その顔に、先ほどまでの「善人」の欠片もない。
「……憲兵……?」
「潜入捜査官だ。『黒猫座』のような渡り鳥は尻尾を掴むのが難しい。だから、こうして餌場を用意して、ネズミが仲間を呼び寄せるのを待っていたのさ」
レオは絶句した。
息子の話も、優しさも、全ては演技だったのか。
プロの役者である自分たちが、逆に芝居に嵌められていたのか。
「連行しろ。……ああ、それとな」
ガレオンは、拘束されるレオの耳元で囁いた。
「お前がペラペラ喋ってくれたおかげで、包囲網は完璧だ。お前の『大切な仲間』たちは、一人残らず始末できる。……感謝するよ、裏切り者」
「あ……ああ……ッ!!」
レオの絶叫が、屋敷に響き渡った。
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