ヒュドラ編

 お化けクジラ騒動の後、アンドロメダ島から帰る日がやってきた。日が昇ってからそれほど時間が経たない頃、ネメアとクレタはアール号に乗り込んだ。港には、見送りに来た多くの人々が集まっている。その中に、ムパリとパトスも混ざっていた。船が出航すると、港に集まった人達は乗客に向かって手を振った。彼らもまた、二人に対して手を振った。


「じゃあね、クレタ、ネメアさん! またいつか!」


「えぇ、また会えることを祈っているわ!」


「ムパリさんパトスさん、一週間お世話になりました! どうかお元気で!」


 ムパリが二人に声をかけ、二人はそれに答えた。ムパリとパトスの姿が、遠く彼方の地平線へと消えていくまで、二人は手を振り続けた。そして、帰りの船旅では一切魔物が現れず、平和に帰路に就くことができた。二人は、恐らくサンゴ礁の精霊が、アール号に魔物が近づかないよう守ってくれたのだなと思った。


 船の護衛の依頼を終えると、ネメアとクレタは馬車に乗っていつもの冒険者ギルドへと向かった。受付けにヘスはいないようだ。二人はホッと胸を撫で下ろし、適当なカウンターへ行った。すると、そのカウンターにいた男性は二人の姿を見て、「あっ、貴方達は!」と言い、事務作業を行う係員達のいる、奥のスペースへと引っ込んだ。すると、何か話し声が聞こえてきたと思えば、ヘスが軽快な足取りで受付けに出てきた。


 二人は思わず、口を揃えて「ゲッ!」と言ってしまった。ヘスは用意周到な事に、ネメアとクレタが来たら自分を呼ぶよう、他の係員に頼んでいたようだ。彼は相変わらずの胡散臭い顔で、媚びへつらいながら二人に話しかけた。


「お久しぶりですお二方! 船の護衛の依頼、お疲れ様でした! どうぞ、報酬を受け取ってください」


 ヘスはカウンターの下から、金貨の入った袋を2つ取り出した。クレタが袋の中身を確認すると、船の護衛の報酬は、通常金貨3枚であるところを、約束通り2倍の金貨6枚が入っていた。彼女がそのまま袋を受け取ろうとすると、ヘスが止めに入った。


「あぁ、少し待ってください! 俺がお願いしていたアレは、持ってきてくださいましたか?」


 金貨が入った袋から手を引き、クレタは深く溜め息を吐いた。


「はぁ~~、貴方って本当に欲深いわね。ライフライトを何に使うつもりなの? アンドロメダ島に住んでいる友人から聞いたのだけど、その宝石の力を巡って争いに発展する危険があるから、島外不出になってるって聞いたわよ」


「俺が、ライフライトを何に使おうとしているか、ですか…………」


 ネメアとクレタの前に出てきてからずっとニマニマしていたヘスの顔が、どんよりと暗くなった。やはり、何か良くない事を考えているのか。警戒心が湧き、二人の目付きは鋭くなる。冷たい視線を受け、ヘスは右手で左手の甲をスリスリと撫でた。


「いや~、実はですね……その、あの、こんな暗い話、他人にしようとは思っていなかったんですが、俺の両親は不治の病で寝込んでいるんですよ。その病気を治すために、万病に効く薬を作りたいんです。ライフライトの粉末が、その薬の材料の一種なんですよ」


 不治の病に倒れた両親を助けたいという、いかにも同情を誘うような話に、クレタは不信感が募った。


「その話、本当なのかしら?」


「はい、本当です。信じてもらえないかもしれませんが……」


 調子の良さはすっかり鳴りを潜め、ヘスはしおしおと縮こまった。その様子を見たネメアは、可哀想な気持ちが湧いてきた。彼は幼くして両親を亡くし、叔母に引き取られた過去がある。両親がいなくなるというのは、途方も無く寂しい事だ。ヘスの話を、少しは信じてやってもいいかもしれない。


「クレタさん、俺はヘスの話を信じてみようと思います」


 ネメアはアイテムボックスの中から、ライフライトが入った小箱を取り出した。クレタが彼に忠告する。


「ヘスはきっと嘘を吐いているわよ。それでもいいの?」


「構いません。もしもライフライトを悪用されたら、俺がとっちめてやります」


 彼はそう答えると、小箱をヘスに差し出した。ヘスは神様に出会ったかのような羨望の眼差しをネメアに向け、それを受け取った。


「ほんっとうにありがとうございます、ネメアさん! いえ、ネメア様!」


 ヘスは何度もヘコヘコとお辞儀をした。やっぱり彼は怪しいが、ネメアは一先ず、良い人助けをしたのだと思うことにした。


 話は変わり、ネメアとクレタは次に受ける依頼を決めることにした。クレタがヘスに話しかける。


「ところで私達、次の依頼を受けようと思うのだけど、貴方の事だから何か良い依頼をキープしてるんじゃないの?」


 彼女の問いに、ヘスは苦笑した。


「ハハハ、キープしてるって訳じゃないんですけどね、良い奴が一個ありますよ。ヒュドラの討伐なんてどうですか? 以前、別のパーティの人達が倒しに行ったんですけど、失敗して帰ってきたんですよ。ただ討伐できなかっただけならまだしも、ヒュドラの九本の首を十八本に増やしちゃったらしいんですよね。それで討伐の難易度が上がったので、報酬を二倍に増やしてるんです。どうですか、悪い話じゃないでしょう?」


 ヘスのお勧めする依頼の内容を聞き、ネメアは血の気が引いた。


「ヒュ、ヒュドラ!? やめましょうクレタさん! クレタさんはもちろん強いですし、俺も強くなりましたけど、二人きりで討伐するなんて無茶ですよ! しかも首が十八本になってるなんて!」


 彼はクレタの前に立ち塞がり、首をブンブンと横に振った。さすがのクレタも顎に手を当てて、「そうね……」と考え始めた。ヒュドラは首を切った後、その切り口を焼き切らなければ首が再生してしまう。それどころか、切り口から首が二本に増えてしまうのである。二人掛かりで十八本の首全てを処理するのは至難の業だ。また、口から猛毒を吐いてくるので、それにも気をつけなければならない。


 悩んでいるクレタの様子を見て、ヘスは話を付け加えた。


「人手の事なら心配いりませんよ。今朝、そのヒュドラの討伐に失敗したパーティーの人達が、今度こそ絶対に倒すって言って、依頼を受けに来ましたから」


 彼の話に驚き、ネメアは後ろを振り返った。


「えっ、それならどうして、俺達にその依頼をお勧めしたんですか?」


 ネメアが尋ねると、ヘスはニンマリと笑って答えた。


「ネメアさんって、もともとアレスさん達のパーティに所属してましたよね。ヒュドラの討伐に失敗したのって、そのアレスさん達なんですよ。どうです? 先にヒュドラを倒して、見返してやりたいと思いませんか?」


 ネメアの全身に鳥肌が立った。ヘスに、アレス達からパーティーを追放される所を見られていたのだ。アレス達への対抗心を見透かされて、とても気分が悪い。だけど、確かに見返してやりたいという気持ちは強くあって、その欲求を強く刺激された。ドロドロと黒い感情に支配されていくのを感じる。


「そう、ですね……叶うことなら、先にヒュドラを討伐して、あいつらが悔しがっている所を見てやりたいです」


「フフッ、そうですよね。依頼、受けますか?」


 ヘスとネメアの視線がカチリと合った。その時、二人の間にクレタが割って入った。


「ちょっと待って。わざわざネメアちゃんをそそのかして依頼を受けさせようとするなんて、貴方また何か企んでいるでしょう? 今度は何をさせるつもりなの?」


 鋭いクレタのツッコミに、ヘスは右手を頭に乗せて「あちゃ~」と声を上げた。


「バレちゃいましたか。ヒュドラは討伐した証として鱗を100枚持ってくることになってますが、それと一緒に毒を持ってきてもらいたいんですよ。この小瓶に入れて」


 ヘスはカウンターの下から手のひらサイズの小さな小瓶を取り出し、机にポンッと置いた。クレタは彼に疑いの目を向ける。


「ヒュドラの毒なんて、薬の材料になるのかしら?」


「なりますとも!」


 自信満々にヘスは宣言した。クレタは訝しげな顔をしながらも、渋々小瓶を手に取った。


「仕方ないわね、依頼を受けるわ。私もネメアちゃんを傷つけた奴らの頭を冷やしてやりたいもの」


「決まりですね!」


 クレタも承諾し、二人はヒュドラ討伐の依頼を受けることとなった。ギルドから出た後、ネメアはギラギラと目を光らせて、拳をギュッと握った。


「クレタさん、早くヒュドラの生息する沼地まで急ぎましょう」


 アレス達を直接見返すチャンスが与えられて、ネメアの気持ちは昂っていた。その様子を危うく思ったクレタは、一旦落ち着くよう嗜めた。


「気持ちは分かるけど、前にも言った通り、焦っては駄目よ。念には念を込めて、ケネイアを連れていきたいわ。ヒュドラの首は固いから、剣術に優れた彼女の力が必要よ」


「了解です。仲間は多い方が良いですもんね」


 ネメアはクレタの意見をすんなりと受け入れた。いくら見返したいからと言って、無茶をして死んでしまったら元も子もないと判断したのだ。そして二人は、以前ゴーレムの討伐を行った港町へ馬車で向かったのだった。


…………


 ネメアとクレタが、馬車に乗ってケネイアの住む港町に向かっている頃。アレスの率いるパーティーもまた、馬車に乗り、ヒュドラの住む沼地へ向かっていた。


 彼らはネメアをパーティーから追放した後、碌な戦績を残せていないため、焦燥感に駆られている。今まで楽に倒せていたはずのAランクパーティー向けの魔物に苦戦を強いられるようになり、ネメアを追放するべきではなかったと後悔の念が湧いてきたのだ。今回はその思いを払拭するために、一度負けてしまったヒュドラに勝利し、自分達の判断は正しかったと証明しようとしている。


 リーダーのアレスが、鼓舞するように仲間達へ語り掛けた。


「今度こそ、ヒュドラを倒して俺達の強さを証明するぞ!」


 アレスの言葉にセレーネが、縦長の瞳孔を真ん丸に開き、白いしっぽを膨らませ、興奮した様子で同調した。


「もちろん! ネメアなんかに負けてらんないんだから!」


 口角を上げ、アテネは自信満々に話した。


「今回はしっかり装備を揃えて対策を整えたのよ。絶対にヒュドラを倒せるはずだわ」


 アレスとセレーネとアテネは、打倒ヒュドラ、もとい打倒ネメアを志して熱気に包まれた。


 一方、後から仲間になったキャンサは、やはり彼らを冷めた目で見ていた。再びヒュドラの討伐依頼を受けるなら、装備を整えてからの方が良いと助言したのは彼女だった。アレス達は性懲りもなく、何も準備をせずにヒュドラ討伐に行こうとしていたのである。


 キャンサは彼らを友人が営む武器屋へ連れていき、ピッタリ合う装備を見繕ってもらった。おかげで、アレスは毒を防ぐ効果がある兜を被り、セレーネは金属でできた鋭い付け爪を装備し、アテネは羽織ると魔物から姿が見えなくなるマントを身に纏っている。これで、以前討伐に行った時よりはマシになっただろう。


 ヒュドラは魔法で眠らせているため、先制を取ることができる。アレス達は冒険者に必要な協調性が欠如しているものの、今度こそ討伐できると信じたい。逆に、できなければ不味い。魔物を眠らせる魔法は、一体につき一回しか効果がないのである。


 次世代の強い冒険者を育てるのが目的で冒険者をしているとはいえ、今回は全力で支援した方が良さそうだ。例え、アレス達に自分の正体を明かす事になったとしても、ヒュドラを野放しにして町の人々に危害を加えさせる訳にはいかない。キャンサはそう考え、緊張感が高まった。


 4日間の馬車での移動を終え、アレス達はヒュドラの住む沼地へ到着した。ヒュドラは体を丸めて静かに寝息を立てている。今回はアテネが魔法で一気に全ての首を切り落とすのではなく、アレスとセレーネで一本一本慎重に切り落とし、そこをアテネが魔法の炎で焼ききるという作戦に変えた。この作戦を考えたのはキャンサだ。彼女は回復魔法を使うことを任されている。


 まずはアレスとセレーネが、ヒュドラを起こさないよう慎重に近づき、アレスは長剣で、セレーネは金属の付け爪で、一本の首を両端から同時に引き裂いた。


 その瞬間、ヒュドラはギャオオオオン!! という獰猛な咆哮を上げて起き上がった。アレスとセレーネはその場から離れ、アテネが魔法で火柱を出してヒュドラの首を焼ききった。まずは一本、首を無くす事に成功した。


 残った17本の首が、アレスとセレーネの方を向いた。ヒュドラが頭を下げて口を開けるのを見ると、セレーネは息を止めてジャンプし、そいつの首に飛び乗って、アレスは首の下に潜り込んだ。


 ヒュドラの17の口から、毒のブレスが放たれる。アレスは兜のおかげでそれが全く効かなかったが、セレーネは肌に痺れるような痛みを感じた。しかし、それが逆に彼女の闘争心を煽った。彼女はニヤリと笑って一本の首を引き裂き、大きな傷を付けた。危険を感じるほど力がみなぎってくるというのが、彼女の役職のバーサーカーの特徴だ。


 セレーネが傷を付けた首を、アレスが下から剣を振り上げて切り落とした。セレーネは首の上から飛び降り、アレスは首の下から出ていく。彼らが待避すると、アテネの放った魔法の火柱が、首の切り口に命中した。これで、残りの首は16本だ。


 アレス達の戦いぶりに、キャンサは大きく安堵した。地道ではあるが、この調子で行けば確実にヒュドラを倒せるだろう。


 毒ガスが消えるまで危険なため、セレーネがアテネとキャンサのいる安全圏まで、四足歩行で走ってきた。すると彼女は、こんな事を言った。


「キャンサの提案した方法、確かにヒュドラの首を絶対に減らせるけど、地味すぎてつまんな~い」


 セレーネの発言にギョッとして、キャンサは背筋が凍りついた。さらに、アテネがセレーネに返した言葉によって、頭が真っ白になってしまう。


「そうね。私もそう思ってたところ。強力な魔法で一斉に首を散らしたいわ。キャンサ、あんたが魔法で首を焼きなさい。それぐらいできるでしょう?」


「え…………?」


 全身から血の気が引いていき、キャンサはぐらりと目眩がした。この人達は何も学習していない。ファイヤースネークを討伐しに行った時、考え無しに敵陣に突っ込んで、痛い目に遭ったというのに。


 毒ガスが引いた後、セレーネがアレスに、作戦を変更しようと伝えに行った。それは、各々自由に首を切り落としまくろうというものだった。当然、野蛮な彼はそれに賛成してしまった。


 アレスは毒が効かないのを良い事に、片っ端から剣で首を切り落として、セレーネも滅茶苦茶にあちこちの首を引き裂きまくった。そこに、アテネが魔法で無数の光の矢を降らせてしまい、もう滅茶苦茶である。


 キャンサは必死で呪文を唱え続け、彼らの切ったヒュドラの首に火柱を当てた。だが、アレスもセレーネも縦横無尽に動き回るので、彼らを避けて火柱を出すと、焼ききれない首が出てきてしまった。とどめに、アテネの光の矢だ。前回、その攻撃のせいで大惨事になった事を、彼女は覚えていないのだろうか?


 無数の光の矢を遠い目で見つめながら、キャンサは色んな事を悟った。まず、ステータスの低いネメアが、アレス達のストッパーになっていたという事だ。弱い仲間が一人でもいれば、その人が死なないよう気を配らなければならないため、慎重な行動を取るようになる。彼がいなくなった事により、アレス達はブレーキが掛からなくなってしまったのだ。


 次に悟ったのは、せっかく減らした首の数が元通りになってしまうという事だ。何とか火柱を出して、首を9本まで減らすことができたが、アテネの出した光の矢のせいで、また18本に増えてしまう。九本の首を一気に焼ききるのは無理だ。


 最後に悟ったのは、今回もヒュドラに負けてしまうだろうという事だ。キャンサは深い絶望に包まれた。


…………


 アレス率いるパーティーが、ヒュドラの討伐に挑戦する四日前。ネメアとクレタは半日かけて、以前ゴーレム討伐の依頼を受けた際に訪れた港町に来ていた。ゴーレムに町を破壊された傷跡がまだ残っているが、活気のある人々の声が聞こえてくる。


 二人はケネイアを探し始めた。彼女は、いつもは絵を描いて暮らしていると言っていたので、海岸辺りにいるのではないかと目星を付けた。海は絵の題材にもってこいである。海岸に着くと、釣り人達に混ざって、キャンバスに絵を描いている人物を見つける事ができた。


「ケネイア、また貴方の力を貸してほしいのだけど、いいかしら?」


 クレタが呼びかけると、ケネイアはキャンバスに落としていた視線をこちらへ向けた。彼女はゆっくりと微笑みを浮かべた。


「やぁ、クレタとネメア君、何の用かな?」


「ヒュドラの討伐に協力してほしいの」


 頼みの内容を聞き、ケネイアはスッと真顔になった。


「ヒュドラ? それはまた、強力な魔物だね。ゴーレムより厳しい戦いになると思うけど、ネメア君はどれぐらい強くなったんだい?」


「これぐらいです」


 ズボンのポケットからステータスカードを取り出し、ネメアはケネイアに渡した。目を通した彼女は、フフッと笑ってそれを返した。嘲笑されたのかと思った彼は、何を言われるのかと身構えたが、彼女から出てきた言葉は真逆だった。


「以前君と出会ってから、それほど時間は経っていないと思うのだけれど、随分と成長したんだね。凄いじゃないか」


「ありがとうございます!」


 ネメアは花が咲いたような笑顔になった。ゴーレム討伐の時は、ステータスカードを見たケネイアは戦力外通告をしてきたので、その時とは打って変わった反応に、とても嬉しくなったのだ。


「ネメア君のステータスがあまり高くなかったら、ヒュドラ討伐に行くのはやめるよう忠告したんだけどね、これなら大丈夫そうだ。ヒュドラ討伐に協力しよう。丁度、思うように絵が描けなくて退屈していた所だったんだ」


 見れば、キャンバスはまっさらな状態だった。「準備をしてくるから、君達はここで待っていてくれ」と言い、彼女は画材とキャンバスを抱えて一度自宅に戻った。自宅は海岸の近くにあるようで、彼女は10分ちょっとで戻ってきた。ゴーレム討伐の時と同じく、ピカピカと輝く鉄の鎧を身に纏っており、立派な長剣を腰に携えている。こうして、ケネイアを仲間に率いることができ、三人は馬車に乗ってヒュドラの住む沼地へ向かったのだった。


 長い移動時間の中で、ネメアとクレタは、これまでにあった出来事をケネイアに話した。以前は打ち明けなかったが、ネメアは自分がパーティーを追放された時の事を話した。そして今回、自分を追放した奴らより早くヒュドラを倒して、見返してやりたいと思っている事も話した。話を聞いた彼女は、「あまり無茶をしないようにね」と、一言警告したが、否定はしなかった。それから、今までの旅の事や、ヒュドラと戦う際の役割分担について話をした。


…………


 四日後。アレス達の到着から半日遅れて、三人は沼地に着いた。ヒュドラの住処へ足を進めていると、三人はピンク色の髪を二つ結びにした女性が倒れているのを発見した。クレタとケネイアは血相を変えて、急いで彼女に駆け寄った。クレタは手首に指を当て、ケネイアは胸に耳を当てる。脈拍があるのを確認すると、二人は安堵した。


「良かった、生きてるわ」


「あぁ。しかし、彼女がなぜここに?」


 後から来たネメアが二人に話しかけた。


「二人とも、この人と知り合いなんですか? この人は、俺の後にアレスさん達のパーティーに入った人で、伝説のSランクパーティー、オリーブパーティーの一員だったと聞きました」


 彼の言葉を聞き、二人は顔を見合わせた。すると、ネメアに聞こえないぐらい小さな声で、コソコソ話を始めた。何事だろうかと首を傾げていると、クレタがぎこちなく彼の問いに答えた。


「そうね。彼女は、その……昔、お世話になったことがあるのよ。先輩冒険者として、色々アドバイスを貰ったわ」


「そうそう。いやー、彼女は実に素晴らしい先輩なんだ」


 二人の態度は怪しく、ネメアは怪訝な表情を浮かべた。だが、今は二人とキャンサの関係性について、深堀している場合ではないと感じたので、それで納得することにした。オリーブパーティーの一員だった彼女が倒れているということは、何か大変なことがあったに違いない。事情を聞くため、彼はキャンサに回復魔法をかけた。


 ネメアに回復魔法をかけられたキャンサは意識を取り戻し、目を開けた。彼女はフラフラと立ち上がると、亡霊のような顔でぼそぼそと呟き始めた。


「どう、しよう……ヒュドラ、町の方に行って……あの人達、追って行ったけど……あの人達じゃ……」


 キャンサはガクガクと震えた。ケネイアが彼女の背中を優しく撫で、落ち着かせる。


「大丈夫だ、ゆっくり事情を話してくれ。私達が来るまでに、何があったんだ?」


「ケネイア、クレタ、ネメアくん……お願い、助けて……」


 三人の顔を見回し、掠れた声でそう言うと、キャンサは深呼吸して心を落ち着かせた。それから三人がここへ来るまでに何があったのか話し始めた。


「私、アレス達とヒュドラ討伐をしていたんだけど、失敗しちゃったんだ。それで、私がアレス達を回復している隙を突いて、ヒュドラが町のある方角へ逃げちゃった。私はアレス達を回復して力尽きたから、その後どうなったかは分からない。ヒュドラが町を襲う前に、アレス達が倒してくれてると良いんだけど、あの人達じゃ無理だと思う」


「そうか、話してくれてありがとう。まだ動けるか?」


「うん、軽いサポートならできると思う」


 キャンサが仲間に加わり、四人はヒュドラが逃げた方角にある町を目指した。泥に足を取られてしまわないよう、キャンサが魔法で地面を硬化させて一本の道筋をつくり、そこを走っていった。


 町に近づくに連れて、いくつもの悲鳴が聞こえてくるようになった。四人に鋭い緊張が走る。辿り着いたその場所は、人々の血と恐怖に満たされていた。道端にはヒュドラに食われた人々の死体が転がり落ち、生き残った者達も震えながら泣き叫んでいる。既に大きな悲劇に見舞われてしまった町の様子に、四人は絶句した。


「あぁ、どうしよう、間に合わなかった……」


 キャンサは膝から崩れ落ちそうになる。クレタとケネイアが彼女の両脇に行き、腕を抱えて体を支えてやったが、彼女達も顔から血の気が引いていた。ネメアはあまりにも残酷な光景に強い不快感を覚え、吐き気を催した。


「ヴッ、ヴヴッ、酷い、あんまりだ。あいつらは何をしていたんだ」


 吐き気を喉の奥へ押しやり、ネメアは頭の中で思い浮かべたアレス達の姿を思いきり睨みつけた。


「早くヒュドラを倒しに行きましょう。これ以上犠牲者を出さないためにも」


 シンと冷たく筋の通った声でクレタがそう言い、皆、戦いの覚悟を決めた。キャンサは背筋を伸ばして自分の足で立ち、ケネイアは鞘から長剣を抜いて、ネメアはアイテムボックスから、魔力のステータスを一時的に2倍に増やせる薬草を取り出した。彼は今回、魔法を主に使うことにしたのだ。


 ヒュドラと戦う前に、四人はそれぞれの役割を確認することにした。クレタは武術でヒュドラの喉を潰し、毒を吐けないようにする。ケネイアは首を切り落とす。ネメアは首を焼き切ったり、回復魔法をかけたり、ヒュドラの注意を惹きつけたりする。そしてキャンサが、町の人々に危害が及ばないよう魔法で守ると、自ら役割を申し出た。


 確認を終えた瞬間、新たな甲高い悲鳴が町に轟いた。声が聞こえてきた方向に目を向けると、ヒュドラが猛毒のガスを撒き散らし、首や尻尾を振り回して建物を破壊する姿が見えた。四人は互いの顔を合わせて頷き、そちらへ駆けていった。


 ヒュドラの眼前には、恐怖で体が動かなくなり、逃げられずに縮こまっている女性がいた。キャンサがヒュドラの足元に刺々しい岩を召喚して足止めし、ネメアがその人を抱き上げて、素早く建物の陰へ連れていった。四人は他に逃げ遅れている人がいないか周囲を見回し、いないことを確認したため、戦闘態勢に入った。


 ヒュドラが頭突きでキャンサの召喚した岩を破壊し、四人に向かって突進してきた。ネメアは呪文を唱えて複数の太い木の根を召喚し、自分達の元へやってきたそいつを拘束した。魔力を増幅させる薬草のおかげで、いつもより魔法の効果が強くなっている。ヒュドラは十八個の頭で木の根に噛みつき、引きちぎろうとし始めた。


 ヒュドラが木の根に気を取られている隙に、キャンサは周囲に危害が及ばないよう、辺り一帯を氷の壁で囲むことにした。目を閉じて意識を集中させ、長い呪文を唱え始める。一方クレタは攻撃を仕掛けることにした。助走を付けて、一本の首の喉元を爪先で蹴り上げた。ブツンと音を立てて喉が潰れ、その首は毒を吐けなくなった。


 喉を潰された首はクレタを睨み付けた。その近くに生えている3本の首も木の根を齧るのをやめ、彼女に視線を向ける。4本の首は彼女に噛みつこうと、素早く首を伸ばした。


 彼女はバク転して一旦攻撃を交わした後、今度は前方に回転飛びをし、両足で2つ頭を踏みつけた。残ったもう2つの頭が顔面に毒ガスを吹き付けてきたが、息を止めて両腕の拳を突きだし、額にパンチを食らわせた。


 クレタの攻撃が効き、4本の首は意識朦朧としながら虚空をグネグネと彷徨った。その隙に、ケネイアが長剣を払い上げて4本の首を同時に切り落とした。二人はその場からサッと退き、ネメアが呪文を唱えて4本の火柱を出した。切り口は焼ききられ、残りの首は14本となった。


 さっそく首の数を減らすことができ、好スタートを切れたかに思えた。しかし、ヒュドラはネメアが召還した木の根を噛みちぎって、拘束を解いてしまった。そいつは14本の首を四方八方にもたげ、毒ガスを噴射した。辺りに高濃度の毒ガスが充満し、ネメア達は咄嗟に息を止めたものの、全身が痺れてその場に倒れてしまった。


 ネメアは早く仲間と自分を回復しなければと、頭の中で何度も回復魔法の呪文を唱えた。体の痺れは徐々に治まっていったが、自分達が戦えるほど回復する前に、ヒュドラがズルズルと身体を滑らせて逃げ始めてしまった。避難している住民の元へ行かれたら不味い。


 そんな時、キャンサが呪文を唱え終えたおかげで、戦いの場が氷の壁で覆われて、ヒュドラの逃げ道を間一髪塞ぐ事ができた。彼女は毒ガスで体が痺れてしまった後でも、これ以上町を荒らされてはいけないという思いから無理やり口を動かして、呪文を唱え続けていたのだ。


 そのせいで彼女は毒ガスを少し吸い込んでしまい、魔法を発動させた直後、盛大にむせ返って吐血した。ネメアは慌てて、回復魔法を彼女へ集中させた。複数人を同時に回復させていると、どうしても一人に対する回復量が減ってしまうのだ。


 ネメアからの回復の供給が弱まったのを感じ、クレタは自分で魔法を使って、元気に動けるレベルまで回復させた。次にケネイアの元へ行き、彼女の事も回復させてあげた。


 四人が体力を回復している間、ヒュドラは氷の壁に何度も頭突きして、それを破壊しようとしていた。だが、壁はヒビ一つ入れることができない。キャンサの魔法は強力なのだ。そいつは諦めて、ネメア達の方を振り向いた。


 ヒュドラは、四方に生える首を3本ずつ振り回しながら迫ってきた。激しく首を回しているので、攻撃を仕掛けにいったら、体を弾き飛ばされてしまうだろう。首の動きを止めない事にはまともに戦えないと判断したネメアは、その方法を考え始めた。木の根を使った拘束は、すぐに引きちぎられてしまうだろう。30秒で消える代わりに何をしても千切れない縄を召喚することもできるが、首に巻き付けるのがとても難しい。


 そうこうしている内に、ヒュドラがあっという間に目と鼻の先まで来てしまった。今は距離を取るのが最優先だ。ネメアは背を向けて走り出した。他の三人も彼に続いた。そいつに追いかけられてぐるぐると走り回りながら、クレタが皆に話しかけた。


「ねえ、あいつにどうやって攻撃しようかしら? あれじゃ近づくことすらできないわ」


 彼女の問いに、まずはネメアが答えた。


「俺、とりあえず首の動きを止めるべきだと思うんです。だけど、良い方法が思いつかなくて。木の根じゃ千切れちゃいますし、縄も巻き付けるのが大変じゃないですか」


「私達が昔ヒュドラを倒した時は、粘着性のある液体を上からかけて、首を動かせないように固定したな」


 ケネイアの話に、ネメアは顔を明るくした。


「なるほど、その手がありましたか! 粘着性のある液体を召喚する魔法ってありましたっけ?」


「ないよ。そういう液体は冒険者向けのお店で買わないと駄目だね」


 暗い声でキャンサが答えた。ネメアはがっくりと肩を落とす。


「そんなぁ。じゃあ首をくっつけるのは無理なんですかね……」


「ネメアちゃん頑張って考えて。貴方の洞察力には何度も助けられてきたわ。今回も頼りにしてるわよ」


「あぁ。以前ゴーレムを討伐した時も、君の作戦のおかげで無事に勝利を収めることができた。私も期待しているよ」


「私はネメア君のことよく知らないけど、オリーブから、君は頭がよく回る賢い子だって聞いたよ。伝説の冒険者のオリーブが認めた君なら、きっと良い作戦を立てられると思う」


「皆さん……! それに、姉さんがそんな事を言ってたなんて!」


 励まされたのが嬉しくて、ネメアは強張った筋肉が緩み、頭の回転が速くなった。走り回りながら視界の隅に入っていた氷の壁から、アイデアが浮かんできた。


「思いつきました! キャンサさん、ヒュドラの首と首の間に、氷の柱を召喚する事ってできますよね?」


「できるけど、それでどうやってヒュドラの首の動きを止めるの?」


「俺がまず、水を出す魔法と火の玉を出す魔法を同時に使って、ヒュドラにお湯をかけます。そしたらヒュドラの体表の温度が上がりますよね。そこに氷の柱を召喚すれば、氷は体表の温度で溶けますが、まだまだ冷たいので、水が凍って肌とくっつくと思うんです」


「なるほど。氷を素手で触ったら手がくっついちゃう事があるけど、それを応用しようってことだね。良い作戦だと思う」


「ありがとうございます! 俺達が魔法を使う間、クレタさんとケネイアさんはヒュドラを引き付けてくれませんか?」


「了解よ」「あぁ」


 クレタとケネイアは足を止め、ヒュドラの方を振り返った。ヒュドラは動きを止めた二人に対して、回転する首をぶつけようと突っ込んできた。クレタは拳で、ケネイアは剣さばきで首を押し流し、攻撃に耐えた。二人が攻撃を受けている隙に、ネメアとキャンサは壁際まで逃げて呪文を唱え始めた。


 ネメアは口で水を出す魔法の呪文を唱え、頭の中で火の玉を出す魔法の呪文を唱えた。これらはそれほど難しい魔法ではないため、5秒ほどで唱え終わり、ヒュドラの頭上にバスケットボールサイズの火の玉が出現して、さらにその上から滝のように水が降り注いだ。お湯をかけられたそいつは、中央に生えている回していない2本の首を彼の方に向けた。


 自分達から意識を反らしたと察知したクレタとケネイアは、即座にネメア達の方へ視線を向けた首の前に移動した。二人は飛び上がり、クレタは顔面に拳をめり込ませ、ケネイアは素早く剣を突き出し、それぞれ攻撃を食らわせた。その直後、二人は長い首に体を弾き飛ばされてしまったが、受け身を取り、すぐに体勢を立て直した。ヒュドラの意識は再び彼女達の方へ向いた。


 ネメアがお湯をかけてから10秒後。キャンサも呪文を唱え終わり、ヒュドラが回している12本の首の間に氷の柱が召喚された。ネメアの狙い通り、ヒュドラの首は氷の柱に張り付いて、動きを止めることができた。攻撃のチャンスだ。クレタは首の根元に飛び込んで、中央の2本の首の喉を殴り、毒ガスを吐けないようにした。ケネイアは目の前にある首を上から縦に切り裂いた。切り口にネメアが火の玉を飛ばす。彼は後の事を考えて、火の玉を14個召喚しておいたのだ。


 火の玉によって、焼き切った首の周辺の氷の柱が少し溶けてしまう。ヒュドラは多少動かせる1本の首をケネイアに向けて、毒ガスを吐こうとした。そこへ首の根元から飛び出したクレタが、足を高く上げて蹴りを食らわせ、それを阻止した。彼女が喉を潰した首をケネイアが切り裂き、ネメアが火の玉で切り口を焼く。この繰り返しで、氷の柱が溶けるまでに5本の首を潰すことができた。


 氷の柱が溶けたことにより、また自由に首を動かせるようになったヒュドラは、反撃を開始した。残った9本の首を大きく横に振って、攻撃を仕掛けていたクレタとケネイアを弾き飛ばす。それから彼女達が立ち上がる間もなく、自分の周囲に毒ガスを吐いて、二人が近づけないようにした。


 息を止めれば、ヒュドラに近づいて攻撃できなくもないが、クレタとケネイアはそれをしない方が良いと判断し、毒ガスが消えるまで待機することにした。なぜなら、ヒュドラは自分に近づいた相手を首で拘束し、息が続かなくなるまで毒ガスを充満させ、殺そうとしてくるからだ。彼女達は昔ヒュドラと戦った時、実際にそれをされそうになったことがある。その時は司令塔のエリュマが一早くヒュドラの策略に気づいたため、引っ掛からずに済んだのだ。


 数秒経って毒ガスが消えたので、クレタとケネイアはヒュドラに接近した。クレタは右手に拳をつくり、ケネイアは横方向に振るうよう剣を構えている。だが、そいつは素早く後ろに下がって二人の一撃を避けた後、再び毒ガスを吐き出した。二人は瞬時に息を止めて後ろに飛び下がる。


 ヒュドラから距離を取った後、嫌な予感がしてクレタとケネイアは顔を見合わせた。どうやらヒュドラは、ひたすら自分の周りに毒ガスを充満させて、近づけないようにしているようだ。このまま平行線の戦いを続けていれば、キャンサの召喚した氷の壁が脆くなり、それを破壊して逃げられてしまうだろう。


 クレタとケネイアが攻めあぐねている様子を見て、ネメアとキャンサが二人の元に来た。


「クレタさんケネイアさん、苦戦しているみたいですけど、何かあったんですか?」


「えぇ。私達が近づけないように、ヒュドラが常に自分の周囲に毒ガスを充満させ始めたの。息を止めて攻撃しにいけなくもないけど、首に体を拘束されて、息が続かなくなるまで毒ガスを浴びせられるかもしれないから、攻めるに攻められないのよね」


「なるほど。じゃあさっきみたいに、首の動きを止めればいいでしょうか?」


 ネメアの提案を、ケネイアが首を横に振って却下した。


「ヒュドラは知能が高い。先ほどの失敗を学習して、二度と同じ手には引っ掛からないだろうね」


「うわぁ、そうなんですか、厄介ですね。それなら……」


 毒ガスを口から吐き続けているヒュドラの方をちらりと見て、ネメアはゴクリと唾を飲み込んだ。ヒュドラの首は9本まで減っている。あの状態なら、自分が囮になって気を引くことができるかもしれない。だが、それには大きな危険が伴う。緊張で指先が震えた。そこで町の悲惨な光景を思い出し、逃げてはいけないと自分を奮い立たせた。


「俺がヒュドラの注意を引きます。その間に、クレタさんとケネイアさんは攻撃してください」


 拳をギュッと握りしめ、ネメアは決意を固めた。


「ネメア君が囮をやるなら、私がヒュドラの首を焼くよ。危なくなったらフォローする」


 ネメアに続いて、キャンサが役割を申し出た。二人の提案にケネイアは頷き、クレタは「決まりね」と答えた。


 大きく息を吸って肺に酸素をため込み、ネメアは残った9個の火の玉を携えて、ヒュドラに向かって走り出した。その後にクレタとケネイアが続く。去り際、クレタはチラリとキャンサの方を見て、「ネメアを頼んだわよ」と目で言葉を送った。彼女の想いは伝わり、キャンサは大きく頷いた。


 毒ガスが蔓延するヒュドラの周囲に、ネメアは足を踏み入れた。彼が来たことに気が付いたそいつは、3本の首を彼に向けて伸ばし、首を巻き付けて拘束しようとしてきた。3本の首はそれぞれ、左足、右腕、胴体を狙っている。彼は倒立して体を逆さまにすることにより、それぞれの首の狙いを狂わせて、そのまま前転して拘束を避けた。すると、着地した先には別の首が待ち伏せしており、彼は背筋がゾッとした。


 咄嗟の判断で、彼は待ち伏せしていた首の顔面に火の玉を当てた。攻撃に怯み、その首は奥へと引っ込んだ。それを見て彼は一安心したが、チラリと後ろを振り返り、先ほど避けた三本の首がまだ自分を拘束しようと迫ってきているのを見て、慌てて立ち上がった。前方に向かって走ると、5本目の首がにゅっと伸びてきた。彼は高くジャンプしてそれを飛び超える。


 地面に足が付く直前、6本目の首が下から彼を狙って伸びてきた。彼は瞬時に火の玉を顔面に当て、拘束を回避することに成功する。今度は7本目の首が上から狙いを定めて伸びてきたが、地面に体を付けて横に転がり、上手く逃げる事ができた。


 身体能力と火の玉を駆使して、ネメアはヒュドラの周りをぐるりと一周する事ができた。この調子でヒュドラの周りを走り、注意を引き続けていれば、クレタとケネイアが安全に攻撃を仕掛けることができるだろう。まだ中央に2本首が残っているが、それらは伸ばしてもこちらへ届かないので、気にしなくても良さそうだ。


 ネメアがヒュドラ周回の二周目に入ったタイミングで、クレタとケネイアは攻撃を仕掛けに出た。ネメアが一度避けた後、彼の背中を追って伸ばされ続けている首を、クレタは強く蹴り上げて、怯んだ所をケネイアが長剣で切り落とした。首が再生してしまう前に、ヒュドラから離れた位置にいるキャンサが呪文を唱え、火柱を出して切り口を焼いた。


 ヒュドラは4人の連携になすすべもなく、首を5本失った。討伐完了まであと少しだ。しかし、人間には限界がある。蔓延している毒ガスを吸わないよう、ネメアは息を止めてヒュドラの周りを走り続けていたが、苦しさを感じ始めていた。召喚しておいた火の玉も使い切ってしまっている。体制を整えるため、彼はクレタとケネイアに前線から一度退くと目線で合図を送り、離脱した。彼女達もまた、彼に続いてヒュドラの元から素早く離れた。


 ネメアは深呼吸を何度か繰り返し、頭の中で呪文を唱えて火の玉を4つ召喚した。大きく息を吸って肺に酸素を溜め込み、また囮になりに向かう。その時、ヒュドラがとんでもない強硬手段を取った。なんと、毒を吐けない中央の首2本の頭を、残った外側の首2本が噛み千切り、飛ばしてきたのだ。


 重いヒュドラの頭が直撃すれば、確実に骨が折れるだろう。当たり所が悪ければ死んでしまう可能性もある。だがネメアは、予想だにしなかった攻撃に戸惑い、体が固まって動くことができなかった。


 そんな時、クレタとケネイアが前に飛び出し、彼を攻撃から庇った。彼女達の頭にヒュドラの頭が激突してしまう。


「ギャッ!!」「グワッ!!」


 二人は地面に倒れて気絶し、頭から血を流した。


「クレタさん、ケネイアさん!!」


 ネメアが叫び声を上げる。3人と離れた所にいたキャンサが駆けつけた。


「二人は私が回復魔法をかける。だからネメア君は、まず首を火の玉で焼いて!」


「は、はい!」


 言われるがまま、ネメアは頭が無くなった中央の首2本に火の玉を飛ばして、根元を焼き尽くした。キャンサはクレタとケネイアの周りに盾を召喚し、攻撃が当たらないようにしてから、回復魔法の呪文を唱え始めた。


 今、ヒュドラと戦えるのはネメアだけだ。彼は気絶した際にケネイアが落とした長剣を拾い上げ、肺に酸素を溜め込み、ヒュドラに立ち向かっていった。1本の首に長剣の刃を突き立てる。そいつの首はとても固く、剣を握っている手がビリビリと震えた。それでも刃を奥へ進めようとすると、攻撃していないもう片方の首が、背中に噛みついてきた。


「イッッッッ!」


 背中に焼けるような痛みが走る。彼は思わず剣を離してしまいそうになった。だが、歯を食いしばって痛みを堪え、腕により力を込めた。


「うぉぉぉぉ!!」


 精一杯の力で剣を振るい、まずは1本、首を切り落とした。すかさず、火の玉で切り口を焼く。ネメアは、こんなに硬い首をバッサバッサ切り落としていたケネイアの凄さを思い知った。


 続けて、彼は自分の背中に噛みついている首の頭を鷲掴みにし、無理やり牙を抜くと、空いた口に剣を突き刺して喉を潰した。それから先ほどのように全力で剣を振るい、首を落として切り口を火の玉で焼いた。こうして、彼は自分を追放したアレス達が成し遂げる事の出来なかった、ヒュドラ討伐に成功したのだった。


 ヒュドラを倒した後、ネメアは背中の痛みと疲労感により、その場にへなへなと座り込んだ。回復魔法の呪文を唱えて背中の傷を癒し、キャンサが回復しているクレタとケネイアの様子を窺う。二人はもう頭から血を流していないものの、顔を青白くして「う~ん、う~ん」と唸っていた。


 心配になった彼は彼女達に近づいて、キャンサに様子を尋ねた。


「キャンサさん、クレタさんとケネイアさんの様子は?」


「もう大丈夫だよ。今は回復魔法の副作用で頭痛に苛まれてるだけ。私、ネメア君みたいに副作用無しで回復魔法を使えないからさ」


「はぁ、それなら良かった……」


 自分を庇ったせいで、クレタとケネイアが死んでしまうのではないかと気が気で無かったため、ネメアはホッと胸を撫でおろした。そんな彼に、キャンサが賞賛の言葉をかけた。


「それにしても、よく一人でヒュドラの首を2本も切り落とせたね。あの首、とても硬かったでしょ? 君を追放したアレスとセレーネは、二人掛かりで切り落としてた。ネメア君は凄いね」


 優しく微笑みながらキャンサがネメアの頭を撫でた。彼はポッと頬を赤く染めて、口元を緩める。


 しばらくして、頭痛から解放されたクレタとケネイアが体を起こした。


「ヒュドラは? 倒せたの?」


 クレタの問いに、ネメアが深く頷いて答えた。


「はい。キャンサさんが、クレタさんとケネイアさんを回復している内に、俺が首を切り落としました」


「そうなの!? よくやったわねネメアちゃん!」


 報告を聞くとクレタは満開の花のような笑顔を咲かせ、ネメアをギュッと抱きしめた。少し苦しいぐらい抱きしめられて彼は苦笑したが、彼女に褒められた嬉しさが顔全体に滲み出た。彼女の腕の中から解放されると、今度はケネイアにお礼を伝えられた。


「ありがとうネメア君、私の代わりにヒュドラの首を切ってくれて」


「いえいえ。これ、借りていた剣です」


 ネメアは傍らに置いていた長剣をケネイアに差し出した。彼女は受け取ったそれを鞘に納めた。次は、彼が二人に感謝を伝える番だった。


「クレタさん、ケネイアさん、俺を庇ってくれてありがとうございました。あの時、本当は攻撃を避けられたら良かったんですけど、力不足で二人に大きな怪我を負わせてしまって、ごめんなさい」


 しょんぼりと眉を下げ、ネメアは少し俯いた。ヒュドラを倒せた事を賞賛されて嬉しい気持ちもあるが、それはそれとして、二人に大怪我をさせてしまった事が心残りなのだ。落ち込んでいる彼に、二人は優しく励ましの言葉をかけた。


「そうね、ネメアちゃんはまだまだ伸びしろがあるわ。自分の成功だけ振り返っていい気分に浸るだけじゃなくて、失敗も振り返って反省するのは、良い心掛けよ」


「気に病む必要はないさ。私も、戦いからしばらく身を引いていたせいか、体が訛ってしまっているみたいだ。全盛期の私なら、ヒュドラが飛ばしてきた首を瞬時に剣で切り裂いて、攻撃を防ぐことができていただろう」


 そう言って、ケネイアは手の平を神妙な面持ちで見つめた。少し間を開けて、決意を固めた彼女は、手の平をギュッと握って顔を上げた。


「私もそろそろ、冒険者に復帰しようかな。今回のように、未熟な冒険者が強力な魔物に挑んで、近隣の村や町に被害が出てしまう事があるかもしれないからね」


 彼女の決意を聞き、ネメアとクレタとキャンサも、キュッと気が引き締まった。真剣な表情を浮かべて、キャンサが口を開く。


「アレス達がどこへいったか探さないと。あの人達と一緒に、この町へ危害を加えてしまった罪償いをしなきゃ」


「俺も一緒に探します。あの人達には、きちんと反省してもらわないといけないので」


「分かった。人出が増えて助かるよ」


 ネメアとキャンサは、行方不明になっているアレス達を探すことにした。クレタとケネイアはこの場に残って、ヒュドラの鱗と毒を回収することにした。


 ネメアとキャンサはアレス達を探して、町の中を歩き回った。町はヒュドラに攻撃された傷跡が痛々しく残り、破壊された建物の残骸や、毒ガスを吸って亡くなってしまった人の遺体が転がっている。その光景の痛ましさと、飛び交うハエのうるさい羽音に、二人は顔をしかめた。


 北に向かって歩いていると、ヒュドラによる被害があまり出ていない場所に出た。名前の彫られた石がずらりと並んでいる。ここは共同墓地のようだ。食料である人間の匂いがしなかったため、ヒュドラはこの場所を漁っても意味が無いと判断したのだろう。二人はそう推察した。


 ふと、ネメアが地面に目をやると、墓地に向かって3つの血の跡が転々と続いているのを発見した。


「キャンサさん、地面に血の跡があります!」


「ほんとだ。怪我をして動けなくなっている人がいるのかも。辿ってみよう」


 二人は血の跡を追ってみた。すると、墓石の裏にぴったりと背を沿わせて、身を潜めている者を三人発見した。皆、怪我を負った箇所をタオルできつく縛って止血した状態ではあるが、ぐったりと目を閉じている。


 一人は茶髪で太眉の男性で、もう一人は黒いローブを身に纏った緑髪の女性、そして最後の一人は、栗色の髪に白い耳と尻尾が生えた猫の獣人の女性だ。彼らが誰なのか分かった途端、ネメアとキャンサは息を呑んだ。


「アレスさん、アテネさん、セレーネさん……!」


 三人の首筋に順番に手を当てて、ネメアは彼らが生きているか確認した。全員、脈はあるようだ。よくよく耳をすませば、口から小さく息を吐く音が聞こえてくる。アレス達を見つけたら強く叱ってやろうと思っていたネメアだが、ボロボロの姿を見た途端、まずは心配の念が湧いてきたので、生きていることに安堵した。


「良かった、生きてる」


 胸を撫で下ろし、彼は三人に回復魔法をかけた。元気になった三人は、目の前にネメアとキャンサがいるのを見て驚いた。


「ネメア、どうしてお前がここに!? それにキャンサ、お前生きてたのか……!」


 目を見開き、アレスは大きな声を出した。キャンサは彼をきつく睨み付ける。


「勝手に私の事を殺さないでほしいな。貴方達、ヒュドラ討伐に行く前に買った装備をどこへやったの? 誰も身に付けてないよね」


 キャンサが疑問をぶつけると、三人は居心地が悪そうにそっぽを向いた。彼らの態度から、彼女は何があったのか察した。


「あぁ、ヒュドラに壊されちゃったんだね」


 言い当てられて恥ずかしくなったアテネが、羞恥心で顔を赤らめながら無理やり話を反らした。


「私達の事はどうだっていいじゃない!! それより、なんでネメアがここにいるのよ!?」


「ヒュドラを倒しに来たんですよ。皆さん、町の人々がヒュドラに襲われている時に、何をしていたんですか?」


 アテネの問いに答えた後、ネメアは逆に三人へ問い返した。彼は瞳に怒りを滲ませる。慈悲を与えるのはもう終わりだ。ここからは、彼らに反省してもらわなければならない。ネメアからの問いに、アレスは笑って答えた。


「何って、そりゃあ一生懸命ヒュドラを倒そうとしたんだよ」


「町の人達は避難させなかったんですか?」


 ネメアが鋭く言葉を突き返すと、アレスは言葉を詰まらせた。代わりに、セレーネが牙を剥き出しにして反論する。


「ヒュドラを倒すのに忙しくて、そこまで気が回らなかったの!! なによ、弱っちくてあたし達から追放されたくせに、偉そうにして!」


「俺が弱かった事は認めます。だけど皆さんは、冒険者の役目を放棄したんですよ。冒険者は魔物を倒す事が仕事じゃない。魔物から人々を守るのが仕事です。皆さんがその仕事を怠ったから、町に甚大な被害が出てしまったんですよ」


 決して怒鳴り付けることはせず、静かに、それでいて心の奥に深く落としていくように、ネメアはアレス達を叱った。そこにキャンサが畳み掛ける。


「貴方達、前にヒュドラを倒しに行った時、伝説のSランクパーティー、オリーブパーティーを目指してるって言ってたよね。強い魔物を沢山倒せば、お金や名誉が手に入って、性欲を満たす事も容易くなるからって。


 つまり貴方達は、自分の欲を満たすためにヒュドラ討伐を優先して、町の人達の命を切り捨てたんだよね? はっきり言って、貴方達は冒険者失格だよ」


 二人に正論を言われ、アレス達はただひたすらに項垂れる事しかできなかった。時折、何か反論しようとアテネが口をモゴモゴさせたが、何も言い返すことができず、俯いた。


 ネメアとキャンサに叱責され、犯した罪の重さを自覚したアレス達は、すっかり黙りこくってしまった。その場に水を打ったような静けさが訪れる。キャンサは彼らの表情をよくよく窺い、きちんと反省しているのを確認してから、再び口を開いた。


「立って。起きてしまった事は、もう取り返しがつかない。だからせめて、罪を償わなくちゃいけないよ。まずは冒険者ギルドへ行って、今回の事を正直に報告しよう。冒険者をやめさせられるかもしれないけど、受け入れるしかない。それから、この町の復興に協力しよう。それが私達にできる、せめてもの罪償いだよ」


 彼女の提案を聞き、アレスは途端に顔を真っ青にした。


「冒険者をやめることになるだって!? 頼む、それは勘弁してくれ!!」


 アレスは首をブンブンと横に振った。アテネとセレーネも顔をしかめている。そんな彼らに、ネメアが残酷な現実を突きつけた。


「アレスさん達が報告しなくても、今回の失態がバレるのは時間の問題ですよ。素直にギルドへ報告したほうが、まだ印象が良いんじゃないですか」


「ぐっ……」


 眉毛をへの字に曲げ、アレスは唇を噛んだ。悔しそうにネメアを睨みつけると、彼は頭を搔きむしる。苦渋の決断を迫られ、何とか冒険者をやめずに済む方法がないか考え始めた。だが、いくら頭を捻ってもそれは思いつかず、大きく舌打ちして溜息を吐いた。


「はぁ…………アテネ、セレーネ、今はキャンサに従うしかない」


 地の底に沈んだような暗い声でそう言うと、アレスはよろよろと立ち上がった。アテネは「そんな!」と悲痛な声を上げ、セレーネは「フーッ!」と苛立ちを露わにする。二人はせめてもの抵抗で、しばらくその場から立ち上がらなかった。それでも、リーダーが決めた事には逆らえないので、結局キャンサの提案を受け入れるしかなかった。


 三人とも立ち上がったところで、キャンサがネメアに別れを告げた。


「ネメア君、ヒュドラ討伐に協力してくれてありがとう。クレタとケネイアにも、よろしく伝えておいて。じゃあね、ネメア君。君の活躍を祈ってるよ」


 キャンサはネメアに背を向けた。その時、ネメアは彼女に聞いておきたい事がパッと頭に浮かんで、慌てて引き留めた。


「あっ、ちょっと待ってください!」


 振り返った彼女に近づき、ネメアは耳打ちして尋ねた。


「キャンサさんはオリーブ姉さんの居場所を知ってますか? 俺、行方不明になった姉さんを見つけるために冒険者になったんです」


 前にキャンサと会った時は、アレス達に気を取られていたり、彼女がオリーブの仲間であるという事に衝撃を受けたりして、肝心のオリーブの居場所を、すっかり聞き忘れてしまっていた。今回こそは聞いておかなければと、彼の声は上ずって早口になる。彼の焦りを感じ取ったキャンサは、申し訳なさそうに答えた。


「ごめんねネメア君、それは教えないでほしいって、オリーブから言われてるんだ」


「え、どうして…………?」


 返答を聞いたネメアはドキリとして、体を硬直させた。もしかして自分は、姉から拒絶されているのではないか、そんな考えが頭に浮かび、顔を曇らせる。彼が悲しそうに目を伏せたのを見て、キャンサは即座に励ました。


「大丈夫、オリーブは君を嫌ってそんな事を言った訳じゃないから。オリーブは君が強くなるのを見守っているんだよ。自分が傍にいたら成長を阻害してしまうから、距離を取ることにしたんだってさ」


「そう、ですか……それでも俺は、自分の目で姉さんの無事を確認したいんです。キャンサさん、どうか、居場所を教えてくれませんか?」


 ネメアはキャンサに懇願した。彼の目には涙が浮かんでいる。可哀想に思った彼女は、ヒントをあげることにした。


「う~ん、じゃあせめて、ヒントをあげるよ。オリーブパーティーのメンバー構成を思い出してごらん」


「メンバー構成?」


 ネメアは首を傾げた。その時、二人がダラダラとやり取りをしているのが気に食わなかったのか、アレスが水を差してきた。


「おいキャンサ、冒険者ギルドに行くんじゃないのかよ。言い出したのはお前だぞ」


 キャンサはアレスの方を振り返り、口を尖らせる。


「貴方は本当にせっかちだよね。分かったよ、もう行く。ごめんねネメア君、私から出せるヒントはこれくらいだよ」


 ペコリと頭を下げると、キャンサはアレス達と共に、この場を去っていってしまった。


「あぁっ、そんな!」


 姉の居場所に関する手掛かりを手に入れる、せっかくのチャンスを邪魔され、ネメアはガックリと肩を落とした。それから、やっぱりアレス達は苦手だなぁと眉を潜めた。ひとまず、キャンサから貰ったヒントを元に、推察するしかないだろう。


 オリーブパーティーのメンバー構成を思い出せとはどういう事だろうか。とりあえず、ネメアはメンバーを頭の中に思い浮かべた。


 まず一人目は、オリーブ・ヘリクルス。パーティーのリーダーであり、ファイターの役職に就いていた。あまり感情を表に出すことがなく、他の冒険者からは寡黙な印象を持たれていたという。ダークグリーンの髪に、吸い込まれそうなほど美しい、黒曜石色の瞳を持っている。


 二人目は、ダフニー・ポアロン。魔物に関する豊富な知識と、洞察力の鋭さで戦いを勝利に導いてきた、天才司令塔だ。名家の出身でありながら気さくな性格で、無邪気な乙女だったという。緑色の瞳を持ち、レモンイエローの髪を三つ編みのポニーテールにしていたらしい。


 三人目は、ヒュアキントス・ゼピュロス。「彼女に斬れないものは無い」と、言われるほどの腕前を持つ剣士だ。冷酷な性格で、自分の足を引っ張ると判断した仲間の元からはすぐにいなくなり、オリーブに出会うまで様々なパーティーを転々としていたという。アメジストのように艶やかな紫色の髪と瞳を持っている。


 四人目は、ミロ・アトラス。鳥の獣人の罠師だ。素早い動きで魔物を翻弄する、優秀なサポーターだったという。ダフニーと同じく、気さくで明るい性格で、パーティーの精神的な面でも支えになっていたらしい。晴天の日の底抜けに明るい空の色の髪と翼、黄金色の瞳を持っている。


 五人目は、ロディ・セポネー。謎の多い人物で、出自も年齢も分からない魔女だ。強大な魔法を操れることから、実は精霊なのではないかと噂されている。性格は、淡白だが面倒見が良く、多くの冒険者が彼女を慕っていた。ガーネット色の髪と瞳を持っている。


 オリーブパーティーのメンバーを思い浮かべたネメアは、ロディとキャンサが同一人物である可能性が高いと気が付いた。ロディの見た目とキャンサの見た目は一致しないが、強い魔法が使える彼女なら、髪や目の色をガラリと変えることなど容易いだろう。性格についても、癖が強い問題児のアレス達を見放さず、町の復興を手伝わせて更正させようとしている所から、面倒見の良さが伺えた。


 しかしキャンサの正体が分かった所で、オリーブの居場所が特定できる訳ではない。彼女が与えたヒントには、もっと深い意図があるはずだ。そう思い、ネメアは頭をフル回転させた。


 その結果、彼はある事に気が付いた。ファイター、剣士、司令塔、罠師、これらの役職は、クレタと、彼女の仲間の役職と一致しているのだ。もしもキャンサが彼女の仲間なら、クレタが魔法で姿を変えたオリーブという事になる。この考えに至った時、彼は驚いて頭が真っ白になった。だが、一度冷静になって考え直し、そんなはずがないだろうと予想を振り払った。


 オリーブ姉さんは、優しくて、おしとやかで、クレタさんみたいに我が道を行くような人じゃない。あんな派手なドレスも着ないし、ギラギラした部分はこれっぽっちもないし、失礼だけど色気もなかった。


 ネメアは頭の中で、オリーブがクレタである事を全否定した。加えて、オリーブパーティーの編成は彼女達の活躍の影響もあり、冒険者の間ではポピュラーになっている事も思い出した。やはり、キャンサから貰ったヒントだけでは、オリーブの居場所は分からなそうだ。

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