6-3


「ぉおお――お、おお? あれ? ここは……」


「ご主人様、無事でありますですか!?」


 アニムスに抱き着かれ庇われながら、気づけば銀磁は見覚えのある場所に立っていた。

 とりあえず、アニムスを落ち着かせるためにぐい、と押して距離をとらせる。


「落ち着けよアニムス。……つか、お前もそんなに取り乱すんだな」


 言われて、アニムスは珍しく少し頬を赤くすると、わざとらしく咳ばらいをする。


「こほん。……というか、そもそもご主人様が今起こったことの脅威度合いを理解していなさすぎなのでありますですよ」


「脅威って……いや、確かにいきなり空間移動? させられたみたいだし、驚くけどよ」


「空間移動なんて出来る技術、少なくともワタシのデータの中にはないのでありますです」


「そう……なのか? アニムスもよく空間に穴開けてモノ取り出してるだろ?」


「あれは次元位置が完全に固定された亜空間内とつなげているだけなのでありますです。いわばやっていることは『特定の場所に穴をあけるだけ』。しかし空間移動は、難易度が桁違いで……そうでありますですね、ご主人様にもわかるくらいのレベルで説明するならば」


「もう聞く気失せてるけど一応聞いてやるよ、説明するならどうなんだ?」


「ワタシの能力が『どんな手を使ってでもいいから火をつけてください』レベルだとしたら、空間移動は『両手両足切り落とした状態で一切の道具その他外部要因に頼らず動作も行わず空中に火の玉を生み出してください』というレベルなのでありますです」


「もはや問題が別ものじゃねぇか……」


「そのくらい異常なことと思ってもらえればいいのでありますです。正直、穴に飲み込まれた瞬間原子レベルでに分解されるのも覚悟したのでありますですよ?」


「こわっ!?」


 思わず本気で怯えた銀磁だったが、周りの風景が見覚えのあるものだったことを思い出して、落ち着きを取り戻す。


「とりあえず、場所は知ってるところみたいだし、所長がやったことで間違いないんじゃないか? さっき所長の声も聞こえたしな」


 見てみろよ、と銀磁がアニムスに周囲の光景を見るように促すと、アニムスは木々が立ち並ぶ周囲の風景を見て小さく頷く。


「ここは、佐治博士の家の近くでありますですな」


「だろ? 多分だけど、佐治博士の家に向かえってことなんじゃないか?」


「そうだとは思うでありますですが」


 アニムスの返事の歯切れは悪い。なにか、ひっかかることがあるような様子に、銀磁は思わず尋ねる。


「さっき、なにか考え込んでたよな? ひっかかることでもあるのか?」


「いえ……ワタシの口から言うべきことではないのでありますです、きっと。開発者様がここにワタシたちを、しかも空間移動という驚くべき方法で移動させた時点で、ワタシの考えが正答なのは明らかでありますですが」


「なに言ってるかさっぱりだな……所長がなんだっていうんだ?」


「確かめに行くのでありますですよ。ただし、ご主人様におかれましてはショック死など致さないよう忠告しておくのでありますです」


「さっきからオレのこと脅かすのやめてくれ……なにがあるっていうんだ」


 肩をすくめながら、銀磁は道の先にある佐治博士の研究施設――の、上にある一軒家へと向かった。

 エヌが以前言っていた通り、地下の研究施設が完全に地下に潜ったあとも、家の方は無事のようだった。

 最後に訪れた時と変わらず、家はそこに佇んでいる。

 家の鍵はエヌが持っているのでちゃんと施錠はされているが、銀磁の能力にかかればすぐだ。


「【シルバ】」


 小さくつぶやいて、銀磁は手のひらから銀の粉、【疑似磁力・銀】を生み出して鍵穴へと侵入させる。

 そうして軽く内部をいじること数秒、簡単に鍵は開いた。


「じゃ、入るか。つっても地下施設はもう切り離されて地底に沈んでるんだよな。どこ行けばいいんだか」


「アニマ様が居た部屋に居ると思うでありますですよ」


 迷いなく言うアニムスに、やはり、銀磁はなにかひっかかりを覚える。

 アニムスはなにを理解しているのか。

 さっぱりわからないまま、しかし相棒の言葉の中に感じる自信のようなものを信じて、そのまま家の奥へと歩みを進める。

 そうして、外からは見えない位置にある、小さな部屋の前にやってきた。


 中には人の気配。なんとなくだが、だれかが出入りしたのを銀磁は察していた。

 きっと、中には所長が居るのだろう。

 いつもみたいに、なにを考えているんだかよくわからない表情で、座っているのか。


 ――ふと、部屋に入りたくなくなる。


 頭の中によぎったアニマとの記憶が、上書きされてしまいそうで。

 初めて出会った時の、まだ本当に――物心ついていない、無垢な、無機質な赤い瞳が自分を見た時のことを、上書きしてしまいそうで、ためらう。


「ご主人様? 入らないのでありますですか」


「あ……あ、ああ、いや、悪い、ちょっと呆けてた」


「疲れているのでありますですよ、きっと。早く肩の荷を下ろしに行くのでありますです」


「そうだな。とっとと所長と話して、しばらくバカンスでももらうとするか」


 冗談めかして言いながら、銀磁は意を決して扉を開けた。

 相変わらず玩具が転がったままの部屋の中は、電気がついていた。窓の代わりに取り付けられた映像パネルには、外の時間帯を反映した晴れ渡った空と、碧の平原の映像が映し出されている。

 その中心に、所長が座っている。

 ぺたりと、女の子座りをして、手にはルービックキューブ。

 服装はどこかで見たことのある、実験服の貫頭衣だった。所長のメリハリの利いたスタイルには、大分窮屈そうだったが。

 所長は銀磁が入ってきたことには気づいた様子だが、手の中のルービックキューブをいじりながら、視線を向けず語り掛けてくる。


「ルービックキューブと言うのは、不合理なものだよ」


 突然の言葉に、銀磁は戸惑いを露わにする。アニムスはただ静かに、後ろで控えていた。


「すべての色を簡単に揃えたいなら、一度解体してから組み直せばいい。けど、それをすると多くのものが失われる。見えないけれど、多くのものが失われて、それはもう二度と戻らないかもしれない」


 カチ、とルービックキューブが音を立てた。

 すべての面の色がそろったそれを持って、ゆっくりと所長は立ち上がる。


「私のこれまでもそうだった。過去に飛び。私は爆弾を止めた少女となり。すべて悟った。――私が、『わたし』こそが、『財団A』の目的であり、発端であり、すべてだった」


 所長は、一歩、また一歩と、銀磁に歩み寄ってきた。

 今更だが――その顔には、いつもの眼帯がなかった。

 下ろされた長い金髪の間から覗く瞳の色は、見覚えのある、赤。

 その、赤を起点にして。

 目の前に立った『所長』の姿は、幻のように崩れていく。

 美しい金の髪は、色が抜けるように、透き通るような銀髪へ。

 豊満な肢体は、妖精を思わせる儚く華奢な肢体へと変わっていく。

大人びていた声も、笑い声の中にその面影を見せていた、幼いものへ変えて。


「でも、『わたし』のすべては、今、このためにあったんだよ。ギンジ。わたしの大切な人。ずっと、会いたかったひと」


 そっと、所長の形を失った少女は、ルービックキューブを銀磁に差し出した。

 思わず、震える手でそれを受け取りながら。

 銀磁は目の前の少女をまじまじと見た。

 銀の髪。赤い瞳。ケガをした片目だけが、修復の影響か色が変わって碧くなっているが、その姿は見間違いようもない。

 二色の瞳に涙をためて。

 待ちわびた少女は、声を幼いものに戻して、銀磁の名前を呼ぶ。


「ようやく……ようやく。全部の面が、そろったよ。帰って、きたよ」


 聞き間違えのない、声。

 それに銀磁は動揺を隠せなかった。なぜここにアニマが、とか、いるわけない、とか。

 様々な憶測が、疑念がこみ上げて、声が出せなくなる。

 それでも、こみ上げてくる喜びはどうしようもなくて。溢れそうになる涙を留め、冷静さを取り繕うように、ぐ、と帽子を押さえ、目元を隠す。


「しょ、ちょう、嬉しいですけど、からかうなら……せめて、もうちょい、別の方法にしてくれると、嬉しいですよ?」


「からかってないよ……! ホントに帰ってきたんだよ? 帰ってきたというか、ようやく正体を明かせたというか……ほ、ほら、わたしのルービックキューブ……! ボロボロなの、ずっと持ってたからなんだよ? 確かめて……!」


 渡されたルービックキューブを、所長がずっと持っていたルービックキューブを、改めて銀磁は見た。

 なぜこんなものを、とは思っていた。

 けれどまさか、そんな、わかるわけがない。所長がアニマで、アニマが恐らく、銀磁には想像もつかないような旅路をたどってきていただなんて。

 わかるわけもないけれど、手の中にあるそれは確かに、見覚えも、触り覚えもあるもので。


「……あにま?」


 ぽつりと、銀磁が問いかける。

 それに、こくこくと、目の前の少女は頷く。『信じて』と、不安げに、だけど期待を込めた視線を向けながら。


「本当に、本当に、アニマなんだよな? 所長がからかってるんじゃないんだよな? ここに……いるんだよな?」


「そうだよ、ギンジ。だって、所長がアニマなんじゃなくて、アニマが所長をやってたんだから。言ったはずだよ、結構な回数。好きだよって、気に入ってるんだって」


 アニマは震える手を、銀磁の手に添える。


「ギンジはずっと、所長がなんで信頼してるのかわからないって言ってたけど……当然だよ。だって、ギンジはわたしを育ててくれて、守ってくれた、大切な人だから。家族だから。だから……だから……っ」


 ああ、と、小さくため息を漏らして銀磁はようやく目の前の現実を受け入れる準備を整えられた。

 本当に、本当に、信じられないことだけど。

 今目の前に、もう会えないかもしれなかった少女がいるとわかった瞬間、銀磁は帽子が脱げるほどの勢いでしゃがみこみ、縋り付くように、アニマの華奢な体を抱きしめる。



「アニマ……っ!」

「ギンジ……っ」



 なにがなんだか、銀磁にはまだよくわかっていない。

 けれど、それでも、やるべきことは変わらない。

 目の前の少女の存在を確かめるように、銀磁は力強く抱きしめる。零れ落ちそうな涙をぐっと抑え込んで、代わりに軽口をたたきながら。


「バカ、お前、帰ってくるなら言えよもう……!」


「だって、言ったら歴史変わっちゃうから……! ガマンしてたんだよ、ずっと、頑張ってたんだよ、ずっと! わたし、ずっと、ずっと……!」


「ああ……! そうだよな、全然、なに起こってるかぜんぜんだけど……きっと、そうなんだよな……!」


 さっきまでの端的な説明では、混乱する銀磁の頭ではすぐには理解できない。

 けど、アニマは、所長で。

 所長は、こうして再び出会うために、頑張ってきたアニマで。

 好感度がなぜか高かったのも、銀磁と共に過ごしたアニマだったんだから、当然で。


 なんとなく線はつながるから、もう、残りの細かいことを考えることは後にした。

 今はただ、喜びの中で。

 背後で『やはり』という表情で、だけど嬉しそうにしているアニムスに優しく見つめられながら。

 銀磁は何度でも、言いたかった言葉を伝える。



「おかえり……! おかえり、アニマ!」

「ただいま、ギンジ! ただいまぁ……っ!」

「――――、わ、ワタシも入れるのでありますです、二人とも……!」



 強く抱きしめあって本当の再会を喜びあっていると、我慢できなくなった様子のアニムスも二人に抱き着いてくる。

 同時に涙も一筋こぼれてしまうが、それは帽子で隠す必要のない、喜びの涙だ。

 アニマとアニムスの、温かくて、重い感触。

 だけどその感触が愛しいと、銀磁は思った。

 初めて心から望んだ未来が、続いていく。

 明日も、明後日も。

 今まで銀磁が持ち得なかった、金色に輝くように感じられる未来は――ずっと続いていくのだろうと、今、確かに思えた。


END

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