第一章
お伽噺の現実問題
メイベル嬢とふたりでの話し合いは、結局まとまらなかった。
せめて一歩的な破棄ではなく、双方合意の上で穏便に解消したという
「アル様に責任を押し付けるなど、それこそ我が家が自らの罪を省みず、逆恨みするような振る舞いではありませんか」
当家は当家で、彼女に今以上のものを背負わせる気などないのだが、「無理です」「駄目です」「嫌です」と膨れっ面で拒否されてしまい……正直弱った。
一度「こう!」と決めたら意外に頑固な彼女だ。ただ、それはそれで歳相応の、微笑ましさすら覚える態度であるから、場にそぐわぬ感慨を抱きもした。打ちひしがれているばかりではないのだなと、安心してしまった。
さすがはかつて「わたくしにも剣を教えて下さい!」と、身の丈に合わない長剣を引き摺ってきたご令嬢だと、妙なところで懐かしい気分にもさせられていた……。
「こういう場合、相手に責任を押し付け合うもののはずなんですが」
話し合いがおかしな方向に捻れていることを、困惑も露わに指摘してみた。
メイベル嬢も思い当たる節があったらしく、一瞬きょとんとしてから、思案顔になった。
「それは、そうかもしれませんけれど……。たとえば以前お連れ頂いた、お芝居のように、ですよね?」
「ああ。そうですね、あの『お伽噺』が題材の」
芝居になるような『お伽噺』といえば、「生まれもった桁違いの魔力や特殊な能力で成り上がる貧乏貴族の子息」や「斬新な料理を次々に思いついては食卓に革命を起こす令嬢」「謂われ無き理由で追放された主人公による復讐譚」といった悲喜劇だ。
一方で、「王太子殿下と身分違いの恋に落ちる平民出の令嬢」が謳われるかと思えば、「独断で婚約を破棄したことで揉めに揉め、廃嫡の憂き目に遭う王子」といった泥沼の物語も多い。
そしてどういうわけか、ご令嬢方には後者が人気だったらしく、メイベル嬢にもせがまれ、何度か一緒に観劇した。……ご令嬢たちの琴線にはこういうものが触れるのかと、何かの深淵を覗いた気分になった。
なかでも婚約破棄を題材にした芝居では、破棄した側の王子あるいは破棄された側の貴族令嬢が相手を咎め、断罪する場面が山場のひとつで……。あのときはまさか自分たちが似たような立場になるとは、考えもしなかった。
「こんなときですが、改めて御礼申し上げます」
メイベル嬢が多少憚りつつも、微笑みを浮かべ、軽く頭を下げてきた。
「その節はありがとうございました。とても楽しいひとときでした」
――良い想い出になりました、と言外に含まれているような口振りだった。
(それで寂しさを覚えるとは……我ながら勝手なものだな)
彼女とはこれからも、いやむしろこれからこそ、明るい未来を築かなければいけなかったのに。
「貴女は、物語で断罪される立場の人物とは、違う」
あれはなんといったか、最後まで自身の非を認めない高慢な態度の……そう、悪役令嬢だ。多くの作品で、婚約を破棄された側の令嬢はそのように描かれていた。まさしく彼女のいう『みっともない大人』の姿だろう。
だが――。
「貴女には、こちらを責める権利がある。芝居の利己的な登場人物たちとは違う」
劇中の役割に当て嵌めるなら、メイベル嬢は陥れられた側にあたるだろう。家長が罪を犯したのであって、それを告発したのは
悪役は、こちらだ。
あくまで説得しようとする俺に困った様子で、メイベル嬢の口調がやや慎重になったのは、ここからだった。
「以前、その……“お友達”から聞いた話なのですけれど」
「あ、ああ、いつもの?」
ここでその名が出てくるとは、意表を衝かれた。
メイベル嬢とは観劇だけでなく、定期的にこの屋敷を訪れては、顔を合わせてきた。成婚までに互いをより知るためにお茶でも、という慣習だ。
その席の話題に“お友達”が度々登場する。幼い頃から親しくしてきた、同性の親友だという。
具体的な家名を教えてもらえないので、おそらくという推察になるが、自分たちよりも爵位が上の高位貴族なのだろう。ご令嬢同士は仲が良くても、爵位の差が大きかったり、家と家がなんらかの対立関係にあったりすれば、婚約者相手でも名を口にするのは憚られる――そんな想像がついた。
この話をする際、メイベル嬢が慎重に言葉を選んでいる様子なのも、推論を補強している。
「はい。その“お友達”の、ですね、お母様が」
しかもこの日はいつも以上に、少し言いにくそうに続けた。
「……公の場で、婚約を破棄すると宣言されてしまったご経験が、あらせられるそうでして」
「それは……なんとも」
身近で実際に起きていたとは……。
詮索は良くないのだろうが、過去に得たいくつかの情報が、脳裏に浮かんでは消えた。社交界で流れたという噂のなかにはそれこそ「まさか」という立場の御方に関するものもあったが、メイベル嬢との接点が浮かばず、自然と意識から除外した。
誰であれ、醜聞には変わりはない。破棄されたという事実はこと貴族社会の間で人生の瑕疵になる。新たな良縁がもたらされる可能性はひどく低くなり、周囲から傷物に触るような扱いを受け続ける。
だからこそメイベル嬢にはせめて、すべて俺の責任であると押し付けてもらいたい。彼女には同情が集まってほしいと、切に願う。
「幸いお母様はその一件があり、かえって良縁に恵まれ、今はお健やかに過ごされていらっしゃるそうです」
それなら良かったと無難に返しつつ、そんなこともあるのかと意外さを覚えた。“お友達”の存在を考えれば想像できなくもなかったが、単に娘を産んだというだけでは……意に添わぬ婚姻など、様々な可能性が見出せてしまう。
しかし、「お健やかに」というのならば。その実例があるのならば。
メイベル嬢も、ここで俺との縁が失われても将来……と、虫の良い期待すら浮かんでしまう。
が、彼女はそういった淡い夢を抱いて、この話題を持ち出したわけではなかった。
「“お友達”のお母様は、身に覚えの無い罪を理由に婚約の破棄を告げられた際、堂々と胸を張って自身の潔白を主張されたそうですが……わたくしにそれはできません」
こちらも当人にはなんの罪もないはずの少女が、俯き加減ながらも、曲げられぬ意思をはっきりと口にした。
「我が家の側に明確な罪があるのです。ならば周囲にもはっきりとわかる形で遠ざけて頂くのが、万人の納得する……そう、筋書きというものではないでしょうか?」
どちらも折れないまま、これ以上長居するのもという時間になってしまったのも、結論を保留した理由のひとつだった。もう少し落ち着いてから改めて……などと、先送りするだけなのがわかっていても、だ。
「申し訳ありません。日々のお勤めもあるというのに」
わざわざ玄関まで見送りに来てくれ、かつこちらを気遣ってくれるメイベル嬢だが……その点実は今後、事情が変わる予定だった。
引き続き話し合う必要があるのだから、これは伝えておかないとまずいか。
「実は、出向することになりました」
「出向……?」
聞き慣れない言葉だったのだろう。メイベル嬢は一度間をおいてから、意味を悟った様子で驚き、慌て始める。
「えっ、出向って。出向? 今の騎士隊から離れるという意味ですか!?」
他人の心配をしている場合ではないだろうに、声にも表情にもこちらを案じる色が含まれている。まさしく身内に対するそれのようだ。
(……そういえば何度となく、職務の話をしてしまっていたな)
初対面時の自己紹介で、騎士団のどの隊に所属しているかは説明済みだ。以降も定例の顔合わせで度々、話題に困ると仕事の話をしてしまった。彼女からも「最近ご苦労はございませんか」と何度か尋ねられた。
「しばらくの間、余所を手伝うだけです」
相手を落ち着かせるため、大したことではないかのように、注意して話す。
「近年できたばかりの部署が、人手不足だそうで。そちらを仕切る上官が昔の知り合いな上、同じ王都に拠点を構える組織ということもあって」
あくまで出向なので、いずれは騎士団に戻る。そういう意味で告げたのだが……。
「……ひょっとして、なのですけれど」
顔を強張らせたメイベル嬢が、恐る恐る確認してくる。
「わたくしと婚約していたことが、その出向というものに至った理由……ですか?」
――王家直属の王都騎士団は、大きく三隊から成る。
王宮の警備と王族の警護を任とする、近衛騎士隊。
王国の体制維持を担う、特務騎士隊。
そして王都とその近辺を
本来なら俺は所属する巡検騎士隊の一員として、〈幻影の
だが実際にはしばらくの間、詰め所での待機を命じられた。
ランプリング伯を密売に荷担した容疑で告発し、その娘であるメイベル嬢と婚約もしている身だ。関係者のひとりとして扱われ、捜査に関わらないのが不文律とされる。
任務にあたらせてもらえるならもちろん、私情は挟まない。が、周囲はそう見ない。むしろより歪んだ視点でこちらを推し量る。
実際、ランプリング伯の拘束により事態が知れ渡るにつれ、騎士団の内外を問わず、好奇の目を向けてくる輩が増えた。
直属の上官や同僚たちは理解を示し、同情もしてくれたが……。部外者が口にする噂の無責任さは、想像以上に面倒なものだった。
曰く、始めからランプリング伯を調べる目的で娘に近づいたのだろうとか、あまつさえ娘を利用して情報を集めたのだろうとか。
(俺がどうこう言われるだけならともかく……)
メイベル嬢の傷を増やすような誹謗は、許しがたかった。かといって抗議やちょっとしたお話し合いなぞしようものなら、隊にまで迷惑をかけかねない。
故に自分から暇乞いをしたところ、ちょうど人手を欲していた部署へ出向という道を示された。辞めさせるには忍びないが、ほとぼりが冷めるまで余所でおとなしくしていろという、温情なのだろう。
話しているうちに玄関へと到着していた。あとは俺がこの屋敷を辞するだけだ。
今にもまた「我が家のせいで」と繰り返しそうなメイベル嬢に、出向する理由は曖昧にぼかしておいた。彼女が抱え込む必要はない。
代わりに、アリンガム家の別邸――王都にある、兄が継いだ実家の屋敷へ居を移すことを伝える。これまでは騎士団の宿舎住まいだったが、出向先にはその類いがまだないと聞いた。ならばと兄の厚意に甘え、アリンガム伯爵邸へ移ることにした。幸い新たな仕事場とも、そう遠くはない。
「なので、何かあればそちらに使いを」
「……承知致しました」
諸々の事柄に納得できず、気持ちの整理もつかない――そのはずなのに、メイベル嬢は淑女として当然の礼節をもって、こちらを見送ってくれる。
これまで通り、いつものように。その所作だけは以前と変わらず――。
「またお会いできる日を、楽しみにしております」
声だけが少し、硬かった。
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