深海編

 ネメア、クレタ、オルとロス、そこにエリュマが加わり、一行は大海の大精霊の宮殿を目指して、馬車に揺られていた。最初の目的地は、アンドロメダ島行きの連絡船が出ている港だ。一度宮殿へ行ったことがあるクレタとエリュマによれば、その港から10キロ離れた岬へ行き、海に入ると、海流に乗って宮殿まで行けるのだという。


 港に到着するまでの4日間、ネメアとクレタは、これまでの出来事をエリュマに話した。アンドロメダ島までの船旅や、ムパリと出会いお化けクジラを倒したこと、ケネイア、キャンサと協力して、ヒュドラを倒したことなどを話した。彼女は興味津々に耳を傾け、キラキラと目を輝かせた。


「二人とも凄い冒険をしてきたのね! Sランクパーティー向けの魔物を倒せるようになったなんて、ネメアさん、もう向かうところ敵無しじゃない?」


「アハハ、そうかもしれません。俺を追放した人達よりも、強くなれましたし。でも、テュポンのことが気がかりです。もし復活してしまったら、俺も戦おうと思っているのですが、敵う相手なのかどうか……」


「テュポンね……あいつは相当手強い魔物よ。今のネメアさんでも戦えると思うけど、修行を積むに越したことはないわ」


 問いに答えると、エリュマはクレタに視線を移した。


「クレタ、ネメアさんに稽古をつけてあげたら? それからケネイア達にも、テュポンが復活するかもしれないってこと、伝えた方がいいんじゃない?」


「えぇ、そうするつもりよ。手紙を書いて、港町の郵便屋に届けてもらうわ。テュポン復活に備えてパーティーを再結成したいから、私達がいつも通ってる冒険者ギルドまで来てって、書こうかしら。そしたら、皆でネメアちゃんの稽古もつけられるわ」


「お、クレタパーティ復活ね。もう二度と、皆で冒険者をすることはないと思っていたわ」


 二人のやり取りを聞いている内に、ネメアの頭にふと疑問が浮かび上がった。


「どうしてパーティーを解散しちゃったんですか? 仲違いではなさそうですけど……」


「私達はSランクパーティーだったから、魔物を一匹残らず倒して、世界を平和にできるだろうと期待されていたの。でもそれが苦しかったから、一区切りついた後に解散して、それぞれやりたいことをやることにしたのよ」


「期待されるのが苦しいって感覚、俺にはよく分かりません。普通は嬉しいことですよね?」


 ステータスが平凡で足手まといだと馬鹿にされ、パーティーを追放された彼には、彼女達の悩みを理解する事ができなかった。思わず失礼な言葉が出てしまい、ハッと口に手を当てる。彼女は苦笑いした。


「最初の内は、私達も嬉しかったわ。でもね、期待に応えられなかった時が辛いのよ。例えば、魔物に襲われている町に到着するのが遅くなって、沢山の人が亡くなってしまった時、どうしてもっと早く来てくれなかったんだって、責められた事があったわ。


 他にも、なんであの町を襲った魔物は討伐してくれたのに、うちの町を襲った魔物は討伐してくれなかったんだ、と恨まれたこともあった。私達だって人間だから、全ての命を救える訳じゃない。だけど、そういう事を言ってくる人が後を絶たなくて、嫌になってしまったの」


 肩をすくめ、彼女は眉を下げた。具体的な話を聞いた彼は納得し、一緒に暗い顔をする。


「それは酷いですね。すみません、失礼なことを言ってしまって」


「いいのよ。強い者ほど大きな責任を負わされるってこと、覚えておいてね」


 かつて大きな期待と責任を背負い、戦ってきた冒険者からの忠告に、彼は深く頷いた。


 その後もネメアはエリュマと色々な話をした。彼女は人体の構造や魔物の生態、武器の扱い方などにとても詳しく、魔物と戦う上で役立つ知識を沢山教えてくれた。テュポンの事もよく知っていて、彼女はまるでその場にいたかのように、オリーブパーティーとテュポンの戦いについても語ってくれた。


 三日間は有意義に過ぎていき、四日目の朝、港町に到着した。まずは移動中にクレタが書いた手紙を届けに、郵便屋へ向かった。


 彼女は仲間達に宛てた手紙に加え、国王宛ての手紙も書いていた。内容は、冒険者ギルドがある町で、約一ヶ月後にテュポンが復活する可能性があるため、それまでに住民を避難させてほしいというものだ。


 ネメアとエリュマ、オルとロスには外で待っていてもらい、彼女は郵便屋に入っていった。郵便屋の配達員は鳥の獣人で、手紙の入った箱を背負い、空を飛んで届けに行く。恐らく5日もあれば、全ての手紙の配達が終わるだろう。


 郵便屋を出たら、次に行くのは10キロ先の岬だ。この町の西側は港があって活気づいているが、岬に近い東側は徐々に人気が無くなっていく。そこは波が荒くて船を留めておけないので、港として利用できないのだ。


 港町の最東端まで来た時、ネメアとクレタは見覚えのある人物が歩いているのを発見した。自分達に薬の材料を集めさせた、ヘス・クレピスだ。クレタは思わず声をかける。


「こんにちは、ヘス。貴方とこんな所で会うとは思わなかったわ」


「く、クレタさん!?」


 話しかけられた彼は、ビクッと肩を跳ねさせた。ヘスのことを知らないエリュマは、クレタに尋ねる。


「あの男の人は知り合いなの?」


「えぇ。冒険者ギルドで、色々と世話になった受付け係よ」


 皮肉混じりに答えると、クレタはヘスの元へ歩み寄った。ネメアも彼女に付いていく。オルとロスは、ヘスをギロリと睨み付け、エリュマと共にその場に留まった。本能的に怪しい奴だと感じ取ったのだ。


 ヘスはうなじに汗をかきながら、笑顔を取り繕った。


「ハハ、アハハ、クレタさんにネメアさん、まさかこんなに早く再会することになるとは、ハ、ハハハ……」


「元気そうで何よりです。ヘスさんはここら辺に住んでるんですか?」


「はいそうです。お二人は、こんな辺鄙な所まで何をしに?」


「依頼のためってトコかしら。ご両親は良くなった?」


「いえ、薬を調合するのに10日かかるので、まだまだ時間が掛かりそうです」


「そう……それは大変ね」


「早く良くなるといいですね」


 ヘスの両親の事を本気で心配して、ネメアとクレタは顔を曇らせた。そんな二人の様子に、ヘスの良心が傷む。


 普通は、他人の親がどうなろうが知ったこっちゃないだろうに、この二人は、まるで自分の事のように悲しんでくれている。こんなに良い人達を騙して、テュポンの復活に加担することなんてできない。


「あの…………」


『すでに両親は、俺が15歳の時に病気で亡くなったんです』と言おうとした時、背後から鋭い視線を感じて、ヘスは口を閉じた。後ろを振り向くと、黒いローブを身に纏い、フードで顔を隠した者が立っていた。その者はチラリとフードを上げて、彼にだけ顔を見せた。


 復讐に燃える紅い瞳が、ギロリと彼を睨み付ける。この者は大地の大精霊だ。余計な事を他人にベラベラ喋らないか、見張りに来たようだ。


「そこを通りたいのだが、少し退いてもらえないか?」


 声を低く落として、大地の大精霊はそう言った。


「おっと、すみません。では、俺はこれで」


 これ以上ネメア達と話していたら、大地の大精霊に殺されてしまう。そんな予感がして、ヘスは足早にその場を去っていった。大地の大精霊も、無言でその場を通り過ぎていく。彼がいなくなってしまったので、二人もエリュマ達が待つ場所へ戻った。


 すると、オルとロスがエリュマの後ろで身を寄せ合い、ブルブルと震えていた。オルに至っては、「ヴゥゥゥ」と小さく唸っている。


「この子達、あの黒いローブを着た人が来た途端、こうなってしまったの。凄い人見知りなのね」


「ほんとだ、とても怯えてますね。ヨシヨシ、もう知らない人はいなくなったよ」


 二匹を落ち着かせるよう、ネメアはしゃがんで頭を撫でた。徐々に震えは治まったものの、目にはまだ強い警戒の色が残っている。あまりの怯えように心配になりつつ、体は元気なので大丈夫だろうと判断し、一行は先へ進むことにした。


 二時間歩き続け、ネメア達は目的の岬に到着した。海に向かって突き出した陸地に、ザバァーンと激しい波が絶え間なく打ち付けている。クレタは右耳につけた真珠のピアスからアイテムボックスを召喚し、死の大精霊から貰った、水中で呼吸できるようになる薬を取り出した。


「これを飲んで、海に飛び込むわよ」


 彼女は二人に薬を配った。それを受け取った後、ネメアは海の方を見据えた。波は荒々しく、人が入ることを拒んでいるようだ。こんな中に飛び込んで平気なのかと、彼は尻込みしてしまう。


「あの、あんな荒れた海に飛び込んで大丈夫なんですか?」


「離れ離れにならないよう、手を繋ぐ必要があるわね。心配なら、盾を召喚しておくといいわ」


「それって、結構危ないってことじゃないですか!?」


 冷や汗を流し、ネメアは後ずさった。すると、彼の後ろにいたオルとロスが、ふくらはぎにグイグイ頭を押し付けて、先へ進むよう促してきた。二匹へ意識が向くと、彼は疑問が浮かび上がった。


「というか、オルとロスはどうするんですか? 水中で呼吸できるようになる薬って、3本しかありませんよね」


 彼の問いに、頭の回転が速いエリュマが答えた。


「この子達はアイさんの使いなのよね。それなら、水中で死んだ人の魂を回収する時のために、水中でも活動できる体になっていると思うわ」


「なるほど。どこでも活動できる体じゃないと、アイさんの使いは務まりませんもんね」


 話をしていると、ネメアの足を押して急かしていたオルとロスが、彼の肩に飛び乗った。それを見て、クレタがクスリと笑う。


「オルとロスは、モタモタせずにさっさと宮殿に行けって、思ってそうね。ほらネメアちゃん、怖がってないで海に飛び込むわよ」


「ウッ、分かりました……」


 薬の入った瓶の栓を抜き、ネメアはグイッとそれを飲み干した。彼に続いて、クレタとエリュマも薬を飲んだ。空になった瓶を入れて、クレタはアイテムボックスをピアスに封印し直す。そして三人は手を繋いで、一斉に岬から飛び降りた。オルとロスは、振り落とされないよう、ネメアの肩を前足でしっかりと掴んだ。


 バシャンッと盛大な水しぶきを上げて、一行は海の中に沈んでいった。すると、体の周りにシャボン玉のような透明な膜が展開された。鼻や耳に水が入り込む感覚、冷たい感触などは一切感じない。また、視界も澄み切っている。


 薬の効果を実感したのも束の間、抗う事のできない激流が押し寄せてきた。


「うわぁぁぁぁ!!」


 ネメアは思わず悲鳴を上げ、クレタとエリュマの手を強く握りしめた。二人の手を離したら、世界の果てまで流されてしまいそうだ。一行は海流によって、瞬く間に岬から離れていった。5分もすれば、もう自力で泳いで戻れないほど、陸地から遠のいていた。


 海に入ってからしばらくの間、ネメアは心臓がバクバクして、何も考える事ができなかった。だが、徐々に落ち着いてくると、周囲の景色の素晴らしさに気が付いた。


 果てしなく広がる澄んだ藍色は、恐怖に震える心を優しく包み込み、穏やかな気持ちにしてくれる。色鮮やかなイソギンチャクは、見ていると愉快な気分になった。エイやウミヘビなど、変わった姿の生き物もいて、普段見ることのない海中の景色に、彼は夢中になった。


 海流に身を任せながら、景色を楽しんでいる内に、体を押される勢いが緩やかになっていった。それが完全に無くなった頃、一行の目の前には、石の壁でできた、巨大な迷路が立ちはだかっていた。天井が造られているため、上から一気にゴールまで行くことはできないようだ。


 クレタが、初めて迷路に入るネメアのために、説明を始めた。


「この迷路は、壁に選択式の問題が書かれていて、答えに対応している道を進んでいくのよ。間違った道を進むと、迷路の最初に戻されてしまうわ。薬の効果時間にに、一回も間違えずに進みたいところね。ゴールには階段があって、それを降りていくと、大海の大精霊の宮殿に入れるわ」


「了解です」


 手を繋ぐのをやめ、三人は泳いで迷路の中に入っていった。オルとロスも、ネメアの肩から離れ、犬掻きしながら後に続いた。


 ネメア達が迷路に入ると、さっそく道が二手に分かれており、その間の壁に問題が書かれていた。


『道筋は己の心に尋ねよ。さすれば自ずと答えは出る』


 問題を読んだネメアは目を丸くした。


「問題って、計算とか歴史にまつわるものだと思ってたんですけど、随分と抽象的なんですね。しかも、己の心に尋ねよって、ヒントが何もないじゃないですか」


 ネメアは意味不明な問いに顔をしかめた。また、クレタも眉を潜めて同意した。


「ネメアちゃんの言う通り、どういう意味かさっぱり分からないわ。勘に頼れってことなのかしら?」


 二人が首を傾げていると、エリュマがさらっと答えを導きだした。


「答えは左ね」


「えっ、どうしてそう思ったんですか?」


「心がどこにあるか聞かれたら、皆ここを指差すでしょう?」


 エリュマはネメアの左胸を、人差し指でとんとん叩いた。理由を聞いた二人は、彼女の頭の良さに感心した。


「そういうことね。エリュマは流石だわ」


「なるほど~。言葉の意味をそのまま受け取るんじゃなくて、少し工夫して考える必要があるんですね」


 エリュマの答えを信じ、一行は左の道へ進んだ。また二手に分かれた通路に出たが、壁に書かれている問題は変わっていた。


「おっ、元の場所に戻らなかったってことは、正解みたいね」


 微笑みを浮かべ、エリュマは満足げに頷いた。それから、次の問題へ目を移した。


『月は沈み日は昇る。その時道は開けるだろう』


「月と太陽……右と左……」


 顎に手を当てて俯き、一言二言呟くと、彼女はパッと顔を上げた。


「分かったわ」


 横で頭を捻らせていたネメアは、ビクッと肩を跳ねさせた。


「はやっ!? もう分かったんですか!?」


「えぇ。ネメアさん、月と太陽がどの方角から昇って、どの方角に沈むか分かるかしら?」


「えっと、東から昇って西へ沈むんですよね。あっ、ということは、月が沈む西、つまり左へ曲がった後、日が昇る東、右へ曲がればいいんですね!」


「正解よ!」


 ネメアも答えが分かった所で、左の道へ進み、次の分かれ道は右へ進んだ。すると今度は、三つの分かれ道が現れた。問題は、右端の壁に書かれていた。


『自由を得るには翼が必要だ。蝋で鳥の羽を固めて翼を作り、空を飛ぼう』


「自由、翼、蝋、3つの選択肢…………」


 摩訶不思議な問題文に含まれた、真の意味を探して、エリュマは思考を巡らせた。彼女ほどとはいかないが、ネメアも頭の回転の速さには自信があるため、共に問題を解き始めた。


 一方クレタは、問題文を読んですぐに、自分には解けないだろうと判断して、周囲をフラフラと泳ぎ始めた。自分の出る幕がなくて退屈なのだ。オルとロスも、辺りを自由に泳ぎ回っていた。


 1分ほどして、エリュマは「う~ん」と唸り声を上げた。問題文から分かることだけでは、答えの出しようが無かったのだ。


 そんな時、オルとロスが、それぞれ右の道と左の道へ、勝手に泳いで行ってしまった。一緒に泳いでいたクレタが、慌てて二匹を連れ戻しに向かう。


「オル、ロス、勝手にいっちゃ駄目よ!」


 足をバタバタと動かし、忙しなく水を掻き分けて、彼女はオルとロスを回収した。その最中、右の道と左の道に、絵が描かれたタイルが埋まっているのを発見した。真ん中の道にも何か埋まっていないか確認したが、そこには何も無かった。


 これは何かのヒントではないかと思い、彼女は謎解きをしている二人に報告した。


「ねえ、右の道に太陽の絵が描かれたタイルと、左の道に雫の絵が描かれたタイルがあったわよ。真ん中の道には何も無かったわ。これって、何かのヒントじゃないかしら?」


「ありがとうクレタ。あまりの手掛かりの無さに悩んでいた所よ」


 新たに手に入った情報を踏まえて、エリュマは改めて問題の意味を考えた。


「蝋で鳥の羽を固めて翼を作り、空を飛ぶ……右は太陽、真ん中は無し、左は雫……蝋の翼は何かの比喩表現だと思っていたのだけど、もしかして、そのままの意味なのかしら? そうだとしたら、答えを導き出せるわ」


 一緒に謎解きをしていたネメアは、エリュマの発言に耳を疑った。


「蝋の翼は比喩じゃないって、本当ですか? それで空を飛ぼうとしたら、蝋は脆いですし、すぐに壊れちゃうんじゃないですか?」


「そこよ、ネメアさん。壊れやすい蝋を、なるべく長持ちさせないといけないんだわ。太陽に近付きすぎれば、蝋は熱で溶けてしまうし、ジメジメした所に近付きすぎても、湿気でボロボロ崩れてしまう。だから、太陽の絵のタイルがある右の道と、雫の絵のタイルがある左の道はハズレ。正解は真ん中の道よ」


「そういうことですか! エリュマさんは、柔軟な発想ができて凄いですね」


「ネメアさんも、良い着眼点だったわ」


 答えが出たので、一行は真ん中の道を進んだ。通路は長く、本当に合っているのか少し不安になったが、それは杞憂だった。次の道は4つに分かれており、通路の中央には、何やら長い文章が書かれた石板が置かれていた。


 石板には、問題文と会話文が書かれていた。


『正直者と共に道を進め。この中の一匹だけが正直者であり、他は全て嘘つきだ。


タコ「エビは嘘をついている」


エビ「ヒトデは嘘をついている」


ヒトデ「私は嘘つきではない」


クラゲ「タコの言っている事は正しい」』


 問題文を読んだ後、エリュマは4つの分かれ道の先に、絵が描かれたタイルがないか確認しにいった。すると、左から順に、タコ、エビ、ヒトデ、クラゲの絵が描かれたタイルがあると分かった。


「これは論理クイズね。さっきみたいに、発想力や知識が問われない分、簡単だわ」


「これが簡単なんですか!? 俺、頭がこんがらがりそうです。えーっと、タコはエビが嘘吐いてるって言ってて、エビはヒトデが嘘吐いてるって言ってて……」 


 ネメアは眉を寄せて、口をへの字に曲げた。頭を悩ませる彼に、エリュマがアドバイスを送る。


「こういう問題は、まず誰か一人を正直者だと仮定して、推理していけばいいのよ」


「なるほど。それじゃあタコが正直者だとすると、『ヒトデは嘘をついている』というエビの言葉が嘘になりますよね。


 でもそうすると、ヒトデの『私は嘘つきではない』って言葉も正しいことになるから、正直者が二人になっちゃいます。それなら、タコは嘘つきってことになりますね。


 あっ! それなら、クラゲの『タコの言っていることは正しい』って言葉も嘘になるから、クラゲも嘘つきですね。そうなると、正直者はエビです」


「きっとそうね。エビの絵が描かれたタイルがある、左から二番目の道へ進みましょう」


 一行は左から二番目の道を進んだ。推理は正しかったようで、次は分かれ道が5つに増えた。ネメアとエリュマは、答えが正しかったことに、ハイタッチして喜びを分かち合った。


「やったわね、ネメアさん!」


「はい! エリュマさんのアドバイスのおかげです。解き方さえ分かっちゃえば、後は簡単でしたね」


 今まで、武器や装備を買う時に、軽く会話を交える程度だった二人が、共に謎を解いていくに連れて、徐々に仲を深めていた。


 彼らが楽しそうに謎解きをしている姿を、クレタは好ましく思った。テュポンが復活して、戦わなければならなくなった時、上手く連携を取ることが重要になってくる。こうして親密になっていけば、意志疎通を図りやすくなるだろう。


 クレタは二人の後方で腕を組み、ニコリと笑った。オルとロスも大人しくお座りをして、様子を見守っている。彼女らの眼差しを受けつつ、ネメアとエリュマは謎解きに取り掛かった。右端の壁には問題文、通路の真ん中には人魚の石像が置かれている。


『親と子の間で、一番背の高いものが答えだ』


 二人はまず、それぞれの通路の先にタイルがないか確かめに向かった。だが、5つの分かれ道のどこにもタイルは無かった。


「道にヒントは無いようね。問題文と、この人魚の像から、答えを出せるってことだわ」


「人魚、親と子の間……人魚の成長過程が、答えに繋がってくるんですかね? エリュマさん、人魚はどんな風に成長していくんですか?」


「まずは卵から産まれるわ。最初の内は体が透け透けなのよ。それから、海藻やプランクトンを食べて成長していき、繁殖期を迎えると、人間を襲うようになるわ。産卵には体力を使うから、そのための栄養補給として、人間を食べるのよ」


「うわ、俺から質問しといて難ですけど、聞かなきゃよかったです」


 ネメアはウヘッと舌を出した。エリュマも苦笑する。


「人魚達にとっては必要なことでしょうけど、私達人間からしたら迷惑な話よね。話していて思ったのだけど、人魚の成長過程は、あまり関係無いんじゃないかしら?


 道は5つあるけど、人魚の成長過程をどうやって5段階に分けるかは、人によって解釈が異なってくるわ。そうなると、問題として成立しないんじゃないかしら。もっと、はっきり答えを決められると思うの」


「その通りですね。一旦、人魚から離れて考えてみます」


 彼は人魚の話を頭から追い出し、子供から親になる過程で、はっきりと5段階に分けられるものは何か考え始めた。彼女も同じく、頭の中にぎっしりと詰まった、生物に関する知識を掘り返し始めた。


 ありとあらゆる生物の成長過程を思い出し、これも違う、あれも違うと考えている内に、エリュマは問題文に違和感を覚えた。


『親と子の間で、一番背の高いものが答えだ』


「親と子の間っていう書き方、何だか不自然だわ。普通、生き物の成長過程を表す時は、子供から大人へって書くはずよ。親が子供を産むまでって事なのかしら? でもそれだって、明確に5段階には分けられないはず……」


 指を口に当て、エリュマは思案した。すると、その行動によって、彼女は閃きを得た。


「分かったわ! 生き物の成長過程は、一切関係無かったのね!」


「え、えっ!? それじゃあ、親と子の間って、一体何のことですか?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするネメアに、彼女は両手を広げて見せた。


「親と子は、親指と小指の事だったのよ。5本の指の中で、一番背が高いのは中指。つまり、真ん中の道を進めばいいんだわ」


「おぉっ! はっきりとした答えが出ましたね」


 感心し、ネメアは思わず大きな声を上げた。だが、すぐに疑問が生じ、小首を傾げた。


「ん? でも待ってください。親と子が、親指と小指の事なら、足の指も当てはまってしまうんじゃないですか? そうなると、一番背が高いのは親指になるんじゃ……」


 彼は答えが不確実であると指摘した。だが、言葉を言い切る前に気づいた事があり、ハッと口を閉じた。それから、通路の中央に置かれた、人魚の像へ目を向けた。


「そうだ、人魚の像! 人魚には足がないから、手の指の話になるって訳ですね!」


「えぇ、そういう事だと思うわ」


 納得のいく答えに辿り着いたので、一行は真ん中の道を進んだ。奥へ行くに連れ、道の幅が徐々に広くなっていく。最奥に到達すると、とうとう、大海の大精霊の宮殿へと続く階段が現れた。功労者のエリュマを、ネメアとクレタは褒め称える。


「凄いですエリュマさん! もうゴールに着いちゃいましたね!」


「貴方がいなければ、ここまで来ることはできなかったわ。ありがとうエリュマ!」


「フフッ、お役に立てて何よりよ」


 頬を赤く染めて気恥ずかしそうにしながらも、彼女は大きな笑みを浮かべた。最初は邪険に接していたオルとロスも、彼女の実力を認め、頭を足に擦り寄せた。


 階段を下りながら、クレタがネメアに大海の大精霊について話をした。


「ネメアちゃん、これから会いに行く大海の大精霊は、とても警戒心が強いわ。宮殿の前にこんな迷路を作って、賢い人じゃないと面会できないようにしているのが、その証拠ね。アイちゃんや天空の大精霊と違って、あまりフレンドリーではないから、注意してちょうだい」


「大海の大精霊さんは、気難しい方なんですね。失礼が無いよう気を付けます」


 忠告を受け、ネメアは緊張感が湧いた。オルとロスが彼の方へ泳いでいき、肩を両手でしっかりと掴む。まるで、「自分達が付いているから大丈夫だぞ」と言っているようだ。励まされた彼は頬を緩めた。


 階段を下りた先には、青白い光を放つ、不思議な石でできた宮殿が建っていた。窓は一つもなく、外壁の隙間からはイソギンチャクが生え、人を寄せ付けない雰囲気が漂っている。クレタが固く閉ざされた分厚い石の扉を叩くと、辺りにブオォォォと低い音が鳴り響いた。いきなり何事かと思い、ネメアは辺りを見回す。


「わっ、何ですかこの音!?」


「誰かが来たことを知るために、大海の大精霊が扉に魔法をかけて、ノックすると宮殿中に音が鳴り響くようにしたのよ」


「呼び鈴の代わりって事ですね。ビックリしたぁ。俺、何かやらかしちゃったのかと思いましたよ」


 ネメアはホッと胸を撫で下ろした。低い音が鳴りやむと、扉の向こうから険しい声が聞こえてきた。


「誰だ。名を名乗れ」


「クレタよ。エリュマも一緒にいるわ。それから、弟子のネメアちゃんと、アイちゃんの使いのオルとロスもいるわ」


「私に何の用だ?」


「アイちゃんから、貴方に伝言を頼まれたのよ」


 クレタが質問に答えると、ズリズリと閂を抜く音が聞こえて、ゆっくりと扉が開かれた。クリスタルのように煌めく薄水色の長い髪を一つに縛り、紺色の腰布を巻いて、涼しげな服装をした者が姿を見せる。大海の大精霊とのご対面だ。


 大海の大精霊は無言でネメアに近づき、品定めするような目付きで見下ろした。威圧を感じた彼は手に汗を握りつつ、深く頭を下げて挨拶した。


「はじめまして、私はネメア・レオと申します。よろしくお願いいたします」


 彼が挨拶すると、大海の大精霊は眉を潜めた。


「私が許可する前に、勝手に名を名乗るな。それになんだ、そのあからさまに媚びへつらった態度は。気持ちの悪い奴め」


 腕を人差し指でトントン叩き、大海の大精霊は苛立ちを露にした。さっそく嫌悪されてしまったことに、ネメアは肩を窄め、顔を青くする。心の中では、「ひえぇぇぇ」と情けない悲鳴を上げていた。


 次に大海の大精霊は、ネメアが肩に乗せているオルとロスに視線を向けた。二匹は物怖じせず、ジッと大海の大精霊を見つめ返す。


「お前達は死の大精霊の使いか。小童だが、なかなか根性があるじゃないか。クレタ達と共に海の底まで付いてくるとは、大したものだ」


 オルとロスは、大海の大精霊に気に入られたようだ。誉められたことに対し、二匹はペコリと頭を下げる。それから大海の大精霊は、再びネメアを見下げた。


「なぜお前のような軟弱そうな者に、死の大精霊の使いが懐いているのか、甚だ疑問だな。魔物を操る術でも使えるのか?」


 問いを投げ掛けられるも、ネメアは先ほどのやり取りで完全に萎縮してしまい、言葉を発することができなかった。そんな彼をクレタがフォローする。


「ネメアちゃんは、魔物を操る術なんて使えないわ。そんな術が存在するなら教えてほしいものね。オルとロスは、ネメアちゃんの強さを見抜いて付いてきたのよ」


「ほーう」


 あまり彼女の話を信じていないのか、大海の大精霊は気の無い返事をした。それからネメアにくるりと背を向けて、話を先に進めた。


「中に入れ。死の大精霊からの伝言とあれば、重大な話に違いない。中でじっくりと聞かせてもらおう」


 そう言うと、大海の大精霊はクレタ達を宮殿の中へ招き入れた。だが、ネメアは扉の前で引き留められた。


「私はあまりお前を信用していない。下手な真似をしたらどうなるか、分かっているな?」


「は、はい!」


 震える口をなんとか動かし、彼は声を絞り出した。その後、オルは大海の大精霊に向かってギャンギャン吠え、ロスは歯を剥き出して威嚇した。自分達が気に入った人間を傷つけようとしている事に、二匹は怒ったのだ。


 大海の大精霊はフンッと鼻を鳴らすと、先に宮殿へ入っていった。ネメアは、この先どうなることか不安でいっぱいになりながら、後に続いた。


 宮殿の中は、魔法でできた光の球が天井に浮かんでおり、ぼんやりと辺りを照らしている。玄関ホールには大きな階段があり、それを上がって廊下を右に曲がると、応接間があった。


 応接間には、石でできた無骨な椅子と机が置かれており、大海の大精霊は席に着くよう、クレタ達に促した。彼女達が椅子に座ると、向かい側の席に自分も腰掛けた。


「では、話を聞かせてもらおう。死の大精霊からの伝言とはなんだ?」


 問いかけられると、クレタはアイテムボックスを召喚し、紹介状を手渡した。そして、死の大精霊が予知した事の内容を話すと、真剣な目で大海の大精霊を見つめながら、協力を仰いだ。


「お願い、大海の大精霊さん。人類を守るために、力を貸して」


 大海の大精霊は無表情だった。それを見た彼女はドキリと肩を跳ねさせる。「ふぅ」と溜め息を吐くと、大海の大精霊は眉を潜めた。


「やはり、大地の大精霊絡みであったか。今までなら、私はお前達に手を貸していただろう。個人的な憎しみのために、一つの種を根絶やしにしようなどと考える奴は、精霊の恥だからな。


 しかし、最近私の中で人類への不信感が生じたのだ。クレタと、そこのいけ好かない小童は、アンドロメダ島でお化けクジラと戦っただろう。あれをサンゴ礁の精霊に産み出すよう指示したのは私だ」


 まさかの告白をされて、クレタとネメアに衝撃が走った。二人からお化けクジラの話を聞いていたエリュマも、驚いて口に手を当てる。大海の大精霊は話を続けた。


「サンゴ礁の精霊が泣きながら私の元にやってきて、アンドロメダ島の漁師に身体の一部を傷つけられた、と相談を受けたのだ。そこで私は、お化けクジラを創って島を襲わせ、頭を冷やさせることを提案したのだ。


 後日サンゴ礁の精霊から、お前達が漁師との話し合いを勧め、穏便に解決したとの報告を受けたが、私はその問題が解決したとは思っていない。今はアンドロメダ島の漁師が約束を守っていたとしても、長い年月の中で、人々は約束を忘れていくだろう。


 それに航路が発達すれば、アンドロメダ島以外の漁師も、サンゴ礁の精霊が住む海域まで漁に出られるようになる。そうなれば、あの子はまた傷つくことになるのだ。


 私は海を統べる者として、そのような事は許せない。人類が増え続ければ、生き物の乱獲が始まり、水は汚れ、海は誰も住めない荒れた土地となるだろう。そうなるぐらいなら、テュポンに人類の数を減らさせるべきではないかと、私は思い至ったのだ」


 大海の大精霊の考えを聞いた三人は、背筋がゾッとした。大海の大精霊は、人類に対して強い敵意を抱いている。大地の大精霊の封印に協力してもらう事は、不可能かもしれない。


 クレタとエリュマは、何とか説得しなければと言葉を探した。だが、大海の大精霊の意見は的を射ているため、反論できない。冷や汗を垂らしながら、二人は顔を見合わせた。


 一方ネメアは、恐怖の後から沸々と怒りが込み上げてきて、歯を食い縛っていた。ここで感情的に怒鳴り付けてしまえば、それこそ交渉は失敗に終わってしまう。自分は大海の大精霊に良くない印象を持たれているため、何か発言するべきではない。


 そう分かっていても、怒りの炎は勢いを増すばかりだった。頭の中で、言いたいことが山ほど浮かんでくる。魔物に故郷を滅ぼされ、両親を失った悲しみが、彼の感情をより膨らませていくのだ。


 クレタとエリュマが反論できずにいたため、大海の大精霊は席から立ち上がった。


「悪いが、私は協力できない。帰ってくれ」


 大海の大精霊がそう告げた時、ネメアの怒りは限界を超え、とうとう爆発してしまった。


「ふざけるな!! お前達の裁量次第で殺される人類の気持ちを、少しでも考えたことはないのか!? サンゴ礁の精霊が傷つけられる事を悔やんでいるなら、同族を魔物に虐殺される人類の悲しみも、理解できるはずだろう!?」


 机にドンッと手をついて、彼は勢いよく立ち上がった。皆は呆気にとられ、目と口を大きく開けたまま静止してしまう。一瞬、時が止まったかのようだった。


 しかし次の瞬間には、大海の大精霊が彼に素早く近づき、胸ぐらを掴んだ。


「それを言うならお前達冒険者も、仲間を失う魔物の事など考えずに、殺して金を稼いでいるではないか! 家畜だって、魚だって、何とも思わずに殺しているだろう!? どの口がほざいているんだ!!」


 額に青筋を浮かべ、大海の大精霊も怒鳴った。クレタとエリュマは慌てて立ち上がり、大海の大精霊の肩を掴んで、彼から引き剥がす。彼女達が両腕を押さえると、オルとロスも全身で足首を掴み、大海の大精霊を拘束した。


 ネメアと大海の大精霊は、しばらく無言で睨み合った。


 辺りに冷たい空気が広がる。ネメアは怒りに任せて強い言葉を放ってしまった事を後悔し、徐々に青ざめていった。一方大海の大精霊は、歯ぎしりしながら耳の先まで顔を赤く染めている。クレタ達が手を離したら、すぐに彼へ襲いかかってしまいそうだ。


 緊張状態が続く中、沈黙を破ったのはエリュマだった。


「皆、一旦座り直しましょう。ちゃんと話し合いをするべきだわ」


 彼女の提案に、ネメアはこくりと頷いた。大海の大精霊は無反応だったが、拒否するような態度も見られなかったため、エリュマ達は拘束を解いた。皆、速やかに自分が元いた席へ腰かける。オルとロスは、大海の大精霊の足元に待機した。またネメアに危害を加えようとしないか見張っているのだ。


 エリュマは再度口を開き、それぞれの立場を簡潔にまとめた。


「まず大海の大精霊さんは、サンゴ礁の精霊さんが傷つけられたという話を聞いて、人類が同じように海へ害を及ぼさないか心配なのよね。だから大地の大精霊の封印には協力せず、テュポンに人類の数を削らせて、そのリスクを下げようとしている。


 逆に私達は、同族が魔物に大量虐殺され、国が崩壊する事態を避けたいと思っている。お互い、仲間を失いたくない、住んでいる環境を壊されたくないという想いは同じよね?」


 皆の顔を見回し、自分の解釈が合っているかエリュマは確認を取った。ネメアとクレタはすぐさま頷き、大海の大精霊も険しい表情を浮かべながら、ゆっくりと頷いた。全員から同意を得られたので、彼女は話を先に進めた。


「それじゃあ本題に入るわね。人間が海の自然を破壊しないと分かれば、大海の大精霊さんは協力してくれる?」


 問いかけられた大海の大精霊は、彼女を強く睨みつけた。


「有り得ない話をするな。人間は欲深い生き物なのだから、いずれ海も侵略されるに決まっているだろう」


「という事は、その有り得ない事が起これば協力してくれるのね?」


 再度訊くと、大海の大精霊はそっぽを向いた。図星という事だろう。希望が見えた所で、今度はクレタが発言した。


「貴方はアンドロメダ島の漁師が、いずれサンゴ礁の精霊との約束を忘れてしまうかもしれないと言っていたけれど、それを絶対に忘れない状況をつくりだせばいいわ。


 人間の暮らしは自然に支えられているから、環境に配慮する事は人間のためにもなると呼び掛けて、自然を大切にする気持ちを皆に根付かせればいいと思うの。そうすれば、航路が発達してもサンゴ礁の精霊さんは傷つかないでしょう? 生き物の乱獲や汚染も、きっと防げる。大海の大精霊さん、人間を見捨てるにはまだ早いわ」


 クレタの話を聞いて心が揺れた大海の大精霊は、顔を正面に向け直した。


「具体的には何をするつもりだ?」


「私やエリュマ、前のパーティの仲間達は国王に顔が利く。国全体で環境に配慮した取り組みを行うよう、頼みに行くわ」


 返答を聞くと、大海の大精霊は口を閉ざした。今度は機嫌を悪くしたのではなく、最後の一押しを待っているのだ。そこでネメアが口を開いた。


「俺は人間の数を減らしても、根本的な解決にはならないと思います。何かを得るために何かを傷つけるのではなく、歩み寄らなくてはいけません。だから俺も、先ほど怒鳴ってしまった事を謝罪します。大海の大精霊さん、本当にごめんなさい」


 意見を述べた後、彼は深く頭を下げた。大海の大精霊は息を呑む。少し目線を泳がせた後、大きく息を吐いた。


「ハァァァァァ…………私も、掴みかかって悪かった。顔を上げろ、ネメア」


 言われた通り彼が顔を上げると、大海の大精霊は宣言した。


「私も、大地の大精霊の封印に協力しよう。ただし事が解決した後に、また海のものが傷つけられるような事があれば、私は二度と人間に手を貸さないからな」


 ネメア達はパッと顔を輝かせた。見張っていたオルとロスも、安心してネメアの足元に向かっていく。それから三人は大海の大精霊に感謝し、固い握手を交わしたのだった。


 交渉が終わるとネメア達は応接間を出て、大海の大精霊に案内されながら、宮殿の裏口へ向かった。そこから外に出ると、港町近くの岬へワープできるのだという。大海の大精霊と別れの言葉を交わすと、一行は宮殿を後にした。眩い光に包まれ、フワッと体が浮上する感覚と共に、荒波の打ち付ける断崖絶壁が目の前に現れる。一行は来た道を引き返して馬車に乗った。


 馬車の中、三人は大海の大精霊との交渉を振り返った。最初にその話を始めたのはクレタだった。


「大海の大精霊との交渉、ドキドキしたわね~。人類の数を減らした方が良いと思うようになった、って言われた時は、目の前が真っ暗になったわ」


 エリュマがクレタに共感した。


「本当にそう。あの時は背筋がゾッとしたわ。何とか引き留めなきゃって思ったのに、大海の大精霊さんの言う事も一理あるから、咄嗟に言葉が出てこなかったのよね」


 緊迫した場面を思い出し、彼女はブルっと肩を震わせた。記憶から呼び起こされた恐怖や焦燥感を振り払おうと、彼女は話を明るい方へ持っていくことにした。


「ネメアさんが面と向かって反論してくれて、本当に助かったわ。貴方の言葉を聞いて、大海の大精霊さんの主張は、人間の立場を一切考慮していない、一方的なものだと気づけたのよ。だから話し合いを提案したの」


「えっ、本当ですか!? 俺、余計な事言ったんじゃないかって、心配だったんです。良かったぁ~」


 心底安心した顔で、ネメアは胸を撫でおろした。クレタも彼を賞賛した。


「私達は精霊との関わりが深いから、つい絆されてしまったんだわ。目を覚ませてくれてありがとう、ネメアちゃん」


「いえいえ。それにしても、穏便に話し合いができるとは思いませんでした。無理やり宮殿から追い出されるかと思いましたよ」


「きっと大海の大精霊さん自身も、私達と話して考えを改めたいと思っていたんだわ。最初から協力する気がないなら、宮殿の中に通す必要はないもの」


 エリュマの推理を聞き、ネメアとクレタは目から鱗が落ちる。二人は口を揃えて、「なるほどぉ」と言った。


…………


 四日後、馬車はエリュマの営む武器屋がある町に到着した。彼女とはここで一旦お別れだ。


「ありがとうエリュマ! 冒険者ギルドのある町で待ってるわね」


「えぇ。テュポン討伐に備えて、武器や防具を持っていくわ」


「エリュマさん、一緒に謎解きできて楽しかったです。魔物の事も色々教えてくれて、ありがとうございました。とても勉強になりました」


「私も、ネメアさんと沢山お話できて良かったわ。それじゃあ二人とも、また今度!」


「「また今度!」」


 三人は手を振りあった。オルとロスも、お尻を向けて尻尾を振って見せた。


 エリュマと別れた後、ネメア達はさらに馬車に乗って、冒険者ギルドがある町へ向かった。移動している最中、クレタはどこか落ち着かない様子で周囲を見回し、手をさすっていた。不思議に思ったネメアは彼女に尋ねた。


「クレタさんどうしたんですか? そんなにソワソワして」


「えっ?」


 自覚が無かったのか、彼女は目を見開いた。それから気まずそうに下を向くと、躊躇いがちに口を開いた。


「ネメアちゃん、あのね…………今日は宿屋で、同じ部屋に泊まってくれないかしら? 貴方に、話さないといけない事があるの」


 彼女の声は暗く、すぐさま深刻な話があるのだと察する事が出来た。ネメアはゴクリと唾を呑み込む。「分かりました」と返事をした後、彼も胸の中がザワザワして、落ち着けなくなった。


 日が暮れ落ち、夜の静寂が訪れた頃。宿屋の同室に泊まったネメアとクレタは、130センチほど離れた距離にあるお互いのベッドに座り、見つめ合っていた。オルとロスは部屋の隅で身を寄せあい、すやすやと寝ている。部屋の中は闇に包まれており、クレタが魔法でつくった光の球だけが、仄かに二人の間を照らしていた。彼女は神妙な面持ちで話を始めた。


「ネメアちゃん、私は今まで隠していた事があったの。元のパーティーの皆が集結したら、敏い貴方にはバレてしまうだろうし、天空の大精霊にも忠告されたから、この際話してしまうわね」


 一度言葉を区切り、胸に手を当てて息を吐くと、彼女は一思いに真実を打ち明けた。


「私は貴方の姉、オリーブ・ヘリクルスよ」


「えっ!?!?!?」


 ネメアに稲妻のような衝撃が落ちる。引き裂けそうなほど目と口が開き、体は石のように硬直した。驚きのあまり言葉は出ず、頭の中がグチャグチャになってしまう。全身の毛が逆立ち、バクバクと心臓が脈打った。よろよろと立ち上がり、彼は彼女の前で膝を折る。


「うそ、ですよね…………?」


 蚊が鳴くような声で彼は尋ねた。しかし彼女は首を横に振り、呪文を唱える。詠唱が終わると、彼女の真っ黒な髪はダークグリーンに、茶色の瞳は吸い込まれそうなほど美しい黒曜石色に変わった。 


 突如として現れた、10年間一度も会えなかった姉の姿を呆然と見つめ、ネメアは過去の自分の考えが浅はかだった事を察した。


 ヒュドラを倒した後、キャンサさんにもらったヒントを元に導き出した答えは、合っていたんだ。でもその時は、雰囲気が違いすぎるという理由で、答えを揉み消してしまった。


 だけど冷静に考えれば、雰囲気が違うというのは当然の事だ。姉さんが冒険者として家を出てから、10年も経っている。それだけ長い時間が経てば、記憶の中の姉さんと違うのは当然だ。


 事実を受け入れたネメアの目から、大粒の涙が溢れ出した。「ずっと会いたかった」と、再会の喜びを口にしようとした。しかしそれを押し退けて、強烈な痛みが彼を襲った。


「どうして今まで、教えてくれなかったんだ……!」


 怒りと悲しみをぶつけ、彼は歯を食い縛った。彼の言葉はグサリと彼女の胸を刺す。彼女はギュッと目を瞑り、涙が出そうなのを堪えて返答した。


「理由は2つあるわ。1つ目は、大地の大精霊に狙われないようにするためよ。元の姿でいたら、テュポンを倒した私達は真っ先に命を狙われるわ。だからいつ復活してもいいように、姿を変えて別人として生きる事にしたの。情報漏洩を防ぐために、国王と精霊達にしか、姿を変えている事を伝えなかったわ。


 2つ目は、私が姉として貴方に接したら、厳しい修行をさせられず、成長させてあげられないと思ったからよ。私はようやく再会できた可愛い弟に、辛い修行を強いることはできない。冒険者なんてやめてもいい、私が今まで稼いだお金で暮らしていけばいいと言って、甘やかしてしまうわ。


 でもそれは、貴方のためにはならない。この国で暮らしている内は、いつ強力な魔物と遭遇するか分からないわ。お化けクジラやテュポンのような魔物が、いきなり襲ってくるかもしれない。そうなった時に自分の身を守れるように、貴方には強くなってほしかった。だから私は赤の他人のクレタ・トーラスとして、厳しい修行をさせていたのよ」


 理由を説明し終えると、彼女は彼の頭を撫でた。


「今まで黙っててごめんね、ネメア」


 そう言ったオリーブの声は、昔よりずっと大人びていたが、それでも彼女のものだと判った。ネメアはバッと立ち上がって、オリーブを抱き締めた。


「うわぁぁぁぁ!!」


 言葉なんて出てこなかった。ただひたすらに懐かしくて、嬉しかったのだ。オリーブはネメアの背中に腕を回し、もう決して離れないと言わんばかりに、きつく抱き締めた。

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