冒険者監督官

秋月ひろ

序章

婚約破棄に足る事由

「わたくしとの婚約を、破棄して頂きたく……っ!」

 何度か言い淀んでからの宣言ではあった。

 が、最後は決然と顔を上げ、きっぱりと言い切ってみせた。まだ華奢に見える成人前の身体で、背筋を伸ばし、精一杯堂々と振る舞おうとしている。

(しかし……)

 濃い緑色グリーンの瞳が、揺れている。

 浅く呼吸を繰り返し、肩も、そこに掛かった暖かみのある茶オレンジブラウンの髪も、微かに震えている。

 むしろこちらが、唇を噛みたくなっていた。

 まだ十四になったばかりの彼女に、あんな言葉を吐かせた。それはほかならぬ自分のせいなのに。今さら、苦い思いが込み上げてくる。

(覚悟はとうにできていたはずだ……)

 応接室で向き合って座るのは、彼女と自分のふたりだけ。この屋敷の家令が扉の傍にひっそりと控えているが、他には召使いのひとりもいない。

 生憎の曇り空で、窓から射し込む光も弱々しい。薄暗い室内が余計に寂しく感じられる。

 家具や調度品が少なくなっているのも、一因だ。

 すでに処分ないしはのか、玄関からここへ至る通路まで、どこも閑散としていた。それに気づけてしまう程度には、幾度となくここへ通っていたのだなと、予想していなかったところで思い知らされる。

「アル様」

 こちらの返答がないことから、不安を覚えたのか。いつも通り愛称で呼びかけてくれた。

 しかし何かに気づいた様子で、表情も堅く言い直す。声も、悄然としたものに変わる。

「アルフレッド=アリンガム様……そうして頂かねば、貴方にまで累が及びます」

(累……か)

 事ここに至るまでの顛末を聞けば、多くの者はこう考えるだろう。

 あの男は巻き添えを怖れ、婚約者の父を売ったのだ、と。


 ランプリング伯爵家唯一の子女メイベル嬢との婚約が決まったのは、数年前。

 ランプリング家は先の内戦時に現国王陛下の側につき、主に兵站の面からよく支えた。その功により伯爵位にも叙せられ、それに見合うだけの働きを内戦終結後もよく示した。

 一方こちらはアリンガム家の三男。同じ伯爵家ではあるが、すでに長兄が家督を継いでいる。自分は一介の騎士でしかなく、歳も自分が七つ上。

 にも拘わらず「武勇の誉れ高いアリンガム家の騎士様を、だ……旦那様としてお迎えできること、光栄に存じます!」と強く主張してくれたのは、ほかならぬメイベル嬢だった。初めての顔合わせでも実際に、そう言ってくれた。

 内戦で武功を挙げたのは亡き父で、自分が騎士に取り立てられたのは終結後。叙任以来王都の治安を守る騎士隊のひとつに所属しているが、内戦時はまだ見習いとして右往左往していた身。武勇などと言われても、面映ゆいことこの上ない。

 ともあれ両家の間では、本人たちが納得したこともあり、メイベル嬢が成人する十五を待ってこちらが婿入りする運びになった。

 娘しかいないランプリング家は跡取りとして立てるべき男子が必要だったし、三男である自分はアリンガム家の地位や財産を継ぐ立場になかった。長兄が問題なく一族を率いており、後継者たる甥もすでに生まれているのだ。後見としてやはり優秀で信のおける次兄も健在とあれば、なおさら。

 親の威光ではあるが家格もまあまあ合う者同士だったので、親類からの異議などもなく、両家の事情はうまく噛み合った。

 ランプリング家当主が荷担した、違法薬物の売買が露見するまでは。


 早くに亡くなったという奥方に代わり、ランプリング家の王都別邸――今まさに婚約破棄の話が出たこの屋敷には、幼いうちからメイベル嬢が入っていた。家令の助けを受けながらではあるが、ちょっとした社交や家財の管理をこなす、女主人の代行というわけだ。

 その分、彼女の父であるランプリング家の当主は、領地の本邸で領内の経営に専念していた。

 元々兵站で名を成した家だけあって、現在でも領地を経由した物資の輸送で当主は辣腕を振るっている……はずだった。が、の地から王都へもたらされる荷のなかに、禁じられている薬物が潜ませてあった。

 〈幻影の蜷局とぐろ〉――数種類の薬草から精製されるそれは、精神を高揚させる代わりに依存性・常習性が高く、心身をゆっくりと蝕む。

 現国王陛下はかねてより享楽目的の麻薬類一切を「悪しき物」と断じ、摘発に力を注がれていた。

 故に半ば偶然とはいえ事実を知った以上、臣下として当然の務めを果たすべきと判断した俺は……上層部にランプリング伯を告発した。


 ひとつ息をつかねばならなかったが、こちらも姿勢を正して前を見据える。

「自分を貴女が受け容れられない、というのは当然です。婚約を破棄するに至った責任は当家にあるものとして構わないと、当主である兄の同意も予め得てきました。なので――」

「それは違います!」

 言葉半ばで、必死の叫びに遮られた。

 メイベル嬢が頭を左右に振り、髪を大きく揺らしていた。

「父の行いは、裁かれて当然のものです。責は我が家にあります。アル様は、正道を貫いただけではないですか」

 正道――正義。それは、そうなのだろう。今でもそのつもりだ。

 だが……。

「恨んで下さって、構わない」

 そう口に出さずにはいられない。

 父上であるご当主はすでに拘束され、今も追求が続いている。領地の本邸だけでなく、この別邸にも捜査の手が及んだ。ランプリング家はこの先、没落を免れないだろう。領地の召し上げや爵位の剥奪も当然有り得る。

 そうなるとわかっていて、告発した……。彼女の人生を滅茶苦茶にしたのだから、恨まれて当然だ。

 しかしそれでも、メイベル嬢はまたふるふると首を横に振り……泣き笑いのような表情でこちらを見詰め返してくる。

「恨むなどと。わたくしは、そのような……みっともない大人になりたくありません」

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