天空編
ネメア達は桟橋まで戻り、渡し守のカロンに運賃を渡して舟に乗り込んだ。分かれ道に出ると舟は左に曲がり、川の流れに逆らいながら、どんぶらこどんぶらこと来た道を引き返した。すると、川上には桟橋が無くなっており、前方から眩い光が差し込んできた。光に飲み込まれ、あまりの眩しさにネメアは目を瞑る。
瞼越しに感じる光に慣れてきた所で目を開けると、そこは森の中だった。先ほどまで舟に乗っていたはずが、今は苔むした地面に座っている。クレタは隣で彼が立ち上がるのを待っており、オルとロスは膝に上がってこちらを見ていた。
「さっきまで舟に乗ってましたよね? 何が起こったんですか? それに、ここはどこですか?」
訳が分からず、彼は辺りを見回す。
「ここは山の麓よ。冥界から帰る時は、ここに転移するの」
「へー、そうなんですね。俺てっきり、舟から降りた後、谷底から這い上がって山頂まで戻る必要があるんだと思ってました。麓まで連れてきてくれるなんて親切ですね」
オルとロスを膝から下ろし、ネメアは立ち上がった。
「これから、天空の大精霊さんの所まで行きますか?」
「えぇ。でも、天空の大精霊の宮殿へ行くには、虹の精霊の協力が必要なの。まずは彼女に会うために、大きな滝がある町まで向かうわ。そこで昼食も取りましょ。お腹が減ったわ」
「確かに、もうお昼時ですもんね。大きな滝がある町って、この山からまぁまぁ離れた所にありますけど、徒歩で行くんですか?」
「うーん、そうね……」
クレタはしゃがんで、オルとロスと顔を合わせた。
「馬車みたいに扱って悪いんだけど、私達を運んでもらえるかしら?」
オルとロスは小さく頷いた。首輪の名前をなぞって、二匹の体を大きくすると、クレタとネメアはそれぞれの背中に乗った。オルの背中に乗ったクレタが進む方向を指示し、ネメアを乗せたロスは彼女達の後を追った。
大きな滝がある町の前まで来ると、背中から降りて鞍をなぞり、体を小さくした。二人は二匹に感謝の言葉をかけ、沢山頭を撫でてやった。オルは舌を出して笑顔になり、ロスは目を閉じて朗らかな表情を浮かべた。
町は断崖絶壁に囲まれており、石造りの家が点々と建っている。耳を澄ますと、奥の方からザァァァと激しく水が流れ落ちる音が聞こえてきた。町の両端にはアジサイ畑があり、薄紫や桃色の花が可憐に咲き誇っている。小さいながらも、夢の景色のような空間が広がる、可愛らしい町だ。
ネメア達は住宅地付近にある、屋台が並ぶ通りへ向かった。そこで、サーモンと玉ねぎの酢漬けを挟んだサンドイッチを買い、道路脇のベンチで食べた。玉ねぎのシャキシャキとした食感が楽しく、酢の甘酸っぱさがサーモンの旨味を引き立てている。後味はさっぱりとしており、とても食べやすい。
食事をしている最中、オルとロスは二人の前にちょこんと座って、食べ終わるのを待っていた。その健気な姿を見て、自分達だけ昼食を取っているのが、ネメアは申し訳なく感じた。
死の大精霊は、二匹に食事は必要無いと言っていたが、大きな丸い瞳に見つめられていると、罪悪感が湧いてくる。パンの、味がついていない部分を千切って、二匹に差し出してみた。
二匹はクンクンと匂いを嗅ぎ、最初にオルがパンの欠片を食べた。口をペロリと舐めると、オルは礼を言うかのように一声鳴いた。続いてロスが欠片を食べ、ペコリと頭を下げる。礼儀正しい二匹の態度に、ネメアはクスリと笑った。
彼らのやり取りを見ていたクレタも、パンを千切って二匹に食べさせた。彼女にも同じく、二匹はお礼を伝えているような仕草を見せる。彼女は「かわいい~!」と甲高い声を上げた。
食事を終えると、ネメア達は町の奥にある、大きな滝へ向かった。周囲には青々と木々が生い茂り、崖の上から、太い束になって絶え間なく水が流れ落ちている。ザバァァンと辺りに響き渡る爽快な音が、骨の髄まで染みた。
滝壺に叩きつけられ、跳ね上がった水が太陽の光を反射し、七色の虹ができている。クレタはその虹に向かって、滝の音に負けないよう大声で話しかけた。
「虹の精霊さん、出てきて! 頼みたいことがあるの!」
彼女の声が届いたのか、アーチ状の虹が人の形へと変わっていき、虹の精霊が現れた。虹の精霊は、オパール色の長い髪と瞳を持っており、黒い背広にミニスカートを履いている。
「ハァイ、クレタ。ワタシを呼んだ?」
虹の精霊は長い髪をかきあげ、腰に手を当てながら空中をツカツカと歩き、クレタ達の前に降り立った。彼女はクレタの隣にいるネメアを見て、小首を傾げた。
「あらクレタ、アナタの隣にいるのはどなたかしら?」
「私の弟子のネメアちゃんよ」
「はじめまして、俺はネメア・レオと言います」
「はじめまして、ワタシは虹の精霊よ」
虹の精霊はネメアの手を取り、ブンブン腕を振りながら握手した。彼は、これまた強烈な人が現れたなぁと、内心苦笑した。軽く挨拶を済ませると、虹の精霊はクレタに尋ねた。
「今日はどんなご用でワタシを呼んだのかしら?」
「アイちゃんから、天空の大精霊さんへの伝言を頼まれたの。宮殿までの道をつくってくれないかしら?」
「オッケー。死の大精霊様からの伝言ということは、重大な話があるのね」
何か大変な事が起こったのだと察しつつ、虹の精霊は一切の動揺を見せずにクレタの頼みを承諾した。こういう事には慣れている、といった態度だ。
虹の精霊は、両手を合わせて長い呪文を唱え、腕を振り上げた。すると、地面から大きな虹が沸き上がってきて、その虹は螺旋状に空高く伸びていった。まるで芸術作品のようだ。
普通の人間は絶対見られないであろう、素晴らしい光景を目にし、ネメアは顔を輝かせる。
「凄い! 幻想的で綺麗ですね!」
「フフッ、そうでしょ?」
称賛を聞き、虹の精霊は胸を張った。ネメアとクレタは彼女に礼を言うと、オルとロスを引き連れて、螺旋状の虹の道を登った。
宮殿までの道のりは長く、ネメア達は2時間ほど歩き続けた。常人ならヘトヘトになる距離を歩いたが、ネメアとクレタは魔物との戦いによって肉体が鍛え上げられているため、汗一つかいていない。オルとロスも疲れた様子は無く、飛び付いたり、尻尾を追い回したりしてじゃれている。
頂上には最初、何も見当たらなかったが、青い空の中から全面ガラス張りの宮殿が浮かび上がってきた。あまりにも奇抜なその姿に、ネメアは思わず「えー!?」と叫んでしまう。
彼の声を聞きつけ、宮殿の中から鎧を纏った兵士が二人現れた。腕の部分には装備を着けておらず、金色の羽を広げてこちらを警戒している。彼らは鳥の獣人のようだ。
「お前達は何者だ!」
「天空の大精霊様に、何をしに来た!」
鳥の獣人の兵士達が、階段を下りて迫ってきた。クレタはアイテムボックスから木の箱を取り出し、そこらから更に紹介状を取り出した。
「これを読んでちょうだい」
「なんの手紙だ? 紹介状?」
翼を人間の腕に変化させ、彼女から紹介状を受け取ると、兵士達は顔を並べてそれを読んだ。すると、ギョッと目を見開いたかと思えば、ペコペコと頭を下げた。
「申し訳ございません! お二方は、死の大精霊様の使者であられたのですね! 我々のご無礼をお許しください!」
「すぐに、天空の大精霊様の元へご案内いたします!」
態度をガラリと変えた兵士達の様子に、ネメアとクレタは顔を見合わせてクスクスと笑った。紹介状をクレタに返すと、彼らは二人と二匹を宮殿の中へ通した。
兵士の一人が業務中の天空の大精霊を呼びに行く間、ネメア達はエントランスホールで待機した。全面ガラス張りの宮殿は、太陽光をたっぷりと室内に行き渡らせており、とても温かい。オルは床にお腹を出して寝転び、ロスはうとうとし始めた。
天空の大精霊を呼びに行った兵士が戻ってくる頃には、二匹はすっかり夢の中だった。
「あら、オルとロスは寝ちゃったのね」
「気持ち良さそうに寝てますね」
起こしてしまわないよう慎重に、クレタがオルを、ネメアがロスを、我が子のように優しく抱きかかえた。その状態で、二人は兵士の案内で謁見の間へ向かった。
謁見の間には、目映い光を放つ、黄金の椅子に座る者がいた。その者は、肩まで伸ばした金色の髪をカールさせており、モコモコの白い肩出しのトップスを着て、穴の空いたジーンズを履いている。焦げ茶色の肌は日差しを受けて照り輝いていた。
クレタが、椅子に座る者に対して声をかける。
「久しぶりね、天空の大精霊さん」
「おひさ~死の大精霊から、伝言預かって来たんだって?」
天空の大精霊は椅子から立ち上がり、クレタ達の元へ歩み寄った。天空の大精霊は伝言を聞こうとしたが、彼女達が抱えているオルとロスを見た途端、目の色を変えて二匹の事に話題を移してしまった。
「ちょ、まって、なにその子達? めっちゃ可愛いんですけど~!! クレタ犬飼い始めたの?」
「飼い始めたというか、私の弟子のネメアちゃんに付いてきたのよ」
「ふーん。ネメアって、あんたのこと?」
天空の大精霊はネメアに視線を向けた。彼はこくりと頷く。
「はい。俺はネメア・レオです」
「へ~」
背伸びして、天空の大精霊は彼の顔をジッと見つめた。いきなり熱い視線を受けた彼は、ビックリして後ずさってしまう。
「え、あの、俺の顔に何か付いてますか?」
「あんたオリーブに似てるね。垢抜けない田舎臭い感じがそっくり」
顔を見つめてきたかと思いきや、いきなり悪口を言われ、ネメアはドン引きした。
「田舎臭い!? いきなり悪口ですか!?」
「え~、悪口じゃないし。姉弟でそっくりな顔してて、面白いな~って思っただけ」
「え、何で俺がオリーブ姉さんの弟だって知ってるんですか?」
「オリーブが、前にネメアのこと話してたんだよね~。ってか、伝言聞かなきゃいけないんだった。メンゴメンゴ。それで、死の大精霊はなんて言ってたの?」
天空の大精霊は、自分で乱してしまった話の流れを戻した。クレタとネメアは、死の大精霊が予知した事の内容と、大地の大精霊を封印するために、他の精霊達を呼び集めてほしいという事を話した。
話を聞いている内に、フランクな態度だった天空の大精霊の顔は険しくなり、終わる頃にはとても真剣な表情をしていた。
「オッケー、なる早で皆に声かけるね」
天空の大精霊の協力を得られることになり、ネメアとクレタは顔を綻ばせる。一つ目の仕事は、あっさりと終わらせることができた。
役目を果たしたため、ネメア達は宮殿を出ることにした。その旨を話すと、天空の大精霊はもう少しここに滞在しないかと誘ってきた。
「せっかくここまで来たんだし、ちょっとお茶してかない? 虹の道を渡ってここに来るのも、結構時間かかったっしょ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて休憩させてもらおうかしら」
クレタはすぐ誘いに乗った。しかし、ネメアは申し訳なさそうな顔をした。
「あの、俺達が伝言を伝えに来るまで、天空の大精霊さんは業務をしてたんですよね。お忙しい中、くつろいでいくのは気が引けるんですが……」
「いーのいーの、ウチが仕事の休憩したいってのもあるから。ゆっくりしてって」
天空の大精霊が気さくにそう言うと、「そういうことなら、休憩させてもらいます」とネメアは答えた。一行は謁見の間を出て、応接間へと向かった。その途中、天空の大精霊は廊下を歩いていた召使いに、茶を運んでくるよう指示した。
応接間には、白い布地に金色の刺繡が入ったロングソファと、ガラスの机を挟んだ向かい側に、同じ材質のソファが一つ置かれていた。天空の大精霊は一つのソファに腰かけ、ネメア達はロングソファに腰かける。寝ているオルとロスは、膝の上に乗せてやった。茶が来るよりも先に、天空の大精霊が口を開く。
「気になったことがあるんだけどさ、ネメアとクレタはどうして師弟関係になったわけ?」
質問に、ネメアが頬を赤らめて答えた。
「恥ずかしい話なんですけど、俺は所属していたパーティーの人達に、ステータスが平凡すぎて役に立たないと言われ、追放されてしまったんです。そこでクレタさんに拾ってもらって、追放した人達を見返すために弟子入りしました」
話を聞いた天空の大精霊は、何か引っかかる点があったのか、小首を傾げた。それから顎に手を当てて考え込む素振りを見せた後、彼に別の質問をした。
「ネメアは最近、オリーブと会う機会はあった?」
「いえ、姉さんが冒険者になってから、かれこれ10年は会えてません。俺は行方不明になった姉さんを探すために、冒険者になったんです。あの、なんでそんな質問を?」
先ほどの問いと全く関係ない問いをされて、ネメアは戸惑った。一方、天空の大精霊は何かを察し、スンっと真顔になった。
「前にオリーブと話した時、あんたと再会したいって言ってたんだよね。それなのに、まだ会えてなかったんだ。大地の大精霊の封印が解けて、大変なことが起こるかもしれないし、その前に姿を現すべきだよね」
天空の大精霊の発言に、クレタが暗い顔をしながら言葉を返した。
「そうね……本当にその通りよ」
辺りはしんみりとした空気に包まれる。その時、部屋の扉をノックする音が聞こえてきて、天空の大精霊が席を立った。
「あっ、お茶が来た。なんか暗い話になっちゃったし、気分転換に飲もっ」
天空の大精霊が扉を開け、召使いが応接間に入ってきた。召使いが持っているトレーには、銀のコップ3つと、陶器のジャグが置かれている。召使いはジャグに入った飲み物をコップに注ぎ、それぞれに配った。
飲み物の色は透明だが、シュワシュワと音を立てて泡が弾けている。うっとりするような甘い花の香りも漂ってきた。
「これ、めっちゃ美味しいから飲んでみて」
促され、ネメアはそれを飲んだ。すると、炭酸の泡が弾けて舌を刺激し、後から上品でコクのある甘味がやってきた。後味は紅茶のように香り高い。曇った心が一気に澄みわたっていく感覚があった。
「美味しい! これ、何て言う名前の飲み物ですか?」
「ネクタールっていうの。炭酸水に花の蜜を入れてんだ」
「へー! 何の花の蜜を入れてるんですか?」
「それは……」
ネメアと天空の大精霊は、ネクタールの話で盛り上がった。先ほどの話のことなど、もう覚えていないかのようだ。クレタはその事にとても安堵する。彼女はオリーブの話を、あまりしたくなかったのだ。彼女もネクタールに口を付け、その美味しさに頬を緩めるのだった。
ネクタールに関する話題が尽き、ちょうどそれが飲み終わる頃。天空の大精霊が話を変えた。
「てか、ネメアはクレタと修行してるって言ってたじゃん? ステータスどんな感じ?」
「こんな感じです」
ネメアはズボンのポケットからステータスカードを取り出し、天空の大精霊に差し出した。彼のステータスを見た天空の大精霊は感心する。
「へぇ、結構高いじゃん! あんたやるね」
「エヘヘ、お褒めに預かり光栄です」
自分で自分の頭を撫でながら、ネメアはデレデレとした。しかし、天空の大精霊は彼にステータスカードを返した後、懸念点を見つけた。
「んー、でもここまでステータスが高くなってくると、さらに強くなんの大変じゃない? 冒険者って、魔物と戦ってステータス上げてんだろうけど、ネメアは並大抵の魔物倒した程度じゃ、もう上がんないっしょ」
天空の大精霊の指摘に、クレタが同意した。
「私も同じことを考えていたわ。私達、パーティーのメンバーが二人しかいないから、Aランク、Sランクパーティー向けの魔物の討伐依頼を受けさせてもらえないのよ。今日は精霊の誰かに頼んで、稽古をつけてもらおうと思っていたわ」
「ふ~ん。じゃあさ、今日はウチが稽古つけてあげる」
腕と足を組んでニヤリと笑い、天空の大精霊は師範になることを買って出た。それを聞いたクレタは感激する。
「それはありがたいわ! ネメアちゃん、大精霊と修業ができる貴重な機会よ。お世話になったらどうかしら?」
呼びかけられたネメアは大きく頷いた。
「はい! 天空の大精霊さん、お願いします!」
「オッケ~、決まりね。じゃ、稽古場までいこっか」
三人はソファから立ち上がった。その時に、クレタとネメアは膝の上で寝ていたオルとロスを床に下ろし、揺すり起こした。彼らは大きなあくびをして、ぐいーっと前足を伸ばし、プルプルと首を振って眠気を飛ばした後、シャキッと四本の足で立った。一行は稽古場へ向かった。
稽古場は宮殿の中央にあり、全面ガラス張りではなく、頑丈なレンガの壁に囲まれていた。天井には、魔法でできた大きな光の球が浮いており、それが照明になっている。ここは宮殿を守る兵士達が鍛錬をするために造られた部屋で、今も鎧をまとった六人の兵士達が、剣の素振りをしたり、打ち合い稽古をしたりしていた。
稽古場に天空の大精霊が入ってきたのを見ると、兵士達はピタッと鍛錬をやめ、姿勢を正して頭を下げた。彼らの統一された動きに、ネメアは思わず「おぉー」と声を出す。
「みんなお疲れ~。今からウチらでここ使いたいんだけどさ、一旦隅に捌けてくんない?」
天空の大精霊が指示を出すと、兵士達は声を揃えて「ハッ!」と返事をし、部屋の隅へ素早く移動していった。ネメアと天空の大精霊は、部屋の中央へ進み出る。
「ネメアがウチを倒したら稽古終了ね」
「了解です」
ネメアは四葉のペンダントを握りしめてアイテムボックスを召喚し、殴ったものを氷漬けにするグローブと、如意棒を取り出した。大精霊ともなれば、さぞかし強いに違いない。特定の武器に絞って戦うのではなく、使えるものは全て使うことにした。
彼が武器を準備して、アイテムボックスをペンダントに封印した後。天空の大精霊は呪文を唱え、鉄の円盤を召喚した。円盤には、雷の模様が刻まれている。
二人は互いに背を向け、3メートルほど距離を取った。戦いが始まろうとする中、兵士達は、突如宮殿にやってきて、自分達の仕える主と稽古を交えようとしている者が、どのような人物なのか気になり、ネメアを観察し始めた。視線を感じた彼は、緊張で冷や汗を流す。
そんな中、「ネメアちゃん頑張って!」とクレタが声援を送り、オルも彼を鼓舞するかのように力強く吠えた。応援を受け取った彼は肩の荷を下ろし、真っ直ぐ天空の大精霊を見据える。互いに武器を構えると、戦いの幕が上がった。
最初に仕掛けたのは天空の大精霊だ。腕を前方に振り、ネメアの腹の辺りを狙って円盤を投げる。円盤は手から離れると、電気をまとってバチバチと光り始めた。彼は素早く右に移動し、それを避ける。だが、天空の大精霊が腕を右に振ると、その動きに連動して軌道が変わり、脇腹に円盤が直撃してしまった。
「うわっ!」
円盤から発せられた電撃で体を吹き飛ばされ、彼は地面に転がり落ちる。追撃に備えて体勢を立て直したかったが、全身がビリビリと痺れて動けなかった。彼が麻痺している隙に、天空の大精霊は五本の指をクイッと内側へ曲げ、円盤を操り、自分の元へ引き寄せる。
天空の大精霊は腰を落とし、円盤を投げる構えを取った。ネメアは攻撃を防ぐため、頭の中で盾を召喚する魔法の呪文を唱える。円盤が投げられ、目と鼻の先まで迫った瞬間に魔法が発動し、彼の四方は大きな盾に囲まれた。
盾に当たった円盤はカツンと弾かれ、下に落ちる。天空の大精霊は右手を挙げ、落ちた円盤を浮かせた。それから投げる時の構えを取り、前方に腕を振る。すると、円盤が勢いよく盾に突撃した。続けて、人差し指をクルクル回すと回転が加わり、ギュィィィンと音を立てて、盾を削り始めた。
これはまずいと、ネメアは顔を青くする。痺れが取れてきて、少し動くようになった唇を精一杯動かし、彼は回復魔法の呪文を唱えた。麻痺が治り、全身を自由に動かせるようになると、立ち上がって空気を殴りつけ、グローブの効果で氷塊を産み出した。それを勢いよく落とし、円盤を地面に叩きつける。
攻撃を止める事に成功したため、ネメアは守りから攻めに転じる事にした。「高く伸びろ如意棒!」と叫び、如意棒を5メートルの長さに伸ばすと、横に振って天空の大精霊の体を吹き飛ばした。
「キャッ!」
短い悲鳴を上げ、バタンッと天空の大精霊が倒れる。その隙に、「縮め、如意棒!」と唱えて如意棒を元の長さに戻し、ズボンのポケットにしまうと、全速力で走って天空の大精霊に接近した。彼は膝を折り曲げ、天空の大精霊に殴り掛かろうとする。すると、天空の大精霊は飛ぶように上半身を起こし、彼の腕を掴んだ。
そのまま勢いよく押し倒され、ネメアは目を白黒させる。天空の大精霊は華奢な体格をしているため、こんなに力が強いとは思わなかったのだ。何も反応できないまま、もう片方の腕も強く掴まれ、地面に縫い付けられてしまう。
「アハッ、つーかまーえたっ!」
天空の大精霊は、愉快そうに笑った。だが、瞳の奥は笑っておらず、本能的な恐怖を感じ、ネメアはヒュッと息を呑んだ。早く拘束を解かなければ、殺されてしまう気がする。彼は呪文を唱えて火の玉を召喚し、攻撃して腕から逃れようとした。
その時、ポツンと雫が落ちてきて、何事かと思い上を向くと、上空に黒い雲が広がっていた。ザァァッと雨が降り注ぎ、たちまち火の玉が消えてしまう。天空の大精霊は頭の中で、雨雲を召喚する魔法の呪文を唱えていたのだ。
ネメアは、雨雲から雷を連想し、天空の大精霊がそれを落とそうとしているのではないかと考えた。早く逃げなければと、手足をジタバタ動かしてもがく。しかし、天空の大精霊が岩のように重くのし掛かっているため、ちっとも体を動かすことができない。
焦りに焦った末、彼は天空の大精霊の顎に頭突きした。ヤケクソではあったが、天空の大精霊はこの行動を予測していなかったため、攻撃がクリーンヒットする。腕の力が緩んだので、両手で体を突飛ばし、拘束から逃れることができた。
彼が離れたのとほぼ同時に、元いた場所に閃光が降り注いだ。ドカンッと、けたたましい音が鳴り響く。彼は目と口を大きく開けて驚愕した。攻撃に当たってしまった時の事を想像し、心臓がバクバクと音を立てた。
ネメアに突き飛ばされ、尻餅をついていた天空の大精霊が立ち上がった。右手を挙げ、ネメアの後ろに落ちていた円盤を浮き上がらせる。背後からそれに突撃されるのではないかと考え、彼は後ろを振り向いて拳を構えたが、スゥーと頭上を通り過ぎていき、天空の大精霊の手の中に納まった。
天空の大精霊は、回収した円盤を上に放り投げた。すると、雨雲が見る見るうちに円盤へ吸い込まれていった。雨雲を吸収し終えると、それは天空の大精霊の周りを旋回し始めた。攻撃を仕掛けようとネメアが近づけば、円盤から鋭い電撃が放たれ、彼の前方を守っていた盾が破壊された。
「迂闊にウチに近づいたら、ビリッときちゃうよ。さぁ、どうする?」
口の端を吊り上げ、天空の大精霊は挑発的な笑みを浮かべた。闘争心を煽られ、ネメアは前進してしまいそうになるが、一つ息を吐いて冷静さを保ち、攻撃するタイミングを見計らう事にした。円盤は旋回しているため、天空の大精霊の後ろに回った時がそのチャンスだろう。
ズボンのポケットから如意棒を取り出し、円盤が天空の大精霊の右耳を通り過ぎたタイミングで、ネメアは「伸びろ如意棒!」と唱えた。長くなっていくそれを素早く前に押し出し、腹のど真ん中を突こうとする。しかし、天空の大精霊は両手で先端を受け止めて、進行を防いでしまった。
徐々に伸びていく如意棒に押され、天空の大精霊はズルズルと後ろへ下がっていくが、如意棒の方もまた、強い力で押し戻されそうになっているため、大きな圧力が掛かっていた。ミシミシと嫌な音が鳴っている。
「縮め如意棒!」
このままでは如意棒が折れてしまうと判断し、元の長さに戻すことにした。だが、それは非常にまずい行為だった。天空の大精霊は、彼がそう唱えるのを待っていましたと言わんばかりに、如意棒の先端をガシッと掴んで、自分の方へ引っ張った。すると、彼は如意棒に引きずられて、天空の大精霊に接近してしまった。
円盤は天空の大精霊の左耳辺りまで来ており、咄嗟にネメアは如意棒から手を放した。円盤から閃光が発射され、ガシャンと左側の盾が壊れてしまう。彼が背を向けて走り出そうと体を捻った所で、立て続けに電撃がやってきて、右側の盾も壊れてしまった。さらに、一歩足を進めた時、最悪な叫び声が聞こえてきた。
「伸びろ如意棒!」
天空の大精霊がそう唱えると、160センチの長さに伸びた如意棒が、彼の背中を守っていた盾を貫いた。彼は瞬時に嫌な予感を覚え、6メートル先を目指して全力で足を動かす。
「高く伸びろ、如意棒!」
天空の大精霊が追撃を仕掛けてきた。如意棒が届くのが先か、彼が逃げ切るのが先か、兵士達とクレタ達は、息を呑んで見守る。如意棒が背中につく寸前、彼は左足を大きく前に出してスライディングした。髪の毛が僅かに触れた後、顔の上を如意棒が通り過ぎていく。
先に5メートル先へ到達したのはネメアだった。地面に着いた体を起こして、如意棒が届かない位置までさらに走り、振り返って天空の大精霊を見据える。武器を奪われ、不利な状況に陥ってしまった。ここからどうすれば逆転できるのだろう?
思考を巡らせ、そして閃いた。武器を奪われたら不利になるのは、相手も同じことだ。魔力の込められた武器は、触れた瞬間に所有者が変わるという特性がある。だから天空の大精霊は、奪った如意棒で攻撃を仕掛ける事ができたのだ。
ネメアは呪文を唱え、四方に盾を召喚した。攻撃を避けつつ、接近し、円盤に触れる事ができれば、所有者は自分に変えられる。作戦を実行すべく、彼は天空の大精霊に向かって走り出した。
ネメアが自分の元へ向かってきているのを見て、天空の大精霊は如意棒を下へ向けて振り、足に打撃を与えて彼を転ばせようとした。だが、彼はタイミングよくジャンプして攻撃を避けた。
着地すると、彼は小さな竜巻を発生させる魔法の呪文を唱え始めた。この魔法は詠唱に20秒かかる。そのため天空の大精霊は余裕の笑みを浮かべた。
「ネメア、ウチに竜巻当てようとしてる? でもその魔法、ちょっと詠唱に時間かかるよね。悠長にしてると、ウチが先に攻撃当てちゃうよ?」
強気の姿勢を取り、天空の大精霊は如意棒を軽やかに操って、四方八方からネメアを攻めた。足元から攻撃が来たかと思えば、今度は頭上から如意棒が落ちてきて、右に逸れれば、逸れた先から横払いがやってくる。彼は目が回りそうになりながら、何とか攻撃を避け続けた。
稽古の様子を観戦している、宮殿を守る兵士達には、天空の大精霊が如意棒を振り回すスピードと、それをネメアが避けるスピードが速すぎて、目で追うことができなかった。彼らは次元の違う戦いぶりに、思わず息を呑む。クレタも、弟子の成長ぶりに腕を組んで頷いた。
しかし、天空の大精霊との距離が目と鼻の先まで来た時に、下方からの攻撃への反応が遅れ、ネメアは足を取られて転んでしまった。その場にどよめきが起こる。呪文を唱えながら走っていたため、攻撃を避け続けるにも限界があったのだ。
天空の大精霊の周囲を旋回していた円盤が、前方にやってきた。倒れている彼に向かって、電撃が放たれようとしている。敗色濃厚か、その場にいた誰もがそう思った。
次の瞬間、天空の大精霊の頭上に水が降り注ぎ、円盤から放たれた電撃は水へ流れた。
「ギャァァァ!!!」
絶叫し、感電した天空の大精霊は地に伏せた。続けて、円盤の近くで小さな竜巻が発生する。立ち上がったネメアは、水気が飛ばされた円盤を手に取った。
彼は、口では小さな竜巻を発生させる魔法の呪文を唱えつつ、頭の中では水を出す魔法の呪文を唱えていたのだ。竜巻の魔法を使ったのは、感電しないよう、放電したばかりの濡れた円盤を乾かすためではあるが、天空の大精霊を油断させるという狙いもあった。
もしも天空の大精霊が、如意棒ではなく円盤で攻撃していたとすれば、それに水をかけるタイミングが掴めず、作戦は失敗に終わっていただろう。天空の大精霊には、円盤を投げずとも如意棒で対処できると思わせておく必要があったのだ。
如意棒も回収し、縮めてズボンのポケットにしまうと、ネメアは天空の大精霊の方へ目を向けた。ぐったりと横たわっていたが、全身がピカッと光って傷一つない状態で復活し、シャキッと立ち上がる。警戒したネメアは円盤を投げる構えを取ったが、天空の大精霊は両手を挙げた。
「こーさん! やられちゃったし、武器も取られちゃったし、もう成す術無しって感じ。まさかウチの方が痺れちゃうなんてね」
決着がつくと、観衆は沸き立ち、勝者のネメアへ拍手が送られた。達成感と、勝利を称えられた嬉しさに彼の顔は綻ぶ。尻尾を振りながらオルとロスが駆け寄ってきて、二匹の後からクレタもやってきた。オルは周囲をクルクルと走り、ロスは前足で彼の右足を抱きしめる。二匹なりの賞賛なのだろう。
「ネメアちゃん、見事な戦いぶりだったわ! 円盤を利用しようなんて、よく思いついたわね」
クレタはネメアの頭をわしゃわしゃ撫でた。
「エヘヘ、子供みたいに撫でないでくださいよ~。天空の大精霊さんに如意棒を奪われたから、やり返そうかなって思ったんです」
「目には目を歯には歯を、ってことね。強くなったわね、ネメアちゃん」
最後に彼の体をギュッと抱きしめて、彼女は一歩後ろに下がった。二人の仲睦まじい様子を見ていた天空の大精霊は、クスリと笑った。
天空の大精霊との稽古でどれほど強くなったのか確認するために、ネメアはズボンのポケットからステータスカードを取り出した。
『ネメア・レオ』
攻撃力 90/100
防御力 87/100
素早さ 90/100
武器を扱う技術 90/100
魔力 89/100
身体能力 90/100
「やった! 90台まで成長してるステータスがある!」
ネメアが歓喜の声を上げると、クレタも横からステータスカードを見た。彼女は口に手を当てて驚く。
「ほんとだわ! 対戦相手が大精霊ともなれば、ステータスが上がるのもあっという間ね」
「天空の大精霊さん、稽古をつけてくださって、ありがとうございました!」
「どーいたしまして。ウチも久々に体動かせて、いいリフレッシュになった」
天空の大精霊は腰に手を当てて、ニカッと笑った。
稽古場を出ると、ネメア達はエントランスホールへ向かった。クレタが、天空の大精霊に別れを告げる。
「それじゃあ、私達はこれで帰るわね。今日は色々とありがとう。精霊達への通達、よろしく頼んだわよ」
「もちろん! 超特急で手紙書いて、召使いに配らせるね」
別れの握手をし、ネメア達は宮殿を出た。虹の道を下って地上に着く頃には、すっかり日が暮れていた。下で待っていた虹の精霊は、戻ってきた彼らに声をかけた。
「オカエリー。時間がかかったようだけど、それだけ天空の大精霊様との話し合いが長引いていたのかしら?」
「いいえ、話はすぐに呑み込んでもらえたわ。お茶を出してもらったり、ネメアちゃんが稽古をつけてもらったりしていたのよ」
「フーン、相変わらずお人好しな方ね」
虹の精霊は困り笑いを浮かべた。彼女は虹の道を消すと、滝壺の中へ消えていった。ネメア達は魔法で光の球を出し、その明かりを頼りにしながら町へ戻った。夕食を出してくれる宿屋を見つけると、そこに宿泊して一晩明かした。
夜が明けると、二人と二匹は馬車に乗って、エリュマが経営する武器屋を目指した。到着し、店の中へ入ると、彼女はハッと目を見開き、カウンターから出てきた。
「いらっしゃいクレタ、ネメアさん! それからその子達は……」
二人の足元にいるオルとロスに、彼女は目を向けた。オルはフイッと顔を背け、ロスはネメアの後ろに隠れてしまう。二匹が素っ気ない態度を取っている事を不思議に思いつつ、ネメアは説明した。
「この子達はオルとロスです。死の大精霊さんの使いだったんですけど、俺に付いてきました」
「へー、死の大精霊の使いね……死の大精霊の使い!? どういう経緯で仲間になったの!? というか、二人ともアイさんに会ったの!?」
エリュマは目が飛び出そうなほど驚いた。そんな彼女に、クレタが今までの出来事を伝えた。
死の大精霊が、大地の大精霊が復活し、テュポンを産み出そうとしているのを予知したこと。それを阻止し、再び大地の大精霊を封印するために、世界各地の精霊を呼び集めなければならないこと。そのために、天空の大精霊と大海の大精霊に協力してもらおうとしていること。
そして昨日、天空の大精霊の協力を得られるようになったこと。今度は大海の大精霊に会うために、宮殿前の迷路の攻略を手伝ってほしいという事を話した。
エリュマは、額に汗をかきながら、危機が迫っている事への恐怖で高鳴っている胸を押さえ、静かに返事をした。
「分かったわ、協力する。店じまいするから待ってて」
彼女は一旦店の外に出て、『休業中』と書かれた看板を立てた。中に戻ると、カウンターの奥へ行き、身支度を整えて二人の前に出た。彼女はエプロン姿の店主から、レモンイエローのローブに白いマントを羽織った、冒険者になっていた。頭には、緑の宝石がついたヘアネックレスをつけている。
「準備できたわ。これから仲間としてよろしくね」
そう言って微笑むと、彼女はしゃがんでオルとロスにも声をかけた。
「貴方達もよろしくね」
オルはまたもやそっぽを向き、ネメアの足の後ろからチラリと顔を覗かせたロスも、牙を剥き出した。二匹の態度に彼女は苦笑する。
「飼い主以外には懐かないってことね」
エリュマが仲間に加わり、3人と2匹の旅が始まったのだった。
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