5-5


「アニマ、目、大丈夫か?」


 廊下に出た銀磁は、座り込んでいたアニマの目の様子を見る。流石に究極生命体とはいえ、即座に回復するのは難しいようだが、既に出血は止まっていた。瞼を閉じている分には見た目には違いは感じられない。


「う、ん……それより……ギンジ、さっきの人は……?」


「大丈夫、アニムスと一緒に倒した。そろそろアニムスもこっちに来るはずだが――」


「呼びましたでありますですか?」


 話していたら、部屋の方からアニムスがやってくる。おそらく手足とおなじくモルスが開けた穴から入って来たのだろう。

 接続しなおした手足の調子を確かめるように動かしながら、無事な銀磁の姿を確認して頬を緩め、それから皮肉気に口を開く。


「やれやれ、無茶な作戦だったでありますですね。ご主人様が生きているのが不思議でありますですよ」


「アニムスの手足のおかげでなんとか勝てたよ、ありがとな」


「礼はあとでたっぷり聞かせてもらうでありますです。それより、今は脱出が優先でありますですよ。こちらに兵が集結しているでありますですから。中には倒しきれなかった能力持ちも混じっているでありますですから、損耗している今は逃げるが勝ちでありますです」


「わかった。行くぞ、アニマ」


「うん、ギンジ」


 手を差し伸べると、アニマはすぐに掴んで、嬉しそうに立ち上がった。

 その表情はいきいきとしていて、もう、アニマに魂がないなどとは誰も言えないだろうと、銀磁は思った。

 そして、部屋に戻り、モルスが空けた穴からアニムスに運び出してもらおうと思った銀磁だったが。


「まち……なさ……い」


「っ……お前……まだ生きてるのか」


 声を漏らしたのは、モルスだった。かろうじて息をしているだけと言う様子だったが、掠れた声で銀磁たちに声をかけてくる。


「あたしに……勝った……げほっ……ご褒美……に、おしえて……あげるわ……」


「……なにをだ?」


「ふ……ふ、ふ……あたしが……そろそろ……爆発するって……ことを……よ」


 モルスの言葉に、銀磁たちが顔をしかめる。それが見えているのかいないのか、モルスは口元をわずかにゆがめた。

 それは笑っているようにも、嘆いているようにも見える、口の動きだった。


「ためこん……だ……エネルギー、が、せいぎょ……を、はなれ……て。ばくはつ……する。数キロは……吹き飛ぶ……でしょう、ねぇ? 逃げられること……祈って……るわ、よ?」


「数キロだと!? 町まで届くぞ、そんなの!?」


「とても放っておけるものではないでありますですね」


 銀磁は驚きながら、アニムスと顔を見合わせ、意見を言い合う。


「爆発したとして、汚染の可能性はあると思うか?」


「爆発自体がため込んだ純粋なエネルギーだったとしても、多少はあると思うでありますですよ。そもそも、この研究所が爆発するというのがかなり不味いと思うのでありますです。薬剤やら何やらで周辺の海が汚染されまくると思うのでありますですよ」


「場所が最悪かよ……! どうする? とりあえず所長に連絡するか?」


「いや、そんな時間ももうないかも――」


 と。

 銀磁とアニムスが意見を出し合っている横で、不意にモルスが体を跳ね起こした。

 銀磁とアニムスは咄嗟にそれを止めようとしたが、一歩遅く。

 気づけば、アニマに、血まみれのモルスが抱き着いていた。


「ふ……く……ふふ……油断、した、わねぇ? あたしは……負け、ないわ。究極生命体と……道連れ、よ。それなら……悪くない、わ」


「アニマっ。お前っ、往生際悪いぞ!?」


「往生際が悪くて、何が、悪いのかしら? それが……あたしの、生き方よ。たとえ、作られたとしても……最強の名だけは……その名にこだわることだけは……やめない! それが、あたしよ! 最強で、美しい、あたしの……!」


 悲痛な、必死な、叫びを上げ、アニマの体をしがみつくように抱きしめるモルス。

 だが、当の拘束されているアニマは……優しく、悲しげな表情で、モルスの体を逆に抱きしめた。


「……すごいね」


「なに……よ? 究極生命体……なにを、してるの?」


「すごいよ。わたしには……そんな強い意思、まだないから……だから、羨ましい。羨ましいから……がんばらなくちゃって、思うの」


 ふと。アニマの体から、光が溢れだすのを、銀磁は見た。

 なにをやろうとしているのかわからない。けれどひどく嫌な予感がして、銀磁はアニマに近づく。


「おい……アニマ、何する気だ?」


「遠くに行ってくる。ギンジたちに迷惑がかからないくらい、遠くに。この人をおいてくる」


 アニマの体から、泡のようにあふれ出す光が多くなっていく。

 それはモルスの体にもおよび、徐々に二人の体を、この世から消していく。


「なにを……する気よ、究極生命体……! あたしの矜持を、折るつもり!?」


「ううん。そんなことしない。今はあたしの負け。だって、あたしは……ギンジのところから、離れなきゃならないから。……それはすごく嫌なことだって思うから。だからあたしの負け」


「そんなの……勝ちじゃないわ」


 諦めたように呟くモルスは、それきり何も言わなくなった。アニマの力に抗うことが不可能だと理解したのだろう。光の泡となって溶けていく自分の体を、感情の無い目で見つめている。

 それに、少しだけ申し訳なさそうな顔をしてから……アニマは、銀磁たちの方を向いた。


「ギンジ」


「アニマ、お前……どこ行くんだ?」


「わかんない。なんとなくでやってるから……遠くに、ってことしかわかんない」


「戻って、くるのか?」


「……それは……」


 アニマは言いにくそうに言葉に詰まったが、やがて、ぐっとなにか感情を飲みこんだ様子で、銀磁に笑顔を向けた。

 無理をした笑顔を、銀磁に向けてくれた。


「――うん、わたしは、絶対戻ってくる。だから待ってて、ギンジ。それまでちゃんと、生きてて」


「お前……そんなの……約束できないだろ。オレの人生、過去にも未来にも、なにもないと思ってたのに」


 そんな未来、急に託されても困るのだ。

 今が全てだった銀磁にはそんな未来は重すぎて、耐えきれない。

 だけど、問答無用で、アニマは押し付けてくる。

 笑顔で、未来を、押し付けてくる。


「ダメ? ギンジ。わたし……がんばるよ。ギンジのところに、絶対、戻ってくるように。がんばるから!」


 いつになく声を張るアニマ。

 その言いかたはずるいと、銀磁は思った。

 そんな言いかたをされたら……ギンジだって、格好つけるしかない。

 だから、銀磁は帽子を目深にかぶって。アニマの笑顔をあまり見ないようにしながら、返事をした。


「……ったく。仕方ないな。なら、待っててやるよ、アニマ。待っててやるから……早く帰って来いよ」



「うん。行ってきます、ギンジ」



「ああ、またな」



 深くかぶった帽子の下から、消えていくアニマの姿を覗く。

 少しずつ消えていく、アニマの姿。その最後は、目に映さないようにしようと帽子を深く被っていた銀磁だったが……衝動的に、帽子の位置を直し、前を見た。

 けれど、そこに既にアニマの姿はない。

 最後の光の泡が一つ、どこへ行くともなくふわふわと漂って、やがて銀磁の目の前で弾けて消えた。


「ご主人様……その、兵士がくるでありますです。逃げないと……」


 後ろから、アニムスが遠慮がちに声をかけてくるが、銀磁は帽子を深く被って、頭を垂れた。

 それから震える声で、アニムスに背を向けたまま言う。


「十秒だけ……時間くれ」


「……了解でありますです。その間に準備だけ……済ませておくでありますです」


 きっちり十秒、銀磁はアニマとの短い五日間を思い出した。

 人生で恐らく初めて、深く、過去のことを思い出し。

 そして、未来にまで命を繋がなければと決心を新たにし、目元をぬぐうと帽子の位置をもとに戻して振り返る。

 アニムスは、銀磁の顔を見ても何も言わない。こんな時はちゃんと気を利かせるんだなと冗談を言おうと思ったが、銀磁の口は上手く動かなかった。


「――よし。行くぞ、アニムス。生きて帰る」


「はい。もちろんでありますです、ご主人様」


 そして銀磁は、アニムスに抱えられ、空を飛んでその場を発った。

 眼下、アニマとの最後の思い出となった場所が小さくなっていく。

 つい振り返りたくなるのをぐっとこらえて……銀磁は五日間の『仕事』を、完了したのだった。


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