第10話「聖女の祈りと王子の剣」
黄金の光が収まった時、城の中庭の空気は一変していた。
淀んでいた邪気は完全に払われ、澄み切った空気が満ちている。
人々は、目の前で起きた奇跡の光景に、言葉を失っていた。
「……信じられん」
国王が、呆然とつぶやく。
「ルナの力が、これほどまでに……」
第一王子のアルフォンスも、驚きを隠せない様子でルナとリオネスを見つめている。
民衆や貴族たちの間に、もはやルナを疑う者はいなかった。
彼らは、目の前で本当の奇跡を見せられたのだ。
「真の聖女様は……ルナ様だったのだ!」
誰かがそう叫んだのをきっかけに、人々は次々とルナの前にひざまずき始めた。
「お許しください、ルナ様!」
「我々は、間違っておりました!」
謝罪と賞賛の声。
それは、半年前、ルナが浴びた憎悪の声とは全く違うものだった。
ルナは、戸惑いながらも、人々の前に毅然と立った。
もう、うつむいてはいられない。
彼女が視線を向けた先には、一人、顔面蒼白で立ち尽くすセレーネの姿があった。
「セレーネ」
ルナが静かに呼びかけると、セレーネの肩がびくりと震えた。
「なぜ……なぜあんなことをしたの? 私たちは、姉妹だったはずでしょう?」
その問いに、セレーネの表情が憎悪に歪んだ。
「姉妹ですって!? 笑わせないで! あんたがいたから、私はいつも二番手だった! 聖女の力も、人々の注目も、全部あんたが独り占めして! 私はずっと、あんたの影で生きてきたのよ!」
嫉妬に狂った叫びが、中庭に響き渡る。
「だから、あんたから全てを奪ってやろうと思ったのよ! 聖女の座も、名声も、全部ね! それなのに……それなのに、どうして! こんな土壇場で、リオネス王子まで味方につけて……!」
悔しそうに歯噛みするセレーネに、リオネスが冷たい声をかけた。
「それは、ルナが誰よりも清らかで、強い心を持っているからだ。お前のような、邪な心を持つ者には、到底理解できないだろうがな」
「黙れ、不運王子! あんたなんかに、何が分かる!」
追い詰められたセレーネは、完全に理性を失っていた。
彼女は懐から、禍々しい紫色の水晶を取り出した。
「こうなったら、もうどうなってもいいわ! この国も、あんたたちも、全部めちゃくちゃにしてあげる!」
セレーネが水晶を高く掲げ、呪文を唱え始める。
「やめろ、セレーネ!」
リオネスが止めようとするが、一足遅かった。
水晶は黒い光を放ち、地面に巨大な魔法陣を描き出す。
ゴゴゴゴ……!
大地が揺れ、魔法陣の中心から、どす黒い霧が噴き出した。
霧はみるみるうちに形をなし、巨大な異形の魔物の姿へと変わっていく。
鋭い爪、燃えるような赤い瞳、体からは腐臭を放つ邪気が溢れ出していた。
ギャアアアア!
人々の悲鳴が上がる。
「くっ……! こんなものを召喚するとは!」
リオネスは剣を抜き、ルナをかばうように前に立った。
騎士たちも慌てて陣形を組むが、魔物の放つ凄まじい邪気の前に、足がすくんでいる。
「ははは! どう? この魔物は、この国に溜まった邪気の塊よ! 今のあんたたちに、止められるかしら!」
高笑いするセレーネ。
魔物は、その巨大な腕を振り上げ、人々に向かって振り下ろした。
絶体絶命。
誰もがそう思った、その時。
「させません!」
ルナが、リオネスの前に進み出た。
彼女は瞳を閉じ、両手を胸の前で組むと、静かに祈りを捧げ始めた。
彼女の体から、再び黄金の光が溢れ出す。
それは先ほどの光よりも、さらに強く、温かい光だった。
光は、巨大な障壁となって魔物の腕を受け止めた。
「ぐ……おお……!」
魔物は、聖なる光に焼かれ、苦しそうに唸り声を上げる。
「すごい……! ルナ様が、魔物を抑え込んでいる!」
人々が希望の声を上げる。
しかし、ルナの表情は苦痛に歪んでいた。
魔物の邪気はあまりにも強大で、彼女一人の力で抑え込むには限界があった。
「ルナ!」
リオネスが叫ぶ。
「僕に何かできることはないか!?」
「王子様……」
汗を流しながら、ルナが答える。
「この魔物の核は、セレーネが持っている水晶……! あれを破壊すれば……!」
「分かった!」
リオネスは、ルナの言葉を聞くと、迷わず剣を構え、魔物に向かって駆け出した。
「殿下、ご無謀です!」
カイが叫ぶが、リオネスは止まらない。
彼は、不運王子。
だが、彼の不運は、邪気を引き寄せる力でもある。
リオネスが魔物に近づくと、魔物の攻撃が面白いように彼に集中し始めた。
しかし、リオネスはそれを驚異的な身体能力と、もはや神業としか思えない「不運を利用した幸運」でひらりとかわしていく。
崩れた柱を足場にして跳躍し、飛んできた瓦礫を盾にする。
その動きは、まるで計算され尽くした舞のようだった。
「な、なんなのよ、あいつ……! 私の魔物の攻撃が、全然当たらないじゃない!」
セレーネが焦りの声を上げる。
その隙を、リオネスは見逃さなかった。
彼は、魔物の腕を駆け上がると、セレーネに向かって一直線に跳躍した。
「しまっ……!」
セレーネが反応するより早く、リオネスの剣が閃く。
キィン! という甲高い音と共に、セレーネの手の中にあった紫色の水晶が、粉々に砕け散った。
ギ……ギャアアアアアアア!!
核を失った魔物は、断末魔の叫びを上げながら、光の粒子となって消滅していく。
魔物が完全に消え去った後、中庭には静寂が戻った。
呆然と立ち尽くすセレーネの前に、リオネスが剣を突きつける。
「……お前の負けだ、セレーネ」
セレーネは、その場にへたり込んだ。
彼女の瞳からは、もう憎しみの光は消え、虚無だけが残っていた。
聖女の祈りと、王子の剣。
二つの力が合わさった時、国を覆っていた闇は、完全に払われたのだった。
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