第9話残された二人。

樺島の持っていた予備のザイル(ロープ)と、ジープから回収したヘルメットを装着したさゆり。

先ほどの偵察でボロボロになった姿だが、その手際はさらに洗練されていた。カラビナをカチリと鳴らし、ハーネスを締め直す。


「ルートはさっき確認した。私が先導するから、二人は私の足跡を辿って。絶対にロープを離さないで」


さゆりは崖の縁に立ち、ヘルメットの顎紐をグッと締めた。

その横顔は、もはや迷いも恐怖も超越していた。ただ一点、救助と真実の究明だけを見据えている。


「行くわよ」


言うが早いか、さゆりは再び漆黒の闇へと身を躍らせた。

ザザッという音と共に、彼女の姿が崖下へと消えていく。ロープがピンと張り詰め、ギリギリと音を立てる。


残された二人。


高田は、張り詰めたロープを見つめながら、ガタガタと震えていた。

さっきのさゆりの言葉――『子供の声がした気がする』。

それが本当なら希望だ。だが、もしそれが風の悪戯か、あるいはもっと恐ろしい何かの声だったら?


この漆黒の闇。焦げ臭い異臭。そして、さっき見たさゆりの、どこか現世離れした凄絶な笑顔。

まるで、彼女自身がこの山の「魔」に取り憑かれてしまったかのように見えた。


「か、樺島さん……」

高田は蚊の鳴くような声で言った。


「あ?」

樺島は自分のハーネスを確認しながら、無愛想に応じた。


「今度こそ……今度こそ、本当に帰ってこない気がします……」

高田の目には涙が浮かんでいた。「だって、あんな……あんな場所に二度も……」


「高田」


樺島の低い声が、高田の弱音を遮った。


「いい加減にしろよ!」


ドカッ、と樺島の蹴りが、近くの地面を穿つ。

「お前、いつまで客席でビビってんだ? 俺たちは今、舞台の上に立ってんだよ!」


樺島は高田の襟首を掴み、グイと引き寄せた。

「見ろ、あのロープを。あいつはな、俺たちの命綱なんだよ。あいつが先に行って、道を作ってくれてる。俺たちがビビってどうする? あいつを一人にする気か?」


「で、でも……」


「壬生はな、母親なんだよ。自分のガキとの約束を破って、ここにいんだ。その覚悟に、俺たちが泥を塗るわけにゃいかねえだろうが!」


樺島は高田を突き放すと、さゆりが降りていったロープを強く握りしめた。

「行くぞ、高田。帰ってこないなら、俺たちが連れて帰るんだ。それがチームだろ!」


「……は、はい……!」


高田は涙を袖で拭い、震える手でロープを握った。

覚悟が決まったわけではない。恐怖が消えたわけでもない。ただ、この先輩たちに置いていかれることの方が、もっと怖かったのだ。


「よし、行くぞ!」


樺島が続き、最後に高田が。

三人の影は、地獄の底へと続く一本のロープを頼りに、深い、深い闇の中へと降りていった。


その先で待つ光景が、彼らの人生を永遠に変えることになるとは知らずに。

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