2-7
武装解除した男たちを新幹線の中に放置して、銀磁たちは無事に目的地で降りた。
銀磁の能力は射程範囲である半径二十メートル強の範囲から出れば効果は時間経過で失われる。
何故か椅子から立ち上がれず駅員さんに多少の迷惑はかかるかもしれないが、恥ずかしさとともに反省してくれるだろうと願いつつ、銀磁たちは住家であるマンションへと戻った。
追っ手を警戒して通常とは違う経路で戻ってきたため時間はかかったが、それでもまだ日は高く、時計を見れば午後三時。
もっと時間がかかるかもしれないと思っていた銀磁は少し拍子抜けだったが、それはアニムスも同じ感想を抱いていたらしい。
「帰り道は特にだれも狙ってこなかったでありますですね」
四階建てのマンションの階段をのぼりながら、アニムスが言う。
アニムスの言う通り、マンションに移動するまでの間は特に視線も感じず、問題も起きずに帰ってくることが出来た。
「さっきの奴らはあれでも早く情報を得ていた、ってことなのかもな。逆に、明日以降はばかすかやってくる可能性が上がったわけだが」
「このマンションは防衛拠点としては優秀でありますが、立て続けに襲撃される可能性を考えると少し対応を考える必要があるでありますです」
「対応ねぇ。こっちから仕掛けに行くか? 大抵の相手ならなんとかなるだろ。アニマを傷つけるようなことは、奴さんもしないだろうし。呼び餌にしてもやりやすい」
「ぶっちゃけご主人様のような改造人間や能力持ちを送り込んでくる可能性は低いでありますですからね。外で運用されている改造人間はワタシたちのような取り立て役以外だと重鎮の護衛に数人だけでありますですから」
「少し考えておくか。明日の朝改めて打ち合わせだな」
「了解でありますです」
アニムスとそんな話をしているうちに、銀磁たちの部屋がある三階に到着する。
四階建てのマンションではあるが、住んでいるのは銀磁たちだけだ。
ほとんどの部屋は空き部屋と言う名の武器庫およびトラップ部屋であり、人が居るように見せかける仕掛けも施されている。
さらに銀磁の荷物のほとんどがアニムスがいつでも部屋から【開錠】で持ち出しできるように細工がしてあるため、いつでも放棄可能な住家なのだった。
「ただいまー、っと」
鍵を開けて銀磁が中に入る。アニムスもさっさと中に入ったが、アニマだけが扉の前でうろうろしていた。
中に入っていいのか、迷っている様子だ。
「アニマ、こっち来い」
銀磁がしゃがんで手招きすると、アニマはおずおずと扉の中に入る。それを確認して、銀磁はアニマに言った。
「おかえり、アニマ。今日からしばらくは、オレとアニムスが居るところが、お前の家だ」
「ギンジとアニムスが居るところが……家?」
「ああ。ちょっと特殊な職業で、定住できなかったりするオレたちだから、家の定義は人とはちょっと違うんだ」
家は、家族が住む場所だ。
人が腰を落ち着け、気を抜き休める場所だ。
しかし、銀磁たちの『家』はわりところころ変わる。半年に一回は引っ越しするくらいだ。
だから、銀磁たちの家の定義はちょっと違う。
「オレにとっては、アニムスと一緒に気を抜いてだらだら出来るところが家なんだ。あいつは相棒で、家族みたいなもんだから。……アニムスには言うなよ? 調子乗るから」
銀磁が人さし指を立てて口元に当てながら小声で言うと、アニマは僅かに笑みを浮かべた気がした。
笑みというか、もにょりと口を動かしただけにも見えたが。しかし、そんな反応に、銀磁は少し嬉しくなる。
なんで嬉しくなるのかはわからないが、アニマが人間らしい反応を覚えるのが、なにか嬉しい。
或いは――銀磁は。アニマに『銀磁の考える人間らしさ』を手に入れて欲しいと思っているのかもしれないと、少しだけ思った。
あまり『人間らしくなれ』とおしつけがましくならないように気をつけようと思いながら、銀磁は扉を閉めて、鍵をしっかりとかけておく。
「よし、まずはリビングで一休みするか」
「うん、ギンジ」
アニマの手を引いて、リビングへ向かう。すると、アニムスは既に厨房に立って冷蔵庫の中身の確認などを行っていた。
「夕食の材料は問題ないでありますですね。ご主人様、アニマ様、手洗うがいをちゃんとしてくるでありますです。それから水分補給を」
「わかってるよ。ていうか、子供じゃないんだから毎度言うことないだろう」
「ご主人様はノータリンでありますですから。三歩歩いたら忘れるくらいに思っているでありますです」
「オレはニワトリか! ったく……アニマ、洗面所行って手洗うがいするぞ」
アニマを連れて、風呂場の隣の洗面所へ。
背伸びするアニマと一緒に並んで手を洗っていると、ふと、アニマが口を開いた。
「そういえば……ギンジ」
「ん? どうした」
「新幹線に乗ってきたひとたち……ギンジが倒したの?」
「倒したっていうか、眠らせただけだけどな。だいたいオレがやった」
「ギンジ、強いんだ」
「まぁな――って言いたいところだが、実際のオレの強さは『そこそこ』ってところだよ。研究されてる改造人間や能力持ちの中にはオレ以上のもまぁ居るさ。外に出てるヤツらの中では三本の指に入るくらいには強いと思ってるけどな」
「それなら、やっぱり強いと思う」
「そうか? ありがとな、アニマ」
アニマの褒め言葉に、銀磁は少しだけ気を良くしながら、泡に塗れた手を洗い流した。
その隣で、アニマは、手の中で泡を弄びながら、手の中の泡をじぃっと見つめながら、ぽつりとこぼす。
「わたしも……強くなったほうが、いいのかな?」
「……なに?」
手を洗い流した銀磁は、アニマの方を見た。
すると、アニマは手の中で泡の塊を押しつぶしながら、ゆっくりと銀磁の事を見上げる。
無表情に、銀磁の事を見上げ、見つめる。
赤い瞳の奥に、底知れないものを感じさせながら、銀磁に問う。
「だって……強い方が、安心だよね? 今日みたいな人たちが来ても……追い返せた方が」
「それは……」
銀磁は言葉に詰まった。アニマの底知れない無機質にも思える瞳に見つめられると、迂闊に物を言えなくなるのがわかった。
格好つけた言葉も、出てこなくなる。
そんな銀磁に、アニマは言葉を促す。
答えを求めて。
「ギンジ……どうすればいい? わたし、強くなったほうが、いい?」
問いに、銀磁は真剣に考えた。考えるしかなかった。なぜなら、それらしい答えを銀磁は両親や、教師や、数少ない周囲の関係ある大人から与えられたことはなかったから。
正確には、あったのかもしれないけれど――かけられた言葉は銀磁の心の表層を上滑りしていって、根付いてなどいなかったから、考えて、考えて、答えをひねり出すしかなかった。
……もしもここで強い方がいい、なれるならどんどん強くなれと言ったら、どうなるのか?
わからない。
もしかしたら、なにも変わらないかもしれない。
或いは突然、究極生命体としての『本領』を発揮し始めるかもしれない。
究極と呼ぶにふさわしいだけの力を突如奮いはじめ、果ての無い強さを求め始めるかもしれない。
そう思うと銀磁の体を恐れが支配して、余計に動けなくさせたが――そんな中で。
それでも、銀磁は思った。
『かっこいい答え』はなんだろうか? と。
銀磁の判断基準は全てそこだ。銀磁の人生は全て、『かっこうつけられるか否か』で決めている。
ブレてはいけない。
ブレることは一番、かっこよくない。
『格好つける』ことは、銀磁の唯一貫き通している主義なのだから。
だから銀磁は一つ、大きく深呼吸すると……手に残った水をはじいて、アニマの顔にかけてやった。
「ぴゃっ!? ぎ、ギンジ……?」
「ばーか。強くなんてならなくていいに決まってる。そんな必要はないからな」
目をしばしばさせながら、首をかしげるアニマ。そんなアニマに、銀磁は手を拭き、少し屈んで、帽子をとると、笑みを浮かべて言葉を続ける。
「アニマはもう強いから、それ以上強くなる必要はないんだ。アニマは可愛いからな。可愛いも強さの一種なんだよ。知ってたか?」
「かわいい……? が、強いの?」
「そう、強いぞー。可愛いは正義って言われるくらいだ。かわいいは他人を味方につけられる、すごいお得な力だぞ。それをアニマはもう既に持っているんだ。だから、それ以上強くなる必要はない」
「でも……誰か襲ってきたら……」
「その時は他人に助けてもらえばいい。もちろん、オレも助けるさ。――いいか、アニマ。自分で出来ることには限度ってものがある」
「限度……」
「限度があるから、強さを追い求めることは最終的に意味がなくなるんだ。だって……一人の強さを極めても、結局『一人で出来ること』しか出来ないんだから」
「一人でなんでもできるようになれば……いいんじゃないの?」
無垢な瞳で、アニマは言う。
それさえも不可能ではないのかもしれない。アニマの中に眠る可能性は、人が成し得ることの全てを可能にしてしまうのかもしれない。
それは『強さ』の極致だろう。
けど、やっぱり、そこには『出来ないこと』がたくさん存在していると銀磁は思う。
「いいや。なんでもできるようになっても、やっぱりできないことはある。たとえば――こうすることとかな?」
帽子をかぶりなおして、銀磁はまだ泡がついたままのアニマの手を握った。
「他人に手を握ってもらうことは、自分一人じゃ出来ないだろ? 強さの極致に至ったとしても、それは他人の手を借りなきゃ得られない感触だ」
「手を……握る……それだけのことが……一人じゃできない……そっか」
アニマは不思議そうに、だけどどこか納得した様子で、銀磁の手を握り返してきた。
それから、穏やかな表情で銀磁を見る。
その瞳にはもう、さっきまで感じた底知れなさはなかった。
無邪気でも、無表情でもなく、でも少しだけ成長した少女の顔で、アニマは頷く。
「うん……じゃあ、このままでいるね、ギンジ」
「ああ、そうするといい。アニマなら、いずれ必要な時に、必要な力を手に入れられるだろうからな」
それは予想。いや、予感に基づく言葉だった。
アニマは間違いなく『究極生命体』としての力をいつか示すだろうという予感。
だが、そんなことは銀磁には関係ない。
銀磁はなんかかっこいい(っぽい)ことを言い、アニマはそれに納得した。
アニマは、このままでいることを選んだ。それがすべてだ。
「ギンジ、このまま手、洗って」
「うん? どうした急に」
「一人でできないこと、してほしい」
「なるほど。それじゃあ、お手を失礼しますよ、お姫様」
格好つけて言って、銀磁は少しだけハンドソープを足して、アニマの手を洗いはじめる。
その一分ほど後に踏み込んできたアニムスに『アニマといかがわしいことをしている』とあらぬ疑いをかけられるまで、銀磁はアニマの手を洗っていたのだった。
二人でないと出来ないことを、アニマに教えてあげていたのだった。
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