第19話「話さない!」
病院の白いベッド。
点滴のチューブと、包帯。
奇跡の生還を果たした少女、あかりの周りには、警察官、児童心理司、そして航空事故調査委員会の担当官たちが集まっていた。
彼らは焦っていた。
500人以上が乗っていたジャンボ機。生存者は極めて少ない。
墜落時の状況、機内の様子、何が起きたのか。それを知る唯一の「生き証人」であるあかりから、一刻も早く証言を得たかったのだ。
「あかりちゃん、怖くないよ。思い出せるだけでいいんだ。飛行機の中で、何があった?」
「お母さんは、いつまで話をしていた?」
「ドーンという音は、何回聞こえた?」
大人たちの質問攻め。
あかりは、膝を抱えて小さくなっていた。
その瞳には、深いトラウマの影と、大人たちへの不信感が宿っていた。
昨夜の地獄。
炎と悲鳴。そして、自分を押しつぶす瓦礫の重さと、動かなくなった本当のママの冷たさ。
それらを思い出させようとする無神経な言葉の刃。
「……嫌」
あかりが小さく呟いた。
「ん? 何かな?」
あかりは顔を上げ、周囲を取り囲む大人たちを睨みつけた。
その目は、昨夜、自分を背負って崖を登ったあの女性――壬生さゆりの目に似ていた。
「話さない!」
あかりは叫んだ。
「あかりちゃん、でもね、これは大事なことなんだよ……」
「あかりを助けてくれたのは、さゆりママだけだもん!」
「えっ?」
担当官たちが顔を見合わせる。「さゆり……ママ?」
あかりの中では、昨夜の極限状態で、記憶と感情が特別な形で結びついていた。
瓦礫の下で死んでしまった本当のママ。
そして、その瓦礫をどけて、自分を抱きしめ、「あかりちゃん」と名前を呼んでくれた、もう一人のママ。
自分を守って死んだママと、自分を背負って生きてくれたママ。
二人はあかりの中で、一つの「守り神」になっていたのだ。
「さゆりママをいじめる人とは、お話ししない!」
あかりは頑なに口を閉ざした。
病室のテレビには、ニュースが流れていた。
そこには、マイクに囲まれ、厳しい表情で頭を下げるさゆりの姿が映っていた。『報道協定無視』『身勝手な行動』というテロップと共に。
あかりはそれを見て、小さな拳を震わせた。
あんなに優しくて、あんなに強くて、泥だらけになってあかりを助けてくれた人が、なんで怒られているの?
なんで「悪い人」みたいに言われているの?
「ママを……いじめないで!」
あかりの悲痛な叫びが病室に響いた。
それは、大人たちの論理や、世間の常識を全て遮断する、純粋で強力な拒絶だった。
担当官たちは困り果てた。
「これじゃあ、聴取どころじゃないな……」
「壬生さゆり……あの記者のことか? まさか、母親だと思っているのか?」
この「誤解」あるいは「魂の結びつき」が、事態を思わぬ方向へと動かしていく。
非難の的となっていたさゆりは、生存者あかりにとっての「絶対的な守護者」として、再び彼女の前に呼ばれることになるのだ。
血の繋がりを超えた、地獄で結ばれた母と子の絆。
それが、冷徹な大人たちの世界に風穴を開けようとしていた。
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