第2話……女海賊ツーシームとの契約

 気密扉を押し開けた瞬間、ヘルメットのバイザー越しに強烈な光と喧騒が飛び込んできた。

 廃墟の外見からは想像もできないほど、中はざわめきに満ちていた。


 狭い酒場に詰め込まれているのは、粗野な宇宙服姿の男たち。

 テーブルには合成酒のボトルが乱雑に置かれ、グラスが打ち鳴らされるたびに乾いた笑い声が響く。

 壁面の古びたネオンはチカチカと点滅し、濃い煙と油の匂いが充満していた。


 老家臣グレゴールは、背筋に冷たい汗を感じた。

 ――見間違えるはずがない。ここは、ならず者たちの巣窟だ。

 宙域管区から指名手配されて久しい無頼の連中……宇宙海賊どもが屯している。


「若君、ここは……危険すぎます……!」


 低い声で囁くが、ユリウスは酸素残量の表示を見て顔を歪めた。


「でも……入らなければ、酸素が……!」


「…………」


 老家臣は一瞬、迷った。

 だが背後に広がるのは死んだコロニーの闇、そして限られた酸素残量。

 選べる道など最初からなかった。


 二人は硬い足取りで店内に踏み込み、カウンターの一隅へ腰を下ろす。

 周囲の視線が突き刺さる。


 空腹を思い出したユリウスは、震える声で言葉を搾り出した。


「……食べ物を……何か……」




◇◇◇◇◇


 湯気の立つ粗末なスープが運ばれ、ユリウスは空腹を抑えきれずに口をつけた。

 硬いパンを噛みちぎるたび、乾いた喉がわずかに潤う。


 グレゴールは周囲に警戒の眼を走らせ、背筋を張ったまま一口も手を伸ばさない。


 スープをすすりながら、ユリウスはふと酒場の隅に目を向けた。

 煙草の煙がゆらめく奥の席に、ひとりの女が腰を下ろしていた。


 ボロの革上着に安酒の瓶、安そうな巻き煙草。

 傍目にはただの酔いどれにしか見えない。


 だが不思議なことに、周囲の荒くれ者たちが彼女の卓には近づこうとせず、時折ちらりと視線を送るだけだった。

 まるで、そこだけが見えない境界線で囲まれているように。


 ユリウスは気づいた――この女は、ただ者ではない。

 酔ったふりをしていても、全員が彼女を頭領のように意識している。

 老家臣グレゴールは、少年の様子に気づいて眉をひそめた。


「若君……あの女は……」


「……あの人なら、助けてくれるかもしれない」


 少年は震える足で立ち上がり、カウンターの視線をすり抜けて、酒場の隅の女へと歩み寄った。

 恐怖に押し潰されそうな胸の奥から、かすれ声を絞り出す。


「……お願いします。……どうか、助けてください……!」


 安酒の瓶を傾けていた女は、わずかに口角を上げ、煙草の煙を吐き出した。

 その瞳は、獲物を見つけた猛禽のように鋭かった。




◇◇◇◇◇


「……領地の四割、あたいに寄こしな」


 ツーシームの口元に、にやりとした笑みが浮かんだ。


「な、なんですと!」


 老家臣グレゴールが立ち上がり、テーブルを叩いた。


「無法も甚だしい! 貴様のような無頼の徒に、先祖伝来の領地を差し出すなど――!」


 酒場の荒くれどもがざわめき、嘲るように笑った。


「聞いたか? 領主様の犬ころがご立派なこと言ってやがる!」

「でもよ、力のないあんたらが、領地を取り戻せるのか?」


 ツーシームは安酒を一口あおり、煙草をくわえ直した。


「おっさん、アンタらだけで逃げ切れると思ってんのかい? 武装船に追われて、酸素も食料も残りわずか。このままじゃ坊ちゃんごと共倒れだろ。だったら――生き延びるために払うもん払えって話さ」


 グレゴールは顔を真っ赤にして怒鳴り返す。


「そんな無法に屈するくらいなら――!」


「グレゴール!」


 ユリウスが声を張り上げた。震える手でテーブルを握りしめ、必死にツーシームを見上げる。


「いいんだ……! 僕は、生きたい。そして取り戻したい。父上の……アストレアの誇りを絶やさないために!」


「若君!」


「四割だろうと、半分だろうと……生き残らなければ、意味がない! 父上を失った今、僕には……この人にすがるしかないんだ!」


 酒場が一瞬、静まり返った。

 ツーシームは少年の必死の眼差しを見つめ、ふっと煙を吐き出す。


「……気に入ったよ、坊ちゃん」


 女は煙を吐き出し、安酒の瓶をコトンと卓に置いた。

 その瞬間、酒場の奥から荒っぽい笑い声が飛ぶ。


「おい見ろ! ツーシーム姐さんがガキを拾ったぞ!」

「ははっ、坊ちゃんも運がいいな。ツーシームに目ぇかけられりゃ、この辺境じゃ命拾いだ!」

「これで一杯儲かるぜ」


 ざわめきが広がり、周囲の荒くれ者たちが面白そうにこちらを見やる。

 老家臣グレゴールの顔がさっと強張った。


「ツーシームだと……、この辺境を荒らしまわる女海賊か……」


 噂は何度も耳にした。

 貨物船を襲い、採掘コロニーから酒と食料を巻き上げる。


 軍艦を沈めるような大海賊ではない。だが、この辺境で名を聞けば誰もが眉をひそめる存在。

 ユリウスはその名を知らなかった。ただ、彼女の前に立ち続けるしかなかった。


 女は巻き煙草をくゆらせ、目尻を細める。


「そうさ、あたしがツーシーム。この場末じゃちょっとは顔が利くのさ。――だから、命が惜しけりゃ、あたしに賭けな」


 煙の奥で笑うその姿は、どう見ても安っぽい酒場の姐御にすぎない。

 だが、少年の胸には不思議と「この女なら」と思わせる威圧感があった。


 ツーシームはグラスを傾けながら、ちらりと天井を見上げた。


 その視線の先には、誰にも見えないはずの“重みの揺らぎ”が、糸を垂れているように漂っている。

 酒場の荒くれどもは気づかない。だが彼女には、いつだって「空間の歪み」が見えて”いたのだ。


「ふん……、今日も空気が重てぇ。嵐の前の静けさってやつさね」

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