第11話「行っちゃいましたね……」
「行くぞ!」と意気込んだ次の瞬間だった。
ガラガラガラッ!!
樺島が足を踏み出した岩場が大きく崩落した。
「うおっ!?」
樺島は反射的に近くの幹にしがみついたが、足元は完全に宙に浮いていた。切れたザイルの残骸が、虚しくブラブラと揺れる。
「か、樺島さん!!」
高田が悲鳴を上げて襟首を掴み、強引に引き戻す。
ゼェ、ゼェ、ゼェ……。
岩棚に転がった二人は、冷や汗まみれで肩で息をした。
マグライトで下を照らす。
さゆりが降りていったルートは、ここから先、ほぼ垂直の壁だ。彼女のような身軽さと、バレーで鍛えた指の力がなければ、命綱なしで降りることなど自殺行為に等しい。
「……くそっ」
樺島が地面を殴りつけた。
革靴のつま先はすでにボロボロ。高田に至っては、足の震えが止まらず、立ち上がることさえできない。
「……だめだ」
樺島が、苦渋に満ちた声で言った。
「え?」
「だめだ。俺たちは……」
樺島は悔しそうに顔を歪め、闇の底を見つめた。そこでは、さゆりのライトが豆粒のように小さくなっていた。
「俺たちは、『留守番』するしかない」
「る、留守番って……ここで待つってことですか? でも、さっきは行くって……」
「見ろよこの崖を!」
樺島が怒鳴った。「今の崩落で足場が消えた。装備も技術もねえ俺たちが降りてみろ。確実に死ぬ。俺たちが死んだら、誰が無線を繋ぐ? 誰が局に状況を伝えるんだ?」
樺島は自身のアナログ腕時計を睨み、震える手でタバコの箱を探る動作をした(やはり空だったが)。
「あいつは……壬生は別格だ。あいつは行ける。だが、俺たちは違う。ここで足手まといになって二重遭難するより、ここで無線が通じるポイントを探して、あいつからの情報を待つ。それが……」
言葉を詰まらせる。
男としてのプライド、先輩としての威厳。それらをすべて飲み込んで、現実的な判断を下すしかなかった。
「それが、今の俺たちにできる唯一の仕事だ」
高田は泣きそうな顔で頷いた。
「……はい。悔しいですが……僕、足が動きません」
樺島は崖の縁まで這い寄り、両手で口元を覆って、腹の底から叫んだ。
「おーーーい!! 壬生ーーッ!!」
声が闇に吸い込まれる。
「俺たちはここまでだ!! 無理だ!! ここで待機して、無線の中継をする!!」
「必ず戻ってこい!! 死ぬんじゃねえぞ!! バカ野郎ーー!!」
遥か下。
闇の底で、さゆりのライトが一度だけ、長く、ゆっくりと点滅したように見えた。
『了解』。
そう言っているようだった。
やがて、その光はくるりと向きを変え、炎の匂いが漂う森の奥深くへと消えていった。
「行っちゃいましたね……」
高田が膝を抱える。
「ああ。……ここからは、あいつ一人の戦場だ」
樺島は岩場にドカリと座り込み、ザーザーとノイズを吐き続ける無線機のボリュームを最大にした。
「祈るぞ、高田。あのアマが、地獄から生還することをな」
頭上には星も見えない漆黒の空。
眼下には、数百の命が散った深山。
男二人は無力感を噛み締めながら、ただひたすらに「その時」を待つしかなかった。
一方、壬生さゆりは。
たった一人、真の地獄へと足を踏み入れていた。
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